心屋(こころや)です。
ひとは、自分で望んで自分の今の状況を作り出す、
なんていう言葉を聴いた人もいると思うんですが、
このメッセージを参考にして
是非、自分が何を望んでいまの状況を作り出しているのか
考えてみると面白いですね。
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ぢんさんはじめまして!
この1年くらいブログと本でお世話になっているアラサー女子です。
長いけど聞いて下さい。
わたしは死にたがり屋でした。
ハタチの頃から鬱が酷くてちょっと凹むと
「もうダメだ。死にたい」って思ってしまうんです。
「もうダメだ。死にたい」って思ってしまうんです。
自分でも何でこんなに簡単に死にたくなるのか分かりませんでした。
10年以上精神科にかかって薬も飲んでたくさん休んで、仕事もせず実家で好きなことして過ごしてるのに、まだ苦しい。
ふと気がゆるむと「死にたい」が襲ってくるんです。
なんてバチ当たりなんだー!ってもう罪悪感でいっぱいでした。
でね、その原因がね、さっき分かったんです。
小さい頃、弟が生死の境をさまよう大病をして長期入院しました。
わたしはその間1人で親戚の家に預けられていたんです。
寂しくて悲しくて心細かったけど、こう考えて我慢しました。
「死んじゃうかも知れないかわいそうな弟は、ママを独り占めにしても良いんだ」
どうにかして納得したかったんですね。
でもこの健気さが悪夢のタネになってしまいました。
月日は流れて弟はすっかり健康になりましたが、
わたしの心は徐々に拗れてゆきました。
わたしの心は徐々に拗れてゆきました。
タネが歪みに歪んで
「死んじゃうくらいかわいそうなわたしでなければ、お母さんを独り占めにできない」
って方向に育ってしまったみたいです。
良い成績、良い素行、部活も友達付き合いも手伝いも何もかも。
「良い子でいるため」っていうのもありましたが、心の深くでの目的は「死んじゃうくらいかわいそうになるため」でした。
で、20歳頃に念願叶って心の病気になり、
まんまと死にそうな状態になりました。
まんまと死にそうな状態になりました。
その後も暇さえあれば死にたがって
「かわいそう」を維持し続けていたんです。
「かわいそう」を維持し続けていたんです。
なーんだ、そっかぁ!
わたし、死にたくなりたかったんだ!
ちゃんと目標通りに生きたんだ!!
すごいじゃん!
これって、自分に死に至る呪いをかけてたってことですよね。
下手したら本当に死んでたかも知れない。
なんつーおそろしいことをしていたんだろう。
バカ過ぎて笑えませんが、
これがわたしのパッカーンと思われる体験です。
これがわたしのパッカーンと思われる体験です。
何だか、神さまに盛大に頭はたかれたみたい。
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うん、ハリセンではたかれたね(笑)
きっつーい突っ込みはいりましたね。
ふたたび心屋です。
これが
「不幸は自分でやっている」ということ。
だから
「貧乏」も
「暴力」も
「浮気」も
「病気」も
なんでもいいです、
自分にとっての「不幸」は
自分がしているんです。
自分が望んでその環境を作った。
自分が「幸せ」になるための「戦略」ですよね。
もう完全に変態ですよね(笑)
だから
「じ、、自分かぁ( ゚Д゚)」と、
笑えばいいわけです。
反省するんじゃなくて
自作のコントを笑う。
で、僕は、
いつしかそれがわかってしまったわけです。
目の前で苦しんでいる人が
さすがに
何を目指しているのかまではわからないのですが、
そのひとは
自分が良いと思って
自分の幸せをつかむために
「かわいそうなひと」になること
「不幸なひと」になることを
好きで一生懸命にやっているので、
その目の前で悩んでいる人を
「かわいそう」とか
「助けなければ」とか
思ってみるのをやめたんです。
だって、好きでやっているのですから
こっちがそれを「止め(解決)」ることはできないのですから(笑)
だから
できることは
その「ヒント」と
そして「笑う」こと
「信じる」ことぐらいなのです。
「解決してあげよう」は
無駄なことなんだなと思いますもの。
マラソンが楽しくて
汗かいて、息荒く走っている人を
止めようとするようなものなのですもの。
もうひとつのヒントとしては
「なにかを、“わかってほしくて”、やっている」
ということです。
アメーバ大喜利
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■心屋公式サイト
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うん、ハリセンではたかれたね(笑)
きっつーい突っ込みはいりましたね。
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「不幸は自分でやっている」ということ。
だから
「貧乏」も
「暴力」も
「浮気」も
「病気」も
なんでもいいです、
自分にとっての「不幸」は
自分がしているんです。
自分が望んでその環境を作った。
自分が「幸せ」になるための「戦略」ですよね。
もう完全に変態ですよね(笑)
だから
「じ、、自分かぁ( ゚Д゚)」と、
笑えばいいわけです。
反省するんじゃなくて
自作のコントを笑う。
で、僕は、
いつしかそれがわかってしまったわけです。
目の前で苦しんでいる人が
さすがに
何を目指しているのかまではわからないのですが、
そのひとは
自分が良いと思って
自分の幸せをつかむために
「かわいそうなひと」になること
「不幸なひと」になることを
好きで一生懸命にやっているので、
その目の前で悩んでいる人を
「かわいそう」とか
「助けなければ」とか
思ってみるのをやめたんです。
だって、好きでやっているのですから
こっちがそれを「止め(解決)」ることはできないのですから(笑)
だから
できることは
その「ヒント」と
そして「笑う」こと
「信じる」ことぐらいなのです。
「解決してあげよう」は
無駄なことなんだなと思いますもの。
マラソンが楽しくて
汗かいて、息荒く走っている人を
止めようとするようなものなのですもの。
もうひとつのヒントとしては
「なにかを、“わかってほしくて”、やっている」
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