気になっていた「禅 ZEN 」 という映画を見てきました。
前半は、うーん、端折りすぎ? という感じでしたが、
後半のセリフの一つ一つが沁みわたりました。
〔ネタばれになるかもしれないので注意して読んでくださいね〕
多くの仏教が「仏」「仏像」を拝み、
呪文を唱えたり、お経を読むことで「救われよう」とします。
いい悪いではなくて、ね。
「助けてほしい」「極楽へ行くために」という祈りです。
しかし禅は、「座禅」という「座る」ことを伝えた道元禅師の教え。
それは自分と向かい合うこと。哲学であり、それを超えたものかもしれません。
「悟るために座るのではない」
と言います。
「死んでから仏に会ってどうする、 この世に浄土を見よ」 と。
つまり、今生きている、今この時を浄土に、平和を見る。
つまり、今のあるがままを感じ、それを幸せと感じよと。
そのためにどうするのか。
そのために、「ただ、座る」
「悟ることさえ目指さずに、ただ、座る」
「良いも悪いも捨てる」
苦しみとは、何かにとらわれている状態で、
その「囚われ」は思い込みです。
その思い込みが外れるまで、座る。
一人一人の中にある仏様に会うために、座る。
「自分の中に仏様がいるなんて信じられるか!
こんなことなら南無阿弥陀仏の方が、お経を唱えてる方がよっぽどましだ!」
「違う!!」
中村勘太郎、迫力あるなかなかの名演技でした。
時の権力者、北条時頼とのやり取りの中で、
道元は歯に衣着せず言い放ちます。
時頼は、惨殺した怨霊たちに悩まされ、
苦しみ苦しみ半狂乱になって道元に助けを求めます。
道元は、ただ座ることで執着を捨てよといいます。
武力で制したものが続くはずがない、と。
しかし権力にしがみついて離れられない。捨てられない。
「平安でない心のものが、 どうして平安な国が作れるか」
これは会社の経営にも言えるのではないでしょうか。
「あなたは救われたいと言いながら、
あなたは、何一つ捨てる勇気さえないのだ」
今持っているもの、手にしたものを手放したくない執着を持ったまま
自分が救われたいと思っても無理だと。
ただ座り、執着を一つ一つはがしていくことで
自分の中の仏に会えるのだ、と。
これはもう、そのまま成功哲学です。
これは決して禅道場でしかできないことではなく、
日々の生活の中でほんの数十分でも、
心静かに座って呼吸に意識を向ける時間をとることで
できるのかもしれませんね。
「呼吸」という、人間の命の源を感じながら・・・
一つ一つの言葉が光る映画でした。
座禅のシーンが多く、
とっても懐かしかったです(^u^)
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セラピスト 心屋仁之助
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