コライダスコープ  -4ページ目

コライダスコープ 

人の世は
七色に輝く儚い雅
それはまるで万華鏡のように。。。

大野智と嵐、鈴木亮平くんを見守っています。

おはようございますとびだすうさぎ1

 

 

こちらただ今強風吹きまくる木曜日の朝。

夕方から雪になる予報が出てるけれど

天気予報ってやっぱりおおまかな感じでしかあてにならない。

てか少しでも当たれば素晴らしいんだけれども

慣れてくると求めるレベルが高くなりますな。

 

 

少し前は感謝祭を物凄く楽しんだから

さあ次はクリスマスというか冬至の行事の準備しないと。

 

 

ご存知の方もいらっしゃると思いますが

私ここ数年ずっとクリスマスを祝う意味を見失ったまま、

やはりもう元には戻れない気配ですw

 

 

夫も以前からクリスマスツリーもクリスマスの飾りもあんまり。

やっぱり子供達の為にやってたんだなー。

惰性の引きずりももう納得できない

かといって後ろ髪をひかれない訳ではない(どっちやショックなうさぎ

 

 

習慣って恐ろしいw

頭こんぐらがるw

 

 

感謝祭の料理の写真をアップしたいとずっと思ってますが

まとまった事を添え書きしようと思うと後回しになっちゃう。

 

 

ということで

先日のさとらじでの智の鈴木亮平ネームコールリピートといい

ザ・夜会での亮平くんの二度目?の出演といい

大好きな嵐と亮平くんのコラボが多くなってきてて

胸弾んでるのでそっちをちょっと。

 


亮平くんのブログで翔君のザ・夜会の話がでてたよ↓

岡田くん主演、亮平くんも出演してる海賊とよばれた男ももうすぐ公開、

亮平くんが出ているドラマ「東京タラレバ娘」も来月放映だとか。。。

 

 

嵐ごとも随分盛り上がってるなか取り残されているというか

好きな人が高画質で見られる、それを保存できる、

日本に住んでる皆が羨ましい限り!

色々観たいよくそくそくそーーー!!!

 

 

自分から日本を出て来ておいて、最近いつもこれw

 

 

そんならファン止めれば?ですよね。

 

 

いやいやいやそれは無理w

 

 

 

できる事に限りはあるけど

やっぱり大好きなものは大好きだから♪

 

 

 


 

 

Furboさんの宣伝画像の亮平くん

 

 

 

リブログした記事の亮平くんは前髪下してるけど

亮平くんも智も

額出してるときが特に好きー♪てへぺろうさぎ

 

 

しかしこの二人

見た目は全然違うタイプだよねカナヘイハート(*´艸`*)

 

 

 

大好きなイラストレーターさんの

素敵な企画!

 

楽しみでーす♪

 

こんにちは

もはや2016年も師走に入ろうとしておりますが

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

 

 

暫く記事を書けないでいた間に

記事を書くページの仕様も少し変わりましたネ。

 

 

 

2016年の後半は

遊びも仕事も大がかりな歯の治療等も含めて

折りたたむように展開が進み

思い返せばいろんなことがありました。

 

 

 

その間ずっと感じていたのは

私は実に様々な力に支えらえて生きている

という事。

 

 

 

智が常に表現している事でもありますが

(と書きましたが、智がありがとうの反対は当たり前ということを

さとらじで言っていたとは全く知りませんでした。

この記事を書いて送信した後に知りました、面白い!)

 

今年は自分の心に余裕が生まれたのか否か

人様のお力添えというものの尊大さを

強く感じさせていただけています。

 

 

 

まず今年は

19年ぶりにずっと叶わずにいたある事が実現しました。

時間的にはとても足りるものでは無かったけれど

限られた条件の中で、充実度の高い、意義有るものにできました。

 

 

 

叶える事ができたのは

私自身の気持ちが動いたからでもあります。

背景に色んな意味でとても素敵な方々の存在があったからこそ

私の中で実現に向けて努力する気持ちが動き

可能にすることができたという確信があります。

 

 

 

その後歯の治療に。

しばらくネグレクトしていた歯の治療はまだ進行中で、

一番辛い時期は乗り越えたようです。

資金も時間もかかりますが、

信頼できると感じられる腕の良い先生方にお世話になれるなら

そして残りの時間を生きていく上での健康への投資だと思えば

楽なものです。

 

 

 

様々な分野での専門歯科医に巡り合えたのも

過去に様々な治療を受けてきた友達の紹介があったからこそ。

そして

昔に比べれば大した痛みも感じずに治療を受ける事ができるのも

努力を重ね、最新情報と最新技術を常に学習している

専門医が存在するからこそ。

 

 

 

仕事においても

感謝すべき展開がありました。

 

 

 

勤務している図書館に毎日通ってくるある男性利用者がおり

その人は悪人とは思えないけれど、

だからこそ不可解な接触を受けた事で

とても不愉快な気持ちにさせられ、

仕事がしにくい状況になった事が最近ありました。

いわゆるセクハラに近いものです。

 

 

 

その男性はとてもフレンドリーで

ある程度の常識も持ち合わせている様ですが

ある部分での人との境界線を知らないらしいと感じています。

 

 

 

私も長年生きてきましたし

一般との接触を多く持つ仕事中にも様々な経験をしていますから

ちょっとやそっとの事で深く悩んだりはしません。

しかし普段「普通」に見受けられる男性に

思考回路がどこでどう絡まってしまったのか分からないような発言を受け

それが何度も繰り返された際には

やはり女としての警戒心が沸いてきます。

 

 

 

問題行為ではあっても

罪であるとは認められる行為では無いからなおさら

女は警戒しない訳にはいきません。

 

 

 

私の警戒心を増長させた理由には

仕事場での先輩達は常連である彼の名前も知っており

お喋りな人という事以外には

彼との接触をそれほど問題視していない様にみえたという事もありました。

 

 

 

考えた末上司に報告したところ

彼には以前にもクレームがあった事を知りました。

 

 

 

よく話してくれたという上司からの直接的且つ実質的なサポートを受け

事情を知った周りの仲間にも快くフォローをしていただき

その男性の存在の有無にかかわらず、

とても安心できる環境に身を置いている事を実感しました。

 

 

 

ある仲間は、私をスタッフルームによんで、

コライダの気持ちよくわかるよ、自分もすごく嫌な気持ちにされたことがある、

自分が勤務している日は、彼には一切近づかなくてもいいから!

私たちがフォローするから!

とまで言っていただきました。

 

 

 

その彼女もまた同じ様な目にあっているのだなと

私に力説しながら

怒りを抑えきれない様子で涙で潤ませていた彼女の目を見て

女としての相互理解と団結のありがたさを再確認しました。

 

 

 

その仕事自体に関しても

今いろいろ試行錯誤しながらこの先の事を考えている上で

思わぬところで人々から得ているものの大きさに

感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

 

 

私の環境は経済的には理想とは程遠いどころか

恥ずかしながら心配は尽きないであろう状態で

「心配が尽きない時間が継続されれば心も荒んできて当たり前」

特に様々な失敗を重ねている夫には「優しくできない事があっても仕方無い」

と、今まではそう思っていた部分がありました。

 

 

 

自分の心が荒めば荒むほど

それをまるで全て夫の所為のように感じ

夫が私を気にかけてくれる身近な人であればあるほど

責めて冷たく当たっていたように思います。

 

 

 

 

でも大きな大きな不可欠であった事が一つ叶った時

私の心は潤い始めた様です。

そして様々な事が見え始めました。

 

 

 

 

今回その大きな事をやり遂げられたのもその蔭には

夫の存在も大きく

私の近くにいてくれる人の存在とそのありがたみを

認識できるようになったのでしょうか、

環境は変わっていないのに

以前よりも心が安らかであるように思います。

 

 

 

大切なものって何か

それはやはり「私の人生の中にいてくれる人」なのですね。

 

 

 

周りの人からの理解と支え

私もそれに応えられているのかしら

私も支える事ができているのかしら

 

 

 

頑張らなきゃ。

 

 

 

「人は財産」

当たり前な事を今更確認している

心だけは若いおばばがここに一人。(笑)

 

 

 

さて、感謝繋がりで

アメリカではあと数日で感謝祭

 

 

 

これまでは毎年ホリディーシーズンに入ると随分とストレスに感じ、

まず手始めの感謝祭は働きずくめで形にしてきましたが

今年はなんだか材料さえ揃っていればなんとかなるさという姿勢で

かなりリラックスしています。

それでいいのかもとも。

 

 

 

大統領選挙結果などの不吉な事件←W などは一時忘れて

家族や友達が健康でいてくれること

人に恵まれている事に感謝の気持ちを込めて

楽しみますね。

 

 

 

これまでずっと私の力になってくださってきた皆さん、

本当に本当にありがとうございます。

 

 

 

こんな私ですが それに懲りず

これからもどうか宜しくお願いできればと思います!

 

 

 

 


超多忙な亮平くん!

私の好きな人が売れっ子になって活躍してるという自慢←w

とりあえずこれみてくだされ→ http://www.furbodesign.com/


嵐結成17年を迎えて
嵐におめでとうとありがとうを伝えたい


彼らは
わたしにとってとても個人的に貴重な意味を持つ
かけがえのない存在であり
その地位は私が死ぬまで決して変わらない


いや死んでも変わらない(笑)


何故なら彼らは
過去の私の、
今思えば日本に対して殺伐とした感情が住んでいた心の中に
日本への新鮮な気持ちを新しく吹き込んでくれ
光に溢れた潤いをくれた
唯一無二の源だからだ。


殺伐とした感情の所以はこれから書くが


例えば大野智を見つけた事で
嵐を知った


嵐。。。こんな人達が
当時の私にとっては
「暗い影が目立つ世界」に見えていた国で努力を重ねながら
明るく強くしなやかに生きている


そこに計り知れぬほど励まされ
そんな彼らを称える日本を
見直す事ができた


嵐を知って
絡み合った時に最も眩しく輝く5人を愛した事で
嵐ファンと繋がる事ができた


嵐ファンと繋がる事ができて
温かくてオープンで器量が大きくて
もうそれは楽しい人達と触れ合う事ができた


そんなもろもろの過程にあった全てのもの
全ての人達に
心を照らしてもらったんだ


暗かった私の日本への印象を
明るくしてもらった


その事実は私のこれからの人生で
変わる事もないし、私が存在しなくなっても変わらない


そういうこと。








では何故私の中の日本は
暗くネガティブに印象付けられていたか


その事については
以前何度かかいつまんで書いたような気もするし
読んでいてあまり気分の良いものではないと思うが
しかし自分の気持ちに一つのけじめをつけ
前に進み続ける意味で
ここに書いておきたい


もし興味があれば読んでください。









様々な事が鮮明に見えるようになったのは
それほど遠い過去の事ではない



若い頃は自分がダメージを受けていたということはもとより
実に何もわかっておらず
人生での自分の選択の真の意味を
取り違えていた部分が多かった



長年の間私は
自分のふるさとを
母親の色眼鏡を通して観てきた



私の母は尊敬できる部分も持っている人ではあるし
母なりに私や妹を愛して育ててくれたことは
分かっている



長閑な田舎で生まれ育ち
元々は天真爛漫だったはずの母の変貌を
私なりに理解し労わりたい気持ちはあるし
母を大切に思っていない訳ではない



しかし。。。
私の日本に対するネガティブな感情の基盤は
父の精神的な不在で追い込まれていた母が作った
と言っていいだろう



母に自覚は無かったのだろうが
私が幼い頃から母は
私を自分の悩みと苦しみの荷を軽くする為の
癒しの道具として使い通した



そうなるに至った原因の一つでもあるけれど
そもそも周りに母の心のサポートをする大人がいなかった事が
私の中に生まれ育った土地への
間違った印象を植え付けたと思っている



私は言葉が分かり始めた頃からずっと
ご近所の人達や親族の不可思議な言動を
母が受け止め解釈した形での「愚痴」を聞かされ続けた



母は酷い仕打ちを受けどんなに辛い思いをしているかを私に訴える
私は人への不信感と怒りで腹に毒を溜めていく
悲しくて泣けば、泣きたくなるような舞台を作った本人の母に
泣き虫と言われた



ふるさとの記憶は
そんな場面が大半を占めている



その上、母は自分が私に伝えた事を含め
他人に自分の悩みやプライベートな事を一切喋るなと
子供の私に口止めした



そういえば
人が私にたずねた質問もことごとく
私を遮って母が答えていたっけ。



他所モノは受け入れられにくかった保守的な土地で
自分の身の丈に合わない仰々しい家に嫁いだ「他所モノ」だった母にとっては
毎日が周りからの理不尽な扱いと
その理不尽極まりない周りとの同調を装う事との
狭間での闘いだったのだろう



幼少の頃から母の苦難の言葉を吹き込まれていた私の脳は
母にその意志があったのかどうかには関わりなく
見事に洗脳されていった



母にとって、私はたった一人の味方で
大人ではないから勿論反論もしないし
私は母が一番大事で、母を守る事を優先していたから
母の見解を鵜呑みにした上
忠実に口を結んだままでいた。



そんな状態だから
例え母の感覚が歪んでいたとしても
それを正す人は誰もいない



無論、私にとって自分が生まれ育った土地は
母が嫁いだ家と親族一同を中心に
嘘つきで人を差別する排他的な
暗くひねくれた
心を病んでいる人がうようよ居る場としか映らなかった



そんな偏見のお陰で
今言うところの自閉症だったと思う男の子や
他所から引っ越してきた女の子が虐めに合うのが嫌で
彼らを守るための行動を選んでいた事もある



思えばそれが
唯一のポジティブな産物だったのかも知れない



とにかくそんな状態でその土地で育つ人間が
どんな感情を潜伏させることに至るか
想像はつくだろう



その上未熟だった私は
大袈裟に言ってしまえば日本全体を
同じ感覚で観るようになってしまっていたらしい



渡米した後、人に
若いのに独りで異国で暮らすなんて勇敢ね!
と言われるたびに
それは違うと心の中で呟いた。



何が違うのか当時の私にはよく分からなかったが
違うという事だけは知っていた。

 

結果的に私は多分
「生まれ直したかった」から
アメリカに来たのだと思う
 


それは勇敢だからなのではなく、
自分を取り戻すために
生き延びるために
精神のサバイバルのための行動だったと
そうはっきりと分かるまで長い年月を要した



人によっては
私の故郷と母との関係は
何の問題もないものと感じられるかも知れない
その場で問題を打開解決できる人もいるかもしれない



実際私はアメリカで落ち着いた後の大半を
そんな環境に負けた自分を責め続けながら費やした



しかし今なら分かる


私にとっては
病的環境以外のナニモノでもない場から離脱する事は
必要不可欠なものだったと



私にとっては
そこに居ては自分が根元からダメになってしまう
そんな環境だったのだから。



アメリカで初めて住みついたCA州のバークレーが
私の心の故郷だと何度も言ってきた



実際そこで母親や、
偏見の目でしか見られなかった故郷から離れて暮らすことで
私は少しずつ
本来の自分を取り戻す長い旅に出る事ができた



実にいろんな遠回りをしてきた
今にいたるまで4半世紀もかかった



その今
自分が生まれた土地とそこに住む人達
完全に近いレベルで関係を持つことを避けてきた親戚などを
新鮮な目で改めて見る力が備わったと思う



自分の気付きと修行もあったけれど
大野智、嵐、アラシックやさとしっくの皆と出会えた事も
ここにたどり着く為の大きな要因だった事は確かだ



もろもろにありがとう。



皆にありがとう。







あなたたちと
あなたたちを取り巻く人達
そして
あなたたちが象徴するものを
心から愛しています。