守り抜く何かを持つこと、

信じ抜く何かがあること、

反対に、何も持たない、何も信じない、

信念を持たない、という信念。


それが一人一人の生命の証となるのだろう。

その証は、自らその道を選んでる自分を知るためなのかもしれない。


お庭の焚き火で寒さを凌ぎながら、

せっせこ2人で、お家手直し兼アシュラム創りに力注入してたら、春が来てました。




お話は遡ります。

私たちの『お家探しの旅』が始まったのは結婚後の2012年頃のこと。


四万十に惚れて移住を考えた四国の旅で、

出鼻へし折られ、心折れた時期もありましたが、オーストラリアから帰国後は再び九州の中古物件に的を絞ってお家探しを再開し、テント暮らししながら、店舗運営しながら、何軒も何軒も古いお家拝見をしてました。


宮崎県日南市の山付き物件や鹿児島県霧島市の温泉付物件など、心動かされる物件はありながらも金額に手が届かないなどありつつ、どこか2人の納得には至らず、を繰り返し、2人の「ココだ!」を探し続けてました。


*四国の出鼻折られ旅はこちら↓

https://ameblo.jp/kokopelli-record/entry-11451676874.html


そんなこんなの2021年、

店舗持続が困難な社会現象、

朝日町202がお気に入りだった愛猫の他界、

と、それぞれの循環ある現象から、私たちがあの場所に留まる意味を問われたように受け止め、新たなステージ展開へ目を向ける時なのかな…の、そんな時にその門を開き繋ぐ一歩となったのが、


こんなお家に住みたいな "

を、meeお得意の絵に描いて図面にしてみて

と、せいちゃんに言われました。


頭ん中にある想像の世界を、お家、お庭、周りの風景をサインペンでテキトーに描いて冷蔵庫に貼り出してみた。


その約1ヶ月後…


肝付町の空き家バンクにて、築30年くらいの一軒家に出逢ったのでした。


海、山、川、畑に囲まれた環境、家の間取り図、私が描いた絵のまんまと言っていいほどのお家がそこにありました。


敷地入口には私たち2人の大好きな2本の大きな木がお出迎えしてくれるかのようにそびえ立っていて、それだけでも2人して目を見合わせ驚いた中で、それを越えて、私が望んでいたこと、山から湧き出るお水が利用できるサプライズ付き!


この辺りの家々の水道はすべて集落に管理された山水が流れ出てくるという…!!


そして何より、

持ち主さんがこのお家を大切にしていたのであろう、築30年、現状空き家、とは思えないくらいお手入れ、お掃除が行き届いている状態で、空き家バンクではあり得ないだろう、手直しせずにそのまま住めちゃう、お風呂もトイレもピっカピカ!!


そんなお家が120万円。。。


2人で奇跡だと思った。

内見時、

持ち主さんにお願いして身一つ、寝袋持ち込んでお泊まりさせてもらったところ、夜空、静けさ、陽当たり、お家のサイズなどなど挙げたらキリがないくらいにドンピシャり、私たち好みが揃いまくってるお家でした。 


「 ココだね!


と、seimeelifeの新ステージが始まったのでした。


さてさてこのお家、迷うことなく即購入しましたが、ここで一つ


せいちゃんは御曹司ではありません。笑

父の遺産相続、一切ありません。笑


タイに所有していたコンドミニアム話以来、

「実はせいちゃんは御曹司だ」とか、

店舗閉店し活動休止していたことで

「遺産相続があったからだよ」などと耳にしますが

seimeelife常にマネーはギリギリlife、

現状赤字lifeでやっとります。

眉間のシワやばめを乗り越え、目尻のシワ増量中、笑うしかない状況でございます。笑


チャイとせいちゃんの家ラジオ聴いて下さってた方はご存知でしょうが、

オーストラリアで家無しの車生活やガレージ生活、日本国内、鹿屋市でリアルテント生活してきた私たち。


東南アジアや中南米、北アフリカを2人で旅してきた中で『リアルなその日暮らし』の生き方に触れ、そこにある大切なことに気づかされ、それらが私たち2人の中心を知らぬまに築いてくれていました。


その大切なことが常に私たちの生き方の中心にあります。


この度の、

朝日町居住、店舗運営継続を足踏みしていたそのタイミングでこの物件、お家にご縁があったのは私たちの中心に触れる有り難い流れで。

目の前で起こり続け流れゆく大きな現象をそのまま受け入れつつ、その受け入れてく行為の中にも必ず選択できる瞬間があって。


その都度、目を見開き、2人の中心に寄せた選択をする、自分が納得いく選択をし続けてきた結果がここに繋がってて。


大きな流れに委ねる中で、

その時の風のしらせに耳を傾けながら自分たちの生き方を暮らしに反映させた小さなseimeelifeの流れがここにあります。


いつしかこの小さな流れが大きな流れと穏やかに交わる日が来るのかな。来ないのかな。

なんて想いながら。。。


この歳で貯金もないけれど、

明日に不安を抱くこともなく今の暮らしに不満もない。

内側は満たされたその日暮らしな毎日です。


今このタイミングで一攫千金得たとしても、ステージやフィールド、立ち位置が変わっても、この生き方はそう大きく変わらないんだろうな。

と、ここに文章を記しながらそう思っているところ。


朝日町所在の店舗運営中、

サポートしてくださった方々、ご贔屓に通ってくださっていた方々に対し、店舗終了の際は心苦しさもあり正直悩みまくりましたが、私たちがやりたいことで進みたい道で私たちが出来ることをする、そこに相対的バランスを、そこに双方の愛の育みを、全体の調和を見い出している次第です。


話が逸れました。

新たな活動スペースseimeehouseのお話、本題へ。


入したこのお家、

そのまんまで住めるけど、住みながらより快適に、より自分たち好みに、療養所的空間、アシュラムにしていく作業をコツコツと進めていたこの冬。


お家丸ごと、

そして一部屋ずつ私たち色にリフォームしてく作業は、311東北のボランティアや石巻にある『四季彩食いまむら』さんでのサブ的改修経験程度の私たちの腕前じゃなかなか前に進めずで、

1歩進んで10歩ぐらい下がってる…と嘆く毎日。


あーだーこーだー言い合い、時に言い争い、

「あぁぁー、こうなっちゃった…

ホントはこうしたかったんだよ…」

と"やってみてわかること壁" にブツかったり。


お絵描き大会が始まっちゃったり。笑



「こうしたいんだよ〜」と、

これまで気づけなかった相手のこだわりを知ってく楽しさに出会ったり。

それを観て自分のこだわりにも気づいたり。

これだけ長く居合わせた2人にも知らない一面があったことを知る喜び。


そんなちっぽけな楽しさや喜びも創作するエネルギー源となっていく循環を実感し、2人の絆も紡いでた。


予想の何倍ものエネルギーを費やしてきたけど、こうしてカタチにしたい一つのものを二人で創り上げていく行為、プロセスそのものに価値があると実感しています。


心満たされながら頭と身体フル回転の納得いくスペースづくりは、この地球、宇宙という空間の中に2人が想い描く空間をカタチにしてく創作の時間であり、ここは私たちの作品の一つとなりゆく。


そんなことを思いながら作業するおもしろさ、楽しさったら。


やれば、やったら、やった分だけ、

少しずつ、ほんの少しずつだけど、わかってく世界なんだなぁ〜


何も無かった大地にカンカンコツコツひょぃっと建物を通して空間創りをしてる大工さんや職人さんたち、アイデアを、図面をカタチに興してくことの凄さ!


建物一つ建てる前のベースづくりだって、

穴埋め、異物取り除き、地面を水平にならすところからなワケで、それぞれがそれぞれの役割を担って構成されていることの魅力。


これまで全く興味がなかったプラモデルやLEGO、大の苦手なメカニックもの、ちんぷんかんぷんだった物体の構造や解体までもぼんやりうっすらと頭に浮かんで視えてきた私。


この期間でこの歳で、

現実的に "物" を組み立てること、創造してくことの楽しさを知りました。


屋根塗り、壁塗りでは、

子どもの頃大好きだった "ぬりえ" を思い出し、大きなキャンバス相手に想像を創造してく、画家になりきって全力でぬりえして。


天井抜きや屋根裏作業は、

木登り、鉄棒、うんてい、ジャングルジム遊びが呼び起こされ、子どもの頃の遊びの記憶、その浸透具合に驚き、十数年継続してるヨガアーサナで養った身体の柔軟性の活かされ具合に自分で自分に感動し、本気で遊んでた。


作業を作業としない『創る』毎日は

アートの連続で、この空間の中で自由に軽やかに舞ってるように動く姿そのものが、

それはもう『生きてることがアートな状態』という感覚。



一人一人の生命がこの宇宙空間に存在するそのこと自体が、人生模様そのものが、アートであって、私たち生命物質すべてがこの宇宙のアートの一部なのかもしれないという感覚さえ起こる。



動き流れ続けるアートは一つで

そこに生命の数だけストーリーがあるね。




なぁんて、

そんな見方をし、おしゃべりしながら

seimeeリズムでseimee遊びをしていたら

春の風を感じ始め、芽吹きの匂いがそこらじゅうに漂ってました。


そろそろアシュラムの窓口開放できるかな、というところです。


まだまだやることだらけだけど、

完璧や終わりはないと実感しつつ、これが私たちの道としては完璧!な流れだと信じてます。笑


大変長らくお待たせし致しました。

ようやくお知らせです。


この度の施設、アシュラムは、

日常だけど日常じゃない暮らしの体験スペースとして、いま今 "何か" を必要とする方を優先に、お一人様、もしくは一組ずつ、納得されるまでの期間のご利用をご案内をしていきたいと思っております。


そのためご利用者のプライバシーを尊重することに重きをおき、考えた末に言い難いことですが、突然のご来訪をご遠慮いただきたくこの度の施設の住所の公開は致しかねます。


施設の詳細、ご利用方法等、

今後のseimeeの活動の内容、行方は、

近日中4月にはseimeelifeホームページやこちらのブログやInstagram、Facebookにて具体的にお知らせ致します。


それ以外にも!

ポッドキャストにて配信中の

チャイとせいちゃんの家ラジオにて、

せいちゃんのゆるゆるトークで放送予定です。


いつもいつも私たちの活動を温かくお見守り下さり、そして気にかけて下さり本当に有り難く思っております。

これからもみなさまの一部としてどうぞよろしくお願い申し上げます。

seimeelife



 おまけコーナー 


知らないことがあることを知ること、

でも知ってるだけがすべてじゃないということ。

体験して少しずつ少しずつ、あっちゃこっちゃしながらわかっていく世界。

だものね。


大工さんをはじめ、食材を調理する料理人、髪を調整する美容師さん、音を生み出すミュージシャン、服飾、webデザイナーさんも、会社で企画立ててるお父さんに、毎日ご飯を作ってるお母さん。

何かを生み出し創り出してくことって、当たり前の日常でみんながこなしていたことだった。

みんな同じ、みんながクリエイターだったんだなぁ。


そんなこと思ってたら、

見えないコトを見えるカタチにすることも、

在るモノをより一層魅力あるモノへ変換してくことも、生命あるものみんなが毎日毎分、それぞれの『役割』を外したそのまんまの姿で自分の気持ちや想いを通してやってることだった。

と、思ったらみんながアーティスト?!


みんながクリエイターで

みんながアーティスト◎


全うしきった生命、もっと生きたかったかもしれない生命、一つ一つの想いが来世へと続いていくのなら、それもまた循環するのなら。。。


ここに在る、この命を全力で生きることが今の私にできる小さな明るい循環づくりなのかもしれない、とそんなことを思う。


今世に恵まれた命、

私はこの生を全うするために

ここに生きることに集中したい。

よりクリエイティブに、

よりアーティスティックに✴︎


今日もありがとう。

今年はひと足早め、誕生日前に内側の大掃除。


昨年から今年半ばくらいにかけて
人生で数えるくらいしか起こらないだろう
内側大騒動、大変革の時を迎えてた私。



初めてこの『自分』を投げ捨てたくなった。
初めて『自分』を大嫌いになった。
私なんか消えてしまえばいい、と
何度も汚い涙を流した。
独り、孤独の体験。

どんなに考えが異なる人でも受け入れることができる、向き合えば一つになれると思ってた。


愛する人の望みはどんなことでも受け止められると思ってた。
想い合ってたら、愛し合ってたらどんなステージでも分かち合うことが出来る、一つになれると思い込んでた。

『思い込み』と目の前の『現象』が

ズレ始めた時に生まれる " そんなはずがない" と、自分に過信してる時に湧いてしまう

" 私にできないはずがない" の連続絡み合い。



人の悲しみをスルーする友人を他人だと実感し

女の視点を嫉妬でくくる夫を男だと痛感した。


誰も悪くない、誰も間違ってないのもわかってた。

それでも、

他人事扱いしやがって、

ぜんぶ受け流しといて平和気取りかよ、いつまでも自分誤魔化してわかってるフリしてんじゃねーぞ、このおたんこなすぅー!!!!!

と、内側で叫びまくってる私がいた。

そしてその反対側で、

自分の愛情とキャパシティに限度が視えてしまったことが信じられず、私はそんなにちっちゃくない!と、何度も自分を疑い、何度も内側のスペースを確認してる私もいた。


悲しみ発展の怒りが収まらない私と

キャパ超えした自分に落ち込む私を

行ったり来たりしながら自分に何度も問いかけた。


人間は、私は、
私を悲しませ続ける人を許し受け入れることはできるのだろうか。
母親が我が子を愛すように私は自分以上に誰かを愛することはできないのだろうか。
この先すべてを受け入れることは私には出来ないのか…


可能な限りすべてを受け止め受け入れてたいのにそれができない自分の未熟さを責めた。


そして大切な人だからこその、

そこに開けないときの辛さ、

それが出来ない自分自身を受け入れられない

苦しみが芽を出した。


そんな苦しみもあるのか…


外から自分を眺めながらも内側は納得いかない自分にモガきまくってた。


受け入れ方がわからない……


答えが、出口がわからない……


みんなはどうしてるの?


あなたの内側はどうなってるの?
と、当時、モガいた末に外側に答えを求めてしまった私。


あなたの大切なものへの愛のカタチをみせてくれと友人に問いかけ、夫の『自由』を奪った。

友人はさておき、

自由をこよなく愛してる人から自由を奪う、

夫をコントロールしようとしてる、

大切な人を支配しようとしてる私…


自分の悲しみを越えた

『最大の苦しみ』を生み出した。


そんなことをする自分を許せず、

そんなことをしてる自分に納得いかず、
自分を軽蔑した。

自由じゃない彼の隣に居るのが息苦しくなった。
愛することでこんなに苦しむなら愛することをやめたいと思った。
愛し愛されることから解放されたかった。


彼をラクにしてあげたかった。
私もラクになりたかった。


出逢って17年、夫婦になって10年以上、
初めてseimeelifeを終えたいと思った。
手震わせながら離婚届けというモノに触れた。

呼吸は乱れまくり、涙は止まらなかった。

呼吸は内側を語り、身体は正直であることを

再確認した時。




大切にできるモノの数は少ないんだよ

そう私に言い残し、最愛の猫は旅立った。

彼は自分の死と引き換えに、

今にも消えてなくなりそうな私に

『本来の私の生きる道』を照らしてくれた。

私の大切なモノ……

苦しみに気を取られ、

私の真ん中にある気持ち、

自分で自分を解ってあげられてなかった。

私が『今の私』をちゃんと観てあげられてなかった、自分で自分を受け止め受け入れてあげられてなかった。


そうだよね、私はここにいたい。
せいちゃんの隣にいたいんだよね。


そう、私は知ってた。真ん中はわかってた。
真ん中は隠せない、在るものを無いことになんてできない。事実はここにある。

真ん中は

誰もコントロールすることなんてできない。


こんな私を彼が許してくれるなら、

分かち合えなくていい、一つになれなくてもいい、一緒に生きる、それだけでよかったんだ、と。


大きな宇宙の片隅で
小さな存在いっぱいに
自分の感覚を強く信じ抱え込み
生命のもつ愛に、自分を全うすることに
呼吸あらげながら全力で生きてる
一人のちっぽけな中年の女、私、

『mee』をそこに観た。  


そう、私は特別じゃない、私は仏陀じゃない。

私は完璧じゃない。

私はおバカ、

そう、いくつになってもすっとぼけのmee。


すべてを受け入れる、誰とでも一つになれる、

って「お前は宇宙か」と

一人つっこみしながら自分で自分を笑った。

内側から小さくクスっと笑えてきた。 


苦しんだり笑ったり、そんな人間らしさ全開の私。とてつもなく愛おしく思えた。
ピヨっコmeeちゃん、今までよくがんばったね

と自分で自分を褒め讃えた。
ひとり、ここまで貫いてきたことを誇りに思った。



ここに自分が在る喜びに涙が溢れまくった。

闇から光へ、内側がまるごとひっくり返った。

本当の自分を知る真髄に触れた体験。

30年以上になるかな、
小学2年生の頃、ふと内側から湧き出てきた私の小さな思想、

それ以来秘め続けてきた思い込み

『誰とでも一つになれる』を手放した。


何十年も繰り返してきたそれに向けた思考のパターンや癖、感情や言動の表現の仕方は、

自動的に意識ある中で変換されていくのを感じた。


『つるん』と、私は純化されてった。


私は変わった。
剥けた。
軽くなった。
まん中に寄ってきた。


この繰り返しだね。

そしたら新たなステージが開け新たな景色が広がった。


立ってる位置で見える景色が異なる気づき。


その気づきは一人一人の体験やステージで

巡るリズムや順番が異なる発見へと導いた。


一人一人立ってるステージは異なる、

それぞれが『その時のベスト』を尽くしてる。


その気づきは私の内側を広げてくれた、

内側がふっくら豊かに、そしてひと回り自由になった。


当時、受け入れることが出来なかった人を

このど真ん中に受け入れ包み込むことができた。

誰しもが平和を望み仲良くいたいなら

考えの違いじゃない、

それぞれのその時のステージ、

それぞれのそれまでの体験の有無、その道を通ってきてるかによる視点の違い。


それに加え、

それぞれ育ってきた環境、家族構成、歩んできた道、経験内容により形成された考えやパターン化していく言動の癖も異なる。

意識しててもなかなか排除しきれないそれらを抱えながらも、また、それに気づけずに人は自分以外と共感したい、されたい、共鳴したい、一つを感じたい生き物なのかもしれない。

だから人は苦労するのかもしれない。

だから宗教が生まれ、ヨガが生まれ、瞑想があり、メンタルセラピーができたのかな。


昔の人も現代の人も、人間、みな、内容は違えど同じようなことに悩み苦しむんだろうな。


と、もしかしたら

その友人もその人の視点から同じようにこんな風に思ってるのかもしれないというパラドックス的話。


これがステージの違いで、巡るリズムの違いで

すべてが循環してるこの世界のおもしろさ。


『時間が解決する』とは巡るよ、

ってことなんだろうね、それぞれのために、

みんなのために。


すべては巡る、すべては一つ。繋がってる。

過去も今も。今も未来も、その人も私も、その人の過去も今も、今の私に。

そしてまた巡ってその人の未来にも。 



気持ちの根っこに向き合ってあげることが

100%心自由に生きるに繋がる発見かもしれない、と、巡りめく循環をここに感じるままに、


あの時は未熟でごめんね。と、恥ずかしさ半分

当時とその後の私のありのままの気持ちを

正直に友人に伝えた。


そしたらそれまで置き去りにし続けてた

『悲しんでた私』は消え去った。

私の悲しみは、誰かに、その人に

受け止めてもらう必要はなかった。


自分が自分に納得いくよう飾らず正直に、

相手を傷つけることなく自分がが感じたままに

相手に悲しんだ私の気持ちを伝えるだけでよかった、気持ちの循環をさせるだけでよかったんだと内側はクリアになった。


自分で自分の傷を受け止め、自分で洗い流す力の発揮。


エネルギーがいるけど、

ちょっとビビっちゃうけど、

自分を癒しきれるのは自分でしかない、

自分を受け入れきるのも自分でしかない、

と再確認した時。


そして

それを循環させてくれる相手が、

私以外が存在してること、

それはもう『ありがとう』しかない。


出逢ってくれてありがとう。

たくさんの気づきを与えてくれてありがとう、

あなたは私にとって神遣いだよ、と心から感謝に変わった。 


愛する人、
せいちゃんは出逢った頃から何一つ揺るがず変わらずそこにいた。

渦中、苦しみマックス、

呼吸乱れまくってる私に向かって彼は

「俺のことは俺が決める。俺はぜんぶ自分で選んでこうしてる。君の望みだろうと指示だろうと、誰が何と言おうと俺が納得しないことには従わない」

と言い放ってきた。

愛する人の自由を奪ってしまった自分を責め続けていた私を知ってか知らずか、
彼はその言葉で、彼そのもの、存在で、大切なことを思い出させてくれた。

自分を大切にすることの真意。


私が彼の自由を奪ったのではなく、
彼自身が自由意思でその道を選んでた。

せいちゃんはせいちゃんのまんまだった。
何があろうと、自分を信じ貫く人。
そう、それが私の好きなせいちゃん、

私が惚れたせいちゃんだっだ。

分かち合えない、と思ってた私が彼をわかってなかった。


彼は隣で私をずっと見守ってくれてた。

ただただ私を受け止めてくれてた。


全身からありがとうとあたたかい涙が湧き出た。


「2人でいろんな体験して、そのプロセスを味わうんだろ、苦楽を共にするんだろ」

私たち2人が大切にし続けてきたことを再確認させてくれた。

このステージでせいちゃんと一つになる実感が欲しかった自分の欲に自分自身が縛られ、息苦しくなってただけだった。

すでに、常に私たちは一つだった。


おバカな私が大切なことを見失い、思い出せず

この世界の重要なことに気づけず、過信して引き起こしてしまった内側大騒動。

私の苦しみは私自身の内側がすべて生み出してた。


ー 死者1名、41歳半ばまでのmee ー

私の内乱は静かに終戦を迎えた。



2021年、実りの秋。奇跡は起きた。


私は宇宙からでっかいギフトを受け取った。

手放したはずの『一つになれる』という
小さな思想は私のもとに、ココに、実感というカタチで返ってきた。

『meeが訴え続けていたこと、ようやく深いところでわかった。コレは頭で理解出来たとしても自分の身にふりかかって体験しなきゃわからない…

嫉妬だと思い込んでてごめん…意識の在り様…気づけずずっと苦しい思いをさせてしまったね、今まで一緒にいてくれてありがとう。』


せいちゃんからの言葉。
びっくりした。

彼に巡るリズムで、彼の今のステージで、

彼自身に起きた体験で『当時の私の気持ち』を分かち合うことができた。

諦めようと水に流した気持ちが重なった。

合流した交わった瞬間の喜び。

私たちはこのステージでも一つになれた。


その後、2人が思う意識の在り様についてとことん話し合った。


こんな日が来るとは思ってなかった。

こんなことってあるんだなぁと思った。

奇跡の訪れ。


お互いがお互いの枠を外し合い2人で豊かになった。

苦と楽、裏と表、月と太陽、seiとmee、
二人で一つのseimeelifeの実感。



逃げずによかった。
放棄しなくてよかった。
お別れしなくてよかった…
あっちゃこっちゃしまくったけど、

私の大切なモノの道しるべは、

私は『私の道』として間違ってなかった。



ここから先もまた、
2人の中心からはみ出したり、右へ左へ行ったり来たり、ぶつかり合ったり笑い合ったりと、ゆらゆらしながら2人一緒に一歩、一段と歩み進めてくんだろうな。


愛する人がいる、

大切にしてることがあると苦しみを生むことがある。

だけれど自分の想像を超えた幸せの実感も生む。

できるだけ自分の考えに決めごとを作りたくない、価値観を持ちたくない私が2021年半ばに決めたこと。
苦しみを伴うことを知ってても愛することを、
意識はこの世界を超えていけるとしても

生で愛に触れ合う選択をし続けていこう、と。


これにまた縛られるのかなと思いつつ、

これには縛られてみてもいいかな、という気持ちで。
そしていつか手放す時が来るとしたら

それは巡る時のサイン、そんな感じでいるところ。



知って、体験して、実感して再確認したら、

頭ん中にある知識と経験手放して、

真ん中に正直な自分が進むままへ。

純粋な自分に近づくよう。


その繰り返し。これが私のピュア道。


意識ある限り純度100%にチャレンジし続けてる。

そんな感じかなぁ。


何を優先してるかで巡るリズムの速度が
何を大切にしてるかで巡るステージの展開が
変わってくるような、
自分の気づきと純化次第でリズミカルにステージが広がってくような、

難しいことはわからないけど、

言語化は言葉の枠をつくってしまうけど、

今の私はそんな気がしてる。

私が立ってるステージは今ここ。

明確にわかってることは

肉体、生命、呼吸、体験、思考、気持ち、

エネルギー、すべてが巡ってるこの世界に

私たちは一つの宇宙の循環の中に

いるということ。


吐き出す呼吸、吸い込む呼吸が象徴してる。
私は満たされてる。

愛そこらじゅう◎

生命あるものに満たしの瞬間を。
満たしの循環を。

みんなみんな、ありがとう。愛してる。



【 おまけコーナー 】

移転、お引っ越し先のご近所さん宅に

挨拶に行った時のお話。

「大好きでとても仲良しで何するにも2人で一緒だった夫がいなくなって、今1人なの。
あなたたちが来てくれたから賑やかになりそうね、私も元気になれるかな、、、毎晩泣きっぱなしでね…」
と、そのおばちゃんは話し出した。

亡くなられたのかな…

「夫は施設に入ったの。この家で私が全部世話してあげたかったんだけど私には出来なかった…介護職に就いてたのに、ほんとはずっと一緒にいたかったのに私には面倒みきれなかったの………

周りに死んだんじゃないんだからぁ、って

言われるんだけどね…」

と、色眼鏡のレンズとマスクでどんな表情をしてたかは見えなかったけど、おばちゃんの毎晩泣いてしまう苦しみがとてつもなく伝わってきて思わず私が顔を崩して泣いてしまった。


愛する人のすべてを受け止めたいのに
受け入れることが出来ない自分に苦しむ姿。
言葉にはしてないけど

自分を自分で責めてしまってる姿。


そこに『以前の私』をみた。

そこにもう一つ、

すべてを受け入れる母なる大地のような、

『女』という生き物の本質なのか本望なのか、大きな何かと重なるものをみた。


おばちゃんも私も、小さな関係性、

夫婦という関係の中で『女』という『性』を

全うしたかったのかもしれない。


私たちは妻だけど母親でなくていい。


その時、せいちゃんのお母さんの存在に、

母親という役割にこれまで以上に感謝が増し、より一層愛着が湧いた。

お義母さんをもっと頼ろうと思えた。


私たち女性は

愛するパートナーがいると『自分は女』という認識が強くなりがちだけど、

女性である前に『一人の人間』であるということを

おばちゃんも私もパートナーに思い出させてもらったんだなぁ、と頭ん中巡らせ涙拭ってた私に、


おばちゃんは

「夫婦は苦労するものよ、でも絶対離れちゃダメよ。

いつも一緒に居なさいよ。

どこ行くにも何するにも一緒にね」と言ってきた。


mee : はい。

でも、もしケンカして泣きたくなったらココに来ていい?その時はお話きいてほしいな。

おばちゃん : いつでも来なさい。meeちゃんの話聞くわよ〜いつでも遠慮なく来なさいね。

でもね、私は同じようにseiちゃんの話も聞かなきゃよ」って

せいちゃんの方を見てニコっと笑ってくれてた。


更に涙が出てしまうくらい、内側があたたかくなったおばちゃんのお話でした。


そしてもう一つ、そのおばちゃんのお話を。

先日、おばちゃんちのお庭で
気持ち良さそうに日向ぼっこしてる野良猫に

「シッシー」と言いながら追い払ってるおばちゃんを観た。


イタズラされたことあったのかな、

猫嫌いかな、猫アレルギーかなと、

おばちゃんち事情があるのだろうと過ぎってたが、おばちゃんの理由は、居着いちゃうから、だそう。

『居着く』とはおばちゃん視点。

お庭とは言え何の隔たりも無い空間、

野良猫視点でおばちゃんの行為はどう映ってるのかな、と疑問を抱きつつ、

我が家では1匹のハエに向かって
「あ〜もー!いつの間に入って来たのー!」

なんて言いながら手で払い除けてる。


私たち人間って………


こちらのステージでは今ここな私、

すべてを受け入れるには程遠き道のり…ということ。笑


おばちゃんが猫の日向ぼっこくらいなら、と
ハエが我が家を出入りしててもまいっか、と
そんな日が来るまでのんびりゆこう、と


今日も我が家のお庭で日向ぼっこしてる野良猫さんに話しかけてるseimeeでした。


seimeelifeアーシュラムなどのワクワク現状報告はまた後日、改めて記します。
こちらも奇跡だらけのストーリー。

この度も読んでくれてありがとうございました。


明日、12月22日で42歳、

私は関わってきたすべての生命、エネルギーでできてます、みんなに感謝を込めて。


この素晴らしい世界に誕生させてくれてありがとう、両親へ感謝を込めて。


これからもよろしくお願いします。合掌。


明日は冬至、

誕生日恒例、南瓜を食べよう。

与えられること、決まっていること

押しつけられることを受けいれるだけの時代。


鹿屋航空基地史料館で感じた第二次世界大戦中、 選択の余地はない時代を生きた人たち。


どんな状態であれ、あの時、戦死した戦士たちの今この瞬間に生きる精神があったから私たちの今が在る。

強制を、意識的に受け容れた時に秘められた自己との闘い

大きな流れに飲み込まれたまま無意識に受けいれてしまっている状態と、流れの中の事象を意識して受けいれる 受け入れ と、意識的に自己との闘いを受けいれる 受け容れの違い。


私たちは自由意志のもと、選択できる時代に生きています。選択したこと、その選択にどちらが正しい・間違いは無い。成功・失敗も無い。


自分が自分に納得いく選択をしているかどうか。その選択をした自分を好きかどうか。


誰かを責めたり、

誰かのせい、この世の中のせいにすること、外で争うのはもうやめにしよう。

「過去」も「未来」も「今この瞬間」の自分の選択が自分の人生を創り上げています。


そして、自分を責めるのももうやめよう。

「未来」は「向き合う今」に在るから。


昨年2020年、

コロナウイルス発生・感染という世界規模の出来事が起こり今なお継続中。

私たちは コロナウイルス出現と同時に、
この出来事にインド、ヒンドゥー教の神々、三大神が潜んでいることを感じました。


現状の崩壊による新たな世界の誕生・再生、

よりよい世界の繁栄に向けて、

シヴァ破壊神と、ブラフマン創造神と、

ヴィシュヌ維持神トリムルティ三神一体論の表れを、大きな循環の中にみていました。

*当時オンラインヨガクラスでお話した内容です

その感覚から、

私たちはコロナウイルスを一つの生命体として、また、自然の摂理の一サイクル現象・循環として受け止め、共存withコロナのもと過ごしていました。


コロナに纏わる情報や意見が飛び交い続ける毎日、私たちが重きを置いてきたこと、

それは先ず立ち止まり、今、目の前で起こっているありのままを受け入れること、そしてその事象を注視・観察し続けること。

今年に入り、

私たちのヨガとマッサージという直接触れ合う店舗の性質上、何より、様々な考えを持つ地域の方を受け容れていることで、ここに関わる個々の考えを疎外しないよう、自分たちの意思に反しつつも県外からの来客を丁重にお断りしながら運営していました。


そんな中、つい先日のこと。

ヨガ繋がりの友人カップルからの連絡。

「私たちコロナ感染して2人して倒れてたよ、いまだ嗅覚無いよ、ワクチン打たずして抗体の獲得はできたけど…」と。。。

私たちが驚くほどに心身の健康や生きることに関する深い知識を持ち、ストイックになりすぎずバランスよく楽しんで生きてるお2人。


そんな彼らが感染ししばらくダウンしていたことに驚き、何かが起こるサイン、前兆か?と感じていたその日の午後。

このコロナ事情を実体験する機会が私たちにも訪れました。


この初夏の出来事です。



私たちseimeelifeの活動として、秋からの、

次なるステージ展開へ向けた予行練習・実験として、モニターさんとヨガレッスン、マッサージの時間を共有した数日後のこと。


そのモニターさんから、

「PCR検査で陽性が出ました、もしかしたらお2人も濃厚接触者としてPCR検査要請の連絡が保健所から入るかもしれません」と……

振り返ると、そのモニターさんは前日まで県外で過ごし戻ってきたばかり、と話していました。私たちもその事実を聞きつつ、モニターさんという特別感もあり、そのことを追求すること無く受け流していました……


コロナを介して周りへ影響を及ぼす可能性がある自分たちがそこに居ました……

自分達に関わるみなさんとの共存に対し無防備であったことに愕然とし、その寸前まで触れ合い接していた方、その連絡を受けるまでの数日間に直接触れ合った方々が浮かび、胸の奥にドスンと重たい石が落ちてきて目の前が真っ暗になりました ……

医療・介護関係者、受付・営業職、飲食経営者ど様々な職種の方をはじめ、田舎ならではの家族形態で生活している方々。それぞれ皆さんが持つコロナに対する考え

そのモニターさんを受け入れてしまったということは、今まで守ってきた様々な考えを持つ地域の方を受け入れることができない…… 

と同時に…その反面、

これまで受け容れていた方々を守り続けることはモニターさんのように県外活動される方や、ただ県外在住の方であるというだけで、この先も受け入れることが出来ないのだろうか、果たしてそれはどうなんだろう………

と疑問が湧き、私たちはここにトリムルティをみました!


これまで私たち自身が私たちの本来望む形を追求しきれていなかったことに気づいた瞬間でした。

意識的選択の中にある無意識を知った瞬間。


私たちはどんな存在も考えも排除したくない。

私たちは争いの種を生みたくない。



それと同時に、

とても大切なことを思い出しました。


そう、コロナに限らず、

今ここに関わるすべての人の価値観を、私たちを必要としてくれるすべての考えを受け容れ、その中で自分たちの活動を可能にしていくことが、私たちの生きたい生き方だった、ということを。それが私たちの思う、

愛がある氣持ちのいい調和◎


withでもoutでもない共存、どちらでもなくどちらでもある、どっちがどっち、のない

サットヴァ調和・中庸・純粋状態に在ること。

人は、私は、時折、

とても大切なことを忘れてしまう生き物です。


私たちseimeeは心身の健康を通して

精神の平和と自由を、純粋な魂の状態を探求し共有し続けている旅の途中。


自分自身を大切にするすべてのことを優先したい

そして

すべての存在を認め、個々の考え・好きを尊重し合っていたい

何より

自分たち含めてみんなが安心・快適なのがいい


現在の体制の店舗を手放すことに決めました。


環境丸ごとプライベートな空間

自己に向き合うためのパーソナルな時間

ヨーガ・マッサージ・民間療法・音楽・芸術・映画・食・冒険・遊び・日常生活、生きるということを通して、

外で争わず内で闘う、自分自身の内側と外側で起こるプロセスを楽しむための施設、共に人生のステージ展開となるアーシュラムの開設を決めました。


気づきと共にその時の自己ベストな選択を、

自分が自分の存在に納得する選択を、発展途上の私たちはその繰り返しを行っています。



この度の予定外に流れ込んできたこのコロナ問題は、ここまでのプロセスを通して、現在の私たちの活動に対する問いかけへ、不必要な思想を手放す体験へと変容しました。


自分たち特有の視点や無意識に制限されている価値観の気づきは、この世界における自分たちという小さな対象・存在の再確認にもなりました。


そうやって自分で自分がハッキリと観えたとき、その自分自身に笑えてくる。。。


俺たち、ちっちぇ〜笑

やべーーー笑笑

笑いが溢れる瞬間。


たちのために起こった、と思えて仕方ない自分たちだけでは体験し得ないこの一連の出来事に関与し共に体験してくれたすべての方々、みんなに感謝が湧く瞬間。

みんなに愛しさが込み上げる瞬間。LOVE!

更にこのプロセスを経て、この出来事はみんなに生かされている自分、日常にある愛と感謝に気づくきっかけへと変容しました。


いつもの如く、結果ではない、

一つ一つのプロセスの重要性を感じます。

正直、モニターさんから連絡が入った当初は

ついにきたか……と、言葉では言い表せない笑えない硬直状態の2人でした。苦笑

が、しかし、今はあの時の自分たち2人のことをお腹抱えて笑える幸せを感じています。

今や、この出来事を、身体を張って私たちに運んで来てくれたモニターさんに、この巡り合わせに感謝の気持ちでいっぱい。

そして、

私たちだけでなくそのモニターさん自身も、

今のご本人に必要な体験としてその出来事を受け止め、自分に向き合い、

また、その時期に私たちと直接関わっていたみなさんも、それぞれのポジションでこれまで気づけなかったことに気づいた体験となったようです。

この出来事は結果、気づきの大革命へと成りゆきました。すごーい!

宇宙からのサプライズギフト

そんなギフトで満たされる生き方

そんなギフトの訪れに感動する人生

最終、

出来事を共有したみんなが笑顔で居る、みんなで笑い合える、 それが私たちの喜びです。
喜び溢れる自分そのものを感じる瞬間。

内側から満たされた自分、幸福そのものアーナンダ

私たちはいつでも寄り添ってたい。

私たちが全てに寄り添って生きてるように。

関わるすべてのみなさんに、関わってきたすべての生命、出来事に、いつも感謝でいっぱい、今ここにいのちいっぱい私たちは生きています。

ありがとうありったけの愛を込めて。


この場を借りて

この度、直接的にご迷惑をおかけした方々へ、ひと時でも心震わす事象を与えてしまい不安にさせてしまったこと、大変申し訳ありませんでした。

また、私たちのこれまでの活動において、僅かの期間でも意識の対象から外してしまっていた方々へ、心共に在らずな行動を、深くお詫び申し上げます。

これからはいつも共に在ります。

私たちは一つです。

この度の私たちのカルマ見直すべき行為と共に

ダルマ役割に沿って次のステージへ向かいますね。


ーー 追記 ーー


PCR検査結果報告ですが、モニターさんのご家族も、私たちも検査結果は陰性でした。

また、保健所より、経過日数等含め、

お2人の陰性結果から濃厚接触者としてお2人が関わった方々への感染はありませんのでご安心ください、とのこと。

その後、モニターさんご自身も体調回復・退院し、大切なご家族のもとに戻ってらっしゃいます。


よかった。

ありがとう、大きな力、イーシュワラよ。



気づくべきことに気づき

『愛ある調和』が循環し始めたら

問題、違和感、気づきのためのカルマは

完全に終止符を打つ




今後のseimeelifeの活動軸となる

アーシュラムは、この流れから生まれた波の一つです。自分たちが納得するスタイルで、自分たちの意志を持ってこの波に乗り込みます。


アーシュラム開設まで期待せず、のんびりとお待ちいただけたら幸いです。


===ここからは余談になります===

余談になるのかな。私 / Mee のこと。

私は自分がみえにくいとき、相手/ 外をみます。相手を知ることで自己の気づきになることがあります。

今の私にはパートナーが、家族が、友達が、世界、宇宙という広い視野の存在が、広い視野でちっぽけな私を観てくれる、私が持ち合わせていない視点に気づかせてくれる存在が必要です。まだ今しばらくの間は、この関係性が必要だと思っています。

ここから更なる私Meeの内側のお話。

再びこの場を借りて。。。


Meeという人間を介して、直接的でも間接的でも、または無意識に、一瞬でも、

これまでが傷付けてしまったり悲しませてしまったり、苦しみや不安を与えてしまった方へ、

私の思い込み・価値観のもと、勝手に期待して追い込んでしまった方へ、これを読んでなくてもいい…この心の内を…


あの当時、あの時、

ひと時でもあなたの純粋な笑顔を奪ってしまったこと、心ひとりぼっちにさせてしまったことに…ごめんなさい。

今でも時折胸の奥が痛みます。

ごめんね。赦してね。



あの時の未熟すぎる私には、あの関係性が必要でした。あなたという存在が必要でした。

あの私との関係性を、あの私を受け止めてくれてありがとう。

あの時、あなたが存在し、あの時の私を受け止め、そして突き放してくれたから今の私が在るよ。

私一人じゃこの循環はつくれない、今日のこの日までよりよい循環はつくれなかった。

たくさんの気づきをありがとね。

そして、もうすでにあなたも気づいてる。

あの時のあなたにも、あなたの人生にも

あの時の私との関係性、私の存在が、

あの一連の出来事が必要だったことを。


この世界、地球はバランスとってるね。

調和してるよね。

この宇宙は誰よりも調和する力をもっている

改めまして、

これまでの私の人生に、私の人生の旅路、旅の中のステップを共にしてくれたみなさま、関わってきたすべての存在に感謝と敬意を込めて。

ありがとう。


人生のステップとなる自己革命どきは

不快な問題や違和感が起きたときです。

それが自分に何を問いかけてきているのか

その問いかけで自分は何を思ったのか

自分をじっくり観てみてください。

自分の身体、呼吸、発言、行為、思考、感情、意識、微細な、小さな小さな意識の先端まで。

その起こっている問題は自分自身、あなたでしか解決できません。なぜなら、宇宙からあなたへ向けた愛ある調和のためのダイレクトメッセージだからです。


とは言え、一人、向き合い続けてもそれでも分からない、分からなくなること、解決しない、できないこと、あります。


その時は、対相手が必要な時は、

この私に声をかけてください。

どんなことでもいい、言葉じゃなくていい、発したいように、泣き叫んでも殴ってもいい、そこに持ち合わせている気持ちやエネルギーを先ず私に投げてください。丸ごと放り投げてください。私は丸ごとあなたの気持ちを、あなたを受け止めます。

私はすべてを受け止めたいと思っています。何者でもない、私のままで。

そこから一緒にじっくり各々の自己探求しましょう。あなたの答えは必ずみつかります☺︎


その代わり!まる裸の本物のあなたでぶつかってきてね。私はフルスロットルで心平穏にいつでも待ってます。この私がここに在る限りいつまでも。


今の私は、もう少し、この世界における自分という存在を探っていたい。

だから遠慮なく。


もう少しだけ、

自分と自分以外との繋がり、一つを深く広く感じてたいな。


人間に与えられている最大のギフトを活かして

生命に与えられている唯一の平等を堪能したい

もうしばらくの間、なのかな、実体験重視型人間Meeは続きます。それまでの間、お付き合いどうぞよろしくお願いします。笑

そんなこんなで、

ぴよっこヨギーSeITARo & ヨギーニMeeは今日も2人で大きな流れに身を委ねながら、ゆるやかにここから発信する世界平和に向けた新たなステージに挑んでます。


Shanti shanti shanti.





夏至 

international day of yoga, 21 June 



yogaの練習で


なぜ『今』に意識を向ける

なぜ『自分』に向き合う  

なぜ『気づき』が大切

なぜ『練習』と呼ぶ


『中心』とは

『戻る』とは

『瞑想』とは

『マインドフルネスな心』とは






『氣持ちいい』って?





yogaの練習は、ついに私をある領域へ連れてってくれました。



掴みかけては、ふわりと抜けていっていたもの。



yogaを通して、私の生活を通して、

引き出される自分自身の"何か"に触れる体験の数々。


体験が重なることで確信に変わり "何か" が中心軸となっていく感覚。


常識や情報、必要以上の知識や表面体験だけでは触れることのできない "何か" が在るところへ。



目ではみえない耳からはきこえてこない世界で生きる『mee』がココに在りました。




"つるんとした私が、今ここにいる。


ここにいるよ。



とってもとっても氣持ちいい。


"つるんとしたmee" って氣持ちいい。





"つるんとしたmee"は、今年、2021年に入ってある日突然、私の前に現れました。

サプライズギフトのように。


不思議なことに13年前、インド、リシケシでyogaの練習に励んだ時も同じように異なる角度から同じサプライズギフトを与えられたのをハッキリと覚えています。



そして今回、ギフトと同時にショックを受けた私………

それは、私は、私を、

今まで"つるんとしているmee" だと自覚していたということ、半つるmeeだった、

いや、まるっきり誤解していたことが発覚した……

つるんとしている"つもり"なmeeだった…

つるんとしたmeeは、つもりなmeeの奥、その奥に居た。


自分の思い込みって、恐ろしい…笑


世の常識や環境・経験から作り上げられた、覆われた自分は、"つるん"を覆っていた特性ある癖やコリたちは、完全に削ぎ落としきっている、と思ってたから。。。


この度、削ぎ落とす作業は、つるん化させる作業は、意識的に継続的に必要なんだ、と全身丸ごと震え上がったサプライズ W ギフトでした。。。


そりゃそうだよね。。。


 

肉体・精神・呼吸(氣)の3つに意識を向けるyogaの練習の重要性。





私はyogaを通してだったけど、音楽を通して、サーフィンやスポーツを通してつるんとなった人もいると思う。お絵描きだったり、お料理だったり、もの作りしたりで。

探求する、集中し続ける何かで、それぞれの様々なツールでつるんとルンルン、みんなソコに存在してる♪



yogaは"つるん"を目指すにあたり、学のない空っぽな私でも、得意なことが無い私でも、何も無いところから始めることができた。

つるんとなるための"自分"が在ればいい。




yogaの練習は伝えてくる、

そして私は思う、

人間みな、つるんとする、つるんな自分に触れるチャンスがあり、チャンスは毎日のように、毎分のように起きている、"生きている"そのこと自体が "つるんな自分''に触れるチャンスそのものだ、と。

重要なのは、そのチャンスに気づきソレに触れた後どうするか、そこからが"始まり"なんだよ、と。



つるんな自分が再び覆われないよう、つるんの奥があるならばその奥を目指し、yogaの練習を私は続けていきたいと改めて思いました。


そして反面、yogaの教えがすべてではないということも。


発展途上段階であり、しかも行ったり来たりしている私。そんな私に可能性のある存在であることを気づかせ成長のサポートをしてくれるツール、それが私にとってのyoga。



yogaという存在に対する自分の直感を見過ごなさかった14年前の自分自身を、今、めいいっぱい褒めてあげたいな。

自ら創り上げてきたこの人生を誇りに思い、"mee"の存在に私自身が感謝してる。



大きな流れに身を委ねながら、

私の人生に流れ込んでくる小さな流れは、

"つるんなmee"の反応・感覚を第一に、

受け入れたり受け流したり、交わったり絡み合ったり遊んでみたり。時には流れの中で立ち止まることもある。

それらの体験を通して"つるんなmee"が感じたことをこれからも私なりに表現していきたい。

それが私の人生であり、そしてそれがまた大きな流れに重なりゆく小さな流れの一つとなるのでしょう。


調和と循環◎




世界中のつるんとした人たち

世界中のつるんとさせてない人たち、

あなたもあの人もみんなみ〜んな、

私はみんなをすべてを愛してます。


一緒に流れる、その流れを共にするあたなは私の愛おしい一部です。



この地球上に生息している動物も植物もいのちあるもの生きてるものたちすべてが、

常に望む生命の在り方であれますように。



すべての存在を、存在そのものを尊重し合う世の中へ。



今日もすべてが一つ。

つるんなmeeが今感じてること。



そしてこれからは

"つるん" から "つるるんるん"を目指してゆきます。



Hari om



【 おまけコーナー 】


私の最高峰のグルジたち、キャツ男と征太郎さんのこと。


キャツ男は私に自らの生命をもって、"つるんなmee"に出逢うきっかけを与えてくれました。


せいちゃんは出逢ってから、この領域に辿り着くまで、私の実体験を優先し

"つるんと成りゆくmee"をずっとそばで何も言わずに見守ってくれていました。


ほんと、有り難い存在。

かけがえのない存在たち。

ありがとう。

私はもう何が起こっても大丈夫。

愛してるよ。


愛されてるね、わたし。



最愛のキャツ男くんへ


これは、meeがcat男に捧げるお手紙です




私にとってのキャツ男は 


「ペット」ではなく

「猫」という容姿でありながら

息子であり、ヒーラーであり、師匠であり、天使であり、キューピッドであり、神であり、

最高の相棒だった


キャツ男以外の猫との暮らしは考えられない
キャツ男は私にとって特別な猫、特別な存在だった


先日、私は最高で最愛の相棒を亡くした




この私の手のひらに小さな頭をのせたまま
彼は息を引き取った



彼を亡くすことが私の人生で最大の悲劇だと、

ずっと思っていた、わかっていた、覚悟していた
その日がついに訪れてしまったということ





夫より付き合いが長く
友達より深い絆で結ばれ
誰よりも私のことを知っている
誰よりも私のことを分かっている
誰よりも私のことを見ていた
誰よりも私のことを必要としていた
そして私はあなたを何より愛してた 




せいちゃんが溢してたね、

俺が妬くとしたら、cat、君くらいだよ、と





あなたの顔が、見た目が大好きだった

猫のくせにまぁるいお顔
猫のくせにまんまるお目め
猫なのにガッチリ骨太
猫なのに茶色い肉球
曲がった左耳も長めのまつ毛もおでこのM柄も

首太後頭部も胸の真ん中の白いお毛々も

背骨や骨盤の形も丸顔の割に長めの手足も
可憐に動かす長めの鍵シッポも

ドスの効いた鳴き声までも
ぜーんぶぜんぶ、丸ごと私の好みな猫でした




17歳のお誕生日にせいちゃんからもらった

大親友サバ男を離さないあなたが私は大好きで、



ご飯待ってるんだよ、の見上げる表情はいつもいつもたまらなく可愛かったよ



トイレで踏ん張りながら、見てんじゃねーよ、の睨み付けるワルな目もけっこう好きだったな



朝日町の窓辺で朝日を浴びながら鼻ピクつかせ、風の匂いを嗅ぐ姿は毎度凛々しかったね


セラピストせーみーの合言葉

『尻冷えは万病のもと』の一番信者だったり、


玄関の扉の前ギリギリで、今か今か?と扉が開くのを待ち構えている後ろ姿は微笑ましくよく笑わせてくれたね


ウンチした後、決まってせいちゃんのお部屋に行っていたのは何故だかいまだ分からないけど茶番的で笑えたよ



お昼寝から起きてくるや否や、毎度の気持ち良さそうな背骨伸ばしは、ねこヨガスタジオ社長としての見せ場だったのかな



お水より白湯が好きだったよね 
煮干しより鰹節派だったね
ドライよりウェットなご飯が好きだったね



朝だよ〜、

の頭トントンと軽叩きしてくるあの時間

お腹揉んで〜と近寄ってくるあの瞬間
お腹を揉むとゴロゴロ喉鳴らすあの音




何より、様々な場所でただただスヤスヤ気持ち良さそうに眠り込んでいるあなたを見ることが私にとって最高に至福の時間でした 


キャツ男の寝顔が最高の癒しでした 






あなたがソコに居ることで過ごせた幸せな時間ばかりでした


あなたがソコに居たことが幸せでした





最期の数日間は苦しかったね
痛かったね
辛かったね
耐えたね
頑張ったね 


よくやったよ
立派だったよ
最高にかっこよかったよ
最期まで気高く男前だったね








あの日、私の元へ現れてくれてありがとう
自由な私を、私たちを、

いつ何時も受け入れてくれてありがとう
そしていつも変わらず待っててくれてありがとう
最期まで私と過ごすことを選んでくれたことに

感謝してるよ


いろんなことを教えてくれて
たくさん気づかせてくれて
おっきな愛を与えてくれた


最期まで私の腕の中で過ごしてくれて

ありがとね



 
cat男の存在と生き様に尊敬と感謝を
最大の愛を込めて贈ります 



      cat男  17歳 永眠


いつかあの世でまた会えたらいいな
私は会いたいよ

今日も明日も明後日もずーっとずっと

愛してるからね






世の生きとし生けるもの全てにとって

望む道が選ばれる健やかな毎日になりますよう

祈りを込めて✴︎




Om shanti shanti shanti