深くて大きな噛み傷、擦り傷、骨折など身体中に怪我を負って。
猫同士の縄張り争いなのか、
私たちには分からない猫界の掟があったり、の、理由は全く分からないけど、長いことこの辺をテリトリーとしてる体つきの大きな雄猫、デデ(勝手に名付けてそう呼んでる)に1度は覆われ噛み付かれてる現場を我が家の庭で目撃したことがあった。
その時は今よりもっと子猫だった。
猫らしき鳴き叫び声の方へ駆け寄ってみたらその状態。
即座に大きな音を立てて絡まり合いを止めた。
子猫だけ縮まりその場に残ってたから、
「おいで」と言うとソロリと私に近寄ってきたその子猫。
実はその出来事が起こる数日前に、
我が家にとても懐いていて私たちが可愛がっていた野良猫ハミュ(そう呼んでた)が亡くなったばかりだった。
死因はマダニによる感染症。妊婦猫だった。
私はハミュにマダニが付いていたことや急に元気が無くなっていったこと、妊婦さんだったこともあり、私たちが引っ越して来る前からそこに居たんだろうお気に入りの場所があったからその場から移動させることを悩んだけど、悩んだ末に動物病院へ連れて行った。
人間にも感染するSFTS疑いで入院を強いられ、自分でも何の手当てもしてあげられないくらいの容態だったため病院に委ねた。
ハミュの気持ちを想うとそれが良いのか悪いのかわからないままに。
が、その3日後、彼女は病院内で息を引き取った。
ハミュの死にゆく情景に直面し、その子の気持ちを想ったときに自分が善かれと思ってする手助けは果たして彼らの望むことなのか、と、とても不甲斐ない自分自身がここに在ることを体験した。
そのこともあり、
お庭でソロリと近付いて来た子猫に私は
「私は何も出来ないけど困ったらいつでもココにおいで」と話してデデのことやこの辺のことを伝えた。
その猫は小さな可愛らしい眼差しでただただ話す私をじーっと見つめてきて、その後、ふと姿を消した。
ここ1週間ほどのこと。
我が家周辺でその猫をチラホラと見かけるようになった。
生きててくれた!!と、私はとても嬉しかった。
が、動きが素早くよくは見えないけど頭頂部に大きな怪我を負っている様子だった。
その数日後、
身を潜めるように夜だけ我が家のベランダに置いたままの妊婦猫が使っていた、せいちゃんの手作り猫小屋で、夜眠るだけを過ごしているその猫を2日連続で見かけた。
頭の怪我やその様子でなんとなく猫同士の状況が想像でき、せめてここでの寝心地だけは、と板張りの小屋の中にヨガマット的厚手マットを敷いてあげた。
灰色気味のその子の名前をアッシュと名付けて。
その翌朝、大きな猫の唸り声が。
デデが、その小屋の中を覗くように立ってた。
見つかってしまった…と心で呟きながらデデに
「こんな小さな子を脅さないで。ここに居させてあげて」と伝わってるかどうか分からないデデを他の場所へ丁寧に誘導した。
その日、
珍しく日も暮れない明るいうちにアッシュは戻ってきて俊敏に小屋に入り込んだ。慣れない私たちの近くは身を隠し避けるにも関わらず、たまたま庭に居合わせた私たちの側を横切ってまで。
でもすぐに私たちの動きや様子、音にビクつき逃げるように出て行ってしまった。
今となっては、デデから逃げて隠れるところがここしかなくて駆け込んだんだろうな、と思える。
そのまた翌日、夕方前頃、
小屋側で猫の鳴き叫ぶ声がした。
走って駆けつけたら、デデが何かしらをむしり取っただろう毛を咥えてて、その横でアッシュが怯んでた。。。
私が小屋近くに着いたと同時にアッシュは小屋側に向かって逃げ出そうとしたけど転げながら足を引きずりながら、の状態だった。
私は即座にアッシュを抱えて小屋に避難させた。
アッシュは呼吸を荒げたまま、力尽きるように横たわった。
全く動かないけど呼吸はしてる。
角度的に見える部分の酷い外傷は無かった。
それでも見えない部分が気にかかり病院が過ぎったけれど、ハミュのことを思い出し、アッシュが病院を必要としてるのかどうかが私にはわからなかった。
先ずは安静に、外部から何者も侵入出来ないように、内側からのみ出れる小屋入口の簡易扉を付けた。
その瞬間、首だけは起こしていたんだろうアッシュが頭をゆっくり地面に下ろした。
安心してくれたような気がして私もほっとした。
その夜から朝にかけて何度か様子を覗き、呼吸をしてるかどうか、苦しくなさそうかどうかを確認し続けた。
朝方は少し口元をモゴつかせたりもしながら、目を閉じていた。久しぶりにぐっすり気持ちよさそうに眠っているかのように見えた。
「アッシュ、元気になるね。回復するまでここでたくさん休息とってね。私たちは近くにいるからね」と声をかけ、自分たちの作業を始めた。
今思うと、ぐっすり眠っていたように見えたのは気のせいだったのかもしれない。
お昼頃、
前日から体勢変わらず動かないアッシュだけど、時に少し荒げながらも呼吸はし続けてる。
寝たきりのアッシュの塞がりかけてる鼻穴を綿棒で優しく掃除して呼吸の通りを作り、顔まわりの汚れを振動が響かない程度に拭き取り落とし口元に水を少し付けたりしてみた。
そしたらしばらくして一瞬、痙攣を起こしたような動きをして呼吸も乱れた。
余計なことをしてしまったか。。。
その後すぐに落ち着いた様子だったので身体を撫で、お腹に手を当てて回復を祈って「まだまだここで休んでね、また見にくるね」とその場を離れた。
2時間も経たない後くらい。
見に行ったら呼吸してなかった。
触ったら固くなってた。
身体から液体が滲んでた。
さっきまで息をしてた小さな身体は遺体になっていた。死んでしまってた。
頭を抱えた。大きく抱えた。
私は泣き崩れてしまった。
深く深く掘って土葬しながら、
ようやく静かに眠りにつけるね、ごめんね、と、アッシュとお別れをした。
アッシュの身体には
チラホラ見えていた頭頂部の怪我以外に、私の角度からは見えてなかった耳の根本、頭部に日の浅い大きな深い傷があった。灰色だと思っていた毛並みの色は黄土色混じりの灰色だった。
こんなにじっくりアッシュのことを見ることが出来たのは遺体になってからだった。。。
前に失くした妊婦猫ハミュは、
この土地が好きで、我が家の庭でゴロゴロしたりベランダで眠り込んだり寝そべってる姿をよく見かけていた。野良だけど物音にすら鈍感気味な子だったくらい。
ハミュの異変が起きて病院へ連れてくかどうか最後まで迷わせた理由は、この土地から彼女を離すことだった。
その迷いを決定付けたこと、それは、ハミュに
「病院行く?行きたい?今日まで様子見て回復しなければ明日病院連れてくね」と声をかけたその翌朝から丸1日、初めてハミュは私たちの前に姿を見せなかった。
病院に行きたくなかったのかな、野良猫だから森の中で治癒してるのかな、と思いつつ『助けが必要だったら戻っておいで、病院へ連れてくよ』と全力で語りかけ「ハミュ〜」と呼びながら、のたれ死んでないかと心配もありつつ、家周辺の森を探し歩いてみたりした。
その日の夕方、
予想以上にグッタリしたハミュが小屋の中から入口ギリギリに佇んでた。あのぐーたらハミュが寝そべることなく佇んでこっちを見てた。
即、病院へ連れてった。
でも、アッシュはハミュと違い、
この土地でこの周辺でゴロゴロしてる様子は私は見たことがなかった。
その辺で見かけても機敏で見えないくらい姿を消すのが早かった。身体が小さいこともあるけど、いつも何かに敏感に反応し注意を払ってるような動きっぷり。
毎日毎分、何かに襲われる恐怖と不安でいっぱいだっただろうアッシュを想うと、あの場から敢えて離して病院へ連れて行ってあげてたら心も身体も回復出来たのかもしれない…
アッシュはそんな考えも望みもなかったかもしれないけど、私が発した言葉にすがる思いでただただ我が家に、ここに、何か、の可能性を感じて、この1週間、戻ってきたのかもしれないと思うと悔やみきれない。
私はどこか、病院で死を迎えさせるかもしれない野良猫に対する罪悪感を持っていた。けど、それは長閑に過ごせたていたハミュや時々見かけるその他の周りの野良猫たちを見て知っていただけでの小さな視野の中での決め付けからくる考えることへの逃げだった。
なぜすぐにアッシュを病院へ連れて行かなかったんだろう。
またしても彼らの気持ちをキャッチしきれなかった自分に、救えることが出来なかった自分に、何も出来なかった自分に、無力どころか、憤りさえ覚えた。
アッシュに幸せはあったのだろうか。
アッシュは平穏なひと時を味わったことがあったのか。
いつもいつもこの広い世界で身を潜め、小さな身体で小さな動きで過ごした短い生は、何か生きててよかったと感じる出来事はあったのだろうか。
そう思うととても切なくなり涙が止まらない。
アッシュだけじゃない。
世の中にはそんな野良猫、生き物、人間もたくさんいる。知っていても知ってるだけのこと、現場を目の当たりにしてないことを、アッシュを通して体感させられたような気がした。
小さな生命かけてこの世界の見えにくいことを伝えてくれたような気がした。
私たちが野良猫たち、
ハミュとアッシュから感じたことはもう一つ。
彼ら動物は、一緒に生活してなくとも、私たち人間の言葉そのものが伝わらなくても、発した言葉を通して音をキャッチしてるということ。
伝わる音を通してニュアンスを、言わんとしてることをキャッチしてくれる。
我が家の周りには人間以外に動物、昆虫、生き物がたくさんいる。
彼らは話しかけたらだいたい伝えたいことが伝わる。これはハミュをはじめ、戻ってきたアッシュが確信させてくれた。
野良猫だけじゃない、狸、アブ、ゴキブリでさえ。おかげで可能な限り意図的に殺生せずに今のところ済んでいる我が家。有り難い。
それとは反対に
私は動物たちの気持ちをキャッチできていないことを身をもって体感した。それも彼らに教えられたような気がしてる。
五感を越えた感覚をもっと。
私も、私たち人間も自然界の一部であるということを思い起こさせてくれるような、そんな仲間意識をも感じさせてくれた。
彼らとキャッチし合える感覚を磨いていこう、と強く思った。
野良猫は人間と自然界を繋ぐ役割を果たしてくれてる生き物の一種なのかもしれない。
行ったり来たりしながら。
家猫でもなく、野生猫でもなく、それが野良猫の天命なのかなぁ、と。
ハミュ、アッシュ、
ここを選び、ここに来てくれて、
私たちと過ごしてくれてありがとう。
虹の橋で優しいキャツ男が待ってるから、みんなで仲良くいっぱい遊んでね🌈
いつか私もみんなに会える楽しみができたよ〜
生きとし生けるものすべてが満たされる瞬間を!
Hari om✴︎