これまで、30代までは、
直感任せ、感覚で動いてきた私。
考える前に動いてた。
動けば道が開けてた。
考えることはめんどくさかった。
言葉にすることが苦手だった。
苦手という意識が自動的に作動して
動くことに拍車をかけてたのもあったのかな。

基本的に考えること、言語化を避けてきてたもんだから言葉知らずで言葉足らず、喋り下手な私は対人関係において行動や表情で意思表示をして伝わるものだと思ってて、且つ相手の気持ちを汲み取れてる気になってた。
というか意思疎通という言葉があるように、人と人の対話って言葉無くても感覚でキャッチし合うもの、そんなもんだとどこかで思ってた。
それで事なくやってこれたのが30代まで。
しかし、そうもいかなくなったのが40代。
通じない、
言葉無しでは通じ合えないことが起きた。
感覚が近しいと思っていた間柄で起きたから、右ストレートを喰らい、気を失いかけた出来事があった。
でもその出来事が起こり納得してる私もいた。
自分は言語化、発言という行為から逃げておきながらキャッチ任せして、さらにキャッチし合えてる、意思疎通とれてると思い込んでたから。
自分本位な自分に恥ずかしくなった。
それに加えて人はみな十人十色な人生を、
私の知らない世界を生きていることを思い出した。
それは小さくも日常的に自分自身で、また、旅を通して実感してたし、周りで起こっている対人関係トラブルはいつか自分の身にもふりかかるような、そんな気もしてたから、
ついに来たか、と。
人と人は『違い』しかない。
『同じ』な部分があること自体が稀で奇跡。
親子でも兄弟でも双子でもソウルメイトでも
生まれ変わりだったとしても全く同じはない。
そんな一人一人が関係性を紡いでく中で苦労しないワケがない。それぞれがそこに尽力せずに、双方で歩み寄らずに平穏で平和な関係性を、ピースな世界を保てるワケないとずっと思ってた。
そうわかってたはずなのに、
いつの間にか『これまで』に慣れ、甘えてしまってた私。
重たくもめんどくさくも納得してその出来事を受け止め向き合う気持ちに至ることができた。
そうやって40代の壁は、
そろそろ言語化する能力を、自分の言葉紡いで関係性を築いてみては?と、私に新たな挑戦の『事』を運んできてくれた。
『これまで』は本読まない、
ロジカルな文章や発言を目にするのも耳にするのもまっぴらゴメンな私だったけど、笑
内側にある感覚を言葉に変換しながら、ふと、自分の心と頭を繋ぐためにはそれらも大切な作業の一つだったんだと実感した。
私は考えることや言語化が苦手とかじゃなく、そこに向かって、向き合ってやってこなかっただけだったんだとわかった。
過去に起きた何かしらの体験で眠り込んでしまった『考える』という種を、何かしらの拍子で意気消沈させてしまったんだろう『言葉を紡ぐ』という種を、意欲的に芽吹かせてこなかっただけだった。
言葉に、文章にして、それらを出していく作業は、私の中で眠っていた種が芽吹き、少しずつ少しずつ育ち始めてることを感じさせてくれた。

人はいつだって
必要なことに向かえる自分で在れる。
人はそう在れる生き物。
苦手やできないはない、うまくないはない、
そこに向かうか向かわないか。
私はそう実感した。
ここまでが前置き、ここからが本題です。笑
ここ数年間で起きた私の体験に重なる感情と近しい経験をした方々と出逢い、再会し、会話をする機会に多く恵まれたことで、私の生きがいの種が気づかぬ間に内側で芽吹いていたことに気づかされました。
彼女たちとの会話を通して。
それは、
私が重要視することとは真逆の言動、言い換えると、愛を感じることができない不可解な言動を目の当たりにした時に湧き起こってくる気持ちに潜んでたことが判明した。
『なぜそうなるの?』
『どうしてそれが言えるの?できるの?』と、
そこにどうやってその人の愛を見い出したらいいのか分からない疑問の矛先に。

世間の常識、自分の世界観云々じゃない、
悲しみや守りの感情も過ぎ去り、
正当性の言い争いとか許す許さないとか、
課題の分離とかでもない。
その矛先はその奥の奥、ずっと奥に向かってた。

私が観てた先は
その言動を起こす『人間の心理』だった。
その一人ひとりの心理の追求に向かってた。
なぜその言動が生まれるのか、
その理由を私は知りたかった。
その言動を起こす、その言動が生まれる、
そのバックグラウンドを私は知りたかったんだ、と。
いろんなプロセスを経て生まれる
人それぞれの言動。
無知が故ただそうしたくてする人、
意志なく流れでしちゃう人、浅はかに自分がいいならいいとする人、自覚しながらも嫉妬やプライドを治められなかったり圧力による共感を演じてやってしまう人、言い伝えや常識から成る正義感がそうさせる人、過去の深い悲しみをもってそうすることを選ぶ人や考え抜いた中でそのやり方しか見い出せない人、やり方を模索してる中で意図的に試してる人もいるんじゃないかな、と、
想像すればしただけどんどん出てくる。
この私の想像のどれかに当てはまるかもしれないし、そのどれにも当てはまらないかもしれない。
その想像は大切なことだけど重要じゃなくて、
そのくらい、人それぞれの状況をもってして生まれる言動、選択する言動にはその人のバックボーンとなる通ってきた道、そこに至るバックグラウンドがある。

そこから成る真意を誤解なく知ること、
その言動が生まれる裏側を知ること、
それが最もクリアでシンプルなことなんじゃないか、と。
事実をもってしてその人の置かれてる状況、
その人の視点に、その人の立ち位置に私は立ちたい。そしてその事に私自身が向き合ってみたい。
なぜそうなるのか、何がそうさせるのか、紐解いていきたい。出来ることならその人と一緒に。
紐解いてけば必ず見えてくる小さな光、
私は愛の発掘をしたい。
これが私の探求したいこと、
私の生きがいだったもよう。笑
一時、これは私のエゴなのだろうか、と
人は人、私は私、と線引きしてみたり、想像をもって歩み寄っては言い聞かせたり、決め付け片付けようとしてみたりしたこともあった。けど、やってわかった、そうじゃない。
私の視点で、私の狭い世界観での想像で、
その人の言動を決め付け片付けてては真の学びはない。瞬間的にそうしてしまうことがあっても意図的にはしたくない。それこそエゴでしかない。
だからと言って『人は人、私は私』と、境界線を引いて自分の世界を窮屈にさせる必要もない。
何かと線引きして『分断』したり『上下』に分けたりし続けることで今も昔も世界中で絶え間なく起こり続ける、小さくも大きくも変わらぬ事、繰り返されることがあるのを体感してる。
一時的線引きや一旦停止は必要な時期があることを踏まえた上でのお話。

いずれにしても、
その一件をそんな風なやり方で水に流すことは容易なことで、ただ、そう流したところで、事象は目の前から消えたところで、浄化も消化も昇華もされないその見えないエネルギーはそこらじゅうに残り続ける。
そしてそれを越えて重く深く停滞し続ける愛のない言動を起こし続けるエネルギー。
そのエネルギーはその人たちの繰り返される言動によってまた新たな浄化されない芽を生み、様々なところで広がり続けてる。
その言動が無意識であろうとも意識的であろうとも、その絡まり合う根っこが残っている以上、そのエネルギーの循環は成されない。できない。滞ったまんまが続いてく。
で、私は思った。
愛が見えないそういう言動って、
その人の苦しみや嘆きの表現、愛を渇望してる叫びなんじゃないか、と。
それって『その人はその人』と分けたくなるくらい関わるにはめんどくさいことだけど、そういうめんどくさい事こそ『愛発掘』における重要なことなのかもしれないって。
シンプルなことを絡ませめんどくさくさせちゃう、こういうことって『人』という生命の、心と頭のフリーズ現象なんじゃ…
なんてことも思ったり。笑

『同じ』はない、
一人一人に、すべてに違いがあることをわかってるならその『違い』を知ることから私は始めたい。
その違いはスペースを広げる。
その違いはバランスをとる。
その違いが愛を芽吹かせてく。
自分以外が存在してこその愛を。

もし、万が一、
愛のない言動の裏側に悪意があったとしても、
その悪意はどこから湧いてるのか、何がそうさせるのかを探っていきたい。
私が気づけていない私の癖が原因の種かもしれない。その人の過去の経験、世間や歴史の常識や誰かの一言、言い伝えが根付いてその言動に繋がってしまってるのかもしれない。
そもそも本質的に悪意だけで言動を起こす人っているのか?
一つ一つの真実を見つけるために、
そうやって一本一本、紐解いていくところから。
時代と真逆に走り出してる自分に笑えるけれど、合流する先が視えてるからおもしろい。

そして私は、
自分以外の人が見てる景色や世界を、観方を、何に重きを置いて生きてるのかを知りたい。
一人一人を知っていきたい。
そこに興味がある。
一人一人が持つ世界に、愛に、生き方に触れてたい。
世界を旅するように。

それはどこか、私の歩んでる道を、観てる世界を知ってもらうことに繋がるような、お互いを受容し合い尊重し合える、そんな気がしてる。

さて、はじめに記した私の40壁ですが、
言葉を紡いで関係性を築いてく、そこには私の生きがいもガッツリ注入されておりましてん。
愛発掘に向けてバックボーンを知る、真実を知るにあたり、シンプルで濁りない手段は本人に尋ねる、本人と話すこと。
最短で最厚。
実際にその壁に挑んでみたところ、
一つ一つの言葉を的確にチョイスしなければ、これもまた新たな誤解を生んでしまいドツボにハマってしまう。
特に文面だと重要な微細なポイントこそが通じ合わずに破滅に追いやることもあったりなんかして。。
そうやって試してきた中で現状、
当事者同士で直接会って目を見て声を聞いて呼吸に触れ波動をキャッチし合いながら選び抜いた言葉で疑問を投げかけ言葉を交わすのがベスト。
感覚と言葉、心と頭の両方で対話すること。
に至ってるとこ。
ただしそこには双方の気持ちとタイミング、余白が重なってこそ、のお話。
そこにその人が生きている、生身で会えるのなら、のお話。

そんなこんな、
生きがいを感じながら言語化の壁を突き破り、
猪突猛進していたら、私の心と頭、感覚と言葉、行動と思考は一致してきてた。
だいぶバランスが取れてきてる。
少しずつスペースも広がってきたような気がする。
気づけば必死に言葉を紡ぐ毎日から
自然と言葉が溢れ出るようになってきてた。
私を通して出来事が受け入れられ、
私を通して感情が湧き起こり、
私を通してその感情が受け入れられ、
私を通して言葉が溢れ出る。
ただそれを繰り返してる毎日。
そこにはただただ『私』を通して行き来する流れがあって出入りがあって。
まわって巡って。循環してて。
私の肉体を通して
外の世界と『私』を繋ぐ呼吸が成されてた。
私から溢れ出る言葉、私の表現って、
私の精神の、心の呼吸だった。
となれば、
愛のない言動、愛が無いように映るあの言動は、
やはりその人たちの心の叫びなんじゃないかと思えてくる。
本人たちも気づけていない、
いや、中には気づいてるかもしれない、
もしくは気づいて欲しいという、
愛に対する渇望の表れ、意思表示なのかも、と。
『言葉は心の呼吸』
こうして毎度私はyogaからヒントをもらう。
そして迷いに迷っても最終的に辿り着く道は
yogaなんだよな〜
はい、40壁、半壁クリア!!!
あーここまでハードだったー!
ついでに、
活動し続けるアーティストの裏側をちょっとだけ覗いちゃった気分にもなりました。笑
どんなカタチでも世に作品を出し続けてる
アーティストって素晴らしい!!

この私の生きがいは自分のためではない、
もはや誰のためでもない。
この世界、
この地球の呼吸、
循環を成すほんの一部として私が息を吹き返し始めただけのこと。
悲しみや憎しみ、誤解や思い込み、
無意識の制限、気づかぬ間に残り続ける浄化されない見えない気持ちやエネルギーの停滞を、悪循環を昇華へ、と🕊

先ずは、
そうやって愛が無いように映る言動を自覚しておきながらとっちゃう人、癖づいてることをわかっちゃいるけどやってしまう人、そういった方々へ率直に私はお尋ねしたい。
あなたは、その言動をとる自分、とってる時の自分のことが好きですか?その時、その後、自分丸ごと気持ちいいですか??
と。
自覚してしているとするなら、
それはもう、そこに尽きる気がする。

私がヨーガの虜になった理由はココ、
心理の、真理の追求にあるのかもしれない。
【 おまけコーナー 】
今は敢えてコトに向かわず、
一時的にお休みをしてる方、意図的に休息を、ひとりを選んでる方、または、意志を持って試しにその道を選んでそこにいる方々へ。
そんな方々は今はここに耳を傾けず、
その感覚を信じて、とことんそれを、休息を、やらないこと向かわないことを、その選んだ道を光射すまでやり続けていただきたいです。
誰に何と言われようと
何かに通せんぼされたとしても。
ただし、そこはホームじゃない。
ということを私から伝えておきたいです。

そうやって誰しもにそんな休息の時期があるのなら、それが『不可解な言動』として受け取る側のタイミングに重なっただけのことなんじゃないか、と、向き合うほどのことでもなく、その先が視え隠れすることもあったけど、全部が全部そうじゃないと、自信はないけど今ここに直感で感じるままに。
愛のない言動が生まれ放置される理由の探求を、それが愛溢れる出来事に変わる瞬間まで、私はこの人生で自分の身をもって一つ一つを探り見届け続けたい。
本当にできないことなのか、
本当はできることなんじゃないのか、
私が生きてる間に答えが出るのかは不明だけど。笑
それでも根本原因の種を知ることは
気づかぬうちに芽吹いてしまってた不要な種を、気づかぬうちに眠り込ませてた必要な種を、
『さぁ、ここからどうするのか』
と、自分で問うて自分でチョイスするステージに導いてくれる。
そこからは自分次第、
どうぞご自由にってことで。笑

人と話して自分のことを知るときもあるし、
他の人の考え方で学ぶこともあるし、
一人でふと気づくこともある。
= 20代女性、私の知人の言葉 =
自分を知る、自分の考えを改め更新する、って
自分一人じゃ成し得ない時がある。
= 30代女性、私の知人の言葉 =
この私の呼吸が小さくも波紋してくのを、
このアシュラムLevanter Akashaで目の当たりにしながらマンツーマンセッションを行なっています↓
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長々とありがとうございました。
namaste.