悲惨な「底辺に向かう競争」「破壊的な競争」のグローバリズムを規制する新たな福祉国家へ | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 都留文科大学・後藤道夫教授による講演の要旨です。(※前回のエントリー「日本で激しい公務員バッシングが生まれる理由」 に続くものです。例によって私の勝手な要約ですのでご了承ください。byノックオン)


 今日では、政府や労働者側が企業の気に入るような労働条件、社会・経済条件、規制条件を提供できなければ、企業はどこへでも好きなところへ行けばいい。後に残るのは経済の荒廃だ。あるいは企業は、どこか別のところに移転するぞ、と脅すだけで済ますことができる。


 すべての国々を企業投資の誘致をめぐる競争へ駆り立てる。そこでそれぞれが労働、社会、環境すべてのコストを、他よりも切り下げようとする。その結果が「下向きの平準化」、つまり悲惨な「底辺に向かう競争」 race to the bottom であり、そこではもっとも貧しく、もっともひどい状況にある人たちに、あらゆる条件が押し付けられがちである。(ジェレミー・ブレッカー著『世界をとりもどせ - グローバル企業を包囲する9章』)


 新しい情報テクノロジーやコミュニケーション・テクノロジーを通じて多様な企業活動をこれまで知られていない範囲で空間的に分散することが可能になった。つまりIT技術の発達は企業組織をネットワーク化しやすいのでむしろ企業の分散化を生み出した。そして、多国籍企業は、フレキシビリティに、迅速に、企業の一部分を、賃金コスト、労働力の質、環境条件、国家の立法、あるいは市場諸関係から判断してそのときどきにもっとも有利であると判断される世界の場所へと移転する。これが、資本の新しい移動性だ。


 この資本の新しい移動性に国民的競争国家は、国家の政治は、他の国家と競合して、グローバルに、よりフレキシブルに行動する資本のために有利な価値増殖条件を整えることにますます関心を払うようになっている。国民的競争国家の機能論理は、グローバルな競争力の確保という目標へと社会のあらゆる領域をさし向けることだ。多国籍企業にとっての「立地点」の収益性のために、多様な「立地点」間で質をめぐる破壊的な競争が勃発する。(ヨアヒム・ヒルシュ著『国民的競争国家』)


 このようなブレッカーやヒルシュの指摘にあるように、日本においても、新自由主義改革、構造改革の目的は、多国籍企業に有利な「収益性」をもたらす「立地点」として、日本社会全体を「改革」しようとするものです。


 「福祉国家は戦争をするために生まれた?」 でみたような、「国民を戦争にかりたてるための福祉国家づくり」は後景に退き、今度はグローバリズムにより、多国籍企業にとって、「福祉国家」こそが攻撃対象となっていきます。


 福祉国家は、多国籍企業群や経済グローバリズムを推進する勢力から攻撃されることになるのですが、従来の福祉国家自身も、世界市場での弱肉強食を容認し、世界市場での競争に勝つ必要を認めて運営されてきました。ですから、従来の福祉国家自身には、新自由主義に対して根本的な批判ができないという弱点があったのです。


 私たちがこれから目指そうとする新しい福祉国家に求められるのは、世界市場とそこでわが物顔に振る舞う多国籍企業や投資ファンドの本格的な規制です。これは、相当数の先進資本主義諸国の政府が共同し、発展途上諸国の反グローバリズムと連携し、さらに、国際的な労働運動を含む、多種多様な社会運動がこれらと共同しながら世界的なネットワークを組んで立ち向かわなければならない大きな課題です。


 これまでの福祉国家が蓄積してきた本格的な最低生活保障、高度な所得再配分、無料あるいは低額の広範な社会サービスの提供、それらを支える大きな国家財政と国内市場規制などは、強力な産業別労働組合と一般労働組合の存在とともに、私たちが積極的に受け継ぐ要素です。


 福祉国家の維持・発展は、多国籍企業や投資ファンドに富が集中するのを防ぐ力となります。逆に言えば、多国籍企業や投資ファンドに富が集中すればするほど、各国経済は混乱させられ、巨大な国際的搾取と収奪が続き、福祉国家の維持・発展は困難となるわけです。


 福祉国家と反グローバリズム連合は、多国籍企業や投資ファンドへの富の集中を抑え、その行動を規制し、富の非グローバルな域内循環、国内循環、地域内循環の程度を上げ、所得再分配を盛んにします。福祉国家内部でみると、高い収益の産業から抵効率産業部門へ、高所得者から低所得者へ、巨大都市から農村部あるいは産業的に捨てられた地域へと、富の再配分が行われるわけです。市場経済は市場の原理だけで動くのではなく、たくさんの社会的な必要から縛りを受けて、穏和なものへと変質させられ、社会全体に奉仕する一つの経済的な手段へと変わっていくことになります。


 しかし、こうした再配分は、それが市場経済の大きな質的変化にいたるまでは、絶えざる攻撃のまととなります。大企業・財界や高所得者、社会上層部から見ると、福祉国家による富の再配分は、自企業あるいは自分が他からの援助無しに得た富が、税金などの手段で奪われ、自分と関係のない「弱者」に与えられる、というふうにみえるからです。しかし、これは資本主義経済が生み出す「外見」にすぎません。


 第1に、大企業の利潤の源泉は、その大企業における労働者の労働、さらに下請け諸企業における労働者の労働などが含まれています。企業の利潤が労働者に関係なく生み出された資本家だけの富、などと言えないことは明らかです。


 第2に、市場経済は、経済活動に実際に必要な多くの要素や条件を、できるだけ自分が支払う必要がない、経済の「外部」のものとみなそうとする性質を持っています。企業はタダで、社会の共通財産とみなすべきものや、いろいろな人々の努力を利用し、使いつぶします。これをそのままにすると、環境は汚染され、自然資源は枯渇し、地域社会や途上諸国の社会崩壊などが放置され、女性に様々なケアワークが押しつけられるなど、多くの犠牲と取り返しのつかない損害が生じます。そもそもそうした状態は、社会的な富の「収奪」ですから、「自分だけで獲得した富」という主張はまったく理不尽というほかありません。


 福祉国家と反グローバリズム連合が行う市場規制、企業規制と富の再配分は、まず第1に、「搾取の程度」を下げる働きを持ちます。


 労働者の賃金を上げさせ、労働条件を上げると、「搾取の程度」を下げることができます。しかし、搾取は直接の労使関係の中だけで生ずるものではありません。下請け企業の労働者の労働は、親企業、あるいはコスト減を押しつけてくる取引先の大企業からも、間接的に搾取されています。


 また、労働者の手にいったん入った賃金からも、税金が取られて国家・自治体の手に入り、それが大企業の技術開発費への援助や、企業活動の基盤整備費用に回されたり、ムダな大型公共事業や軍備調達などで一部の大企業を潤したりします。つまり搾取全体の程度を減らすには、その社会の労働条件全体を上げさせるとともに、国家財政のあり方を大きく変えて、こうした搾取、収奪のメカニズム全体を規制する経済民主主義を勝ち取ることが必要です。


 新しい福祉国家運動は、経済民主主義で「搾取の程度」を減らす試みと言ってもよく、搾取の程度を減らすことができれば、多国籍企業や投資ファンドの力も減り、市場の暴力もより小さなものとすることができます。


 減らした搾取の分が、国民の生活と様々な社会環境、自然環境の維持・改善に使われる仕組みが必要です。国民生活の安心と安全に必要な教育・医療・社会保障部門や公共住宅部門、さらに、国土と環境の保全のための農林業や環境保護活動などの維持・充実のためには、巨額の国家財政が計画的にそれらの部門に投入される必要があります。


 もともと、教育・医療・各種の福祉サービス・生活基盤整備などは、国家財政を中心とする公的費用でまかなわれ、国民がそれらを利用料無しで使うのが、あるべき姿です。これは、資本主義経済に即して分配された富を、事後的に再配分したものという「外見」を取りますが、本来は、当たり前のコストを経済に組み込む措置、経済に国民生活を支える諸要素を内部化することにすぎません。


 しかし、「富の再配分の外見」は、これまで見てきたように、大企業・財界や社会上層部から、あらゆる手段を総動員した攻撃をたえず受けるので、福祉国家を支える取り組みが常に必要になります。日本においては、これまで見てきたような「開発主義国家」として大企業に奉仕する「大きな政府」から、新しい福祉国家として国民生活に奉仕する「大きな政府」への転換が必要になっています。従来の「開発主義国家」による大型公共事業への財政バラマキで、巨額な財政赤字が生じたことの責任は政府・財界にあるにもかかわらず、政府・財界は責任を取るどころか、この事態を逆手に取って、巨額な財政赤字を解消するために「小さな政府」が必要だとして、社会保障費を毎年削減しています。もともと「開発主義国家」として「貧困な社会保障」しか持ち合わせていなかった日本社会において、一層の社会保障費削減を「小さな政府」の名のもとに強行したことと、加えてのグローバリズム、新自由主義改革ですから、日本社会に貧困が拡大して全国各地が「派遣村」と化すような状態になっているわけです。ブレッカーが警告したように、もっともひどい状況にある人たちに貧困が押し付けられ、悲惨な「底辺に向かう競争」が、今の日本社会において現実のものとなっているのです。


 こうした貧困社会を打開するための反貧困の新しい福祉国家づくりで、企業の社会的責任を、経済民主主義によって厳格に実行させていくと、農林業や地域を支える地場産業、教育・医療・社会保障諸部門などは、社会にとって最重要な産業部門としての位置づけを名実ともに獲得します。


 これまでは、労働生産性がたえず上昇しつづけるような産業部門だけが強い力を持ち、大きな意味を与えられてきましたが、人が人の世話をする福祉サービスなどの「人間くさい」産業や労働が、社会的・経済的に高く評価され、正当な位置を与えられます。


 新しい福祉国家と反グローバリズム連合は、経済民主主義を実現して、企業に社会的責任を果たさせ、搾取・収奪の程度を下げ、国民生活を支える諸要素を経済に内部化し、医療・福祉労働の評価と産業部門編成の新たなあり方を実現し、多国籍企業による国境を越えた搾取・収奪を規制して、市場経済をより穏和なものに変えていくのです。