福祉国家は戦争をするために生まれた? | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 都留文科大学・後藤道夫教授による「社会保障基本法」に関する講演要旨の続きです。前回は、「日本だけが「子どもの貧困」を政府みずから拡大 - 「上層社会統合」に利用される社会保障」 というエントリーでしたが、今回は、「福祉国家は戦争をするために生まれた?」です。(※例によって私の勝手な要約ですのでご勘弁を。byノックオン)


 福祉国家はなぜ生まれてきたのか? 社会的な背景が2つあります。1つは、19世紀末のヨーロッパ諸国で、帝国主義戦争の準備を本気で考えるようになったということです。2つめは、労働者の数が急激に増加したことです。


 どうして、福祉国家と戦争が関係するかというと、福祉国家をつくって国民の生活をある程度平等にして日々の生活に安心感を国民に与えておかないと、いざ戦争が始まったときに、国民のかまえた銃口が逆を向く可能性があるわけです。戦争のときに銃口が逆を向くというのは、伝統的に支配層が絶えず心配していることで、“愛国心”をどれくらい国民一人ひとりに持たせられるか、戦争で本気になってたたかってくれるか、という問題は、支配層にとって大問題なのです。それと、“愛国心”を持って戦争でたたかう気になったとしても体がついてくるかという問題が次にあるのです。


 大きな意味で福祉国家という場合、教育の無償化、義務化というのも含まれます。教育も戦争をするために必要なのです。日本の学校教育もそうですが、世界中の学校教育で国語というのがそれぞれの国で徹底的にたたき込まれます。それは軍隊を作るのに、その国の標準語が必要だからです。たとえば、日本の津軽弁と薩摩弁が戦場でいきなり生でぶつかったら意思疎通はできないでしょう。イギリスだって、私たちが知っている英語というのは、イギリスの下町に行くと通じないなど、各国にも強烈な方言があちこちにあるわけで、それを強引に1つの言葉で通じるようにさせる最大の理由は、やはり軍隊にあったわけです。


 学校教育で標準語を徹底して軍隊を成立させ、それに加えて、軍隊が担えるだけの健康で頑健な体を多くの国民が持てるように栄養状態を良くすることや、基本的な社会的知識を付けることなどが必要になります。たとえば、19世紀半ばのイギリスの労働者のかなりの部分は、エリザベス女王の名前さえ知らなかったというくらい滅茶苦茶な生活をさせられていたわけです。


 2つめの労働者の数が増加したという点です。労働者の数が増えると、「数は力」ですから、労働者の力も大きくなってくるわけです。そうすると、支配層は、労働者層との政治的妥協をはからざるをえません。そうしないと戦争に協力してくれないどころか、先ほど言いましたように銃口が逆を向くわけです。ですから支配層は、政治的妥協、社会的妥協をはかりながら、国民を戦争に動員するためには、労働者の権利をある程度容認して、生活を安定させ、栄養状態を良くし、教育をある程度与えるということをやっていく必要があったのです。


 こうした流れの延長線上に出てきたのが福祉国家なのです。ですから、長い間、帝国主義戦争に協力する潮流がつくるものが、福祉国家だという関係に客観的にあったわけで、日本において革新陣営が福祉国家に対する批判を長い間、持ち続けた点もそこにあったわけです。


 しかし、国民を戦争にかりたてるための福祉国家づくりというのは、第2次世界大戦以降、次第に薄れていきます。支配層にとって、社会秩序を維持するための福祉国家という位置づけが大きくなってきたわけです。