2023年3月 明日が見えない | 大切なものは目には見えない

大切なものは目には見えない

日々の普通の生活が当たり前だと思っていたけど、それは当たり前では無かった。
今日と同じ明日が必ずあるとは限らない。
本当に大切なものは目には見えないから、私の心が感じたことを忘備録として残します。

1回目の退院後、息子の調子が良かったのは最初の3日間くらいでした。


入院中に双極性障害と診断されて、退院後は躁状態を抑えるための薬が出されていました。


本当は双極性障害では無くて、

精神薬の乱用のため、薬剤性の双極性障害に似た状態になっていたんだと思います。


でも、この時はまだそれが分からなくて

躁状態を抑えるため、脳の興奮を沈静化する薬を飲まされていました。

その結果、今度はだんだんと酷い鬱状態へと変わって行きました。


退院後は本来なら、元々、通院していた心療内科へ戻るはずでしたが

僅か4週間の入院で簡単に退院させられた息子を、そんな簡単ではないと

前医師には受け入れて貰えませんでした。


「責任を持って診療することが出来ない」

入院していた病院に引き続き、通院することを勧められました。


すぐにまた必ず入院が必要になるから

入院施設のある病院に通院する方が良いと

やんわりと受け入れを拒否されました。


退院する前に退院後の通院をお願いしようと電話した時にそれを言われましたので

私にはすごく冷たい言葉に感じてしまいました。


それから息子は日毎に気持ちが沈んでいきました。

表情も暗く、口数も少なく、すぐに自傷行為が始まりました。


そして、家の中を歩き回り

じっとしてることが出来ない

これはアカシジアと言って、精神薬の副作用だということを知りました。

そして、もうひとつの副作用では涎が多量分泌されて食事が取りにくくなりました。


希死念慮もだんだん強くなり

毎日のように〇にたい〇にたい…と言われ

ロープを買ったり

自分で壁に頭を打ち付けたり…


この時の私は

まだ何も分からなくて

本当にどうしたらいいのかも分からなくて


自分自身のメンタルが壊れてしまわないようにするのが精一杯でした


毎日のように色んな事が起こりました。

たくさんの家庭用品も壊れました


趣味で作ってたポーセラーツの陶器の食器を

家族の分、イニシャルを入れて大事に使っていました。

そんな大切にしていた食器もあっという間に割れて無くなってしまいました。


それから、以前はとても可愛がっていた愛犬を虐めるようになりました。

動物はちょっとした変化にも敏感です

性格が一変してしまった息子には寄り付かなくなりました

変わってしまった息子が怖かったんだと思います

そして、それが息子には気に入らなかった。


生活の色んな事が前とは変わって行きます。

心がそれに付いて行けなくなります


前医師のあの時の言葉に、間違いが無かったことを思い知らされることになりました。


明るい日と書いて明日

もう私たち家族には、前のような普通の明日は来ないのか?


息子がすべて悪いわけではない

薬が息子を変えてしまったのです


これが夢だったらどんなに良かったか

夢ならば、どうか早く醒めて欲しいと

この頃の私はそんなふうに祈るしか

為す術なくがありませんでした。