11(日)
二十四夜(23)、晴れ。
昨日の夜中に見たテレビで、井ノ原快彦が言っていた。
「僕はアイドルだから」
出演映画の宣伝の番組で、自分はもともとアイドル歌手が始まりで、ってな意味合いだとはわかっているが、昨今話題の柳沢発言というものに当てはめてみると、いささか手前味噌。
自分は崇拝される者であると言っていると解してもいいわけだ。
いや、そんな揚げ足をとってもばかばかしい。つまり、「アイドル」 という言葉は、日本においては(外国のことは知らぬ)存在の名称というより、職業のひとつの呼称となったというだけのことだ。スターもまた然り。
気まぐれでデザインスキンを北斎に変えてみた。メロのバナーと揃いになった。
10(土)
二十三夜(22)、休日。週に一日でも休みがあればありがたいことと思おう。思おうと言い聞かせるということは、本当は不満だということなり。怠惰の証明なり。
午後7時のニュース。若者の就職について、インタビューを受けていた男性の発言。
「たまに行きたくねえなとか思うことあったけど」
「街で自分の作ったのとか見るとすっげえ嬉しい気持ちして」
と言っていた。字幕表示では、
「たまに行きたくないと思う・・・・・・」
「・・・見るとすごく嬉しい・・・・・・」
となっていた。明治以来の言文一致は平成の御世になり撤廃されたるなり、か。
メロのマメ探しで放浪しているときに出会ったブログに少し興味を持ったが、mixiに移行したそうで、続きが読めない。
今更ながらにmixiというものを見てみたいと思ったが、知り合いがいないので、断念。
朝から頭が痛かったが、頓服二回で小康を得る。
9(金)
二十二夜(21)、晴れ。相変わらず温かい。『東京焼塵』を読み返していて、ふと思う。終戦の年と、今年と、そして、あの2001年つまり平成13年は、曜日の並びが同じであるなあと。百閒先生の2月の記述を読み、今年とは全く異なる、雪の冬を思い浮かべ、二つの死が私を変えてしまったあの年を思い出す。131、87、70、757。過ぎた日々には戻れない。
8(木)
二十一夜(20)、晴れ。腕の痺れ徐々に確実となり、痛みも随伴。眠くだるい。126、84、787、939。
そうそうここ数日書き忘れていたことがあり、それを思い出したので記す。
私は政治や経済にはとんと暗いが、昨今話題の柳沢何某氏の発言に関する世間の喧騒は耳に届いている。
偶然、テレビで、その発言の録音を聞いたが、報道が言うほど、不適切には感じられなかった。
女を子の生産機呼ばわりしたと言うが、そうは受け取れない。
どちらかというと、女性しかなしえない出産という能力を存分に発揮すべしである、という論旨だったように感ずる。そこには出産というものは、男子である自分にはできない、特別なものだと認知し、また過不足ない敬意ももっている様子に思われた。
言葉尻や、単語のみを捕らえて、理解するしないは別とし、非難の対象とするのは、いかさまみっともない。
誰かの足を引っ張り、貶めることでしか自分の位置を高められないかのように見える。
更に、子供を2人以上設けるという考えは健全であるといった内容の発言にも、「機械」同様「健全」のみが取り上げられ、揚げ足とりに他ならない、「それでは1人しか生まないものは不健全か?、健全という発言を撤回せよ」という論争が昨日だかの国会にて行われていた。あきれて物が言えないとはこのことである。
「2人以上生もうと思う」ことが「健全」であることを取り消すとしよう。
すると、彼らの論法である、女≠機械(女は機械ではない)によるならば、
2人以上生もうと思うこと≠健全(2人以上生もうと思うことは健全でない∴不健全である)
ということになってしまうのだ。
ここで、「待った、その言葉だけではなく、前後の文脈が、」などと言ってはいけない。
そもそも前後の脈絡を無視し、「発言」を取り上げたのは報道なのだから。あくまで、近視眼的にやりあうのが眺めている此方も楽しませていただけるといったものですよ。