僧綱とは僧尼から寺院、法務を統括する僧官で、最高位は僧正です。次いで僧都、律師となりますが、最初ひとりだった僧正は1086年に大僧正、僧正、権僧正の三人に、以降も増え続けて鎌倉時代には二十名に及ばんとする有様。僧都も同じくひとりだったのが大僧都、僧都、権僧都、少僧都、権少僧都…。

僧綱

僧綱

 

 

 
 

太政大臣は最高位の官です。資格は天皇の師範たる有徳の者で従来皇太子が任じられていたのを、人臣にして初めて藤原良房が就きます。二度任ぜられるのは非常に稀で藤原忠通と鷹司兼平のニ名のみ。正従一位相当、官として特別なのは亡くなって諡号が贈られることでもわかります。因みに良房は忠仁公。

藤原良房 Fujiwara_no_Yoshifusa

藤原良房

 

藤原忠通 Fujiwara_no_Tadamichi

藤原忠通

 

鷹司兼平 Takatsukasa_Kanehira

鷹司兼平

 

 

 

大納言とは別名亜相、〈亜〉は次ぐを意味して大臣に次ぐその重職を表します。帝の言葉を臣下に宣し、臣下の弁を帝に奏することから喉舌の官とも称されます。最初定員はふたりながら四人五人となり、中納言の設置、権官の増員で対応するも結局十人に膨らんで定着。人材重視だったはずが世襲に落ちる。

 

 

中納言は大納言に次ぐ太政官の被官にして令外の官。元々大納言の定員削減に合わせて創設され、職掌はほぼ同じ。中納言に任ぜられるのは摂関家出身か、参議、大弁、近衛中将、検非違使別当のいづれかを勤めるのが条件。大納言がその後増員の一途を辿ったのと同様に三人で始まった中納言も最終には八人。

 

 

致仕、即ち官を辞するのは七十歳以上で聴されます。参議以上の者は致仕後に内裏に参ずる場合、現任者よりも上座をあてがわれます。位に賜った禄などはそのまま、役職にまつわるものも半分が支給され続けます。本朝初の致仕は橘諸兄、吉備真備は願い出るも七七歳に、大中臣清麻呂は八一歳まで聴されず。

橘諸兄Tachibana_no_Moroe

橘諸兄

 

吉備真備 Kibi_no_Makibi

吉備真備

 

大中臣清麻呂 Oonakatomi_no_Kiyomaro

大中臣清麻呂

 

 

 

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