裏切りの季節
  監督 : 大和屋 竺

  製作 : 若松プロダクション
  作年 : 1966年
  出演 : 立川雄二 / 谷口珠里 / 山谷初男 / 寺島幹夫 / 足立正生

 

 

大和屋笠 裏切りの季節 谷口珠里

 

ジョージ・キューカーは昨今の、と言っても70年代ですが映画の風潮を(致し方ないことと承知しつつも)昔の女優は裸や身悶えの姿を写さないと表現できないことなど何もないことをよく理解していたと言って宜なるかな、宜なるかな。映画でもテレビでもとにかくひん剥いちゃえと追い剥ぎみたいに女優から衣服を剥ぎ取っては世の貴兄の眼福のために供せられるのを見るにつけ映画が見世物であるとは重々存じておりますがキューカーの如く言いたくもなります。一方で女性の裸を真ん中に置くだけで昏迷していく政治闘争にしても内面の腰まで闇に浸かった探検にしてもはたまた諜報機関の追い詰めるほど見失なわれていく真実にしてもそういう表と裏、前と後ろ、本当と嘘という二分された世界を(まるで裸をひとつの窓のように風が抜けて)大きく環流すると表も裏もなくなり、前も後ろも消えて、嘘も本当も折り込まれながら晴れやかな見通しになるのも確かです。まさに本作における裸の効能でして同じ題材を裸抜きで作ろうとして黒木和雄監督『日本の悪霊』(中島正幸プロ・日本ATG 1970年)や篠田正浩監督『異聞猿飛佐助』(松竹 1965年)或いは吉田喜重監督『煉獄エロイカ』(現代映画社・日本ATG 1970年)のような面々は重く息苦しい手応えに締め上げられます。しかるにベトナム戦争に従軍したひとりの写真家の死と背後に揺らめく諜報機関、そして死の傍らに立ってすべてを見届けた男が帰国することで始まるこの物語は(先の諸作に劣ることなく現代の白々とした闇に身を沈ませながら)見るものを足許から紐解いていくそんな軽さに最後まで促されています。裸のこの不敵な軽やかさこそ60年代のピンク映画、とりわけ若松プロの疾走でしょう。口あけに到着する飛行機はまるで巨大な(そしてちまちました)謎をもたらすかのように夜にたなびいて東京を暗く覆っていきます。高度成長の真っ只中とは言えまだまだ夜の底に手探りで首都の貌を探すような東京を突っ切ると主人公はそのまま女の住むアパートにやってきます。彼女の恋人がベトナムの戦場で呆気なく死んだことを告げようというのです。遠い国の男の死とその同じ遠さを血の臭いをさせた男が還ってきてふたりは剥き出しの心を映して抱き合います。しかし戦場の死と生が言わば横たわった者とその傍らで立っている者の違いでしかないように愛と残酷さを主人公は区別することができません。女との関係を<夫婦ごっこ>と吐き捨てる彼は勿論<ごっこ>の向こうに本当の何かなどないことを承知しています。彼の本当とはベトナムの戦場で自分が見下ろしたひとりの死に掻き消されたままです。やがて彼の前に立ちはだかる諜報機関も所属する表立った新聞社もふたたび主人公をベトナムに向かわせようとしますがそこに求めるものは同じであって現代には裏も表もなくただ剥き出しの何かが疾駆しているのです。そう一度駆け出してしまえばもう安易な終わりなどつけようはありません、主人公は絶叫します、<いいのか、こんな結末で!>、まったく以て。

 

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