ひとゆかば
岡本 潤(1901年 - 1978年)
1920年大杉栄の日本社会主義同盟設立に参加。萩原恭次郎らと行動を共にする詩人でもある。映画との関わりも深く中川信夫も在籍したマキノトーキーに入社、のちに大映に移る。戦後も詩に名をなすも、吉本隆明から文学者の戦争責任を突きつけられる。
岡本潤『笑う死者』『罰当りは生きてゐる』の初版本
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渡辺政之輔(1899年 - 1928年)
インテリではなく職工からの叩き上げの活動家で、第二次日本共産党では中央委員となる。党を牽引する福本和夫がコミンテルンに否定されて後退すると党書記長に。然るに三・一五事件で党は瓦解、自らは逃亡するも台湾で追い詰められてピストル自殺。
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河上 肇(1879年 - 1946年)
学生時代に都市の泥濘む貧困に社会変革の必要を痛感。マルクス主義研究の傍ら『貧乏物語』を上梓する。学究生活に身を置いたが、弾圧に沈む日本共産党に入党、しかしスパイMが牛耳るなかいい金づるにされ、総額1.5万円を献金、挙げ句に検挙、転向。
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九鬼隆一(1852年 - 1931年)
福沢諭吉の薫陶を受けてのち文部省に入省。岩倉具視の後ろ盾、フェノロサの感化もあって美術行政に辣腕を振るう。1888年岡倉天心と行った宝物調査は古美術の価値を改めて知ら示す。内国勧業博覧会、東京美術学校、帝室技芸員制に尽力。人柄尊大。
上野公園於開設第三回内国勧業博覧会之略図
岡倉天心 アーネスト・フェノロサ(明治15年)
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岩橋武夫(1898年 - 1954年)
早稲田在学中に失明し、自暴自棄に陥るも克己。関西学院に学び直してイギリスに留学する。1928年日本盲人エスペラント協会を設立。自宅に点字出版社を興す。ヘレン・ケラー来日に尽力。戦後も身体障害者福祉法に奔走して1949年に制定となる。
岩橋武夫 ヘレン・ケラー
岩橋武夫からヘレン・ケラーへの書簡
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牧野伸顕(1861年 - 1949年)
牧野伸顕は外務官僚のとき憲法調査に渡欧した伊藤博文の知己を得ると西園寺公望と結ぶ。パリ講和会議にも出席。西園寺の頼みで宮内大臣に就くと皇室に英米協調、自由主義の基盤を敷く。二・二六事件では一命。娘婿に吉田茂、自身も大久保利通次男
パリ講和会議日本全権及び随員記念写真 ホテル・ブリストルにて
大正9年6月 『図録日本外交大観』所収
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鳥尾小弥太(1848年 - 1905年)
奇兵隊にあるも自ら危ぶんで中村姓から改名する暴れん坊。明治政府では山縣有朋と対立。民権運動、議会主義、西欧化にことごとく反対し、明治中期に起こる日本主義の反動に乗って、天皇親政を掲げる佐々木高行、元田永孚らと国粋主義に身を投じる。
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