若松孝二が晩年に(と言っても不慮の、しかも何とも口惜しい事故死であれば晩年の自覚なんて本人にもなかったでしょうけど)どうして三島由紀夫の映画を撮ろうなんて思い立ったか、それはそう難しい疑問ではありません。『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』(2008年)で雪に泥濘む籠城事件とそれに先立つ陰鬱な集団暴行殺人に埋もれる青年たちの生きざまを掬い上げて、それと同じ時代の対を市ヶ谷駐屯地を占拠して三島の自決事件に従った青年の姿に見たということです。若松にすれば彼らもまた切実な熱情に生きながら思うにならない結末に呑み込まれた青年たちであって、『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』にしても先行する原田眞人監督『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002年)に描かれたままでは連合赤軍青年たちが不憫だというのが始まりです。ピンク映画の独立プロとして若松プロがもっとも先鋭だった60年代後半から70年代にかけて自分の許に集まったそれぞれが何かに敗れつつ映画の可能性に踏みとどまった青年たちを重ねずにはいられないわけです。実際山岳ベースで殺される遠山美枝子も若松プロに出入りして男たちのために不慣れな手つきで握ったへなちょこなおむすびをぶつくさ言いつつ若松が頬張る場面が『止められるか、俺たちを』(白石和彌監督 2018年)に出てきて彼女のその後を思えば一瞬胸が詰まります。この『11.25 自決の日 三島由紀夫と青年たち』を含めて2012年に3作の映画を完成させ(件の通り不意の事故死で映画人生を閉じ)る若松孝二は76歳という自身の年齢に立って映画製作の新たな、ということはある程度終わりを意識した広がりに開こうとしていたように見えます。遺作は中上健次の小説で(若い頃内田裕也たちと凮月堂に屯していた中上とはそりゃあ旧知の仲だったでしょうが)暴力の息遣いを甘く匂い立たせる男たちを同じように描きながらも何か儚いばかりに生命のほむらに揺れている中上の世界は若松のそれとはやはり(決定的に)ずれている気がしてそんなところにも知らず知らず晩年というものが忍び込んでくるのかもしれません。

 

 

 

 

 

『11.25 自決の日』は薄暗い光に青ざめたようなシャツの背中が広がってそれが引き裂かれる鉤裂きの生地の谷間から決然とした少年の顔が浮かびます。やがて裂いたシャツを結わえて縊死する彼は浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢であり安保に揺れた1960年を当身で刺し違えたひとりの右翼少年から三島の最後の十年が語り起こされます。独立プロで大掛かりな人物を映画にすることの困難は随所に感じられますがそれよりももっと別なところからも作品の限界が顕になるように思うのは、例えばこんな場面。早稲田の右翼学生が三島邸に見参して瀟洒な洋間で初めて三島と対座するとさすがの暮らし向きにすっかり緊張してしまって学生の気持ちを解そうと三島が話し掛けるところに夫人がお茶を運んできます。<家内の瑤子だ>と紹介があってお茶の差し渡しにふたりが言葉を交わすささやかなやり取り、私たちが松竹のホームドラマでさんざん見てきたこのありふれた場面が実は技法であることが思い知らされます、つまり手順通り撮ったってそれがそれと見えないということです。のちに楯の会の青年たちが訓練帰りに三島邸でふんだんなもてなしをやはり夫人から受けるときも食べるという滴るエロティシズムを讃えつつ会話によってそれぞれの心情が夫人に柔らかな手触りで触れられていくという(これまた松竹お得意のブルジョワ家庭劇の)場面もまた高度な技法なのであって旺盛だろう食欲も、高貴な夫人を前にする青年の衒いも(それが食器と照明に照り輝いてこそ気持ちが画面に吐露されるんでしょうに)引き出せないままやたら声を張り上げた寒々とした食事会が映し出されます。(かつてなら映画会社の監督たちが自然に身に着けていたこういうありふれた場面の齟齬にいま日本映画に失われつつあるものの緒を見たような気もしますが... )。しかし本作にとって致命的なのは若松が(意外なことに)ホモソーシャルな男たちの繋がりを捉えられないことにあります。<ホモソーシャル>とは例えばマキノ雅弘監督『次郎長三国志』で旅先で身ぐるみ剥がされた次郎長一家が親分子分みんなして晒に褌、三度笠の尻っぺたで茶摘み畑の乙女たちの視線を恥ずかしがりつつ縫うようにわっしょい、わっしょいと肩を組んで退散するまさしくあれで同性愛を嫌うからこそ男と男、肌を密着させるぬくみに仲間の絆を伝えて男たちに色気の色艶を与えます。これがあるからこそ切った張ったという言わば異性との交わりを越えて命をじかに触れるような官能に全身が包まれるのであって(同性愛に強く反発しつつ触れそうで触れ得ない相手との距離が逆に激しい吸引力となって引き合い引けば引くほど反発力にそそり立っていく矛盾の陶酔感)... それを欠いているからこそ本作の三島由紀夫と彼の青年たちとの結びつきには禁忌の緊張感が抜けて(いくらサウナで横並びにご自慢の筋肉を見せびらかそうともそんな筋骨隆々を柔らかさの膨らみに誘う甘美がなければ<太陽と鉄>とはならないわけで)まったく以て棒立ちです。

 

 

 

楯の会の四名の青年たちと市ヶ谷駐屯地に総監を人質に立て篭もり千人を越す職員、隊員が翻る広場を見下ろして(まるでサイレント映画のような)演説に絶叫したあと道行きの森田必勝とともに割腹して果てる三島の事件は(昨年が大きく節目の50年ということもあっただけにひと際)ひとびとの解釈を掻き立てずにいません。ただ本作、そして三島の事件当日をつぶさに辿りつつ少年時代に遡る三島の半生とそれに突き刺さるように『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』の三作をそれぞれ一輪挿しのように花開かせていくなかなかに凝った趣向が野心的なポール・シュレーダー監督『Mishima : A Life In Four Chapters』(1985年)を見ながら私に浮かんでくるのはもっと素朴な割り切れなさです。三島の最後の演説が(これら映画よりもはるかに以前から)私たちの記憶に刻まれているのはその実物をニュース映像として見ているからでつまりはこの事件はキャメラの前で行われたということです。しかもフィルムに残されているのは何とも象徴的に隊員たちが口々に叫ぶあられもない罵詈雑言の大きさに文豪の血を吐く絶叫が遠く遠く蚊の鳴くばかりに追いやられた蹶起の空振りで分厚いばかりの戦後の日常が三島の前に横たわっているあまりにうららかな小春日和です。あまたの識者が申す通りこの失敗はまずはマイクを用いなかったことにあって聞こえないものは聞きようもなくまた聞こうとして聞き取れないほどひとを苛立たせるものもないでしょう。私が不思議なのはそのように自衛隊諸兄の奮起に一身を賭しながらどうして切腹をバルコニーでしなかったかで(勿論ひとつしかない自分の腹を切るわけですから神聖にして侵すべからざる場所で行いたいの人情ですが)、演説のあとそのままバルコニーで自決に入ればいっかな騒ぎ立てる諸兄であろうとも三島の覚悟の程を胸に突き立てたろうと思うわけです。それを彼らが意にそぐわないと見るや総監室に閉じ籠もって行ったとあっては事件の目的は死に場所にあったように見えてきます。その意味で若松孝二やポール・シュレーダーの映画よりもはるかに三島事件に肉迫してみせたのは彼の死よりも前に作られた大島渚の『東京戦争戦後秘話』(1970年)なのかもしれません。映画で遺書を残すという一時期大島渚が取り憑かれた想念を基にしたかの作品は佐藤首相訪米阻止を頂点とした一連の闘争を<東京戦争>と(日本赤軍がそう)名づけたまさしくその荒涼たる敗戦のいまに立って自殺した青年が残したフィルムを紐解きながら自殺までの時間を辿ります。作品に寄せる大島の一文が題名も「七○年代をどう死ぬか」であって(落命も辞さず戦うと赤軍以下各セクトの表明もありながら敗けてひとりの死者もないところは自衛隊の蹶起を使嗾しつつやはりひとりの被害者を出すこともなかった三島の事件と奇妙に響き合って)あれこれ言うよりもいまは三島の墓標に大島の言葉を捧げましょう、<... もちろん私も死ねなかった。私は七○年代をどう死ぬことができるか --- ということが、どう生きるか!という問いへの答えなのである。>

 

 

 

 

若松孝二 11.25 自決の日 井浦新

 

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若松孝二 11.25 自決の日 井浦新 満島真之介

 

 

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