前田米造の訃音に接して記憶が葦原の穂先を吹き渡るように徐に浮かんで来たのは一色に塗り込められた誰もの夜がそれぞれの色へと疼き始める朝まだきの暗がりです。何やら爬虫類が節穴を這いずるせせるような予感がさざ波立って水辺からわずかに顔を出した悪事が目を凝らして覗き込むうちだんだんとひとの顔になっていく... 仰天する三谷昇のどんがらがった顔の造作までが昨日のことのようですが、それははるかな映画館の闇に浮かぶ『マルサの女2』(伊丹十三監督 1988年)です。バブル景気の小躍りするような打出の小槌にどうということもない地方都市にまでしゃれた(というのかそれまで単館の小屋ばかりだったところにビルの一画にこじんまりと嵌め込めまれた)映画館が新たに生まれてそんな日曜日の朝一の上映に客は私がひとりあるきり、そんな時代の光さえ思い出します。改めてキャメラマンである前田のフィルモグラフィーを紐解くと伊丹十三監督作のほとんど(十作のうち田村正毅、山崎善弘がそれぞれ一作あるその他)を手掛け森田芳光、川島透など80年代を思い出させるあれやこれやが並んでいてまさに時代に翻りつつ勇躍していくさまが伝わってきます。ただ優に100本を越える撮影作品にあってその大半を占めるのは日活ロマンポルノであり(この辺り監督よりもさまざまな現場を渡っていく技術スタッフの方が個人史を越えた時代のうねりを強く感じさせて)一般映画が仕事の主要になる80年代になっても例えば『柔肌色くらべ』(1984年)のように小沼勝の懇請もあってポルノの現場で腕を揮うわけです(小沼勝『わが人生わが日活ロマンポルノ』国書刊行会 2012.5)

 

 

 

ただいっかな日活ロマンポルノとは言え1980年になると観客は急減して思い返せば遡る1977年がひとつの節目であったというのが関係者が口を揃えるところです(ワイズ出版編集部『日活1971-1988 撮影所が育んだ才能たち』ワイズ出版 2017.4)。もともと傾いた社の再建に目を光らせる労働組合からすればポルノ映画は残された収益の道とは言え自らの品位に関わる鬼子でありそういう感情は経営が窮地を脱した辺りから表面化します。労組トップから社の重役に転身した根本悌二は取締役会議でだしぬけに役員のひとりを馘首しますがその独断を見過ごしにできなかったのが同じく役員の黒澤満でその場で会社(というより根本)に辞職を突きつけます。それに遅れることひと月ふた月、製作現場にまで労働組合の横槍、陰口、蜚語が飛び交う現状に(何せ腕っこきの助監督で現場で才気を見せる長谷川和彦を監督にしようとするも彼が臨時雇いで社員でないことを理由に妨害して映画よりも代々木に忠誠を誓うありさまに)いささか窮屈を感じ始めたプロデューサーの伊地智啓も退社して... 気づけば日活アクション映画を作り続けてきた老舗の映画会社で海の物とも山の物ともつかぬポルノ映画を製作するという嵐の夜の船出に果敢な舵取りを見せたふたりを失った、それが1977年だというわけです。黒澤はそもそも梅田の日活直営館に携わってきたひとで会社の再建に製作を押しつけられ伊地智も元は助監督、60年代に入るや年々やせ細る映画市場に製作本数も絞られていくとだぶつくのが昇進の当てのない助監督たちで(助監督室に10年、12年とまるで皇軍の古参兵を見る思いで)彼らもまたポルノ製作を前にプロデューサーか監督か進むべき道を迫られます。伊地智の他にも岡田祐、伊藤亮爾がプロデューサーに転じて製作に現場を熟知したひとがあったことも日活ロマンポルノの船出を支えた要因でしょう。面白いのはこのときの日活の不思議な開放感で、スターは去り名のある監督も他社かテレビの仕事に移ったあとそれでも尚千人の従業員が会社に寄り集まって思えばそれまでのスターありきのさまざまなお仕着せや約束事、お達しが一遍になくなって見上げれば映画を作ることの青空が広がっている、製作費750万、70分以内、撮影は十日、使用フィルムは完成尺の倍以内、10分に1回は性交場面を入れること(小沼勝『わが人生わが日活ロマンポルノ』国書刊行会 2012.5)、しかるにあとは自由。

 

 

 

とは言え頭でポルノと割り切ってはいてもそれが一体どんなものか覚悟のほどを見極めるために先陣を切った西村昭五郎監督『団地妻 昼下がりの情事』のゼロ号試写に社員が詰めかけます。同席した映倫の委員がとても上映許可できないと目を覆う描写の数々はその後映倫を通すために随分と切ったと言いますが、その現行版を見てものっけからこれまで日本の一般映画で映し出されたことのない場面が畳み掛けられます。日活のスターたちだってそれはそれでベッドから裸の上半身を覗かせつつ気怠い朝を迎える場面はあっても、言ってみればその気怠い原因へと遡るわけでまあ盛大に奮闘しておりますよ。伊地智も述懐している通り第一作を西村に託したのは正解で一般映画とポルノの別に気負いもなく衒いもなくて必要なものを撮るという姿勢はあられもないものも容赦せずあの冒頭の15分、裸のくんずほぐれつどころか性玩具まで登場して試写室に詰めかけたひとびとを打ちのめします。次はこれを自分が撮るのかと誰もが胸に問って改めて映画を撮る、しかし乗り越えねばならない条件はまさにこれであることを正面から突き立てたそんな衝撃です。しかし何を恐れん、われに鎌倉男児ありでして、見渡せばそこに並み居る技術陣は撮影所で長年鍛え上げられた熟練の凄腕たちであって日活ロマンポルノはポルノにあって尚撮影所という文化に支えられた日本映画であったということです。キャメラマンだけでも姫田真佐久、萩原憲治、森勝、どころか山崎善弘に峰重義、高村倉太郎(『幕末太陽伝』を撮ったひとが『色情海女 乱れ壺』とは... )も名を連ねてそして前田米造もまたそのなかのひとりであるわけです。例えばこんなこと、『くノ一淫法 百花卍がらみ』(曽根中生監督 1974年)の撮影を担当するのは森勝ですが、家臣の妻を人身御供に差し出ささせては婦道を踏みにじって淫楽を尽くす殿でしてキャメラは城の奥間で三つ指をついて殿を待つ人妻を足許に見下ろします。ゆっくりと後退しながらキャメラは角度を上げていってうつ伏せる妻と平行になったまま尚下がって(仕切りの御簾を掻い潜って現れた殿と入れ替わりに)御簾の隙間をすり抜けて中に入ると(隙間が閉じて御簾越しに)殿が畏まった人妻をいたぶるさまを捉えるというさりげないがおざなりにはしないカットにキャメラマンの気概を見せつけられます。

 

 

 

前田にしてもそうでして『昼下りの情事 古都曼陀羅』(小沼勝監督 1973年)では持ち込まれたお見合いの相手は日本画家の養女ながら(愛憎の絡み合ったその内情を知らないまま)風間杜夫はすっかりのぼせてしまうとふたりきりで待ち合わせる彼の目に現れる山科ゆりを全身、バストショット、アップとカットで切って彼女の微笑みを(風間の心にそして画面へと)溢れさせます。『暴行儀式』(根岸吉太郎監督 1980年)ではかつて田舎町を高らかに踏み鳴らした暴走族もいまではそれぞれ生活の収まるところに収まるなかヘッドだった男はどうしたことか東京で右翼団体に加わってあろうことか会頭の娘と駆け落ちして舞い戻ってきます。しかし面倒を嫌がる仲間からは手で払われてふたりで落ちぶれる入江のほとりで面目丸つぶれで行き場のない男が(な、何と石田純一でして)粋がって気位の高い娘を掻き抱くとキャメラはふたりにぐぐっと寄っていきますが、このとき寄りながらズームレンズを広角へずらしていってふたりの大きさは変わらないのにどんどん背景の奥行きだけが後退していく... そうです、大林宣彦が『時をかける少女』で使ったあれ、そもそもはスピルバーグ映画の発案のようですが前田のひと工夫は寄っていきながらほんの少し仰角をつけることで開けた奥行きにふたりが浮かび上がるようにしています。前田米造の画面を見ていて戸外では望遠か標準レンズで等身大に立つ或いは屹立させた風景に主人公たちを貼りつけて逃れようもない彼らのいまを際立たせます。先述の山科ゆりを連れた風間杜夫が高ぶる気持ちのまま彼女との恋愛にのめり込む自分を予感しつつ古都を散策して歩くのを埋もれるような風景に捉え、それは『女教師』(田中登監督 1977年)でどんよりした黄昏のなかをやがて起こる事件が影もなくざわついて学校の校庭も教室も息苦しいばかりにヒロインに迫ってきます。風景に貼りつけられるというのはそれを引き剥がすこともそれに辿り着くこともできない如何にも70年代的な心象のありさまであるわけです。一方室内になると同じ密着感が不思議なぬくみで主人公たちを包み込んでひとと出来事がひとつの鼓動のうちに脈打っています。『暴行儀式』で高校生たちが根城にしている閉館した映画館の暗がりにはそれ自体に体温が広がって少年たちが自分たちの理屈に足から雁字搦めになってやがてだいそれた事件から逃げ込んできてもその場所は現実から遠いどこかのように彼らを包みます、勿論ずっと守ってくれるほど甘ったれた夢ではなくて引き裂かれてしまえば霧のように消えるあえかなそのときでしかありませんが。それは『おんなの細道 濡れた海峡』(武田一成監督 1980年)で(どっちかと言えば武闘派の印象のある)三上寛が原作者の田中小実昌のままに打たれ強い愛らしさに旅するバスだのかじかんだ食堂の夜だのストリップ小屋の事務所だのやはり人肌の温かみが流れゆくひとの心に寄り添います。思い返せば切りがありませんが、とまれいまは瞑目。

 

 

 

 

 

 

こちらをポチっとよろしくお願いいたします♪

  

 

田中登 女教師 古尾谷雅人

 

 

関連記事

右矢印 落花に唇を寄せて : だけど、アレを持ってる、山谷初男

右矢印 映画と映るもの : なにとあれ

右矢印 映画ひとつ、田中 登監督『牝猫たちの夜』

 

 

小沼勝 昼下りの情事古都曼陀羅 風間杜夫 山科ゆり

 

小沼勝 昼下りの情事古都曼陀羅 風間杜夫 山科ゆり

 

小沼勝 昼下りの情事古都曼陀羅 山科ゆり

 

 

2年前の今日の記事

右矢印 映画ひとつ、中村 登監督『いろはにほへと』

 

 

根岸吉太郎 暴行儀式

 

根岸吉太郎 暴行儀式 石田純一

 

根岸吉太郎 暴行儀式

 

根岸吉太郎 暴行儀式

 

 

前記事 >>>

「 映画ひとつ、大島渚監督『マックス、モン・アムール』 」

 

 


■ フォローよろしくお願いします ■

『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ