青山京子 Kyoko Aoyama

 

私が青山京子の名前を初めて記したのはおそらく谷口千吉監督『不良少年』(東宝 1956年)でしょう(、これもまたおいそれとは見返せない映画なのが残念ですが)。戦災孤児を引き取る笠智衆が一生を注いだ園の出身者にあっていまでは園の教員となっているのが菅原謙二です。(この時期まだ大映専属の二枚目であった菅原をわざわざ招くというのも気になるところでのちに東映の任侠映画に出る頃になっても(キャリアに見合わない)履いた高下駄にぐらつくような芝居をしていて言えばそれが(いつまでも熱血という直情に生きる)菅原謙二という役者の魅力です。そして映画が進むとだんだんに見えてくるのが...)孤児というのは年端もいかない頃から世間のがさついた両の手に揉みくちゃにされて生きてきたわけですから園にあっても手っ取り早く生き抜くその一線に身構えていてそれがまさに題名であり同時に笠が自分の手で解きほぐしたいと思っている少年たちの心です。しかし年齢が近い彼らと菅原はなまじ菅原の熱血がまっすぐなだけにお互いに刺し貫くようなぶつかり合いにさすがの菅原も打ちのめされます。挙句に中華料理の店など持ってうまく立ち直ったと思っていた卒園者が妻にもぐりの売春をさせてい(てしかも悪びれもせず旺盛に頑張ってい)るのを目の当たりしては園というものの虚しさにずぶずぶと足を踏み入れます。その菅原に青山京子は思慕を寄せていますが彼女とて同じ日蔭の商売にわが身をひさいでいて...  ただ菅原の哀れな姿を見るに見かねて日頃の恋しさで包み込むわけです。しかるに目覚めた菅原は生徒と関係を持った罪悪感に居たたまれず(それからひとり逃れようと)青山の手に金を握らせます、このときの青山の青ざめたような嘲り。

1956年と言えば鶴田浩二にはまさにこの世の春の花盛り、そんな人気絶頂を表すように青柳信雄監督『与太者と若旦那』(東宝 1956年)では(題名の通りの)ひとりふた役です。主人公をふたりのヒロインが取り合うのでも随分贅沢な話ですがそんな男振りのふたりをひとりで演じて出てくる女優出てくる女優、環三千世に嵯峨美智子、白川由美に青山京子を取っ替え引っ替えわが手に抱いていやはや呑気なものです。ハピーエンドの大団円に(いっかなふた役でも)算盤に合わない環は三木のり平にくれてやり、芸者の嵯峨は愛想尽かしで元の旦那の許に帰ってこの大尽役にワンカットだけ藤原釜足がカメオです。元々青山は与太者の方の鶴田の恋人ですがお察しの通り若旦那の方の鶴田がひと違いで連れて来られて青山もうっかり気づかぬ瓜ふたつぶり。銀座では稲妻のように名前が轟く愚連隊の恋人でナイトクラブに勤めてもいますが鶴田とは身持ちの堅い関係を保っていてお芋を包丁で剥いたときのような、さっぱりとした顔立ちには生活のなかを溢れるひたむきさと健気さが輝いています。物語は途中から<王様と乞食>の捻りを入れて与太者と若旦那が入れ替わると秘書にあって男勝りに会社を切り盛りする白川由美を(大阪のアホぼんと見くびっていたら)とんだ男気でやり込めて彼女の心を鷲掴みにしてしまい、若旦那の方も日がな青山と膝突き合わすうちに波乱もない穏やかな彼のひと柄に本来自分が求めていた暮らしを見つめさせてそれぞれが意中の相手と結ばれるわけです。

少女の面差しだった頃から年齢が上がるとともに色年増の艶やかな腰つきとそれをトトンッと蹴り上げる小気味よさに華を見せて沢島忠監督『若さま侍捕物帳 黒い椿』(東映 1961年)では色気と伝法肌で客を捌く居酒屋込みの旅籠の女将です。火山の伊豆大島にあって男たちをすっかり虜にしながら島の顔役ふたりに言い寄られてふたりをふたりして肌には触れさせないまま襟っ首は掴んで離さずそのためにますます双方入れあげて連日の盛況ぶり。しかし元は大坂の女がこんなところで商売をするのには勿論明かさぬ事情があってこそで暴かれてみれば悪党には違いありません。番頭に扮してその実青山とは夫婦物だった田中春男とふたりして男たちを手玉に取ってたんまり金を巻き上げる(笑いが止まらないはずの)目論見がいつしか現実の方に追い越されていきます。まだまだ水面下のこととは言え自分たちを締め上げ始めた計画の螺子を巻き戻そうと連続殺人へと手を染めていきますが悪事に血を血で洗って尚田中にもそして青山にも気怠い哀しみが裾を引いていくようで悪にあって忘れられない面差しです。

最後に青山の一本を挙げて鬼籍に入る彼女にせめてもの添え書きとしたいと思います。加藤泰監督『大江戸の侠児』(東映 1960年)で大川橋蔵は凄腕ですがどこか子供っぽいところのある盗人です。うっかりと忍び込んだ大名屋敷の奥座敷に(かつての寵愛を夜ごとに寂しく繰るばかりの)中臈に見咎められると彼女の神々しいばかりの(まあ当たり前ですよ、香川京子ですもの)、美しさにしなしなとその場にへたり込む始末。それからは寝ても覚めてもその中臈の姿が頭から離れませんが思えば故郷に捨て置いていた恋仲の娘が中臈さまに瓜ふたつ(、そりゃあ当たり前ですよ、同じ香川京子ですもの、それにしても豪儀なものを田舎におっぽっておいたものです)。そうなるといままでの不義理はどこへやら、矢も盾もたまらず田舎に迎えに行きますが橋蔵にはひとり、彼にぞっこんな小唄の師匠があってそれが青山京子です。彼女がついてくるわけです、いままで歯牙にも掛けてなかった田舎の娘が恋敵どころか自分を足蹴に奈落に突き落とさんばかりの橋蔵の入れ上げよう、心配で居ても立ってもいられません。やがて江戸に連れ帰る道々にも田舎の垢がまだ抜けませんが磨けば(そりゃあ、香川京子ですもの)あの中臈さまとは行かないまでも十分橋蔵の念願に見合う美貌です。すっかり夫婦気取りを見せつけられて煙管を吸い付けてもこめかみから煙が出てきそうな青山の悋気です。それでついつい娘にあることないことぶちまけてしまいそれを真に受けた呆然の足取りで宿場のひと込みに揉みくちゃにされるとそのまま娘は行き方知れず。それからは悲しみの向けどころもなくただただ御政道に牙を剥いてその裏を掻いては悪事にひた走る橋蔵はひょんなことで青山の消息を耳にします。いまさら後悔が届くものでもないけれど自分の焼き餅から娘が行方を断ってあの日からこれまでの歳月を(江戸には帰らず)街道を探し歩いていまでは宿場の飯盛女に身を落としてもまだ探しているというのです。単に色恋に一途なだけではない生きることの一本気がやがて娘の居場所も射抜くでしょうが、ここは向かい風にも眉を一文字に翻ってそんな女の愛嬌を胸に刻みたいと思います。

 

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