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  監督 : 三宅 唱
  製作 : 日本

  作年 : 2012年

  出演 : 村上 淳 / 渋川清彦 / 河井青葉 / 渡辺真起子 / 菅田 俊

 

 

三宅唱 playback 渋川清彦 村上淳 三浦誠己


段々に軒並み立つ宅地造形の坂道をスケートボードの少年が下っていきます。造成中というより端的に開発が途中で頓挫した辺りは整地し区分けしたまま置き捨てられて鬱蒼と周囲が立ち込めるなかをアスファルトも雑草に罅割れています。道路に影を差して疾走していく先には陥没したのか道路の鋭い段差があって気負ってジャンプを決めると改めてボードを蹴っていくところで叢に倒れたひとを見つけてあたふたと引き返していきます。これが映画の始まりです、同時にこれが映画の辿り着く場所でありそして乗り越えるべき場所です。主人公はここに至るとふたたび始まりに振り戻され幾分変奏された同じ物語を辿り直すことでみたびここへと至ってそれが即ち題名となるわけです。見ていて思うのは吉田喜重を、とりわけ60年代後半の吉田喜重をぐっと引き寄せてくる語りでしてご存知のように吉田がその果敢な試みを(冷たく思索的な静謐さに時代の<不能>を探っていきながら)やがて『エロス+虐殺』(1970年)や『煉獄エロイカ』(1970年)のような難解さへと粉砕させていくのを思うと本作にあるのはもっと日を照り返すような疾走感とそのスピードへとぼとぼと助走を始める中年男の鬱屈(と純真さ)です。主人公は四十になんなんとする俳優ですが知れ渡ったそれなりの人気とは裏腹にひとりの俳優の内側にあるのは現実のなかにひとつひとつ自分の居場所を失っていくそんな虫食いの、取り残された自分です。途方もなくいまが大きくそして希薄でとりとめがないために何が始まりで何がどうなっていまここにこうして自分がいることが解きほぐせなくなる年齢です。思い出が生き生きとした手応えをなくして思い出せるものは何か自分を問い詰めるように小さく固く離れることがなくて... 確かに生きることがそれだけでひりひりと心をた走っていた頃というのは誰しもあるでしょう。ひとが漠然と<あの頃>と呼んでしまうそんな時期のことですがこの映画が素晴らしいのはそんな<あの頃>に戻りつつ戻ったからこそ押し出される(だって<あの頃>とは即ちいまへ続くその始まりなんですから)そんな決然としたユーモアであって... 。それにしても気になるのは三宅唱における三人という数の大切さです。前作である『やくたたず』(2010年)でも主人公は三人の高校生ですし近作の『きみの鳥はうたえる』(2018年)もふたりの男とひとりの女がぐっと引き寄せられていく間柄にあって三人がふたりとひとり、また別のふたりとひとりという具合に解れていきながらそのときのふたりとひとりが別々にしかし同時にいまを生きていること(の運命)を確かな手応えで描き得るのが映画ということでして本作でもつるむ三人の高校生が映画監督との大切な顔通しの最中に突発的にふたりとひとりに解れてしまい(ふたりはその現場を立ち去って)残ったのが主人公でありそれがいまも彼が俳優を続けるその始まりになるわけです。さて四十男ともなると仕事や家庭どころか体もガタが目に見えて無理強いで受けた精密検査のいやな結果を丸めたとき主人公は徐ろに肩を叩かれます、結婚式の出席も忘れていたぐらいですから礼服で突然目の前に立った高校の友達に面喰らいます。ああ、ああ、そうか、そうか、彼の車に乗って向かうわけです、郷里の、高校の、友達の、結婚式へ、やがてあの場所へ辿り着くために。

 

三宅唱 playback 村上淳

 

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