蟻の街のマリア
  監督 : 五所平之助

  製作 : 歌舞伎座
  作年 : 1958年
  出演 : 千乃赫子 / 南原伸二 / 佐野周二 / 三井弘次 / 丸山明宏 / 岩崎加根子

 

 

五所平之助 蟻の街のマリア 千乃赫子


はっきりとモデルのある物語です。ヒロインの名前をそれとなく似させたものにするの(はよくあることで例えば大杉栄や伊藤野枝をそのまま引いた吉田喜重監督『エロス+虐殺』は大杉を刺す愛人の<神近市子>を<正岡逸子>としますが大杉、伊藤はご承知の通り大正末には落命しながらぶすりとやった方は戦後も活発に社会党代議士として驀進中、名前を捻ったぐらいでは女傑の逆鱗は避けがたく上映中止の訴訟を起こされ...  いやいやそう)ではなく本作では本名をそのままヒロインに充てています。この辺りにも何か並々ならぬものを感じさせますがモデルの女性が若くして天に召されるのが1958年の初頭、一連の顛末を書き綴った原作が出版されるのが同年、そして同じ年の暮れには本作の公開ですから如何に血の通った出来事であったかということです。戦前そして戦後に都市のしわ寄せで川べりの薄い土地に(びっしりとたかるように)ひとびとが吹き溜まってありふれたスラムが生まれます。そんななかでここが<蟻の街>と呼ばれるのは周辺の浮浪者、ルンペンの行き倒れたような部落と違って屑拾いを生業に都から鑑札も取ってそれぞれがここを生活の共同体に団結しその永続を目指しているためです。会長を頭に知恵者の実務家を参謀に置いて各人の売上の2割を天引きして積み立てながら博打に酒に消えてしまいがちな悪弊から彼らの将来を守り共同体の厚生にも役立てる工夫が為されています。とは言え蓋を開ければ都の土地の不法占拠なわけですから何かれと役人に立ち退きの口実を見つけられないようにそして一度は地を這う境遇に追われたからこそここに暮らしを立て人生を組み上げようと懸命の一歩一歩なのです。ときにマスコミに話題を提供して彼らの喧伝力で都庁を牽制するなどなかなかに戦略家でもあり<蟻の街>というのもマスコミに名づけられた言わば外向けの顔でしてときにそれになりきって取り囲む役人の介入を更にその外を取り囲む大衆へと訴えるための武器にもするわけです。まあ普通に生活を営むものからすればなかなか浮浪者とバタ屋の区別はつかずそれだけに偏見のなかで力づくに紙を捻るように両者の軋みも絶えません。目下の頭痛の種は大人たちが皆々日がな働き詰めで面倒を見る者がないまま子供たちが野放しに教育の掌からこぼれ落ちかかっていることで(親にしても体よく小さい労働力を充てにするところがあって)しかも児童福祉は役人の最も口実のつけやすいところとあっては... さてそんな夕暮れにひとりのお嬢さんが立っています。何とも場所に不釣り合いな育ちのよい微笑みで突き放す部落の面々の視線にもたじろがず場所に溶け込もうと立ち続けます。自分が何不自由なく暮らす生活の背中合わせに苦難を背負うひとたちの現実があることに打ちのめされ彼らに寄り添う一心でここに来たのです。やがて<蟻の街のマリア>とマスコミがこぞって書き立てることになる貧窮の只中に舞い降りた聖女ですがそんな面白おかしい言葉の向こうでか細い体を力の限りに奮闘させて子供たちのやがて大人たちの心をも引っ攫ってこの街に未来を呼び込んでいきます。  

 

 

 

 

五所平之助 蟻の街のマリア 千乃赫子

 

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五所平之助 蟻の街のマリア 

 

五所平之助 蟻の街のマリア 千乃赫子 佐野周二

 

 

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五所平之助 蟻の街のマリア 千乃赫子

 

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