シルビアのいる街で
  監督 : ホセ・ルイス・ゲリン
  製作 : スペイン・フランス

  作年 : 2007年
  出演 : グザヴィエ・ラフィット / ピラール・ロペス・デ・アジャラ

 

 

ホセ・ルイス・ゲリン シルビアのいる街で グザヴィエ・ラフィット

 

吹き流す櫨色の髪に青みのある瞳、石膏から華奢に切り出したような白皙の美青年です。若さが絡み合うように一夜を通り過ぎた女性を6年経ったいまも胸に抱いて思い出の街をふたたび訪れたというんですから(まだお目見えとはいきませんが)シルビアという彼女もさぞや美しいことでしょう。(としらばっくれたところで出回っている映画のチラシには主人公よりも大きくピラール・ロペス・デ・アジャラの(主人公に劣らぬ)繊細な美貌が輝いて)そんな美男と美女の恋物語に心ときめく、どころか幾分げんなりしてくるのもフィリップ・ガレルが飽きもせず作るこんな美男美女の映画が頭を過るからで五月革命に揺れるパリを舞台に(自分を引き写した)主人公が政治に芸術(その将来がまるで自分に伸し掛かっているかのよう)に苦悩しながら(結局)恋人とちまちました恋愛に明け暮れるという...  そんなガレルにとって一番大切なのは(もしかしたら革命かもしれませんが)自分(役)がひとも羨む美男であり恋人もとびきりの美女であることとは私の睨むところでしていつだったかまたぞろそんな映画をカンヌで掛けてさすがに失笑が漏れたとか。いやはやそんな予感は口あけから吹き飛ばされます。真っ暗なホテルの壁をカーテンの模様を透かした車の灯りが青ざめるように廻っていく、そのしたたかな間合いに魅了されます。つづいてシルビア探しに街に繰り出すと主人公はカフェに陣取って居合わす女性を品定めしていきます。(このことからしてもどうも彼のシルビアの記憶は曖昧らしく)さっそくこれぞという美女のひとりに声を掛けますが睫毛一本動かさずにシカトされ挙句に注文したカフェオレを(探索のために広げていた地図の上に置かれ地図を引き抜こうとした弾みに)ざんぶり引っ繰り返してしまって優男の感傷旅行なんてフランスの街の強靭さに撥ね返されますよ。とにかく曖昧なシルビアを探す話ですから街行く女性から女性へと視線がなぞっていってキャメラは主人公と同一化しながら何やらうずうずと活気づいていきます。例えばシルビアと思しき女性を尾行して(そうです、チラシのあの彼女にぴたりと張りついて)路地を行くピラール・ロペス・デ・アジャラをキャメラはずっと追っていきながらあるところで停止すると遠ざかっていく彼女を今度はフレームインした主人公が追っていって...  少し紐解くと最初彼女を追うキャメラは明らかに主人公の視線ですが停止した瞬間に主人公から分離し同時に主人公もキャメラから(まさに体ごと)離脱するからこそフレームインできるわけでこんなありふれたショットのなかに潜む躍動が路地に躍り出ます。3日間の物語ですが最初の二日街を行く女性行く女性が美貌に溢れ返って(まるで彼の6年ぶりの来訪を言祝ぐように)フランス女性の、これがありふれた美しさかと圧倒されますがそれがそうではなく漠然とシルビアを思い浮かべるこの美男が言わばフィッリプ・ガレル的自惚れ(と自分に見合った女性の選別)を行っていて美貌の女性以外を切り捨てていたに過ぎずそのことを3日目のキャメラは主人公に突きつけるでしょう。美しきはキャメラとそれに映るすべての女性たち、そうシルビアです。

 

 

 

 

ホセ・ルイス・ゲリン シルビアのいる街で グザヴィエ・ラフィット

 

こちらをポチっとよろしくお願いいたします♪

 

ホセ・ルイス・ゲリン シルビアのいる街で

 

ホセ・ルイス・ゲリン シルビアのいる街で ピラール・ロペス・デ・アジャラ

 

 

関連記事

右矢印 映画ひとつ、オタール・イオセリアーニ監督『皆さま、ごきげんよう』

右矢印 映画ひとつ、エリック・ロメール監督『獅子座』

 

 

ホセ・ルイス・ゲリン シルビアのいる街で グザヴィエ・ラフィット

 

 

前記事 >>>

「 映画(20と)ひとつ、瀬々敬久監督『最低。』 」

 

 

ホセ・ルイス・ゲリン シルビアのいる街で ピラール・ロペス・デ・アジャラ グザヴィエ・ラフィット

 

 

 

 


■ フォローよろしくお願いします ■

『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ