第140回公演『サカシマ』 春といえば | こじにずむ日記

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千葉大学演劇部 劇団個人主義のブログです
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こんにちは、あるいはこんばんは。祝音あやです。某スパイアニメみたいな始まり方にしたのはやってみたかっただけ。 

さて、何を書こうか迷ったのですが、というか、今も迷っているのですが、暖かくなってきたし、春についての話でもしようと思います。これを書いてる今は雨にずぶ濡れて寒さに震えてますが。 

春といえばみなさん何を思い浮かべるでしょうか。桜、新学期、入学とかですかね。変化を思い浮かべる人もいるでしょう。私は桜と花粉と誕生日です。最近はもう一つ加わりそうですが。そう、つい先日ちょうど20歳の誕生日でした。私の誕生日は千葉大の入学式と同じ日です。毎年新学期を迎える頃には一つ歳を重ねていることになります。20歳。ついに一番好きな作品の最推しと同い年になってしまうと思ったら、作中では一年過ぎていたのでまだ年下でした。セーフ。さて、20歳といえば、人生でいうとだいぶ最初の方の節目、成人になる(今は18歳ですが)ということで、もう大人みたいなイメージがありましたが、なってみても何も変わりませんでした。変わったことといったら酒が飲めるようになったことくらい。思えば、小学生の時も中学生の時も高校生の時も、入学とかの節目を迎えたら何か変わるとぼんやり思ってました。だから、春といえば前は変化とか新学期を思い浮かべていました。それは、私の誕生日が先にお話した通り、新学期と同時期ということで、節目というイメージがかなり自分の中でも強いからでしょう。でも今まで様々な節目を迎えつつも、これまた変わった実感はありませんでした。中学生になれば、中学生ってもっと大人っぽかった気がすると思うし、高校生になっても同じで、大学生になってもそうです。私は大人っぽくなりたかったのでしょうか。いやたぶんそうではなく、節目を迎えた自分は、今の自分より、自分の嫌なところも悪いところも成長していると期待していたのでしょう。まあ、環境が変わっても、誕生日を迎えてもいきなり何かになれるわけではないということです。外面だけ見ると変わってはいると思うのですが、それは周りに適応しようとした結果でしょう。むしろ周りによって変わってしまう自分が嫌でもありました。我が儘ですね。私の内面は未だにガキンチョのままというわけです。シャボン玉を見たら叩いて潰したくなるし、落ち葉があればダイブしたくなるし、雪が降ったら雪だるまをつくりたくなるし、歩道を歩く時は縁石の上を歩きたいです。まあ子供というだけではなく、めんどくさいオタクでもありますが。そういうわけで、変わりたい自分vs変わりたくない自分の結果、外面と内面の乖離がだいぶ激しい人間が出来上がりました。できれば、外面と内面が完璧に一致するような人間になりたいものです。今更無理ですが。 

さて、先ほど自分が変わることを新学期や誕生日のたびに期待していたとずっと過去形で話してましたが、今は別に変わらなくてもいい、むしろ変わりたくないと思っています。大人に近づいてきてしまったというのが一番大きいです。だって20代。10年間も10代と付き合ってきたのに、誕生日が来ただけで20代になってしまいました。20歳の誕生日は、今までよりも盛大に祝ってもらえて、楽しい日ではありますが、たった1日で酒が飲めるようになって大人として扱われる恐ろしい日でもあります。大人にならずに永遠に人生の夏休みを過ごしていたい。そういえば、0歳から9歳までは何代と呼ぶのでしょうか。いやそんなことはどうでもいい。話が逸れたので戻しますが、今の自分に割と満足しているのもあります。高校の時にいい友達と出会えたりとか、色んな物事に触れるようになったのが大きいです。自分自身の内面を少しずつでも外面に反映できるようになって、外面も内面も自分の一部として扱えるようになりました。それでも見せたくない部分は、「人は皆、誰にも見せぬ顔を持っている」ということでまだ隠したままですが。このような内面の変化というより、捉え方の変化がこの劇団個人主義にはいる理由になったことでもあります。もともと自分の内面が嫌で変わりたくて、でも変えたくもなくて、外だけ取り繕っていたから、人前に立つことも自己表現をすることも、内面を吐き出すみたいで苦手だったのですが、自分自身を出せるようになったことで、それがあまり怖くなくなりました。そして、もともと興味はあった演劇部で、役者もやってみたいと思ったことが入部したきっかけです。我ながらいい選択をしました。ちなみに、前のブログでも話した気がしますが、私には双子がいて、高校は離れたのですが大学では一緒になったため、同じ部活に入りたかったのもあります。そういうわけで、劇団個人主義に入部しました。去年の春のことです。私にとっては大きな環境の変化でした。今まで体育会系でもあったので。個人主義では今までに体験したことがないことをたくさん経験できて毎度の公演でわくわくしています。私自身も高校生になたばかりの自分のように変わろうとすることなく、また、自分が好きで見ていたり、二次創作とか、していたことが色々いいものをつくるのに少しは役立っていることが嬉しくもあります。楽しいので、どうか新入生の方々は入部お願いします。 

閑話休題。そんなわけで、私は変われなかったというより、自己肯定感が上がったりとか周りに対する警戒心が薄くなったのがあって変わろうとしなくなりました。自分自身は変わらなくても考え方を変えるだけで満足しました。そして、環境によって変わってしまった自分ですが、変わりたくないと思いつつもそれも許容できる自分にもなりました。なぜかというと、最近某アイドル事務所の問題を真偽が定かでないにも関わらず、週刊誌やワイドショー、SNSが騒ぎ立てまくった結果、私の好きなグループが名前を変えなければならなくなり、もともと周りによって変わること、もしくは変化させられることが嫌いな私はそれはもう怒り狂い、毎日双子と愚痴って怨嗟の声を上げ続けていたのですが、いざ名前が変わると、若干のダサさに笑ってしまい、推したちが笑っているのを見て、最後には笑えていればいいのかなという気持ちに落ち着いたからです。ものすごく最近の話です。考え方が変わってから三ヶ月くらいしか経ってないかも。だから、大人に否が応でもそのうち変わっていく自分も受け入れることはできる気がします。そういうわけで、春といえばと聞かれたら、桜と花粉と誕生日になりました。春の話はここで一旦終わり。ほとんど春の話してないけど。 

今回の公演についても触れておきます。今回の劇「サカシマ」では、去年入部してからやった三つの役の中で、一番セリフ量が多くて、複雑な役をやります。正直経験が少なすぎて、出来るか不安ですが、やり切りたいと思っています。やるしかねえ。灯里は誕生日の日に死んでしまいました。誕生日は彼女にとっても節目の日だったみたいですね。なんとなく勢いで書いていた文章が繋がりそうで盛り上がってきました。前回がおじいちゃんという年齢も性別も真逆な人物であったのに対して、今回の役、灯里は、性格が真逆です。ですが、灯里の持っている葛藤は変化に対する自分の考え方と共通するものでもあります。灯里に関する情報量が少ない中、それを頼りになんとか灯里を理解しようといまだに考えています。もっと単細胞で考えてもいいのにと思わなくもないですが、それが彼女なので仕方がない。さて、サカシマはものすごく衝撃を受ける作品だと思います。初めて読んだ時は最初から最後までちゃんと集中して読んでしまいました。その時は、好みの鬱展開すぎると浅い感想ではしゃいでいましたが、稽古を重ねるごとに深みをまして、色んな衝撃波を受け続けています。性癖も歪みました。こんな作品一年に一回会えればいいのに、ごく最近見た舞台で別の角度からですが、同じ衝撃を受けました。その舞台でも、性癖が歪みました。私は衝撃を受けると性癖が歪んでいくのでしょうか。短い期間でこのような衝撃を2回も受けることができて、一方では関わることもできるなんて幸せです。これで役者がやれてよかったと本気で思います。今からサカシマロス始まっているので、二次創作でも描こうと思います。ていうか双子に描いてもらおうと思います。「サカシマ」の季節は夏ですが、今は、春。春公演です。これからの私は、春といえば桜と花粉と誕生日、それから、サカシマを思い浮かべることになるでしょう。上手くまとまったぜどやあ。 

まとまってないけどまとまった風な文章に長々とお付き合いいただきありがとうございました。最初は書くこと思い付かなすぎて、リゼロの布教文でも書こうとしたら他の人が真面目だったから慌てて変えたのはここだけの話。何も書くことを決めてないで締切になるとこうなるんだぜ。レポート書くときも気を付けような。



春に花粉は思い浮かべたくないものだ。

 

 

以下、公演情報です。

劇団個人主義第140回公演
『サカシマ』
会場:千葉市南部青少年センター
日時:4月14日(日)
開場 11:30
開演 12:00

▼来場予約フォームはこちら

(期限:4/13 23:59)

 

 

※会場の席数の関係上、予定より早く締め切る場合がございます。観劇をご希望の方はお早めにお申し込みください。

※一部出演者が変更となっております。詳しくは公式X、Instagramの投稿をご覧ください。

 

配信予約に関しては、また用意が整い次第公式X、Instagram、HPにてご案内いたします。