第139回公演『評決』葡萄の抵抗、あるいは世界の出汁特集 | こじにずむ日記

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千葉大学演劇部 劇団個人主義のブログです
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人手不足が嘆かれている世の中に生きる皆様、いかがお過ごしですか?いや煽ってないよ、投げかけてるだけよ。こんな世の中ですから効率とか要領の良さは、至る所で求められますよねえ。フォンドヴォーくらいとろとろしてる私にはちときつい話です。 

 

ブロードでも白湯でもない、フォンドヴォーをご存知か? 

仔牛を煮込んだ出汁です。コク深くて美味しい。ビーフシチューなどフランス料理に使われます、そのフランス料理は足し算だ、とよく言われますよね。 

それだけです。言いたいだけでした。ありがとうございました。 

以下、公演情報挿入です。 

 

劇団個人主義第139回公演 

『評決』 

会場:千葉市南部青少年センター 

日時:12月3日(日) 

   開場 10:30 

   開演 11:00 

 

※本公演は当日観劇のみとなります。ご来場には予約が必要です。 

▼来場予約フォームはこちら

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSe1NkNGQMR6n7f98wZutofmfrOFlKBN0k6aYo6quDw-G_FL9Q/viewform 

※会場の席数の関係上、予定より早く締め切る場合がございます。観劇をご希望の方はお早めにお申し込みください。 

 

ホームページ 

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 もっと感動的な台詞は無いのかと、なんか、こう、あるだろうと言われそうですね?でも最初からどーんと重苦しく入ると引かれちゃいますから、最初に足し算の話題を出してバランスを取っているわけです。(書き物における冒頭は、読者を書物の世界へと導引する役割があるので親しみやすい話題から入るのが基本です。ぜひ教養をつけてから批判を。) 

 じゃあ引きを出してバランスを取らなくては。私のネタの引き出しにも限界が来ていますからね。始めます。 

 

現代に潜む効率重視の傾向は、非効率を周辺に押しやります。すると非効率な物事は忘れられていきます。でも人間の心は効率など関係ないし、問題に対する最善の選択肢は思考しないと生まれない。しっかりと時間を取って向き合わなければ何一つ見えてこないんです。 

ところが、現代人はこのプロセスをまるっきり無視している。効率重視の傾向によって人が人の心をコントロール(1)できるものとして想定する事件が発生している。だから、つい独りよがりな考え方をするし、一時の情動に任せて人の呼吸を無視した杜撰な発言をする。果ては、そんな低レベルな発言でも深い思考がいらず耳ざわりのいい言葉ですから考えもせず受け取る人(2)がいる。乱立するポピュリズムは、人間が死屍累累のもと築いてきた民主主義の破滅的結末を予兆させます。これでは陪審制なんて成り立つはずもない。 

それでもまだ私には現代人を信じたいという気持ちがあります。私の生きる世界で同じく生きる人間を信じない限り、私も否定され続けるような気がするからです。今を生きる人間は、人々に追い風をもたらす存在としての世界を築いて欲しい。目の前の単純な利害や感情関係なく確かな論理に基づいて議論をしてほしい。思考を止めないでほしい(3)。だから人間が人間を、責任感をもとに論理を用いて正しい過程を経て裁くことはできるのだと示さなければいけない。燦々たる主義が惨ざんたる終りへ?そんな結末などくそくらえだ。 

そんな気持ちで稽古に臨みました。 

しかし演劇はフィクションですから、役者がただ台本を読んだだけではレールが敷かれた状態で淡々と話が進むだけとなり、観客は別の世界の物事を覗いている感覚で何処か冷静に舞台の上を見つめてしまうでしょう。非現実の文脈にある非現実は何の感動も産みません。だから私は役者の方に考察点を提示しました。ここで喋ったのは・喋らなかったのは・口を噤んだのには絶対に理由があるからそれを考えてください、とこんな風に。そして役者がより世界観に没入できるように舞台装置を様々に工夫することも心掛けました。大小に関わらずそのものがあることによって、役者の臨場感が増し劇の空気を作る一助となる(4)ので、より役について考える隙間が増えていくんですね。 

役のことを追求していくと、ただ状態を演じるのではなく、人物の動機や目的に考えを巡らせることになる。そして役者がそれを達成するために生きることで虚構と現実の境界が曖昧になる。ここに誰かの空想に過ぎない創作物(5)が実感に変貌を遂げる現象が起きます。私はこの瞬間が好きです。 

境界線が無くなった舞台は恐ろしいところです。演者の精神状態が容易に観客に伝わります。また、観客のマインドも全て演者に届くのです。双方の精神が合わさって、もう虚構かどうかなんて気にならなくなった時、我々は脚本に呑み込まれます。こんなにスリリングなことはない。この段階まできてやっと、きっと私が掘り出した脚本の声が皆さんに伝わるのでしょう。老婆心ながら先の人間の在るべき姿に関する提言に対して少し、考える余地を作って欲しい、そう思います。 

 

 

いやあ重い話でしたねえ。ちょっとばかり読み手に考える作業がいる文章でした。最初にモラトリアム(6)としてシチューの話を入れておいてよかったでしょ?そらみろ、非効率も大事なんです。 

演劇を3年しかやってない若造が何を申すか、実際の出来はどうなんだと、考えた結果よいものができたのか、といわれそうですね。空間と役者と観客があれば成り立つ演劇は映像音声技術が必要な映画に比べて歴史が長いですから、あまり知ったような発言をしていると膨れ上がった偉大な力(7)に説教されそうです。おだまり権威、そして私の話を聞け。  

凄まじい出来です。効率的な言葉では到底語れないような、そんな舞台です。 

役者にはいろいろ考えてもらいましたが、最終的にはそれを全力で表現しないと相手に伝わらない(8)、だから表現が伝わっているか判断するのが私の役割なのですが…うーん…私が行ってきた演出はニュアンスで、曖昧で、ただ考えるきっかけをぶん投げて放置するという、欠地王ジョンが名君と称えられるレベルです。最近増えていると噂のそこらへんのカメムシ(9)にやらせた方がましです。替えもきくし。 

役者に頼りまくったので、案の定皆さん思考の連続でへとへとに(10)…なってなかったんですねえ、全て考えて打ち返してきました。大谷翔平を差し置いて劇個人冬役者がMVPにランクインするレベルです。座組全体を見ても精鋭ぞろいで、法律文書の校閲もあれば、法廷画家もいれば、3Dクリエイターまでいるし、ぴったり音源エクスプローラー、メイクアップアーティストもいます。正直怖いです。公演期間が短くてむしろ良かったのかもしれない。これ以上期間があったらいったい… 

 

さて、本件における評決はきっと、現代の人間の生き方を示す足掛かりとなりましょう。正直私も結末を知らないんです。だって舞台は観客と役者が創る空間なんですから。参加した陪審員がどのような結論を出すのか、私はその行く末を見ています。 

 

 

 

今回は、日常の延長としての劇を提案するための客入れからopまでシームレスに進む、心理を表す照明、読み込めるパンフレット、作りこんだ資料、徴収0円、箱山平使用、手荷物用意、状態を演じないなどなど今後も役立つかもという項目を捻じ込む試みをしました。特に徴収0円!会計の方が血も涙もない集金マシーン(11)になるのは見たくない(ふ)!次回公演のために貯えといてください。 

本公演のこういう努力の小ネタを覚えておいていただきたい。過ぎていった(12)冬公演の日々に思いを馳せた時の走馬灯として稽古中のくだらんギャグが浮かんでこないことを祈ります。 

佐藤佳乃  

 

もうあわないよ、さよなら。 

 

 

引用文献 

(1)    千鳥みゆき/山﨑光莉, 立花明美 『境界』

(2)    習志野太郎/藤田由紀子『まっすぐ歩けない』 

(3)    月子/榊原赤『動かない私と季節』 

(4)    山岡大知/竹村國男『刑事ものに憧れてる奴』 

(5)    古部優生/小川久美子『隙あらば』 

(6)    汐海風音『演劇をする人間と過ごして』 

(7)    渡辺快登/木村和彦『ディズニー・サイコ―』 

(8)    菅陽菜乃/中島真希『演劇のある生活』 

(9)    古部/小川『隙あらば』 

(10) 福永蒼唯『決』

(11) 祝音あや/芳野重三『沼』 

(12) 井上けい/入江衛, 上田茂, 検見川明雄『water under the bridge』

(13)宮沢賢治『よだかの星』 

 

 

謝辞 

光構成を考案し実現してくださった照明、イメージを音に変換し編集してくださった音響、舞台を形にして説得力持たせてくださった舞台美術、資料の作成と校正をして忠実に物を集めてくださった小道具、役柄から演繹し細かいニュアンスまで表現してくださった衣装、読むパンフレット・解くフライヤー・予約までの支度をして各種SNS/ブログ作業までと幅広く広報してくださった宣伝、稽古場確保申請その他多くの仕事をしてくださった制作、円滑な進行を担い公演期間を流れるように進めてくださった舞台監督類、法律知識の提供や整合性が取れるように資料や図を作成してくださった皆様本当にありがとうございました。 

書き表すとこれだけ様々な仕事に演劇は支えられているのだと、あらためて心打たれます。 

また、ここに書ききれない分の仕事もたくさん存在しているはずでしょう。まとめてのお礼にはなってしまいますが、ありがとうございました。 

最後に、ここまで読んでくれた皆様、どうもありがとうございました。