前漢の武帝の時代に、淮南王劉安が学者たちに編纂させた思想書『淮南子』に「陰徳」という言葉がある。意味は「人に知らせずひそかにする善行。かくれた恩徳」である。大谷選手のさまざまな行動にはまさにこの「陰徳」がうかがわれるではないか。
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「日本人は、犠牲になるのは弱いからではなくて、強いからこそ犠牲になれることを知っています。(中略)聖徳太子が『和をもって貴しとなす』と十七条憲法で説いたように、日本人は古くから、人の和を尊び、仲良くすることを第一にしてきました。ただ一緒に何かやればいいというわけではありません。自分の意見や信念はきちんと持ち、他に依存することなく、互いを尊重しながら調和を図っていく。『和して同ぜず』が日本人のめざす『和』のイメージでしょう。どこかに無理が生じそうになったら、お互いが少しずつ我慢できるところを探し、痛みを分け合い、争いに発展しないよう協力し合うのです」(書籍『人間力のある人はなぜ陰徳を積むのか』)
大谷選手だけでなく、状況に応じて誰もがいつでも「犠牲バント」を打てるところに、日本人の強さがあるのだ。しかしながら、「陰徳」は、身だしなみや振る舞いなど、周囲から見えるところだけ磨くのではなく、内面を掘り下げる作業。自分だけにしかわからない影の部分でもあるので、誤魔化すことも容易。だからこそ、日々、継続的に自分と向き合う難しさもあり、それを乗り越えてこその「陰徳」なのだ。
世の中のヒーローにはいろんなタイプがあって然るべきだが、「陰徳」ある大谷選手も、そのうちの一つのスタイルだと言えるだろう。
大谷選手が誰からも愛されているのは、野球の強さだけではなく、人知れず陰徳を積む行動が端々からにじみ出ていて、その人間としての素晴らしさ(人間力、人間性の高さ)に惹かれるから、なのかもしれないな…と思いました。