コウの「やじうま絵日記」 -54ページ目

コウの「やじうま絵日記」

日々の野次馬根性を写真で綴る。

 

ボクの愛しい「チャゲ」がいなくなって半年後の2018年9月

「ハッチ」がベランダに登場しました 生まれてのはその年の春と思われ 兄弟分を連れてやってきました 兄弟分は間もなく姿を消してしまいましたが「ハッチ」は定住してくてました

 

 

2019年8月 「ハッチ」はどこで産んだのか子供を連れてきました ネコバカのボクはこの子に「バンビ」と名付けました。

 

 

2020年9月16日 またまた小さな子供を4匹連れて戻ってきました

写真右下の黒いのは去年生まれた「バンビ」です

ボクはその間ずーっと面倒を見てきたのですが「ハッチ」は全く懐こうとはせず カリカリを食べたらどこかに行ってしまうのです 当然のことながら子供たちもついて行きます

2020年9月26日 子供が1匹見えません 白ミケ(写真左から2匹目)が帰ってきません

 

 

 

しかしこの頃が一番幸せな時期だったのかもしれません

だいぶ大きくなったのでもう大丈夫かと思い3匹に名前をつけました

写真左から 茶ミケ「茶々丸」白黒「ポンタ」黒ミケ「ルンバ」です

ノラの子育てはほんとに厳しいですね それから1っヶ月後の10月16日

帰ってきたのは「ポンタ」だけでした

ポンタはおっぱいを独り占めで満足そうでしたが それも長くは続きません

10月19日「ハッチ」の様子が急激に悪くなってしまいました まず食欲がなくなり 歩こうとしても体がヨタつき 目も見えなくなっているようでした

それでもポンタはおっぱいをせがみます 多分おっぱいは出ていないと思います

 

 

10月21日朝 「ハッチ」は急にご飯を欲しがったので缶詰めを出したら1/3ほど食べたのでこれは持ち直すのではないかと期待したのですが 彼女にとって最後のお食事だったようで その後は動かなくなりました ポンタもようやく気がついたのか静かに添い寝をしていました

 

 

 

そして 午後5に30分 「ハッチ」は静かに息を止めました2年半の短くも慌ただしい一生でしたが 最後は二人の息子たち「バンビ」と「ポンタ」に見守られながらで良かったなと思いました それにしてもあっという間に逝ってしまった「ハッチ」 最後までボクには懐いてくれんかったのが心残りです。

ゆっくり休んでください 「バンビ」と「ポンタ」はボクがしっかり育てますから。

 

 

311で街ごとそっくり流されてしまった仙台市若林区荒浜に行ってみました

家から往復34キロ ちょっと いや かなり疲れました

まだまだ訓練がたらないようです

 

浜に元気なオジイさんが「荒浜の写真館」(?)とかいって

バラックに写真を飾っていました

「震災前はこんなに家があってお祭りだってやってたんだよ」と

自分が撮った写真を示しながら説明してくれました

 

 

今はご覧の通り原っぱです 

遠くに見えるコンクリートの建物は津波で全壊した荒浜小学校 遺構になっています

どういう計画なのか分かりません

立派な堤防は出来上がっています

サイクリングロードも完成しました

海岸公園センターハウスも完成していました

しかし 民家は1軒も建っていません

 

 

この水路は伊達正宗が建設を指示した「貞山堀」運河で 画面右側が太平洋です

常にどなたかは海に向って手を合わせています。

 

 

    (仙台市 若林区 荒浜海岸)

 

 

 

 

30数年前頃でしょうか

仙台にもショットバーなるカテゴリーのハイカラな呑み屋が出現しました

写真のショットバーはその走りでした

Suntory Shotbar 2355 といいます

カウンターとテーブル席がありました

ドアを開けると正面はカウンター席です ボクはもっぱらカウンター席でした

注文は角の炭酸割りでした

逆さまにされた角ビンの口にグラスを押し付けるとシングル分出てくるあれですよ

その後水道の蛇口のような 今で言う生ビールの注ぎ口から炭酸水をグラスに注ぎ

コースターと一緒に目の前の置かれます

後は何も出てきません 美しい女性もいません

その当時角の水割りも炭酸割りもロックも300円だったように記憶しています

バブル時代でしたから 安く感じられて待ち合わせなどによく使いました

そういえば ロックに使われる氷はバーテンさんが大きな氷の塊から

アイスピックで大きな氷の球体を作っていました

古き良き時代のハイカラ呑み屋でした

このお店 その後30数年生き延び 現在に至っています

どんな業態が生き延びられるのか分からないものですね。

 

   (仙台市 国分町界隈)