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1988年2月17日ーインディアン「ジェロニモ」ー

アメリカの西部劇で、インディアンが、よく、こういう。


「インディアン悪クナイ。白人イツモ、ウソツク」


アパッチ・インディアンの、勇猛で鳴らしたしゅう長、

ジェロニモが、最初に、この言葉を使ったといわれる。

本名はゴヤスレイ。


その戦いぶりのすさまじさに、メキシコ兵(メキシコでも戦った)

が、キリスト教の熱血の聖者、セント・ジェロームの再来かと

恐れられたという。

それから「ジェロニモ」となった。


この勇士も、生まれ故郷のアリゾナに帰してやるという

「白人のウソ」を信じて降伏してしまった。

そして酒に酔って落馬、間もなく収容所の中で死んだ。

1909年2月17日だった。

1988年2月16日ーエルニーニョ現象ー

気分が、くるくる変わる人のことをこういうだろう。

「お天気屋」

最近の空模様は、まさに「お天気屋」だ。


なぜ、こんなに、くるくる変わるのだろう。

地球上は南極、北極という冷たいところと

赤道付近の熱いところにわかれ、空気が大きく動いている。

部屋の中も熱いストーブと冷たい窓際との間で

空気が回っているのと同じだ。


ところが、いつか書いたように、普通は冷たいはずの

南米ペルー沖の海水の温度が、どういうわけか、

年によって、あがることがある。

すると、地球上の空気の流れが変わる。

部屋の中に突然、別のストーブが置かれるようなものだ。

これがエルニーニョ現象。

ことし、冬が暖かいのも、このためだという学者が多い。

1988年2月15日ー日本人すべてが苗字を名乗るようになった日ー

江戸時代まで、日本人は武士と大きな商人たちしか、

苗字(姓)をつけることができなかった。

「八ちゃん」

「熊さん」

「与兵衛」

一般の人は、お互いに、こう呼びあっていた。

このことは、確か、前にもかいたはずだ。

その名前を、だれでも、つけなくてはならなくなったのが

明治8年2月13日。


「平民二令シテ氏の称シ、ソノ詳(つまびらか)

ナラザル者ハ アラタニ コレヲ設ケシム」


これが、その布告。

もったいぶっているね。

みんな、ありがたがったが、名前をつけるのも苦労したようだ。

○○は、江戸のむかしから名乗っていた。

長崎のサムライで医者だったから。

由緒あるんだよ。

1988年2月13日ー春の合図と雪の名前ー

「春一番」が吹いたと思ったら雪。

全く、お天気の気まぐれなのには驚く。

でも、決して不思議ではない。

「春一番」というのは、これから、いくら雪が降っても、

気候は確実に春になりますよ、という合図なんだから。

今後、「春二番」「春三番」と暖かい風が吹き、

本当に春になる。


ところで、この雪、いろいろと名前がある。

こな雪、つぶ雪、わた雪、みづ雪、

かた雪、ざらめ雪、こほり雪ー


新沼謙治(にいぬまけんじ)の歌う演歌「津軽恋女」には、

これだけ雪の名が出てくるそうだ。

新沼は岩手出身。

雪国だからこそ、雪の言葉も豊富なんだね。

東北や北海道は冬の平均気温は零下なので

雪はサラサラした「こな雪」。

これも春が近付くと、やはり湿った「ぼたん雪」になってゆく。

雪国の春の合図だ。

1988年2月12日ーリンカーンのあごひげは少女の手紙がきっかけー

アメリカの第16代大統領リンカーンは、

1809年2月12日、ケンタッキー州の貧しい農家に生まれた。

日本の明治維新より60年前のことだ。

ケンタッキーは東海岸の山の奥にある。

1860年に大統領。

その翌年から65年まで南北戦争。

奴隷を解放したことは、よく知っているね。

しかし、南部に勝った直後に暗殺された。


リンカーンのトレード・マークは、あの、あごひげだ。

大統領になると同時に、はやし出した。

11歳の少女から、こんな手紙が来たのがきっかけだそうだ。

「やせているんだから、ヒゲをはやすと、ずっと、引きたちますよ」

リンカーンも少女に弱かった。

お父様は、どうだろう。

1988年2月11日ー「万歳」という言葉が生まれた日ー

建国記念日。

むかしは、紀元節(きげんせつ)と呼ばれた。

明治6年に制定される。

この日、つまり紀元前660年の2月11日に、

最初の天皇の神武天皇(じんむてんのう)が

即位したといわれているが、学問的根拠の

ないことは知っているね。

反対する人も多い。

お父様も、余り感心したことではないと思う。

古墳の発掘で、むかしのことが、いろいろわかってきて

いるので、いつか、正しい建国の日がわかるかも知れない。


この日、新しい言葉が生まれた。

「万歳(ばんざい)」だ。

明治22年のこの日、明治憲法が発布された。

その時、何か喜びの歓声がないかと考え、

東大の和田という先生が作ったのだそうだ。

このほかに「奉賀(ほうが)」という言葉も有力だったが、

「あほうが」に聞こえるのでやめた。

1988年2月10日-4ケタ局番の誕生ー

東京の電話の局番は、これまで、3ケタだった。

たとえば、家の電話番号は

「586-○○○○」

このうち「586」が局番。

局とは青山電話局とか麻布電話局のことで

局番は、その局の番号だ。

電話の少ない時は、2ケタだったことがある。

今でも、福島や地方に行くと2ケタ。

それが3ケタになったのは昭和35年だった。

けれども、1軒に2台も3台も電話をおいたリファックス

の普及で、多くの局の下の番号が9999番までいっぱいになった。


4ケタの局番の第一号は8日、新宿に生まれた。

つづいて3月末までに松沢、杉並、浜町関町、志村が4ケタに。

68年には23区全部がそうなる。

4ケタ局番はパリについで世界で2番目だそうだよ。

1988年2月9日ー「二・二六事件」と「五・一五事件」

「二・二六事件」や「五・一五事件」を知っているのには驚いた。

お父様にとっては、これらの事件は歴史ではなくて、事実だった。


とくに「二・二六事件」のときは、ちょうど○おじ様が、小学校

入学試験を受けにいく日で、大阪も雪。

お父様のお父様が、「東京で何かあったらしい」と、

非常に緊張した顔で、お父様のお母様たちと

話していたのを覚えている。

新聞には、一行もニュースは載らなかったが、うわさは早い。


「五・一五事件」は、それより4年前の昭和7年。

この年は、きょう2月9日に大蔵大臣の井上準之助、

3月5日には三井(今も銀行にその名前が残っている)の

団琢磨(だんたくま)が、暗殺されている。

このニュースは、さすがのお父様も、当時知らなかった。

なにしろ4歳だもの。

1988年2月8日ー「お事始め」と「針供養」ー

1月4日は「仕事始め」または「ご用始め」といった。

きょう8日は「こと始め」あるいは「お事始め」という。

春になり、この日から、冬の間、休んでいた畑仕事を始める。

旧暦の2月8日が実際の「こと始め」の日だから、

いまでいうと、3月の終わりごろにあたる。

畑仕事を始めても不思議ではない気候だったのだ。


この日は「針供養(はりくよう)」も行われる。

「こと始め」とは逆に、針を使うのを休み

1年中に使った針の折れたのを神棚に供えて

“針の労”をねぎらう。

普通、針を豆腐にさす。

いつも、かたい布にさされている苦労を慰めるために、

この日だけは、やわらかい豆腐の中で休んでもらおう

というのがその気持ち。

1988年2月7日ー敵討ちー

主人や親・兄弟を殺した者に復習することを

「敵討ち」(かたきうち)という。


「親の敵(仇=かたき=とも書く)、覚悟しろ!」

というセリフは、○○○ちゃんも、よく聞くだろう。

この「敵討ち」、日本では、むかし、

美風(美しい習慣、おこない)とされていた。

「君(天皇や藩主のこと)に忠、親に孝」は、

日本では最高の道徳とされており、敵討ちは、

それを身を持って、しかも、自分の命もかえりみず

実行したもの、と考えられていたからだ。


けれども、親が殺された時でも、それを裁くのは裁判だ、

というのが現代の考え方。

明治政府も明治6年2月7日、「敵討ち禁止令」を出し、

日本が近代国家であるということを世界に示した。

しかし、今も「赤穂47士」に人気がある。

日本人は古い伝統から抜けきれないのだ。