1988年2月28日ーいよいよ中学生ー
制服も買って、いよいよ、中学生になる準備ができたね。
あとは教科書。
少しは、大人っぽい教科書になるかな。
これまで(小学校時代)にはなかったものが、
一つあるはずだ。
英語!
これだけは、力を入れて、マスターした方がいいよ。
むかしは、公立の学校は小学校は共学だったが、
中学校からは男女別々。
しかも、中学校は5年間だった。
そして、女子の行く中学校は、女学校といったものだ。
男子は、単に中学校。
いずれも、戦後は、高等学校に昇格していまった。
女学生は、5年になると、もう完全に大人。
卒業間近になると、教室には、お嫁さんさがしの人が
来ていた。遠い昔の話。
1988年2月26日ー誕生日ー
きょうは、何の日だ。
お父様の誕生日!
昭和11年に「二・二六事件」がおこった日。
どちらも、よく知っているね。
もう一つ、
竹下首相の誕生日なんだそうだ。
大正13年生まれだから、お父様と4つ違いだ。
それに社会党の上田哲という代議士も、
きょうが誕生日。これは同じ昭和3年生まれらしい。
この2人、きょう国会で、税金のことでやりあうらしい。
上田代議士は、こういっている。
「首相から、よい答弁をとって、それを、
私のバースデイ・プレゼントにしたい」
お父様は、何もいらないよ?
新聞、買ってきてくれるだけで十分だ。
1988年2月25日ー信玄ブームー
長野県との県境に近い山梨県の小渕沢町がいま
「信玄ブーム」にわいているそうだ。
ここに、NHKの「武田信玄」をとるための
オープンセットがあるからだ。
信玄が本当に住んでいた「武田氏館」は甲府にある。
しかし、そこでは、テレビがとれないので、
甲府から50キロも山の中にある、この町に、
オープンセットがつくられた。
山林1万平方メートルを切り開いて、大手門、主殿、
馬小屋、掘りなど、本物そっくり。
この町に馬が多いのも幸いした。
なにしろ「甲州騎馬軍団」だ。
町内の乗馬クラブの馬が動員され、
町の人も無料出演している。
これを見ようと、正月の三箇日には5万人が訪れ、
その後も休日には町の人口の5100人と同じほどの人がやってくる。
けれども観光客が帰ったあとは、ジュースの空き缶だらけ。
バカみたい。
1988年2月24日ー満州事変ー
家族3人とも、ダウンしてしまったね。
夜、セキをする○○○ちゃんをみると、かわいそうだ。
がんばるしか、仕方がないね。
きのうは「爆弾三勇士」のことを書いた。
あれは、上海事変のことだった。
その1年前には満州事変が始まっている。
当時の満州(いまの中国東北地方)の首都だった
奉天郊外で、日本軍自身が満州鉄道の線路を
爆破しておいて、それを中国軍の仕業だといって、
いんねんをつけ、全満州を占領。
このあと、あのラストエンペラー の清国最後の国王を
満州の皇帝に、したてあげて、満州国をつくってしまうんだ。
けれども国際連盟(いまの国連)の調査団が、
爆破のウソを見破り、国際連盟は満州国から撤兵し、
満州国の認めないと日本にいってきた。
このため国際連盟を脱退したのが昭和8年2月24日。
とうとう全世界を敵にすることになる。
バカなことだ。
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1988年2月23日ー肉弾三勇士ー
美談(びだん)というものは、たいてい、信用できない。
ちょっとした話でも、ひとを感激させるために、小説のように、
つくってしまうからだ。
殊に、戦争中には、そんな美談が多かった。
それで、日本人の意気を高めようというわけだ。
その代表的なのが「肉弾三勇士」。
昭和7年、上海で日本軍と中国軍が、
こぜりあい(上海事変という)をしたとき、廟行鎮(びょうこうちん)
というところで、爆弾をかかえた3人の日本兵士が体ごと
敵の鉄条網を爆破、日本軍の通路をつくって死んだという。
2月22日のこと。
新聞には大きく扱われ、歌や映画になり、
三宅坂には銅像もできた。
しかし、これはつくりごとだった。
爆弾が間違って手前で爆発してしまっただけだった。
でも、3人が死んだのは事実。
つくりごとでも、そのことは忘れてはいならない。
1988年2月22日ー「日本」の由来ー
きょうも「日本」の話。
「日本」が、国の名前になったのは、いつからだろう。
むかしは「日本」は「ヤマト」といわれていた。
「宇宙戦艦大和」の「ヤマト」だ。
和歌には、枕詞(まくらことば)というのがあるのを
知っているね。
この「ヤマト」の枕詞は「日の本の(ひのもとの)」だ。
その「日の本」をちぢめて「日本」と書き、
そして、それが国の名前になったというのが、
いまのところ正しい説だといわれている。
「飛鳥」と書いて「アスカ」読む。
これも、最初に「アスカ」という地名があった。
この「アスカ」の枕詞が「飛ぶ鳥の」だった。
それがいつの間にか、「アスカ」を「飛鳥」と書くように
なったのと同じだそうだ。
今でも「日本」を「ヤマト」と読むことがあるよ。
【関連記事】
1988年2月21日ー「日本」の読み方ー
いま、日本語ブームだそうだ。
日本語を習う外国人が増え、外国人に
日本語を教えたいと思う人も多いからだ。
でも、日本語は、むづかしい。
例えば・・・
「“日本”を何と読む?」
ニッポン
ニホン
実は、いまだに、どちらが正しいか、わかっていないんだよ。
「日本橋」という地名が、東京と大阪にある。
東京は「ニホンバシ」。
大阪は「ニッポンバシ」。
大学の名前にも「日本」がついたのが多いが、
大学によって読み方が違う。
日本大学、日本女子大学は「ニホン」で、日本医科大学、
日本体育大学などは「ニッポン」。
どんなってるんだろう。
1988年2月20日ー丸ビルー
「昔、なつかし 銀座の柳・・・」
お父様にとっては、それこそ、なつかしい歌
東京行進曲 の歌い出しだ。
その2番は、
「恋の丸ビル あの窓あたり 泣いて恋文(ふみ)
書く人もある ラッシュアワーで拾った
バラを せめて、あの娘の思い出に」
確か昭和の初めにできた歌だったと思う。
その中の「丸ビル」が完成したのが大正13年
のきょう20日だった。
地上9階、地下1階。
当時は東洋一。
「丸の内ビルディング」を略して「丸ビル」と
呼んだことから、ビルディングをビルというようになった。
その隣りの「新丸ビル」は昭和27年にできた。
今、あのあたりに、50階から60階の高層ビルが
60棟も建つ計画が浮かんでいる。
丸ビルもいつか消える運命にある。
2011年2月20日
丸ビルは、2002年に全面改装され37階建てとなって新オープン。
下層階は、旧丸ビルの面影を残している。
丸ビルに思い出がたくさんある人が多いのでしょう。
でも、地震王国日本では、耐震構造がなされていない
ビルは危険極まりない。
ヨーロッパのように、古い建物をそのまま残しておけないのは
悲しいけれど、古いものを壊して新たに生まれるものがある
それが、日本のよさなのかもしれない。
1988年2月19日ー恐竜絶滅の新説ー
恐竜は、約2億3千年前に現れ、約6千5百年前に
突如として滅びてしまった。
なぜ、絶滅したのか。
いまも、世界のミステリ-となっている。
いろいろの説があることは知っているだろう。
火山爆発、いん石の衝突・・・。
これまで、もっとも有力なのは、1980年に
発表された彗星・小惑星の衝突説だった。
衝突後、地球をチリとばい煙がおおい、太陽の光が
地上に届かなくなって気温が低下、
恐竜が凍え死んだというものだ。
だが、なぜ生き残った動物がいたのか説明がつかない。
そこへ新説が現れた。
衝突で猛スピードで舞い上がった岩石で
大気が熱せられて硝酸ができ、一年間降り続いた。
このため地上の恐竜が死んだが、地下や水中の生き物は
助かったのだという。
本当かな。
1988年2月18日ー日本のインディアン「アイヌ」ー
きょうも、インディアンの話。
といっても、日本のインディアンであるアイヌ
(むかしは蝦夷(えぞ)といった)のことだ。
「前九年の役」を知っているね。
朝廷の軍に逆らって戦った安部貞任、重任、
藤原経清は、ついに負け、首を京都にさらされた。
康平6年(1063年)2月16日。
中央政府から見れば、反逆者かも知れないが、
東北の人たちにとっては、「前九年の役」は、
ジェロニモのように、白人に対するインディアンの抵抗の
ようなものだったのだ。
蝦夷独立戦争といってもいい。
この戦い以来、アイヌは北海道に追いやられてしまう。
安部氏の最後の抵抗の地「厨川(くりやがわ)のさく」は
岩手県盛岡市内の北上川のほとりにある。
地元の人は「安部館」となつかしそうに呼ぶ。
日本人の歴史も征服の歴史だった。