最近、会う人会う人に

「さみしいの、大丈夫?」

と聞いてもらうので何事かと思ったら

「さみしさ」でブログ止まってた笑い泣き


ご心配をおかけしてたらすみません!

大丈夫ですー!爆笑



ここ数日のわたしも相変わらず

美味しいものを食べたり

美味しいものを食べたり

主に美味しいものを求めて生きています照れ



というかむしろ、掘り下げる課題が出来て

嬉々として感情を見つめるという変態っぷり(笑)


おかげで「さみしい」という

これまで逃げていた感情も

いとおしく感じるようになりました。


それを言葉にして伝えるということが

好きなんだなぁと実感します。



人間関係の「さみしさ」って、

相手に"期待"してしまって

それが叶わないときに起こる。


じゃあ「期待」しなければ良いって話。


でもね、

人に期待してしまうのが

人間らしさってものだとも思う。



期待してもいい


だけど、


相手が期待した通りにならなくても

相手が変わらなくても

わたしは幸せ、という前提で。



それって究極は、

相手がいてもいなくてもわたしは幸せ

ということ。

(いてくれたらさらに幸せだけどね)



相手が期待通りに動いてくれなきゃダメで

相手がいなければダメで

という「不安」は、依存心です。



それってそもそも自分のなかに

大きな「不安」があって、

それを誰かや何かに満たしてもらおうと

している状態だと思います。



自分の幸せや安心は

自分にしか決められない。



何か(お金とか、モノとか)があるから安心。

誰かがいるから幸せ。


ということは、


それがなければ、その人がいなければ

不安・不幸ってことになってしまうよね。



変わらないものなんてないから

それはとてもあやういこと。



人間はもともと、ひとりだし

そもそも孤独なものなのだそう。


↓まだ読み途中。難しくて笑い泣き

 

 

自分の"幸せ"や"安心"を、

誰かや何かに左右されないものにする。


なかなか難しいね。


でも、実は単純なこと。


「ひとりでも、今すでに幸せ」

「ひとりでも、今すでに安心」

だと自分が決めるだけだと思います。


どんな状況でも、ね。