Facebookで、1年前の思い出の写真が出てきて

ラーちゃんが、実家の窓際にいた。


だいすきな場所だった。


1年前には、ラーちゃんは元気で

1年後にいないなんて想像もしていなかった。


その写真が目に入った瞬間涙が溢れて

久しぶりに目が腫れるほど泣いた。

声出して泣いた。


*


右脳は「感情(感覚)」なので、

右脳優位だと感情がとてもダイレクト。

左脳で「泣いてる場合じゃない」とか

抑えることがないから。


*


昨夜実家に帰ってきて、その窓際を見たら

また涙が出た。

そして母に「昨日Facebookでね」と話しながら

ボロボロ泣いた。


「いったいどれくらい時間が経てば楽になるのかな」わたしが言ったら

母が「3年かかるよ。でも、3年経てば少しずつ落ち着くよ」と言った。


その言葉が嬉しかった。


“3年経って落ち着いてきた”は、

父を亡くした母の体験談。


母は、自分にとっての父と同じように

わたしにとってラーちゃんが大切な存在だとわかってくれたんだなと思った。


本当に仲の良い夫婦で、

8年も介護をして看取ったあと

一時期は抜け殻のようになっていた母は

6年目の今、元気に頑張ってる。

すごい。


*


でね、そのとき

母がわかってくれたのは

わたしがわたしをわかってあげられてるからなんだなというのも、同時にわかった。


わたしは人前で泣くことがすごく苦手で

とくに母の前で泣くことが嫌だった。


うちの母は感情的なひとなので

わたしは母の前では子供のころから冷静になることが多かったし

母とは“闘っていた”ところがあるから

弱いところを見せたくなかった。


でも今は、なんにも止められない。


涙は感じた瞬間ぶわっと溢れてる。


母にあたりまえに弱みを見せられている。


それを自分が自分に許せているということでもあるんだよね。


*


誰かに「わかってほしい」と感じるときは

自分が自分のことをわかってあげられていないとき。


わたしはラーちゃんを失った悲しみを

ごまかすことなく、感じて、受け入れてる。


だから母も「いつまで泣いてるの」とか

「そんなに泣いてたらラーちゃん悲しむよ」とか言わない。(前なら言いそうなセリフ!)


母も、父を失った悲しみを

自分の力でしっかり乗り越えて

ここまできたからこそ、

本気で泣かなければ消化できないことも

その痛みも、わかるんだと思う。



その窓際に、ぴょん、とチャイが飛び乗った。


「わたしはここにいるよ」って言ってる気がした。


*


人生はほんといろいろあるね。


でも、感情をその都度、ちゃんと感じる。


逃げない。ごまかさない。取り繕わない。


子供みたいだけどね。


子供がギャン泣きしてケロっとするみたいに生きる。


子供は頭のなかでいつまでもグルグル悩んでないよね。


わたしたちの誰もが、かつては出来ていたこと。


そこに戻ることが、楽に生きるコツです。