Facebookで、1年前の思い出の写真が出てきて

ラーちゃんが、実家の窓際にいた。


だいすきな場所だった。


1年前には、ラーちゃんは元気で

1年後にいないなんて想像もしていなかった。


その写真が目に入った瞬間涙が溢れて

久しぶりに目が腫れるほど泣いた。

声出して泣いた。



右脳は「感情(感覚)」なので、

右脳優位だと感情がとてもダイレクト。

左脳で「泣いてる場合じゃない」とか

抑えることがないから。



昨夜実家に帰ってきて、その窓際を見たら

また涙が出た。

そして母に「昨日Facebookでね」と話しながら

ボロボロ泣いた。


「いったいどれくらい時間が経てば楽になるのかな」わたしが言ったら

母が「3年かかるよ。でも、3年経てば少しずつ落ち着くよ」と言った。


その言葉が嬉しかった。


“3年経って落ち着いてきた”は、

父を亡くした母の体験談。


母は、自分にとっての父と同じように

わたしにとってラーちゃんが大切な存在だとわかってくれたんだなと思った。


本当に仲の良い夫婦で、

8年も介護をして看取ったあと

一時期は抜け殻のようになっていた母は

6年目の今、元気に頑張ってる。

すごい。



でね、そのとき

母がわかってくれたのは

わたしがわたしをわかってあげられてるからなんだなというのも、同時にわかった。


わたしは人前で泣くことがすごく苦手で

とくに母の前で泣くことが嫌だった。


うちの母は感情的なひとなので

わたしは母の前では子供のころから冷静になることが多かったし

母とは“闘っていた”ところがあるから

弱いところを見せたくなかった。


でも今は、なんにも止められない。


涙は感じた瞬間ぶわっと溢れてる。


母にあたりまえに弱みを見せられている。


それを自分が自分に許せているということでもあるんだよね。



誰かに「わかってほしい」と感じるときは

自分が自分のことをわかってあげられていないとき。


わたしはラーちゃんを失った悲しみを

ごまかすことなく、感じて、受け入れてる。


だから母も「いつまで泣いてるの」とか

「そんなに泣いてたらラーちゃん悲しむよ」とか言わない。(前なら言いそうなセリフ!)


母も、父を失った悲しみを

自分の力でしっかり乗り越えて

ここまできたからこそ、

本気で泣かなければ消化できないことも

その痛みも、わかるんだと思う。



その窓際に、ぴょん、とチャイが飛び乗った。


「わたしはここにいるよ」って言ってる気がした。



人生はほんといろいろあるね。


でも、感情をその都度、ちゃんと感じる。


逃げない。ごまかさない。取り繕わない。


子供みたいだけどね。


子供がギャン泣きしてケロっとするみたいに生きる。


子供は頭のなかでいつまでもグルグル悩んでないよね。


わたしたちの誰もが、かつては出来ていたこと。


そこに戻ることが、楽に生きるコツです。