最近、わたし

『さみしさ』

という感情について考えています。



きっかけは、友達がシェアしてくれた

とあるコラム。



『さみしさは"人とのつながり"では満たされない』

というタイトルだけで、

なんだかもうドキーッびっくりマークとしない?

わたしだけ?!笑



それを読んだわたくし
ガツンときまくってしまいまして。


簡単に言うと、

『さみしさ』を感じたときに、
人と会ったり
友達に電話したり
SNS投稿したり
"さみしさを満たす(紛らす)"ための
代替行為をしてしまうと
さみしさはより強くなるよー!と。

人から愛情や承認を受け取って
満たされた"気になる"のは一瞬のこと。
消えてくると、また満たさなきゃ!と
代替行為の自転車操業になるのだ、と。

最も強烈に
『さみしさ』を満たしてくれるのが、
恋愛なのだけど
恋愛や結婚でさみしさは解消されない!

家族やパートナーに対して
過剰な期待を抱いてしまうと、
それが叶わないとき
強い怒りや憎しみを抱く。


特別な関係なんて幻想!
永続的な安心感や充足感なんてものは無い!


なぜなら、人は
そもそも孤独だから。
そもそもさみしいから。

もともとあるさみしさ(怒りや不安も)を
目の前の人をターゲットにして
感じているだけ!!


・・・ん?

このへんまでくると、
いつもわたし言ってるよね
と気がつきますよね。

「目の前の問題はダミー」

「感情は感じきって終わらせる」

うん。言ってる言ってるチュー

わかってるわかってるチュー

カレンダーの裏に殴り書きしてみた。


わかってたら悶絶しねえだろうがあああああ!!!!

きれいな画像でいったん落ち着こう大作戦


わたし、これまで
いろんな感情と向き合ってきました。
それはもう自他ともに認める心理オタクですから。

『怒り』とか『苦しみ』とかね
だいぶ感じきって終わらせること
出来るようになったと思うのだけど。

どうやらこの『さみしさ』については、
うまく(?)ごまかしてきたんだなぁって
実感してしまいました。


恋愛に至っては、いー年こいて
過剰な期待と幻想しかないわ。
少女漫画か!!!ガラスの10代か!!!


で、さらに掘り下げたくなって
この本を今日読み始めたんだけど
序盤のほうに出てきたこの言葉だけで

「私は人生の前半戦を、どうにかして親に愛してもらいたい、友だちに愛されたい、女の人に愛されたいと思っていました。そうすれば、孤独が紛れるんじゃないかという衝動だけで生きていた気がします。

さみしいのはとても苦しかったから、それを紛らすためにがむしゃらに頑張って、人から注目されたい、愛されたいといつも突っ走っていました。」


泣いたよね。


えー
もー

わたし何やってきたん??

まだここにいたの??


と、ちょっぴり自分責めしそうになったけど
腹をくくって『さみしさ』を感じることにしました。

自分のなかで、長年ごまかし続けて
増大している『さみしさ』ってどんなかな。

こわいなぁ。

でもね、
いとおしいなぁ、とも思うの。


きっと今ようやく、
「さみしいからという理由で人と繋がるのをやめる」というミッションを
こなせるときがきたのだと思うから。


またシェアしていきますね。

興味を持った方は、ぜひ
こちらのコラム読んでみて!
(後編まであります)


そして感想など
公式ラインでお待ちしてまーす!