アメリカでは現在,オピオイド鎮痛剤による依存症が大問題になっています.過剰摂取によって死亡する人の数が年間5万人(統計によっては10万人近く)という異常事態で,成人男性の平均寿命が短縮するという公衆衛生上の大問題となっています.僕は以前からこの問題に関心を抱いていたので,この問題を扱ったバリー・マイヤー著三木直子訳「ペイン・キラー」晶文社が出版されたので,さっそく読んでみました.

 

結論から言うといささか期待外れでした.確かに著者は良く調査していますが,問題となる鎮痛剤オキシコンチンを製造・販売した製薬会社パデュー社の販売戦略を追求するのに急で,なぜこうした依存症が蔓延したかという根本的問題の追及が不十分です.そのためにハリウッド映画のように善玉と悪玉がいやにはっきりしており,なんだか映画のシナリオを読んでいるようです.僕にとって一番面白かったのは,パデュー社の実質的な創設者であり,それを経営するサックラー家の長兄アーサー・サックラーについての章でした.彼は精神科医であり,現在のような医薬品の広告方法を作り出した広告業界のカリスマであり,億万長者の美術品収集家であり,それを気前よく美術館に寄付してギャラリーや研究所に自分の名前を付けさせる慈善家でもあったのです.まさに医療界のルシファーとも呼ぶべき人物でした.

 

アーサーは1913年にニューヨークで東欧系ユダヤ人の家庭に生まれました.父親は小さな食料品店を営んでいたという事ですが,彼はアルバイトをしながらニューヨーク大学医学部に進み,卒業後は精神科医となります.彼は医師でありながら広告会社の社長も務め,州立病院の精神科医としても成功して,病院内の研究所を取り仕切るようになります.そして第2次世界戦後,製薬業界が大きく変わり,新薬が次々と開発されて,医師は同じ薬を十年一日のごとく処方していたのでは間に合わなくなります.これに目を付けたアーサーは医薬品広告の革命に乗り出します.医学雑誌への全面カラー広告の掲載,医師を対象とする豪華な食事付きの講演会の開催,医薬品の宣伝であることを巧みに隠した記事を中心とする無料の医学新聞の発行・配付など,現在でも広く使われている手法を導入して,製薬業界の成長と収益増に大きく貢献します.さらには通常では考えられないような薬の売り方も編み出します.ほぼ同じ成分の精神安定薬に別々の名前を付けて販売し,しかも対象となる適応症が重ならないようにするのです.これにより医師はほとんどあらゆる種類のこころの症状に対して,これらの薬のどちらかを処方することができるのです.

 

さらにアーサーは小さな製薬会社パデューを買収して自ら医薬品の製造に乗り出します.最初は下剤や耳垢除去剤といったきわめてニッチな製品を製造していましたが,日本では「イソジン」の名前で親しまれているヨード系消毒薬が大ヒットし,その後に問題の鎮痛薬分野に進出することになるのです.彼は二人の弟の学資を出して医学部を卒業させ,いずれも精神科医となった後に,パデュー社の経営に参加させます.こうした経過ですから,弟二人も兄のアーサーにはまったく頭が上がらず,アーサーは1987年に亡くなるまで,パデュー社の大株主として,サックラー家の当主として君臨していたという事です.彼の死後お決まりの遺産相続争いが起こり,そして麻薬系鎮痛薬オキシコンチンによる依存症が社会問題となって,家族による集団訴訟が頻発してパーデュー社は破産します.もしアーサーが健在だったら,まったく違った解決策を編みだしたかも知れません.しかし彼の生涯を眺めていると,ぼくが医療に携わる上でもっとも重要であると考えている倫理は少なくとも彼は持ち合わせていなかったように思われます.