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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

198】戦後、朝鮮人に治外法権はもちろん、不逮捕特権など認められていない。

 

「占領中に、アメリカ兵に殺害された日本人は四千人近く、強姦された婦女子は記録されているだけでも二万人にのぼった(被害を届けなかったケースを考慮すると、実際はその何倍もいたと思われる。)(P433)

 

と説明されています。

私も、占領期のGHQの兵士たちによる犯罪に関しては憤りを感じており、とくに「戦時・戦後における婦女子への犯罪・不当な待遇」ということは、大問題であったと強く思っています。

ですから、やはり、正確な資料や数字に基づいて説明しないといけない問題であると考えています。「占領中に、強姦された婦女子は記録されているだけでも二万人にのぼった」というのはどういう根拠で説明されているのでしょうか。

また、「アメリカ兵に殺害された日本人は四千人近く…」というのは、おそらく「全調達」(防衛省の労働組合)の調査の3902人のことをおっしゃっているのでしょう。

(これ以外に「四千人近く」の数字を残す記録がありません。)

しかし、これは「アメリカ兵が起こした殺害事件だけではなく、アメリカ軍に関係した事故、交通事故による死者も含んでいるもの」です。「殺害された」人数が「四千人近く」というのは不正確な説明です。

 

まず、「記録」ということで言うならば、実は内務省警保局外事課の「進駐軍ノ不法行為」というものがあります。1945年8月30日から10月までのもので、進駐軍の兵士の犯罪を「取り調べ」ています。よって「日本の警察は、アメリカ兵の犯罪を捜査することも検挙することもできなかった」というのは一部不正確な説明です。

GHQは、プレスコードで「占領軍への批判」を禁止していましたが、アメリカ兵の重大犯罪に対しても「検閲」していました。

しかし、「事前検閲」から「事後検閲」に変更するようになると、アメリカ兵の犯罪に対する報道の規制も比較的緩和され、報道による記録も残っています。

内務省警保局外事課の「進駐軍ノ不法行為」の記録では、12日間で強姦9、わいせつ事件6がみられます(8月10日から9月10日の12日間)

また、占領期の日本を知る人には懐かしい言葉かもしれませんが、「MP」という組織も日本には配置されていました。いわゆる“Military Police”アメリカ軍憲兵のことで米軍兵士の犯罪、治安維持をおこなっていました。各地のMPは都道府県庁内に設置されている場合が多く、市民からの得たアメリカ兵の犯罪の情報をもとに検挙しています。

滋賀県庁にあったMPの通訳を担当していた方の話などが2015年に新聞で明らかにされています(産経新聞・2015年7月28日)が、軍内部の犯罪についても厳しく摘発していたこともわかります。

占領軍は3年間で50万人規模から10万人規模に縮小され、1946年代から次第にアメリカ軍による犯罪も減少していきました。

占領下におけるアメリカ兵による犯罪は、もっとクローズアップされてしかるべきだと考えますが、誇張や事実誤認を含めて明らかにしてはいけないと思います。

ちなみに、平成7年の1年間で、日本で発生している強姦・強制わいせつ事件の認知件数は1万1833件ありました。そこから減少傾向にあり、平成23年では8055件です。(警察庁資料・「犯罪白書」より)

1年間で8000件くらい強姦・強制わいせつ事件が現在でも起こっているわけで、占領期間中(19461952)の「記録されているだけでも二万人」、という数字だけを取り出して強調するのは適切な数字の出し方とはいえないと思います。

 

「GHQは、当初、朝鮮人を『戦勝国民』に準じるとしたのだ。前述したように、占領初期は、新聞で朝鮮人を批判することは許されず、また彼らを裁判で裁くことも禁じられた。」(P434)

「…他の連合軍兵士と同様に不逮捕特権まで得た朝鮮人は、日本人相手に乱暴狼藉の限りを尽くした。」(同上)

「初めは朝鮮人の行動を黙認していたGHQも事態を重く見て、昭和二〇年(一九四五)九月三十日に、『朝鮮人連盟発行の鉄道旅行禁止に関する覚書』で、朝鮮人が『治外法権の地位にないこと』を明らかにする発表を行なった。つまり、それまでは『治外法権』を認められていたことになる。」(同上)

 

と説明されていますが、誤りです。

GHQは、朝鮮人を「戦勝国民」に準じる、などとしていません。当時の朝鮮人たちの「自称」です。

また、「昭和二〇年(一九四五)九月三十日に、『朝鮮人連盟発行の鉄道旅行禁止に関する覚書』で、朝鮮人が『治外法権の地位にないこと』を明らかにする発表を行なった。」とされていますが、二つの大きな誤りがあります。

一つは、「昭和二〇年(一九四五)九月三十日」ではなく1946年9月30日の誤りです。

二つめは、「朝鮮人連盟発行の鉄道旅行禁止に関する覚書」の中に、朝鮮人が「治外法権の地位にないこと」という文言は書かれていない、ということです。調べればすぐわかることなのに、どうしてこんなことを書かれたのでしょうか。

よって、GHQが朝鮮人に「不逮捕特権」など与えていません。それは以下の事実からも明らかです。

1945年8月から1946年9月30日までの殺人事件の記録だけをみても、朝鮮人犯罪者は普通に逮捕されています。

 

1945年8月「名古屋少年匕首殺害事件」3人逮捕

194512月「直江津駅リンチ殺人事件」3人逮捕

1946年8月「一勝村農家六人殺害事件」3人逮捕

1946年9月「七条警察署巡査殺害事件」5人逮捕

 

197】WGIPは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画」ではない(その7)

 

「GHQが日本人に施した洗脳は、戦時中の中国・延安で、中国共産党が日本人捕虜に行なった洗脳の手法を取り入れたものだった。このことは近年、イギリス国立公文書館が所蔵する秘密文書で判明しており、延安での工作には、日本人共産主義者、野坂参三の協力があったことがわかっている。」(P430)

「『WGIP』が、中国共産党の洗脳に倣ったことを伝える文書は、『ノーマン・ファイル』(KV2/3261)と呼ばれるファイルに残されている。」(P431)

 

と説明されていますが誤りです。というか、「ノーマン・ファイル」を百田氏はほんとうに読まれたのでしょうか。読まれた上で、「戦後の日本は、共産主義者たちの一種の『実験場』にされたように見える。」と本気でおっしゃっているんでしょうか。

どこを読んでも、そんな話は出てきません。

「このことは近年、イギリス国立公文書館が所蔵する秘密文書で判明しており、延安での工作には、日本人共産主義者、野坂参三の協力があったことがわかっている。」

という部分も違和感をおぼえます。このファイルが公表されたのは2010年ですが、ご指摘の話はこのファイルで初めて明らかになったようなものではなく、1980年代に詳細にわかっています。(『赤旗とGHQ』(大森実・講談社)また、『延安リポート』(山本武利・岩波書店)などで明らかにされています。)

 

「ノーマン・ファイル」は、「GHQでマッカーサーの政治顧問付補佐官を務めたジョン・エマーソンが、アメリカ上院小委員会でノーマンに関して証言したものである。」とされていますが、誤りです。「ノーマン・ファイル」は全部で227ページありますが、このうち、エマーソンが証言した部分は50数ページだけです。

このファイルのエマーソンの証言の部分を読めば、「心理戦は共産主義を推奨する意図のあるものではない」と説明しているので、ノーマン・ファイルに関する百田氏の説明は意味不明としか言いようがありません。

むしろ、「戦争指導者と国民」を分離するという方法がイタリアで成功している、という話で(『延安リポート』)、中国共産党の洗脳に倣ったわけではなさそうです。

 

「ちなみに、『洗脳』という言葉は今日、英語でも『brainwashing』と漢語から直訳されて使われている。」(P431)

 

と説明されていますが、百田氏が再三使用されている「洗脳」という言葉の使い方は、心理学的には間違っていて、マインド・コントロールのことです。

そもそもノーマン・ファイルには、“brainwashing”という単語は一つも出てきません。言うまでもなく、エマーソン証言には「戦争責任を伝える計画」(WGIP)という単語も一つも出てきませんので念のため。

 

「呆れたことに、この時、マッカーサーをご神体に据えた『マッカーサー神社』を作ろうという提案がなされ、その発起人に当時の朝日新聞社社長の長谷部忠が名を連ねている(毎日新聞社社長、本田親男の名前もある)。」(P433)

 

と説明されていますが、これは恥ずかしいので一刻も早く削除されたほうがよいと思います。まったくの俗説でこんな事実はありません。

「マッカーサー記念館」を「マッカーサー神社」と揶揄した1990年代の言葉です。

ちなみに「マッカーサー記念館」の発起人は、朝日新聞や毎日新聞の社長だけでなく秩父宮さまも名を連ねておられます。

196】WGIPは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画」ではない(その6)

 

「GHQが次に行なったのが『公職追放』(公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令)である。GHQにとって好ましからざる人たちを様々な職場から追放したのだ。」(P428)

 

と説明されていますが、「公職追放令」を曲解されています。

「GHQにとって好ましからざる人々」ではなく軍国主義者と戦争協力者の追放です。公職追放は、対象人物の「内面」ではなく「外面」によって(主義・主張そのそのものではなく、戦前どのような立場にあったか)で選定されています。

GHQが恣意的に選んだわけではありません。

 

「対象者は『戦犯』や『職業軍人』など7項目に該当する人物だったが、GHQが気に入らない人物は、それだけで追放処分となった。」という説明は不適切です。7項目に該当せず、GHQが気に入らない人物で追放された人物を具体的にあげる必要があります。

 

「鳩山は昭和二〇年(一九四五)、アメリカの原爆投下に批判的ともとれるインタビュー記事が朝日新聞に載ったことで、GHQから睨まれたのだ。」(P429)

 

と説明されていますが誤りです。朝日新聞がGHQの出したプレスコードにひっかかって発行停止になったのは確かですが、鳩山一郎の公職追放の理由は別です。

「統帥権干犯問題」を議会で追及したことが理由でした。

そもそも百田氏もP352P354「統帥権干犯問題」において、

 

「これ(ロンドン軍縮条約)を受け入れた一部の軍人や野党政治家は激しく非難した。」

「ところが、ロンドン海軍軍縮条約に反対する野党政治家(犬養毅、鳩山一郎など)が、それまでの大日本帝国憲法の解釈と運用を無視して、『陸海軍の兵力を決めるのは天皇であり、それを差し置いて兵力を決めたのは、天皇の統帥権と編制大権を侵すものであり、憲法違反である』と言い出して、政府を批判したのだ。」

「この一連の事件以降、内閣が軍部に干渉できない空気が生まれ、軍部の一部が統帥権を利用して、暴走していくことになる。野党の政府攻撃が日本を変えていくことになったのだ。」

 

と、鳩山一郎ら「野党政治家」を非難し、その責任を明らかにされています。

GHQの指定する「軍部の台頭に協力した軍国主義者」に該当する「公職追放」にあたることをすでに百田氏が説明されています。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12444761232.html

 

ちなみに、「滝川事件」で滝川教授の罷免を要求し、文官分限令で休職処分にした文部大臣も鳩山一郎でしたし、「上智大学事件」の時の文部大臣も鳩山一郎でした。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12450622622.html

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12450167900.html

 

GHQは「ポツダム宣言」に定められたことを「降伏文書」を受け入れた政府に実行させる責務をもっています。軍国主義者の除去は、かなり力を入れて調査していました。戦後、GHQを批判した者を公職追放したのではなく、戦前の軍国主義台頭に協力した人物を追放した、ということをご存知無いのではないでしょうか。

ですから「大学や新聞社で追放を免れた人たちの中にも、追放を恐れてGHQの政策に対して批判的なことを口にする者はいなくなった。」(P430)という説明は誤解で、「公職追放」は「戦前の活動・立場」が対象でした。

 

「戦後初の総選挙で第一党となった政党の総裁でさえ簡単に追放してしまうGHQの恐ろしさに、以降、GHQの政策に異議を唱える政治家はほとんどいなくなってしまった。」(P429)

 

という説明も誤りです。GHQは異議申し立てを受理する機関として「公職資格訴願審査委員会」を設置していて、実際、148名の取り消し、4名の解除をおこなっています。「GHQの恐ろしさ」におびえていたのは軍国主義者と戦争協力者、旧戦争指導者たちです。

 

「また名称こそ『公職追放』となっていたが、実際は公職だけでなく民間企業からも追放された。」(P429)

 

という説明も意味不明です。「公職追放令」をあまりご存知無いようです。

この法令は実行にあたって、「公職」の定義をしています。

「国会の議員、官庁の職員、地方公共団体の職員及び議会の議員並びに特定の会社、協会、報道機関その他団体の特定の職員の職等」と明記されていて、対象者が公職に

ある場合、退職させるとしたものです。

当然、民間企業でもそれが軍国主義や戦争協力に携わるものであったならば対象となります。

 

「GHQは新聞社や出版社からも多くの人物を追放した。それは言論人や文化人にも及んだ。」(P429)

 

と説明されていますが、先ほども申しましたように、対象となった人物の「内面」ではなく、「外面」(どのような立場にあったか)が問題とされました。

百田氏はその例として、菊池寛・正力松太郎・円谷英二・山岡荘八の四人をあげておられます。

菊池寛の場合は、戦前、衆議院議員に立候補したり(落選)、市会議員に当選したりして政治家の経験もあります。日本文芸家協会の会長として、内閣情報部からの指示をうけて作家の従軍を募集、戦争中は国家からの依頼はすべて受け入れるとして「文芸銃後運動」を始めています。日本文学報国会が設立されるとその議長にもなりました。映画会社「大映」の社長に就任、国策映画制作もおこなっています。

 

正力松太郎は、大政翼賛会の総務であり、A級戦犯の第三次指名を受けています。読売新聞社の社長であったことが公職追放の理由になったのではありません。

もともと内務官僚で、警視庁官房主事時代は、日本共産党の一斉取り締まり、関東大震災時は、社会主義者の扇動による暴動に備える警戒を指揮しています。警務部長を歴任しますが「虎ノ門事件」の責任で懲戒免官となった、という経歴があります。

 

円谷英二の場合は、個人的には同情を禁じ得ません。「内面」ではなく「外面」が対象となった典型例だと思うからです。映画と特撮に取り組み、それに専念した結果であっと思うと気の毒であったと思います。

1939年に陸軍航空本部からの依頼で、戦闘機操縦の「教材映画」を演出兼任で撮影しました。なんと自ら航空機を操り、撮影したんです。1940年の『海軍爆撃隊』はミニチュアの飛行機による爆撃シーンを撮影しました。

1941年、太平洋戦争が始まると「東映」は本格的に「戦意高揚映画」を制作していくようになります。特撮が重要な役割を果たすため、円谷は戦争映画すべてを担当しました。『ハワイ・マレー沖海戦』が大ヒット、さらに『雷撃隊出撃』『加藤隼戦闘機隊』などはすべて円谷が手がけました。

こうして軍の教材映画、戦意高揚映画に加担したということで公職追放となったのです。

 

山岡荘八の場合は、従軍記者として活躍したことが対象となってしまいました。

国家総動員体制の下、多くの作家も体制に協力させられていきました。従軍体験の作品では火野葦平の『麦と兵隊』は人気を博しましたが、石川達三の『生きてゐる兵隊』は発禁処分となります。山岡荘八は『からゆき軍歌』『海底戦記』を著しています。

 

「代わりにGHQの指名によって入ってきたのは、彼ら(GHQ)の覚えめでたき人物たちだった。これにより、多くの大学、新聞社に『自虐史観』が浸透し、GHQの占領が終わった後も、『WGIP』を積極的に一般国民に植え付けていくことになる。」(P429P430)

 

という説明はどうでしょう。すでに申しましたように「公職追放」はCCDも「戦争責任を伝える計画」(WGIP)とは無関係です。

公職追放で、政財界の中枢から軍国主義者や戦争協力者が多く抜け、それまでの中間層が繰り上がりで一気に若返りました。彼らは「三等重役」と揶揄もされましたが逆に言えば「老害」が除かれて若手に活躍の機会が回ってきた、と、喜ぶ風潮もありました。「多くの大学、新聞社に『自虐史観』が浸透し…」という説明も一面的で、法学部などの憲法界では、独立後、日本独自の憲法をもとめる思想も大きく展開されます。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12450622622.html

 

「公職追放」に反発し、戦争を反省しつつも新しい日本の建設を進める保守層も成長していきました。何より、独立後の議会で、革新層は過半数をとることなく保守層が常に過半数を占めてきています。

国民の支持の過半数は常に保守にあったことは明白です。

それに官僚に対しては「公職追放」はあまりみられません。裁判官などもそうです。

戦前の衆議院議員の8割ほどは「公職追放」の対象となっていますが、追放規定の3親等外の親族や秘書などを「世襲候補」として立候補させて大部分は議席確保に成功しています。

GHQのおぼえめでたき者が代わりに挿入され、1946年で終了している「戦争責任を伝える計画」(WGIP)を一般国民に植え付けていく、というようなことは行われていません。

 

「また政治家の間でも、GHQを使って政敵を追い落としたケースもあった」(P430)

 

と説明されていますが、具体例と具体名をあげられてもよかったのではないでしょうか。当時、石橋湛山が公職追放の対象となったのは吉田茂の追い落とし工作だったという「噂」があったことは有名ですが、これも政界ゴシップにありがちな話で、他にこのような例があったとは思えません。

 

多くの事実を誤解されたり誤認されたりしているので、「こうした事実を見ると『教職追放』や『公職追放』は、単に思想的な問題だけでなく、日本人の誇りとモラルを破壊したということがわかる。」(P430)ということは断言できないと思います。

195】WGIPは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画」ではない(その5)

 

「GHQの行なった思想弾圧で、後の日本に最も影響を与えたのは、『教職追放』だった。」(P426)

 

と説明されていますが、「GHQの行なった思想弾圧」というのは不適切です。

戦争責任者や軍国主義を勧めていた者にとっては「弾圧」と思うのも当然かもしれませんが、戦時中の軍国主義をあおる書物などを没収するのはポツダム宣言にある「軍国主義の除去」に基づくものです。

戦後に書かれた書物の没収ではありません。戦前の軍国主義的な内容の書物の没収です。

たとえば、GHQの占領中に横田喜三郎の著した『天皇制』は、明らかにGHQの基本方針であった「天皇制の維持」「天皇の戦争責任否定」に反していますが、没収も弾圧もされていません。

「…横田喜三郎は、東京裁判の正当性を肯定している。」(P427)とありますが、これも不正確で、横田は東京裁判の翻訳官を担当し、審議・過程を詳細に知っていて、国際法学者の立場として、その法的不備を指摘しています。

 

「…多くの日本人協力者がいた。特に大きく関与したのは、日本政府から協力要請を受けた東京大学の文学部だといわれている。」(P423)と説明されていますが、「…いわれている」とあるようにまだ学術的には検証されていないことです。

「同大学の文学部内には戦犯調査のための委員会もあった」とも説明されていますが、

これは外務省からの依頼によるものです。仮にGHQの指示が背後にあったとしても、

あくまでも日本の手による問題解決を促すもので、「我々は、サイドラインを引き、ゴールを設け、ボールをトスする。彼らがそのボールを拾い上げ、それを持って走る。彼らがボールを落としたり、倒れたりしたときには助ける。しかし我々は特にプレーに加わるわけではない。」というCIE(民間情報教育局)の方針とも合致しています。

戦時中の特高や憲兵隊による露骨な弾圧、出版禁止、プレスへの圧力に比べれば極めて穏当なものです。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12450537290.html

 

さて、「教職追放」についてですが。

 

「『WGIP』を日本人に完全に植え付けるためには、教育界を押さえなければならないと考えたからだ。」(P426)

「代わってGHQが指名した人物を帝国大学に入れたが…」(同上)

「戦前、『森戸事件』(東京大学教授の森戸辰男が無政府主義の宣伝をした事件)に関係して東京大学を辞めさせられた大内兵衛(戦後、東京大学に復職、後、法政大学総長)…」(同上)

「戦前、無政府主義的な講演をして京都大学を辞めさせられた(滝川事件)滝川幸辰(戦後、京都大学総長)など、多くの者がGHQの後ろ盾を得て、『WGIP』の推進者となり、最高学府を含む大学を支配していくことになる。」(同上)

 

まず、いわゆる「教職追放」が開始された1947年には、「戦争責任を伝える計画」(WGIP)の「真相はこうだ」を初めとする一連の施策は終了(1946)しています。東京裁判が結審しているからです。「戦争責任を伝える計画」(WGIP)を推進する必要はもうありませんでした。

大内兵衛は確かに1920年の「森戸事件」に関係して罰金刑となり、失職しましたが、数年後、東京大学に復職しています。「第二次人民戦線事件」で検挙され、1944年に退官しているのでこの説明は誤りです。

また、「森戸事件」「滝川事件」を「無政府主義の宣伝」「無政府主義的な講演」などと評しているのは弾圧した戦前の政府の見解で、現在このようにこの事件を説明するのは不適切です。滝川の理論は、階級が対立する社会では、罪刑法定主義を徹底しないと、法が思想を弾圧する手段になりかねない、という説明で、この程度の話で「無政府主義」と断じて大学の人事に介入した戦前の「思想弾圧」の理不尽さがよくわかる事件です。

ちなみに大内兵衛にせよ滝川幸辰にせよ、戦前に思想弾圧された象徴的な人々の「回復」の一環であって、「『WGIP』の推進者となり、最高学府を含む大学を支配していくことになる。」というのは何の根拠もない言説です。

(細かいことが気になるぼくの悪いクセですが、「最高学府を含む大学」と説明されていますが、どうやら百田氏は「最高学府」が「東京大学」を意味する言葉だと勘違いされているようですが、「最高学府」とは「大学」のことです。)

 

「『八月革命説』とは『ポツダム宣言の受諾によって、主権原理が天皇主権から国民主権へと革命的に変動したもので、日本国憲法はGHQによって押し付けられたものではなく、日本国民が制定した憲法である』という説である。現在でも、この説は東大の憲法学の教授たちによって引き継がれ、その教え子たちによって全国の法学部に広く行き渡り、司法試験などの受験界では『宮沢説』は通説となっている。」(P427

 

と説明されて、宮沢俊義を説明しています。

これ、「八月革命説」を少し誤解されていると思います。主権原理が天皇主権から国民主権に移ったことは、まさに大転換で、これを刺激的な比喩として「革命」と説明しているのであって、日本国憲法の成立に正当性を与えるリクツでは無いはずです。

ましてや宮沢の造語、術語にすぎず、「日本国憲法はGHQによって押し付けられたものではなく、日本国民が制定した憲法である」とまで宮沢は言及していなかったはずです。

 

「『日本国憲法の制定は日本国民が自発的自主的に行なったものではない』と主張していたが、ある日突然、正反対のことを言い出した。」(P427)

 

と説明されていますが、これも誤解されています。

宮沢の説の「変化」は天皇の地位についてで、GHQの占領下の1947年で「天皇は君主」という立場の説明をしていたのですが、1955年には「君主ではない」と説明し、1967年の『憲法講話』(岩波新書)で「天皇は公務員」と説明していることだと思います。

 

「そして東京大学法学部からは、戦後も数多くの官僚が輩出している。『自虐史観』に染まった教授たち(一部は保身のためGHQに阿った)から『日本国憲法は日本人が自主的に作った』『東京裁判は正しい』という教育を受けた人たちが、文部科学省や外務省の官僚になるという方がむしろ、恐ろしいことである。」(P428)

 

と説明されていますが、そんなことはないと思いますよ。

東大にせよ京大にせよ、むしろGHQの民主化政策以降、法学部の中ではさまざまな考え方や立場の教授・学生が自由に研究し、主張をできるようになったと考えるべきではないでしょうか。戦前には「危険思想」「反体制」のレッテルを貼られた人物さえ、「復活」できる世の中になったわけです。

独立後は、さらに多様な学問の自由が展開されています。

憲法学では、東京大学の宮沢俊義の「八月革命説」に対して、京都大学の大石義雄は日本の歴史・伝統を重視したすぐれた憲法論を提唱し、一方の憲法理論を確立しています。

 

『「教職追放」は大学だけでなく、高校、中学、小学校でも行なわれた。最終的に自主的な退職も含めて十二万人もの教職員が教育現場から去った。』(P428)

 

と説明されていますが、根拠不明な説明です。

そもそも、これ、GHQはもちろん、CIE(民間情報教育局)は関与していません

判定はすべて現地に委任されていて、対象となったのは約5000人です。当時全教員は約60万人ですから全体の1%ほどです(『昭和史の謎を追う』秦郁彦・文春文庫)

194】WGIPは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画」ではない(その4)

 

百田氏が取り上げられているラジオ放送「真相はこうだ」なのですが…

 

「この番組は、大東亜戦争中の政府や軍の腐敗・非道を暴くドキュメンタリーをドラマ風に描いたものだった。国民は初めて知らされる『真相』に驚くと同時に政府や軍部を激しく憎んだ。しかしこの番組は実はすべて台本をGHQが書いており(そのことは国民には知らされていなかった)、放送される内容も占領政策に都合のいいもので、真実でないものも多かった。すべては日本人を『国民』対『軍部』という対立構図の中に組み入れるための仕掛けだったのだ。また『太平洋戦争は中国をはじめとするアジアに対する侵略戦争であった』ということを徹底的に刷り込むためのものだった。」(P424)

 

と説明されていますが誤りです。

まず、百田氏はこのラジオ放送を聴かれたことがあるのでしょうか(リアルタイムでは無理なのですが)。現在、「真相はこうだ」はすべて保存されていません。

現在残されているのは第1回・第2回、第7回、第8回、第10回だけです(第2回はタイトル不明)

この5回で百田氏は「占領政策に都合のいいもので、真実でないものも多かった。すべては日本人を『国民』対『軍部』という対立構図の中に組み入れるための仕掛けだったのだ。」と断言されたことになります。

明快にわかっているのは「タイトル」で、内容の詳細は不明で把握できていないのがほとんどです。

(賀茂道子「前掲書」・法政大学出版局・第1回・第2回については、なんと賀茂道子氏は個人蔵の「音源」を提供されて研究されています。)

 

第1回「満州事変について」

第2回-タイトル不明-(内容は日華事変)

第7回「太平洋戦争の転機」

第8回「ニューギニア・マーシャル・サイパンの戦い」

10(最終回)「硫黄島の戦いと沖縄戦・ポツダム宣言・原爆から敗戦まで」

 

「国民は初めて知らされる『真相』に驚くと同時に政府や軍部を激しく憎んだ。」と説明されていますが、誤りです。

「真相はこうだ」が始まる以前から、国民はすでに政府と新聞によって日本軍の残虐行為や、戦争中のプロパガンダのウソを知らされていたからです。「真相はこうだ」で初めて知った国民はほとんどいないはずです。

(これは軍人であった伯父たちからも私自身話を聞かされています。)

「戦争責任を伝える計画」(WGIP)が始まる以前の、終戦直後から軍部に対する嫌悪と批判はすでに始まっていました。ポツダム宣言発表直後から、軍事物資を持ち出して郷里に帰る軍人たちの姿が各地で見られるようになり、1945年9月1日から15日まで「警視庁警備課」のまとめた「街の声」では、これを「指摘」するものが大量にあげられるようになりました(賀茂道子・前掲書)。

また、陸軍省など軍部の関連省庁では、さまざまな書類が「たき火」されていて、多くの市民が軍部の「隠蔽工作」を目撃しています。

なにより、終戦直前まで「本土決戦」を叫び、「一億総玉砕」を唱えながら突然終戦の詔勅が発せられたこと、「特殊爆弾ヲ使用スルモ被害軽微」と発表されていた原子爆弾の被害・惨状が伝えられたこと、東久邇宮首相の「声明」発表により、これまで隠されてきた軍の敗退、軍事力の払底が知らされたことにより、国民自身が騙されていたことを十分認識するようになっていたからです。

そして、何より復員兵たちが、自分たちの「惨状」、「戦地での体験」を語り始めたことです。

これらは「戦争責任を伝える計画」(WGIP)が始まる三ヶ月以上前から広く周知されていました。

国民が「戦争責任を伝える計画」(WGIP)によって「政府や軍部を激しく憎んだ」のではありません。

 

「『国民』対『軍部』という対立構図の中に組み入れるための仕掛け」というのも不正確です。「太平洋戦争史」「真相はこうだ」の目的に含まれていることは、大きく2つで、

 

①「天皇に戦争責任がない」ということを国民に伝える。

②「大東亜戦争」は「満州事変に始まる侵略戦争であった」ことを国民に伝える。

 

ということでした。

「天皇は知らなかった」という説明がされ、はっきりと「日本が警告なしに真珠湾を攻撃したことは、陛下ご自身の御意志ではなかったのだ」と示しています。

 

百田氏は、「天皇に責任がない」と国民が考えているのは、WGIPによる「洗脳」で「刷り込まれた」ことで、現在、天皇に対する戦争責任が問われていないことは、「何よりも恐ろしい」「洗脳の深さ」(P425)である、とでも主張されるつもりなのでしょうか。

 

「真相はこうだ」が始まると、NHKには抗議の手紙、電話などが殺到しました。

(『体験的放送論』春日由三・日本放送出版協会)

つい数ヶ月前まで鬼畜米英を唱えて戦争を賛美していたのに、その変わり身の早さ、無節操を非難するものも多数あったようです。

これらをCIEが弾圧したり、無視したりは一切せず、その苦情内容を分析して次の放送に活かしています(聴取者から質問を受け付けて回答するという「質問箱」「眞相箱」を開始しました)

 

「GHQは翌年も『眞相箱』『質問箱』というタイトルで、二年以上にわたり洗脳番組を放送し続けた(依然、GHQが制作していることは伏せられていた)。」(P424)

 

と説明されていますが、明確に誤りです。

「真相はこうだ」は、194512月9日から翌年2月10日まで。2ヶ月ほど。

「真相はこうだ質問箱」は1946年1月18日から2月8日まで。3週間ほど。

「真相箱」は1946年2月17日から1129日まで。9ヶ月ほど。

「質問箱」は「真相はこうだ」の放送中に始まりました。

これらは194512月9日~19461129日までですから「二年以上」どころか「一年未満」です。

それから「眞相箱」はCIEが制作していることを明示していて、「GHQが制作していることは伏せられていた」というのも誤りです。

WGIPについては、『日本国紀』の中でも格段のページ数を割いて説明されているのに、あまりにもたくさんの誤りの上に立論されていて驚くばかりです。

 

「GHQの占領は七年間だったが、それが終わって七十年近く経った現在でも、多くの日本人が『戦前の政府と軍部は最悪』であり、『大東亜戦争は悪辣非道な侵略戦争であった」と無条件に思い込んでいる。」(P425)

 

と説明されていますが、WGIP以前から「戦前の政府と軍部は最悪」と国民は知っていて、「悪辣非道な侵略戦争」と「無条件」に思い込んでいるわけではありません。