『日本国紀』読書ノート(198) | こはにわ歴史堂のブログ

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198】戦後、朝鮮人に治外法権はもちろん、不逮捕特権など認められていない。

 

「占領中に、アメリカ兵に殺害された日本人は四千人近く、強姦された婦女子は記録されているだけでも二万人にのぼった(被害を届けなかったケースを考慮すると、実際はその何倍もいたと思われる。)(P433)

 

と説明されています。

私も、占領期のGHQの兵士たちによる犯罪に関しては憤りを感じており、とくに「戦時・戦後における婦女子への犯罪・不当な待遇」ということは、大問題であったと強く思っています。

ですから、やはり、正確な資料や数字に基づいて説明しないといけない問題であると考えています。「占領中に、強姦された婦女子は記録されているだけでも二万人にのぼった」というのはどういう根拠で説明されているのでしょうか。

また、「アメリカ兵に殺害された日本人は四千人近く…」というのは、おそらく「全調達」(防衛省の労働組合)の調査の3902人のことをおっしゃっているのでしょう。

(これ以外に「四千人近く」の数字を残す記録がありません。)

しかし、これは「アメリカ兵が起こした殺害事件だけではなく、アメリカ軍に関係した事故、交通事故による死者も含んでいるもの」です。「殺害された」人数が「四千人近く」というのは不正確な説明です。

 

まず、「記録」ということで言うならば、実は内務省警保局外事課の「進駐軍ノ不法行為」というものがあります。1945年8月30日から10月までのもので、進駐軍の兵士の犯罪を「取り調べ」ています。よって「日本の警察は、アメリカ兵の犯罪を捜査することも検挙することもできなかった」というのは一部不正確な説明です。

GHQは、プレスコードで「占領軍への批判」を禁止していましたが、アメリカ兵の重大犯罪に対しても「検閲」していました。

しかし、「事前検閲」から「事後検閲」に変更するようになると、アメリカ兵の犯罪に対する報道の規制も比較的緩和され、報道による記録も残っています。

内務省警保局外事課の「進駐軍ノ不法行為」の記録では、12日間で強姦9、わいせつ事件6がみられます(8月10日から9月10日の12日間)

また、占領期の日本を知る人には懐かしい言葉かもしれませんが、「MP」という組織も日本には配置されていました。いわゆる“Military Police”アメリカ軍憲兵のことで米軍兵士の犯罪、治安維持をおこなっていました。各地のMPは都道府県庁内に設置されている場合が多く、市民からの得たアメリカ兵の犯罪の情報をもとに検挙しています。

滋賀県庁にあったMPの通訳を担当していた方の話などが2015年に新聞で明らかにされています(産経新聞・2015年7月28日)が、軍内部の犯罪についても厳しく摘発していたこともわかります。

占領軍は3年間で50万人規模から10万人規模に縮小され、1946年代から次第にアメリカ軍による犯罪も減少していきました。

占領下におけるアメリカ兵による犯罪は、もっとクローズアップされてしかるべきだと考えますが、誇張や事実誤認を含めて明らかにしてはいけないと思います。

ちなみに、平成7年の1年間で、日本で発生している強姦・強制わいせつ事件の認知件数は1万1833件ありました。そこから減少傾向にあり、平成23年では8055件です。(警察庁資料・「犯罪白書」より)

1年間で8000件くらい強姦・強制わいせつ事件が現在でも起こっているわけで、占領期間中(19461952)の「記録されているだけでも二万人」、という数字だけを取り出して強調するのは適切な数字の出し方とはいえないと思います。

 

「GHQは、当初、朝鮮人を『戦勝国民』に準じるとしたのだ。前述したように、占領初期は、新聞で朝鮮人を批判することは許されず、また彼らを裁判で裁くことも禁じられた。」(P434)

「…他の連合軍兵士と同様に不逮捕特権まで得た朝鮮人は、日本人相手に乱暴狼藉の限りを尽くした。」(同上)

「初めは朝鮮人の行動を黙認していたGHQも事態を重く見て、昭和二〇年(一九四五)九月三十日に、『朝鮮人連盟発行の鉄道旅行禁止に関する覚書』で、朝鮮人が『治外法権の地位にないこと』を明らかにする発表を行なった。つまり、それまでは『治外法権』を認められていたことになる。」(同上)

 

と説明されていますが、誤りです。

GHQは、朝鮮人を「戦勝国民」に準じる、などとしていません。当時の朝鮮人たちの「自称」です。

また、「昭和二〇年(一九四五)九月三十日に、『朝鮮人連盟発行の鉄道旅行禁止に関する覚書』で、朝鮮人が『治外法権の地位にないこと』を明らかにする発表を行なった。」とされていますが、二つの大きな誤りがあります。

一つは、「昭和二〇年(一九四五)九月三十日」ではなく1946年9月30日の誤りです。

二つめは、「朝鮮人連盟発行の鉄道旅行禁止に関する覚書」の中に、朝鮮人が「治外法権の地位にないこと」という文言は書かれていない、ということです。調べればすぐわかることなのに、どうしてこんなことを書かれたのでしょうか。

よって、GHQが朝鮮人に「不逮捕特権」など与えていません。それは以下の事実からも明らかです。

1945年8月から1946年9月30日までの殺人事件の記録だけをみても、朝鮮人犯罪者は普通に逮捕されています。

 

1945年8月「名古屋少年匕首殺害事件」3人逮捕

194512月「直江津駅リンチ殺人事件」3人逮捕

1946年8月「一勝村農家六人殺害事件」3人逮捕

1946年9月「七条警察署巡査殺害事件」5人逮捕