『日本国紀』読書ノート(150) | こはにわ歴史堂のブログ

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150】統帥権干犯問題の説明が不正確で、浜口内閣の経済政策の話が無い。

 

前回に続き、『日本国紀』は、「昭和」「統帥権干犯問題」「満州事変」の中の記述が、時系列に沿って説明されていないので、時系列を整えて以下、説明します。

 

関東軍参謀による張作霖爆殺事件、いわゆる満州某重大事件で昭和天皇の信頼を失った田中義一内閣は総辞職し、かわって組閣したのが立憲民政党の浜口雄幸でした。

(このころ、立憲政友会と立憲民政党の二大政党制のような政局で、政友会の田中義一の退陣で、立憲民政党からの組閣となりました。)

一般に田中義一内閣の強硬外交、幣原喜重郎外務大臣の協調外交、と説明されがちですが、「田中外交」は実は対中国強硬、対欧米協調路線で、不戦条約の批准もおこなっています。

欧米と協調すれば中国進出が容易にできると考えていたのが「田中外交」、中国進出が欧米協調を崩すと考えていたのが「幣原外交」です。

 

不思議なことに浜口内閣の「統帥権干犯問題」には触れられているのに、1930年1月からの「金解禁」と産業合理化・緊縮財政の話が出てきていません。

 

「昭和」(P350P352)の説明の中で、世界恐慌による企業の倒産、農村不況の話をされた後、

 

「政府は恐慌から脱出するために、金融緩和に踏み切るとともに積極的な歳出拡大をし、農山漁村経済更正運動を起こし、インドや東南アジアへと輸出を行ない、欧米諸国よりも早く景気回復を成し遂げた。」(P350)

 

と説明されていますが、これは、浜口内閣の次の第二次若槻内閣のさらに次の立憲政友会犬養毅内閣の蔵相高橋是清の財政政策(「高橋財政」)の話です。

 

田中内閣の次の、立憲民政党の浜口・若槻内閣の経済政策の話がまったく無いのは違和感をおぼえます。

通史の記述はネタフリとオチが大切。

浜口雄幸の金解禁と緊縮財政、産業合理化の話があるから、犬養内閣の「金融緩和」「金輸出再禁止」「管理通貨制度」「労働者の不当に安い賃金」の話に繋がるのにどうしてすべて割愛されているのか、なんとも不思議です。

 

浜口内閣は、井上準之助蔵相のもと、産業の合理化、緊縮財政につとめ、金輸出の解禁をすることで為替相場を安定させ、輸出を促進しようとしましたが、アメリカ発の世界恐慌に巻き込まれ、金解禁は「嵐の中で雨戸を開ける」ような状態となり、昭和恐慌に陥りました。

一方、浜口内閣の「緊縮財政」は軍事費にもおよび、世界的不況の中で各国も軍縮による財政赤字の解消を図ろうとしていました。軍縮は一国ではできません。そこでロンドンで軍縮会議が開かれ、日本も1930年4月に軍縮条約に調印しました。

 

「ところが、ロンドン海軍軍縮条約に反対する野党政治家(犬養毅、鳩山一郎など)が、それまでの大日本帝国憲法の解釈と運用を無視して、『陸海軍の兵力を決めるのは天皇であり、それを差し置いて兵力を決めたのは、天皇の統帥権と編制大権を侵すものであり、憲法違反である』と言い出して、政府を批判したのだ。」(P353P354)

「…野党が無理矢理な理屈で反発したのである。そしてこれに一部の軍人が乗り、大きな問題となった。やがて民衆の中にも政府を非難する者が出た。」(P354)

 

と説明されていますが、順序が逆です。「一部の軍人が乗り」ではなく「野党がこれに乗り」です。

そもそも、海軍は対米七割を主張していました。政府は交渉で対米6.975割を実現したのです。

海軍省はこれを受け入れる感じだったのですが、軍令部長の加藤寬治がこれに噛みつきました。これに野党立憲政友会・国家主義団体が同調し、野党は衆議院本会議で追及したのです。

そもそも、この問題はダシにすぎず、海軍の反発は、浜口内閣の海軍予算削減にありました。議会の承認を必要とする予算ではなく、グレーゾーンであった統帥権・編制権にからめて反発したのが真相です。

 

「やがて民衆の中にも政府を非難する者が出た。」(P354)

 

という説明も不正確で誤った印象を与えます。「民衆の中」と言えないことはありませんが、非難したのは右翼団体や国家主義活動家のことで民衆レベルの反対運動は起こっていません。

 

「軍部の一部が統帥権を利用して、暴走していくことになる。野党の政府攻撃が日本を変えることになったのだ。」(P354)

 

という説明もどうでしょうか…

軍部の暴走をもたらしたのが政府の政策に無理解な、いつも政局を絡める野党のせいだったと言わんばかりです。

軍部の条約批判に野党が乗っかり政局に持ち込もうとしたのが統帥権干犯問題でした。

「野党」というのはいつの時代でも、政局に絡めることが多々ありますが、情報公開をしない政府や、軍事機密をタテに軍部に不利な情報を開示しない状況があったことも忘れてはいけません。

軍・政府の情報非公開・情報操作は、関東大震災の朝鮮人虐殺・張作霖爆殺事件を経て、満州事変・日中戦争・太平洋戦争と深化していきます。

 

以下は蛇足ですが…

 

クラウセヴィッツの言葉と称して「戦争は、政府と軍隊と国民の三位一体で行なわれなければならない」を引用し、「…戦争に勝利するためは、国民の理解が必要であり、政府は戦争目的を訴え、国民の支持を集め、軍事予算を準備する。その予算のもとで軍は戦うが、この時、軍事に関して素人の政治家は作戦には口出ししない」という話をされています。

クラウセヴィッツの「シビリアン・コントロール」を著しく曲解した説明で、百田氏独特の解釈です。

 

クラウセヴィッツは、戦争は、

 

「憎悪や敵意をともなう暴力行為」

「偶然性という賭けの要素」

「政策のための従属的性質」

 

から構成されている、と説いたのです。

この三つをクラウセヴィツは「国民」「軍隊」「政府」に割り当てています。

戦争には、国民の情熱や世論の支持が必要、偶然性の高い賭けの要素があるがゆえに、将軍と軍隊の勇気と能力が勝敗を分ける、達成すべき政治目的は、政府のみが決定できる、と説いたのです。

「政府は戦争目的を訴え、国民の支持を集め、軍事予算を準備する。その予算のもとで軍は戦うが、この時、軍事に関して素人の政治家は作戦には口出ししない」という説明は、あくまでも百田氏の独自解釈にすぎません。

 

『戦争論』を読めばわかりますが、シビリアン・コントロールとは、経済や外交を知らない軍人が戦争をしてしまうことを抑制することです。クラウセヴィッツは、「戦争は外交の延長」と明言していることからわかるように「軍事=政治・外交」なのです。

クラウセヴィッツを用いるならば、経済・外交の素人である軍人が「軍事」に口出ししない、というところも強調すべきでした。

 

『日本の近代9-逆説の軍隊』(戸部良一・中央公論新社)

『統帥権と帝国陸海軍の時代』(秦郁彦・平凡社新書)

『近代日本の戦争指導』(雨宮昭一・吉川弘文館)

『戦争論』は岩波文庫、中公文庫などから多数翻訳出版されています。

森鷗外も『大戦原理』という翻訳書を書いています。

『クラウセヴィッツと「戦争論」』(清水多吉・石津朋之編・彩流社)