『日本国紀』読書ノート(番外編21) | こはにわ歴史堂のブログ

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「WGIP」は「戦争責任を伝える計画」という意味以上のものでも、それ以下でもありません。

「ウォー・ギルト・インファメーション・プログラム」は、江藤淳の『閉ざされた言語空間-占領軍の検閲と戦後日本』(文春文庫)によって説明されたものです。

「真相はこうだ」「太平洋戦争史」など、GHQの占領期の情報政策の個別研究は進んでいましたが、一次史料によって、トータルな計画の存在を明らかにしたことは評価できます。

しかし、「WGIP」を「戦争の罪悪感を日本人に植え付ける計画」と翻訳していることは、どう考えても理解に苦しむものです。 

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12450326319.html

 

そして「WGIP」という言葉が、「日本の戦争を否定的に捉える歴史観はアメリカによって占領期間中に押し付けられたもの」という考え方を肯定する「根拠」として魔法の言葉のように一人歩きし始めていることは大きな問題だと思います。

また、「『WGIP』を植え付けられた」というような用例にいたっては、意味不明な使用法としか言いようがありません。もはや別単語のようになっています。

 

そしてGHQの占領期の「戦争責任を伝える計画」を誇張して説明する一方で、戦前の「検閲」「言論・思想の弾圧」「報道管制」「軍国主義的教育」にはまったく言及されていません。GHQの占領下の政策を「言論統制」というならば、戦前のそれはこれをはるかに上回るものでした。

P464P465にかけて「ゾンビのように蘇る自虐思想」という題名で説明されている内容は、「WGIP」を「戦前の軍国主義」を「Senznn no Gunkoku Shugi(SGS)

に置き換えて説明してみれば、「WGIP」という文言で戦後を説明する滑稽さがわかると思います。

 

「昭和四〇年代から五〇年代にかけての日本は、高度経済成長を成し遂げ、国民生活が飛躍的に向上した時代であったが、その繁栄の裏で、厄介な問題が起こってきた。それは占領軍が去ってから沈静化していた『軍国主義』が再び強くなってきたことだ。

日本人は、戦前に政府から『SGS』の洗脳を受けたが、独立と同時に起こった戦犯赦免運動でも明らかになったように戦前に教育を受けてきた国民の多くには、心の深いところまで『戦争責任』が浸透しなかった。昭和三五年(一九六〇)の安保改定の総選挙で自民党が圧勝したのも、有権者の全員が戦前生まれだったからである。昭和三〇年代には、祝日になると町の至るところに、『日の丸』が揚がり、儀式の際には普通に『君が代』が歌われていた。」

「ところが、昭和一〇年代の終わり(戦中)以降に生まれた人たちは、『SGS』を植え付けられていない。何も知らない白紙の状態の柔らかい頭と心に『SGS』を注入されていた戦前の人とは違うのだ。」

「SGSの信者は、戦後の歴史観はGHQが押しつけたものだと思い、戦後日本の全否定するまでに膨張し、さらに『自虐』というレッテルを貼っていく。」

 

ゾンビのように蘇っているのは「戦前の軍国主義」“SGS”というべきかもしれません。