勇者と段々崩壊していく世界
盗賊カムラが何かの拍子にもの思いに耽り記憶をたどるとき、一番幼いころの記憶は母がまだ赤ん坊の妹をあやしている姿だ。
「こっちは準備完了だよ。あんたは?」
記憶、といったが、記憶ではない。なぜならその記憶らしきものには、母を見つめるカムラ自身の姿がうつる俯瞰の記憶像なのだ。
「問題ない。あとは寝て体力を回復させるだけだ」
妹は三つ下だった。
「あたしはちょっと向こうにいく」
妹ができてから、母親はカムラに、お姉さんなんだからしっかりしなさい、とよく口にするようになった。
「わかった。しかしよく用意できたもんだな」
それは叱りの言葉というよりも、母親の、娘姉、という存在に対する愛情表現の一種だということは、歳を重ねれば知れる。しかし、幼いカムラはその母親の変化に困惑した。
「調達はあたしの領分だからねえ。人の在庫だってあるのさ」
どうしてママはあたしにかまってくれないのだろう。妹の生まれる前、カムラは母親を独占していた。母親の愛情も、時間も、カムラにあてがわれてきた。カムラが泣けばすぐに母親がやさしく抱きしめてくれた。
「寝てるからな。静かに帰ってこいよ」
妹ができたときから、母親を独占していた幼いカムラの日常は音もなく崩れた。母親は以前よりかまってくれなくなり、泣いても、様子を見に来てはくれるが、母親の胸の中には妹がいた。妹がもらい泣きをすると、母親の関心は妹に向けられ、カムラにはきまって、お姉さんなんだからしっかりしなさい、と言うのだった。逆にカムラが母親に面倒をかけなかったり、妹の世話をしようとすると、母親は以前のように微笑んで、カムラを抱きしめた。カムラは、自分が、お姉さん、のように、しっかり、した行動をするときにだけ母親が自身に愛情をむけるのだと、段々と理解していった。またそれ以外の時間は、妹しか母親は見ていない、幼いカムラはそうも理解した。カムラはそれまでの自分を捨て、姉、であることを演じなければならなくなった。それ以外に母親から必要とされることはないのだと理解した。父親は仕事が忙しく、長期間家に戻らないこともよくあった。家庭という三人だけの小さな世界において、おそらく本能がそう選択させるのだろう、母親から必要とされなくなることは母親から愛情を与えられないことよりも、幼いマリネにとって死活のことだった。母親にかまってほしいのに、姉、である自分は母親に甘えられない。とにかく、しっかりと姉でいることが母親から必要とされるすべになった。母親を独占する妹に対する憎悪を、幼いカムラは解放することはなかった。妹を憎む姉など、姉、ではないからだ。
「もう寝てしまうのかい?。もったいない」
カムラにとって妹という存在が自身に姉という未知の役割を与えたように、多くの母親がそうであるよう、カムラの母親もまた生まれてはじめて姉妹を育てるという未知の領域にいた。母親はけっしてカムラをかわいがっていなかったわけではない。愛情を偏らせたわけではない。確かにカムラだけに愛情を与えることはできないし、小さい子の方が手間のかかることは当然のことだ。妹のオシメをかえてる途中でカムラがちょっかいを出してくれば、母親はカムラをいなすしかなかった。それでも母親は、自身の愛情を姉妹へ平等に注いでいた。ただカムラに対する愛情表現の形が変わっただけだった。この母親を非難するわけではないが、大人の母親にとってほんの小さな変化が、三歳のカムラにとってそれまでの世界が崩れる天変地異のような出来事だとは、母親は考えなかった。
「…次にいつ会えるかわからないからなあ」
妹を憎むかわりに、カムラはいつしか母親に対し憎悪の感情を持つようになった。態度に出るほどのものではなかったし、カムラ自身そうした自覚をもっていたわけではないが、それはカムラの心の奥底にしっかりと根をおろしていた。かまってほしいし、もっと自分に注目をしてほしい、けど、なんとなく母親が嫌い。パパの方が好き。と、幼いカムラは思っていた。
「早く帰ってきてあげるから、待ってなよ」
カムラの父親は、妹の世話に追われる妻のかわりにできるだけカムラをかわいがった。たまの休日や、仕事が早く終わった日にはカムラが寝るまで一緒に遊んだ。勝負事には必ず負けて、カムラをかついだ。カムラが泣けば、にっこりと笑顔で抱きしめた。カムラも父親の前では姉を演じる必要がなかったのだろう、母親には要求できない、わがまま、をよく父親にいった。父親は出来るだけそれを叶えた。カムラはそんな父親が好きだった。自分のことを姉としてではなく自分として愛してくれているから。
「よし、楽しみにしておく。もし寝てたら遠慮なく起こしてくれ」
だが、父親はいつもカムラの側にいることはできない。
「ふふ、今夜は寝かせないよ」
娘には甘いが、曲がりなりにも軍師タムラの血をひくエリート家系の主だ。タムラの遺言に似た家訓、一族に関する実務に不必要な情報を秘すこと、に国が従うよう国家に保護された形の秘密主義を貫く一族だったが、タムラ以降の家系図は華々しいキャリアに彩られている。
「困った女だ」
ある者は軍師、参謀。ある者は学者。ある者は将軍。大臣になった者もある。タムラはウエノを裏切ったも同然なのだが、子孫はウエノに残り、しかも歴代の要職に就ている。なぜか。親族が無事であったことに関しては、タムラがトッツクポーリを占拠しウエノから離反した際に密約を交わしていたに違いないともっぱらの噂が市井に流れている。ウエノの弱みを、またはウエノにとってのうまみを、タムラは親族を守るため交渉の道具にしたに違いない、と。裏切り者の一族、がエリート家系として歴代の要職に就ていることに関しては、至極単純に皆がみな優秀な人物であったから、といってしまえる。カムラの父親も優秀で、大臣の補佐官をしていた。ゆくゆくは大臣になるのだろうと誰もが思うほど、父親は優秀だった。父親も大臣の職にありつきたいと願い、熱心に仕事をした。朝早くから夜遅くまで。
「…本気、だったらどうする?」
カムラは覚えていないが、幼いころのある時期、カムラは父親が出勤する時間になると、今日は仕事に行かないで、と、駄々をこねていた日々があった。幼いカムラにしてみれば、父親とずっと一緒にいたい、という至って単純なわがままだった。あのおもちゃが欲しい、というわがままとかわらない要求だった。だが当然のごとく、それはほぼ唯一といっていい、父親にきいてもらえないカムラのわがままになった。パパはカムラのためにがんばってくるのよ、母親が困った顔をしている父親に助け舟をだすように、ぐずるカムラに毎朝言いきかせた。この要求がどうあっても父親に通じないことをカムラが悟りだしてきたころ、カムラは父親に、がんばってね、と送り出すようになった。父親はとびきりの笑顔で、カムラのためにがんばってくるよ、と言って仕事に出かけるようになった。父親がいない多くの時間を、愛情に飢えた時間を、カムラは、父親があたしの為に今もがんばっている、という情報を心に刻んで耐えてきた。カムラのためにがんばる、その一言が会えない時間にも父親とのつながりをカムラに感じさせた。いつしかカムラは、誰かが、がんばる、がんばっている、という言動を愛だと錯覚するようになっていった。誰かが何かをがんばっている姿が好きだった。特に、好きな人があたしのために仕事をがんばる、という状況に憧れた。
「しょうがねえな、がんばるか。ははっ」
妹は、あらゆる才能に溢れていた。カムラもけして勉強や軍学で同じ歳の子供らに劣っていたわけではなかった。むしろさすがタムラの家系なだけあり、同年代の子の中では群を抜いていたといえた。妹が学校に通い出す前、カムラは学校の学力試験のみならず体力試験でもトップになることが多々あった。得意げに、しかしさも当然のことのように、その結果を母親に報せると、母親はカムラを、さすがね、とほめるのだった。その瞬間がカムラはとても好きだった。だが、妹の才気はさらに群を抜いていた。それは優秀な姉の影を踏んで育ってきたから、という理由では到底説明がつかないほどに激しかった。両親は妹に宿る才能にいたく感動し、妹にカムラ以上の英才教育を施すようになった。特に母親は熱心だった。ご先祖様の再来かしら、母親は妹のいないところでよくそう言った。家柄から、妹の才能には学業に特化して伸ばすという教育方針がとられた。カムラは母親に加えて、自身が得意とする、自慢の能力さえも妹に奪われた。
「約束だよ、なんてね」
幸いにして、カムラにはまだ自分をアピールできる手段が残っていた。体を動かす分野だ。カムラは勉強を放棄し、運動に力をいれるようになった。とりわけ、種々の武道にのめりこんだ。剣法、サーベル、徒手格闘、弓、ナイフ、鞭。
「はやくいってこいよ。待つ方の身にもなれ」
カムラは自分の居場所が欲しかった。誰かに愛され、必要とされ、自分の能力をなんの憂いもなく発揮できる居場所が欲しかった。ただ、幼いカムラは自分の居場所を自分でつくりだす能力がなかった。妹とならぶと、妹にはなにをしても勝てない。自信をなくしている上、立派な姉として育ったカムラは誰かに何かを要求することができなかった。要求を伝えることは、わがまま、だからだ。そうしてカムラは妹から逃れて滑りこんだ場所を、本来カムラが望んでいない自分の居場所にしなければならなかった。自分が望んでそこにいると思い込んでまで。
「待たせたねウルシ、早速だけどもう一度確認するよ」
カムラは、妹を大事にしていたし、大事に思っていたことに間違いはない。忙しい勉強や運動の間を縫って、二人でよく遊んだし、他愛もないことを話した。食卓に並ぶ妹の好物を、自分の分まで妹にあげたりもした。仲の良い姉妹だった。少なくとも、カムラはそう思っていた。あの時までは。
「ええ、問題ないわ」
17歳になったカムラは、恋をした。運動と少しの勉強に明け暮れていたカムラにとって、それははじめてのはっきりとした恋だった。相手の男は新しく城にやってきた4つ年上の、どこかうだつのあがらない庭師見習いだった。年上であるが城での後輩になる男に、カムラは城のことなどを世話した。男もカムラを、からかったりもしたが、頼りにした。もちろん男の外見がカムラの好みであったことはいうまでもない。
「もの覚えがいいねえ。しっかりとおぼえておくんだよ」
カムラは人を好きになると、また、相手が自分に少なからず好意を持っていることを察すると、少しづつ自身のわがままを相手に要求するのが手順だった。カムラは好きになった相手が損をすることを要求する。夜遅くまで仕事をしてクタクタになった相手に会おうと言ったり、仕事や学校に行くぎりぎりまで寝ていたい相手に朝早く会おうとしたり。忘れ物をしたからとってきてだとか、街にいくならついでにこれをお願い、あれを見てきて、買ってきてだとか。カムラは人から愛されるということを、わがままを言い相手がそれをきく、という幼き日の自身と父親の関係のみでしか知らなかった。わがままを言うことがカムラにとって相手を好きだという証で、わがままをきいてくれる人がカムラにとって愛されているということになっていた。それは逆にいえば、ふとした拍子にカムラが発したわがままに似た何気ない要求を叶えればカムラはその人を愛するようになっていく、という非常に危うい錯覚を伴った価値観だった。しかし三つ子の魂百までというように、カムラの育った環境と境遇を知ればそれは致し方ないことだった。
「明日、やっと明日…」
ある日、カムラは庭師見習いの男と夜を共に過ごすことに成功した。カムラは幸せに包まれていた。
「見るだけ、だよ」
ある日、ナイフを投げる訓練が予定より早く終わった日に、カムラは庭師見習いの男と妹が仲良く手をつないで歩いているところを目撃した。わけのわからぬまま、高まる動悸を抱えてふらふらとふたりのあとをつけると、ふたりが口づけをかわすところを見てしまった。とても甘く深い口づけだった。そしてふたりは男の部屋へと入っていった。
「ええ、それがマリネのためになるなら」
カムラははじめて、妹が憎いと自覚した。妹の何もかもが憎い。自分から全てを奪い取る妹が憎い。
「…じゃ、あたしは行くよ。忙しくてね」
妹が部屋から出てきたのは二時間後のことだった。男も一緒だった。待ちに待ったカムラはふたりの前に出ていった。見習いの男は不敵に笑った。とりあえず三人で男の部屋へと戻ることになった。
「コマイ」
問いつめるカムラに、まずは妹がいった。姉さん、この人は私のことが好きなのよ。そう言うと妹はからからと笑いだした。
「なんだい?」
カムラは男に確認を求める目を投げた。男はうなずくと、ごめんねカムラ、君が僕のことを段々と好きになっていくのが手に取るようにわかって愉快だっただけなんだ。ゲームみたいでさ。僕は君をうまく攻略できたよ。楽しかった。でも、君みたいにわがままな女とは付き合ってられないね。
「いろいろありがとう。全部コマイのおかげだよ」
妹が言う。
姉さん、姉さん、あわれな姉さん。バカだわ姉さん。なんてバカなのかしら。姉さんも結局みんなと同じバカなのね。私は知っていたのに。姉さんが私のことをずっと恨んでいることを知っていたのに。姉さんはいま気がついたのでしょう?。そんなに怖い顔をしているのだから。バカとハサミはつかいようというけれど、姉さんはよく私のために動いてくれたわ。満足してるよ、姉さんのお姉さんぶりには。あははは。あわれな姉さん。何も知らずに何もかもを奪われていくのね。ひとつこれからもかわいい妹をよろしくね、姉さん。
「これからもよろしくお願いします!」
カムラは、カバンから訓練に使ったナイフを取り出すと、やめろ、という男の声も聴こえず、日々の訓練通り、男の首を斬りつけた。男の首から吹き出た血の量が、致命傷であることを雄弁に語っていた。
「…ああ、最後にゃちゃんと連れてってやるよ」
カムラは返り血を浴びながら、ナイフを妹に向けた。妹はそれでもまだ、からからと楽しげに笑っていた。
「じゃあ明日ね、コマイ」
カムラは必殺の動きで妹に飛びかかった。
「………連れて行くさ。どっちも、地獄に、ねえ」
しかし、カムラは妹にさも当然のようにあしらわれ、取り押さえられた。妹より優れる分野をつくるために、自分の居場所をつくるために専心してきた武道すらも、カムラは妹にかなわなかった。からからと笑う妹の声を聴きながら、カムラは声にならない声をあげていた。鳴きながら、わななきながら、苦しみながら、悶えながら、取り押さえられながらまるで狂った牛のようにカムラは吠えていた。カムラの意識と記憶はそこで途絶えた。
「待ったかい?」
目覚めるとカムラは牢屋に入れられていた。
「少しな…」
その理由は見習いの男を殺したこと。それと、両親の殺害だった。前者には覚えがあったが後者には当然なかった。カムラは城付きの検察官に異議を申し立てたが、無駄だった。取りつく島もなかった。証拠や動機、目撃者、証言者、用意されていたこれらのものものは、完全にカムラが三人を殺したことを示していた。証拠の中には見習いの男が故郷の友人にあてた、カムラと付き合っていることをカムラの両親に反対されている、との事実ではないことが記された手紙もあった。カムラは彼らの後ろに妹が暗躍していることがよくわかった。愛そのものの根源だった父親までも、カムラは妹に奪われたのだ。いつから、どこまで、なぜ、なんのために、狭くて汚い独房の中でカムラは考えたが、最終的に至る考えは、もう妹には勝てない、だった。
「起きててくれるとはうれしいねえ」
カムラが牢屋から出たのは、一週間後のことだった。カムラは脱走したのだ。妹の手引きによるものだった。むろん、妹は巧妙に脅迫し、脱走すること以外の選択肢をカムラに与えはしなかった。最後に妹は、みじめに生きてまたいつか私をかわいがってくださいね、と、言った。この頃カムラの精神はすでにぼろぼろで、妹に抗う力も元気も勇気も、悔しさもプライドもなかった。まるでゾンビのようにふらふらと、妹の言うがままに脱走した。その背中にからからと笑う妹の笑い声を聴きながら。
「俺はお前が好きだからな」
なぜ妹がことここに至って自分を逃がしたのか、わからない。これから何をすればいいのか、わからない。
「…嘘つけ」
どこまで逃げても、どこまで城から離れても、からからと笑う妹の声がいつまでもカムラについてきた。
「…ま、今日のところはそんなこと考えずに楽しもう」
中規模の町に行き着いたカムラは、しばらくそこで乞食をして、月日だけが流れていく日々を過ごした。エリート一族に巻き起こった事件は市井の人々の暇つぶしにはもってこいのネタなはずだが、誰も話題にはしなかった。誰もそんなことが起きていただなんて知らないからだ。もともと秘密主義の一族だったが、それはあくまで私用の範疇に限ったもので、殺人事件のような公にしらされる事象をもみ消せるようなものではない。しかし、現に事件のじの字もカムラの耳に入ってこないということは、それだけ妹がすでに国をコントロールできていることの証左だった。結局この件で世間がしらされたことは、国が発行するお堅い機関紙の片隅で、父親の死によって空いた役職に新しい人がついたという人事報告だけだった。
「ああ、そうしよう」
カムラが表面上立ち直ったふうに見えるようになったきっかけはいくつかある。その最たるものは何といっても妹への憎悪に充ち満ちた復讐心だろう。もともと才気には恵まれていたし、立派な教育も受けてきた。なにより腕がたった。若く美しい自身に降りかかる火の粉を払っていると自然と乞食の間で一目置かれるようになった。乞食仲間の問題を、はじめは機械のように淡々と、多方面に渡って解決に導くうち、カムラは段々とゾンビのような思考なき思考から解放されていった。人は行動に理由を欲しがるもので、カムラも、今していることはなんのためにしているのだろうか、と考えた。その時カムラの目の前にあったのは、強烈にまがまがしく光り輝く妹への憎悪だった。からからと愉し気に嗤う妹の声は、今もカムラから離れたことはない。
「…明日、ほんとにそうなるのか?。肩書き以上のお偉いさんになってるわけだろ?」
カムラはすべてを奪いとっていった妹からすべてを奪いとってやることを決めた。カムラは町を出て、盗賊、と名乗りはじめた。あの妹、ひいては国を相手取るには、隆車に立ち向かう蟷螂の斧のようなものだとカムラはわかっていた。少しでもまともに立ち向かえるよう、がむしゃらに研鑽を積んだ。いいことだろうが悪いことだろうが、なんでもやった。人と物を集めた。情報を集めて機会を待った。すべては妹から何もかもを奪いとる、そのために。マリネが助けを求めてきた時、カムラのアンテナに何かが引っかかった。いくつかおまけもくっついてきたが、その引っかかりは正しかった。カムラは今、これしかないという機会を手にした。
「かならず、ってわけじゃあないが、いや、かならずあいつは出てくる。冒険の書の秘密に関することはあいつしか知らないはずだ。そこを突けば出てくるに決まってる」
「…そのあとどうなるかは風まかせ、か」
「いい風を吹かせておくれよ。あんたなら大丈夫だろ」
「ま、俺は大丈夫だろうが」
「あたしだって平気さ。いろいろと用意したからねえ」
「用意ってもう一人の奴のことか?。うーん。世の中にゃいろんな奴がいるもんだな」
「あんたね、別にその子に死んでもらうわけじゃないんだよ?。そりゃ危険は避けられないだろうけどさ、あたしだってそんなことさせないし。でもどうしても必要なんだよ。あたしの顔を憶えてる奴だっていないわけじゃないんだ。顔を隠すには最低でももう一人ぐらいは必要なんだ、顔を見せようとしない奴がさ」
「わかってるよ。…さあて、いい加減寝るとしますか」
「そうだねえ。よし、寝るか」
「…俺の上からどけってことだぞ?」
「このまま寝ちゃダメかい?。朝になったら自動的に続きができるじゃないか」
「…まあそこで寝たいなら、これも修行と思ってがんばって寝るからいいけどよ」
「はいはい、悪かったよ。冗談さ。じゃあほんとに寝るよ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
「こっちは準備完了だよ。あんたは?」
記憶、といったが、記憶ではない。なぜならその記憶らしきものには、母を見つめるカムラ自身の姿がうつる俯瞰の記憶像なのだ。
「問題ない。あとは寝て体力を回復させるだけだ」
妹は三つ下だった。
「あたしはちょっと向こうにいく」
妹ができてから、母親はカムラに、お姉さんなんだからしっかりしなさい、とよく口にするようになった。
「わかった。しかしよく用意できたもんだな」
それは叱りの言葉というよりも、母親の、娘姉、という存在に対する愛情表現の一種だということは、歳を重ねれば知れる。しかし、幼いカムラはその母親の変化に困惑した。
「調達はあたしの領分だからねえ。人の在庫だってあるのさ」
どうしてママはあたしにかまってくれないのだろう。妹の生まれる前、カムラは母親を独占していた。母親の愛情も、時間も、カムラにあてがわれてきた。カムラが泣けばすぐに母親がやさしく抱きしめてくれた。
「寝てるからな。静かに帰ってこいよ」
妹ができたときから、母親を独占していた幼いカムラの日常は音もなく崩れた。母親は以前よりかまってくれなくなり、泣いても、様子を見に来てはくれるが、母親の胸の中には妹がいた。妹がもらい泣きをすると、母親の関心は妹に向けられ、カムラにはきまって、お姉さんなんだからしっかりしなさい、と言うのだった。逆にカムラが母親に面倒をかけなかったり、妹の世話をしようとすると、母親は以前のように微笑んで、カムラを抱きしめた。カムラは、自分が、お姉さん、のように、しっかり、した行動をするときにだけ母親が自身に愛情をむけるのだと、段々と理解していった。またそれ以外の時間は、妹しか母親は見ていない、幼いカムラはそうも理解した。カムラはそれまでの自分を捨て、姉、であることを演じなければならなくなった。それ以外に母親から必要とされることはないのだと理解した。父親は仕事が忙しく、長期間家に戻らないこともよくあった。家庭という三人だけの小さな世界において、おそらく本能がそう選択させるのだろう、母親から必要とされなくなることは母親から愛情を与えられないことよりも、幼いマリネにとって死活のことだった。母親にかまってほしいのに、姉、である自分は母親に甘えられない。とにかく、しっかりと姉でいることが母親から必要とされるすべになった。母親を独占する妹に対する憎悪を、幼いカムラは解放することはなかった。妹を憎む姉など、姉、ではないからだ。
「もう寝てしまうのかい?。もったいない」
カムラにとって妹という存在が自身に姉という未知の役割を与えたように、多くの母親がそうであるよう、カムラの母親もまた生まれてはじめて姉妹を育てるという未知の領域にいた。母親はけっしてカムラをかわいがっていなかったわけではない。愛情を偏らせたわけではない。確かにカムラだけに愛情を与えることはできないし、小さい子の方が手間のかかることは当然のことだ。妹のオシメをかえてる途中でカムラがちょっかいを出してくれば、母親はカムラをいなすしかなかった。それでも母親は、自身の愛情を姉妹へ平等に注いでいた。ただカムラに対する愛情表現の形が変わっただけだった。この母親を非難するわけではないが、大人の母親にとってほんの小さな変化が、三歳のカムラにとってそれまでの世界が崩れる天変地異のような出来事だとは、母親は考えなかった。
「…次にいつ会えるかわからないからなあ」
妹を憎むかわりに、カムラはいつしか母親に対し憎悪の感情を持つようになった。態度に出るほどのものではなかったし、カムラ自身そうした自覚をもっていたわけではないが、それはカムラの心の奥底にしっかりと根をおろしていた。かまってほしいし、もっと自分に注目をしてほしい、けど、なんとなく母親が嫌い。パパの方が好き。と、幼いカムラは思っていた。
「早く帰ってきてあげるから、待ってなよ」
カムラの父親は、妹の世話に追われる妻のかわりにできるだけカムラをかわいがった。たまの休日や、仕事が早く終わった日にはカムラが寝るまで一緒に遊んだ。勝負事には必ず負けて、カムラをかついだ。カムラが泣けば、にっこりと笑顔で抱きしめた。カムラも父親の前では姉を演じる必要がなかったのだろう、母親には要求できない、わがまま、をよく父親にいった。父親は出来るだけそれを叶えた。カムラはそんな父親が好きだった。自分のことを姉としてではなく自分として愛してくれているから。
「よし、楽しみにしておく。もし寝てたら遠慮なく起こしてくれ」
だが、父親はいつもカムラの側にいることはできない。
「ふふ、今夜は寝かせないよ」
娘には甘いが、曲がりなりにも軍師タムラの血をひくエリート家系の主だ。タムラの遺言に似た家訓、一族に関する実務に不必要な情報を秘すこと、に国が従うよう国家に保護された形の秘密主義を貫く一族だったが、タムラ以降の家系図は華々しいキャリアに彩られている。
「困った女だ」
ある者は軍師、参謀。ある者は学者。ある者は将軍。大臣になった者もある。タムラはウエノを裏切ったも同然なのだが、子孫はウエノに残り、しかも歴代の要職に就ている。なぜか。親族が無事であったことに関しては、タムラがトッツクポーリを占拠しウエノから離反した際に密約を交わしていたに違いないともっぱらの噂が市井に流れている。ウエノの弱みを、またはウエノにとってのうまみを、タムラは親族を守るため交渉の道具にしたに違いない、と。裏切り者の一族、がエリート家系として歴代の要職に就ていることに関しては、至極単純に皆がみな優秀な人物であったから、といってしまえる。カムラの父親も優秀で、大臣の補佐官をしていた。ゆくゆくは大臣になるのだろうと誰もが思うほど、父親は優秀だった。父親も大臣の職にありつきたいと願い、熱心に仕事をした。朝早くから夜遅くまで。
「…本気、だったらどうする?」
カムラは覚えていないが、幼いころのある時期、カムラは父親が出勤する時間になると、今日は仕事に行かないで、と、駄々をこねていた日々があった。幼いカムラにしてみれば、父親とずっと一緒にいたい、という至って単純なわがままだった。あのおもちゃが欲しい、というわがままとかわらない要求だった。だが当然のごとく、それはほぼ唯一といっていい、父親にきいてもらえないカムラのわがままになった。パパはカムラのためにがんばってくるのよ、母親が困った顔をしている父親に助け舟をだすように、ぐずるカムラに毎朝言いきかせた。この要求がどうあっても父親に通じないことをカムラが悟りだしてきたころ、カムラは父親に、がんばってね、と送り出すようになった。父親はとびきりの笑顔で、カムラのためにがんばってくるよ、と言って仕事に出かけるようになった。父親がいない多くの時間を、愛情に飢えた時間を、カムラは、父親があたしの為に今もがんばっている、という情報を心に刻んで耐えてきた。カムラのためにがんばる、その一言が会えない時間にも父親とのつながりをカムラに感じさせた。いつしかカムラは、誰かが、がんばる、がんばっている、という言動を愛だと錯覚するようになっていった。誰かが何かをがんばっている姿が好きだった。特に、好きな人があたしのために仕事をがんばる、という状況に憧れた。
「しょうがねえな、がんばるか。ははっ」
妹は、あらゆる才能に溢れていた。カムラもけして勉強や軍学で同じ歳の子供らに劣っていたわけではなかった。むしろさすがタムラの家系なだけあり、同年代の子の中では群を抜いていたといえた。妹が学校に通い出す前、カムラは学校の学力試験のみならず体力試験でもトップになることが多々あった。得意げに、しかしさも当然のことのように、その結果を母親に報せると、母親はカムラを、さすがね、とほめるのだった。その瞬間がカムラはとても好きだった。だが、妹の才気はさらに群を抜いていた。それは優秀な姉の影を踏んで育ってきたから、という理由では到底説明がつかないほどに激しかった。両親は妹に宿る才能にいたく感動し、妹にカムラ以上の英才教育を施すようになった。特に母親は熱心だった。ご先祖様の再来かしら、母親は妹のいないところでよくそう言った。家柄から、妹の才能には学業に特化して伸ばすという教育方針がとられた。カムラは母親に加えて、自身が得意とする、自慢の能力さえも妹に奪われた。
「約束だよ、なんてね」
幸いにして、カムラにはまだ自分をアピールできる手段が残っていた。体を動かす分野だ。カムラは勉強を放棄し、運動に力をいれるようになった。とりわけ、種々の武道にのめりこんだ。剣法、サーベル、徒手格闘、弓、ナイフ、鞭。
「はやくいってこいよ。待つ方の身にもなれ」
カムラは自分の居場所が欲しかった。誰かに愛され、必要とされ、自分の能力をなんの憂いもなく発揮できる居場所が欲しかった。ただ、幼いカムラは自分の居場所を自分でつくりだす能力がなかった。妹とならぶと、妹にはなにをしても勝てない。自信をなくしている上、立派な姉として育ったカムラは誰かに何かを要求することができなかった。要求を伝えることは、わがまま、だからだ。そうしてカムラは妹から逃れて滑りこんだ場所を、本来カムラが望んでいない自分の居場所にしなければならなかった。自分が望んでそこにいると思い込んでまで。
「待たせたねウルシ、早速だけどもう一度確認するよ」
カムラは、妹を大事にしていたし、大事に思っていたことに間違いはない。忙しい勉強や運動の間を縫って、二人でよく遊んだし、他愛もないことを話した。食卓に並ぶ妹の好物を、自分の分まで妹にあげたりもした。仲の良い姉妹だった。少なくとも、カムラはそう思っていた。あの時までは。
「ええ、問題ないわ」
17歳になったカムラは、恋をした。運動と少しの勉強に明け暮れていたカムラにとって、それははじめてのはっきりとした恋だった。相手の男は新しく城にやってきた4つ年上の、どこかうだつのあがらない庭師見習いだった。年上であるが城での後輩になる男に、カムラは城のことなどを世話した。男もカムラを、からかったりもしたが、頼りにした。もちろん男の外見がカムラの好みであったことはいうまでもない。
「もの覚えがいいねえ。しっかりとおぼえておくんだよ」
カムラは人を好きになると、また、相手が自分に少なからず好意を持っていることを察すると、少しづつ自身のわがままを相手に要求するのが手順だった。カムラは好きになった相手が損をすることを要求する。夜遅くまで仕事をしてクタクタになった相手に会おうと言ったり、仕事や学校に行くぎりぎりまで寝ていたい相手に朝早く会おうとしたり。忘れ物をしたからとってきてだとか、街にいくならついでにこれをお願い、あれを見てきて、買ってきてだとか。カムラは人から愛されるということを、わがままを言い相手がそれをきく、という幼き日の自身と父親の関係のみでしか知らなかった。わがままを言うことがカムラにとって相手を好きだという証で、わがままをきいてくれる人がカムラにとって愛されているということになっていた。それは逆にいえば、ふとした拍子にカムラが発したわがままに似た何気ない要求を叶えればカムラはその人を愛するようになっていく、という非常に危うい錯覚を伴った価値観だった。しかし三つ子の魂百までというように、カムラの育った環境と境遇を知ればそれは致し方ないことだった。
「明日、やっと明日…」
ある日、カムラは庭師見習いの男と夜を共に過ごすことに成功した。カムラは幸せに包まれていた。
「見るだけ、だよ」
ある日、ナイフを投げる訓練が予定より早く終わった日に、カムラは庭師見習いの男と妹が仲良く手をつないで歩いているところを目撃した。わけのわからぬまま、高まる動悸を抱えてふらふらとふたりのあとをつけると、ふたりが口づけをかわすところを見てしまった。とても甘く深い口づけだった。そしてふたりは男の部屋へと入っていった。
「ええ、それがマリネのためになるなら」
カムラははじめて、妹が憎いと自覚した。妹の何もかもが憎い。自分から全てを奪い取る妹が憎い。
「…じゃ、あたしは行くよ。忙しくてね」
妹が部屋から出てきたのは二時間後のことだった。男も一緒だった。待ちに待ったカムラはふたりの前に出ていった。見習いの男は不敵に笑った。とりあえず三人で男の部屋へと戻ることになった。
「コマイ」
問いつめるカムラに、まずは妹がいった。姉さん、この人は私のことが好きなのよ。そう言うと妹はからからと笑いだした。
「なんだい?」
カムラは男に確認を求める目を投げた。男はうなずくと、ごめんねカムラ、君が僕のことを段々と好きになっていくのが手に取るようにわかって愉快だっただけなんだ。ゲームみたいでさ。僕は君をうまく攻略できたよ。楽しかった。でも、君みたいにわがままな女とは付き合ってられないね。
「いろいろありがとう。全部コマイのおかげだよ」
妹が言う。
姉さん、姉さん、あわれな姉さん。バカだわ姉さん。なんてバカなのかしら。姉さんも結局みんなと同じバカなのね。私は知っていたのに。姉さんが私のことをずっと恨んでいることを知っていたのに。姉さんはいま気がついたのでしょう?。そんなに怖い顔をしているのだから。バカとハサミはつかいようというけれど、姉さんはよく私のために動いてくれたわ。満足してるよ、姉さんのお姉さんぶりには。あははは。あわれな姉さん。何も知らずに何もかもを奪われていくのね。ひとつこれからもかわいい妹をよろしくね、姉さん。
「これからもよろしくお願いします!」
カムラは、カバンから訓練に使ったナイフを取り出すと、やめろ、という男の声も聴こえず、日々の訓練通り、男の首を斬りつけた。男の首から吹き出た血の量が、致命傷であることを雄弁に語っていた。
「…ああ、最後にゃちゃんと連れてってやるよ」
カムラは返り血を浴びながら、ナイフを妹に向けた。妹はそれでもまだ、からからと楽しげに笑っていた。
「じゃあ明日ね、コマイ」
カムラは必殺の動きで妹に飛びかかった。
「………連れて行くさ。どっちも、地獄に、ねえ」
しかし、カムラは妹にさも当然のようにあしらわれ、取り押さえられた。妹より優れる分野をつくるために、自分の居場所をつくるために専心してきた武道すらも、カムラは妹にかなわなかった。からからと笑う妹の声を聴きながら、カムラは声にならない声をあげていた。鳴きながら、わななきながら、苦しみながら、悶えながら、取り押さえられながらまるで狂った牛のようにカムラは吠えていた。カムラの意識と記憶はそこで途絶えた。
「待ったかい?」
目覚めるとカムラは牢屋に入れられていた。
「少しな…」
その理由は見習いの男を殺したこと。それと、両親の殺害だった。前者には覚えがあったが後者には当然なかった。カムラは城付きの検察官に異議を申し立てたが、無駄だった。取りつく島もなかった。証拠や動機、目撃者、証言者、用意されていたこれらのものものは、完全にカムラが三人を殺したことを示していた。証拠の中には見習いの男が故郷の友人にあてた、カムラと付き合っていることをカムラの両親に反対されている、との事実ではないことが記された手紙もあった。カムラは彼らの後ろに妹が暗躍していることがよくわかった。愛そのものの根源だった父親までも、カムラは妹に奪われたのだ。いつから、どこまで、なぜ、なんのために、狭くて汚い独房の中でカムラは考えたが、最終的に至る考えは、もう妹には勝てない、だった。
「起きててくれるとはうれしいねえ」
カムラが牢屋から出たのは、一週間後のことだった。カムラは脱走したのだ。妹の手引きによるものだった。むろん、妹は巧妙に脅迫し、脱走すること以外の選択肢をカムラに与えはしなかった。最後に妹は、みじめに生きてまたいつか私をかわいがってくださいね、と、言った。この頃カムラの精神はすでにぼろぼろで、妹に抗う力も元気も勇気も、悔しさもプライドもなかった。まるでゾンビのようにふらふらと、妹の言うがままに脱走した。その背中にからからと笑う妹の笑い声を聴きながら。
「俺はお前が好きだからな」
なぜ妹がことここに至って自分を逃がしたのか、わからない。これから何をすればいいのか、わからない。
「…嘘つけ」
どこまで逃げても、どこまで城から離れても、からからと笑う妹の声がいつまでもカムラについてきた。
「…ま、今日のところはそんなこと考えずに楽しもう」
中規模の町に行き着いたカムラは、しばらくそこで乞食をして、月日だけが流れていく日々を過ごした。エリート一族に巻き起こった事件は市井の人々の暇つぶしにはもってこいのネタなはずだが、誰も話題にはしなかった。誰もそんなことが起きていただなんて知らないからだ。もともと秘密主義の一族だったが、それはあくまで私用の範疇に限ったもので、殺人事件のような公にしらされる事象をもみ消せるようなものではない。しかし、現に事件のじの字もカムラの耳に入ってこないということは、それだけ妹がすでに国をコントロールできていることの証左だった。結局この件で世間がしらされたことは、国が発行するお堅い機関紙の片隅で、父親の死によって空いた役職に新しい人がついたという人事報告だけだった。
「ああ、そうしよう」
カムラが表面上立ち直ったふうに見えるようになったきっかけはいくつかある。その最たるものは何といっても妹への憎悪に充ち満ちた復讐心だろう。もともと才気には恵まれていたし、立派な教育も受けてきた。なにより腕がたった。若く美しい自身に降りかかる火の粉を払っていると自然と乞食の間で一目置かれるようになった。乞食仲間の問題を、はじめは機械のように淡々と、多方面に渡って解決に導くうち、カムラは段々とゾンビのような思考なき思考から解放されていった。人は行動に理由を欲しがるもので、カムラも、今していることはなんのためにしているのだろうか、と考えた。その時カムラの目の前にあったのは、強烈にまがまがしく光り輝く妹への憎悪だった。からからと愉し気に嗤う妹の声は、今もカムラから離れたことはない。
「…明日、ほんとにそうなるのか?。肩書き以上のお偉いさんになってるわけだろ?」
カムラはすべてを奪いとっていった妹からすべてを奪いとってやることを決めた。カムラは町を出て、盗賊、と名乗りはじめた。あの妹、ひいては国を相手取るには、隆車に立ち向かう蟷螂の斧のようなものだとカムラはわかっていた。少しでもまともに立ち向かえるよう、がむしゃらに研鑽を積んだ。いいことだろうが悪いことだろうが、なんでもやった。人と物を集めた。情報を集めて機会を待った。すべては妹から何もかもを奪いとる、そのために。マリネが助けを求めてきた時、カムラのアンテナに何かが引っかかった。いくつかおまけもくっついてきたが、その引っかかりは正しかった。カムラは今、これしかないという機会を手にした。
「かならず、ってわけじゃあないが、いや、かならずあいつは出てくる。冒険の書の秘密に関することはあいつしか知らないはずだ。そこを突けば出てくるに決まってる」
「…そのあとどうなるかは風まかせ、か」
「いい風を吹かせておくれよ。あんたなら大丈夫だろ」
「ま、俺は大丈夫だろうが」
「あたしだって平気さ。いろいろと用意したからねえ」
「用意ってもう一人の奴のことか?。うーん。世の中にゃいろんな奴がいるもんだな」
「あんたね、別にその子に死んでもらうわけじゃないんだよ?。そりゃ危険は避けられないだろうけどさ、あたしだってそんなことさせないし。でもどうしても必要なんだよ。あたしの顔を憶えてる奴だっていないわけじゃないんだ。顔を隠すには最低でももう一人ぐらいは必要なんだ、顔を見せようとしない奴がさ」
「わかってるよ。…さあて、いい加減寝るとしますか」
「そうだねえ。よし、寝るか」
「…俺の上からどけってことだぞ?」
「このまま寝ちゃダメかい?。朝になったら自動的に続きができるじゃないか」
「…まあそこで寝たいなら、これも修行と思ってがんばって寝るからいいけどよ」
「はいはい、悪かったよ。冗談さ。じゃあほんとに寝るよ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
勇者と段々崩壊していく世界
その後、どちらが触れようが冒険の書はなんの変異もおこさなかった。
マリネと盗賊は目を合わし、互いにうなずいた。それを合図に、マリネはおそるおそるページをめくった。
「なにも、起こらない。もう大丈夫なようだ」
中を見てもさわっても、マリネ達が知る理屈の適わない現象が起きないので、マリネはしっかりと冒険の書を手に持った。
「何か起こったのは確かじゃないか」
「たしかに。だが、特に、変化、は…」
そういいながら、最後のページまでめくり着いたマリネは、冒険の書に起こった変化、を見つけ出した。
「盗賊、これを見てくれ」
マリネが盗賊に開いて見せたページには、兵士A、剣士、フナムシ、兵士B、カムラ、と、五人の名前が、上書き、されていた。
「こんな名前、以前は書かれていなかった。しかもこの字は、書いた、というよりもまるで焼きごてか何かでブランディングされたみたいだ」
「はあ、驚くのにも飽きてきたねえ」
「この兵士Aという名前の者は、フナムシと同じパーティにいた、つまり最初にこの冒険の書に文字を書いた人物だ。よって、はじめの三人、兵士A、フナムシ、剣士は、この冒険の書、に書き込んだ人物だと思われる。この三人の名前がこの冒険の書に刻印されるのは、とても不可思議だが、そういうものもあると云われればまだ納得ができる。だが、残りの二人はいったい…」
どっしりと盗賊の真向かいに半跏坐になって腰をおろしたマリネは、アゴに左手をあて唇を親指で触りながら、眉間にシワをよせ、目を上下左右に忙しく動かしては辺りを睨みつけていた。マリネが何か考える時のくせだ。特に、正解の用意されていない問題を考える時のくせだった。
「さっきまで兵士Aやフナムシ君の名前が印されていなかったこと、兵士Bとかいう人物のあとにあたしの本名が書かれていること。あんたの名前が書かれていないこと。あんたの元カノの名前が書かれていないこと。それから、なぜこっちの冒険の書が残ったのか、が、さしあたって解決しときたい問題のヒントだねえ」
二人の真ん中に置き開かれた冒険の書をのぞき込んで、盗賊は独り言のようにぶつぶつとマリネに言いながら、眉間に平常では見られない年相応のシワを寄せ、今に続く不思議を、持ち得る理屈で理解しようとしていた。
「うん?、カムラ、っていうのかお前。はじめて知った」
思考がこんがらがって立ち往生していたマリネの耳に、ふと唯一理解できた情報が残った。マリネはアゴから手をはなした。
「カムラなんて名前はそこいらのドブに捨てたはずなんだけどねえ」
「カムラ、か。いい名前だな」
「…本名なんてものは盗賊稼業にゃ必要ないんだよ。それどころか弱みにすらなるのさ」
ふうん、といって、マリネはまた考えるポーズをとった。
「所有者の名前、であることは間違いないだろう。何かを書き込むこと、は関係なさそうだな。盗賊は何も書いちゃいないからな」
「そうだね。わけがわからないけど、冒険の書の間で情報の伝達が行われたわけだ。あんたを介して」
「それが、書き込むこと、なのだろうか」
「そうかもしれないが」
といって、盗賊は何かを思いついたのか、より年相応の顔になった。
「あまりこんなことを言いたくはないのだけれど」
「いいから言えよ。的外れじゃなけりゃバカにはしない」
「そうかい。じゃあ言うが、この本は所有者を認識している、まではいいね?」
「ああ、そうとしか考えられん」
「じゃあ、所有者が冒険の書の所有権を放棄した場合はどうなるのかね?」
「放棄…放棄か」
「ああ、あたしは冒険の書を魔物化した兵士Bから奪いとって、あたしのもの、にした」
「なるほど。そのあと、俺に渡す前に所有権を放棄するようなことを言った」
「そうさ。さらに推測話を披露するなら、あんたがフナムシ君の冒険の書に書きこんだ時点で、それまで、フナムシ君の冒険の書、とだったものが、はじめてあんたの所有物になった、と考えている。フナムシ君の遺物、から、あんたの所有物になったんだ」
「いい線だと思う」
「どうしてあたしのではなく、あんたの冒険の書が残ったのか、だが、冒険の書はひとり一冊のものだということを前提に考えれば、おそらく冒険の書の移譲には何らかの、屈服、が必要、というよりもつきものなんじゃないか?。所有者を殺して奪いとるとか、無理矢理差し出させるとか。考えがまとまってなくて悪いが、そうなると、書き込むこと、は例外というか、冒険の書を強制的に屈服させる手段なのかもしれない。少し考え過ぎているかねえ」
今度はマリネが眉間のシワを濃くした。
「いや、かなり筋の通っている話だと思う。となると、なのだが」マリネがそう言うと、
「ああ、となると、だねえ」
と、盗賊が同調した。
「こんな上書き機能がついてるんだ。間違いないだろう。冒険の書、は、いずれ一冊になる。いや」
マリネが言い切る前に盗賊が、
「誰かが一冊にまとめようとしている」
と述べた。
「…三国のかウエノかどこか一国のか、魔王、のかそれとも他の組織または個人の思惑なのか。それはわからないが、いい気はしねえな」
マリネは苦虫を噛み潰したような顔をして言った。
「あんたが冒険の書を手にした過程の方が、少なくともあたしの場合より例外的だからねえ。あたしが言った、奪い取る、という仮定が間違っていて、誰かの意志を次ぐための機能、だとしたらいいんだけど」
マリネはきりっと盗賊に顔を向け、たちあがった。
「それでも一緒だ。結局冒険の書を作ったやつは所有者同士の、殺し合い、を想定しているってことだ。いや、こんな機能を秘密にしていた時点で最初の奴らは…まるで冒険の書の肥やしじゃないか!。フナムシは、フナムシの意志は、他人の権謀数術の踏み石になるためにあったんじゃねえ。あいつは、国を救う為に、今まで磨いてきた武道を誰かのために活かせる道を見つけたから、死ぬことを覚悟したんだぞ!。フナムシは、きっとこのことに…少なくとも自分達が何らかの思惑の上にいることは気づいていた。死ぬことを望まれていることに気がついていた!。あいつは大義を奪われたまま死んだんだ!」
マリネは顔がまっ赤になるほど上気し、走ってもきれなかった息が荒くなった。
「落ち着きなよ。じゃあなんでフナムシ君はあんたにこれを託したんだい?」
「…あいつはこれを持って逃げろと言った」
マリネの顔からみるみるうちに血の気が引いた。はたからみてわかりやすいほど、マリネは冷静さを取り戻した。
「フナムシ君は冒険の書に何らかの重大な秘密があることに気がついた」
「そうだ」
「それをあんたに託した」
「ああ」
「あんたがフナムシ君だったら、いや、フナムシ君が生きていて、冒険の書を持ったまま逃げていたとしたらどうすると思うんだい」
「…あいつなら、しばらく動静を観察する。その間、できれば冒険の書を手に入れようとする」
「あんたに協力してもらっただろうねえ」
「それは、どうかな」
マリネはふと微笑した。
「あいつの中で俺は腑抜けたまんまだったからなあ」
「受け身は嫌いだよ。攻めなきゃ人生楽しかないね」
「ああ、あの時動いてりゃよかったなんて、もう思いたくはない」
「決まりだね」
「試したいこともあるしな。冒険の書を集める。だから部隊の招集に応じる。こんな仕掛けがあるなら次も必ずなにか冒険の書に関することがあるはずだ。そんでもって状況を理解しながらフナムシの無念を晴らす。あれ、特にやることに違いはねえなこりゃ」
そういうとマリネはぽりぽりともみあげあたりを掻いた。
「ま、あたしも特にかわりはないけど、お互い明確な行動の指針ができてよかったじゃないか」
「お前は国を盗るんだろ?」
「そうだよ。どうやら冒険の書を集めてみるのもその一助になりそうだ。途中までつきあってやるよ」
「…詳しくはきかねえさ。ききたいけどな。お前が盗れるっていうんだから、ことが上手く運べばいけるんだろ」
「そう。あんたはブレる必要ないよ。自分のことだけ考えてな。気づかいは無用で頼むよ。助けが欲しけりゃあたしから言うさ」
「そろそろ行くか。安全圏まで行ったら、修行しながら帰ろう。お互い少しでも強くなっておくに越したことはない」
マリネはそう言って、拳を握りしめると、突きをくりだした。空に放たれた突きとはいえ、その突きは横で見ていた盗賊を威圧するほどの迫力を備えていた。
「さあ行こうか」
さっと踵をかえすと、マリネは歩きだした。
「これだから武道家なんてものはいやなんだ。なにやら頭を使っても、結局は戦うことしか考えてない」
「早くしないと置いてくぞ」
「あたしはあんたの荷物持ちじゃあないよ。まったく、だいじなもの、すらもう頭にないのかマリネは。肝心なところでポカをするねえ」
盗賊はくくっと愛おしげに笑い、マリネが置きっぱなしにした冒険の書に手を伸ばした。
「なにか言ったか?」
離れた先でマリネが聞き返した。
「忘れ物だよ」
「うお!」
さすがにマリネも自身の忘れ物に驚いたようだった。びっくりした声を発したあと、悪い、といって、律儀に後戻りしようとした。
「行くからわざわざ戻ってこなくていいさ。バカだね」
盗賊はからりと笑った。マリネはバツが悪そうに、ありがとう、と言って前に進んだ。
「…こんなところであたしの名前が出てくるとは。やっぱり今回はチャンスなのかねえ」
マリネのあとを追いながらぽつりと独り言をつぶやくと、盗賊は冒険の書を開き、自身の名前を指でなぞった。
「カムラ、か」
盗賊がつぶやくと、冒険の書はまたほんわりと淡い青白い光に包まれた。
「おい、武道家!」
異変に気づいた武道家が、今度は迷うことなく盗賊のもとへやってきた。
「な…」
「どうした」
青白い光が消えそうな冒険の書を手に絶句した盗賊に、マリネは声をかけたが、盗賊はなんの反応も示さずじっと冒険の書を見ていた。いや、盗賊の目が動いていることにマリネは気づいた。盗賊は何かを、読んで、いるのだ。
「何が起きた」
異常、だと察したマリネは、盗賊から冒険の書を奪うようにとった。
「あっ」
盗賊はちいさく声をもらした。
マリネの目に、それまで冒険の書には書かれていなかった文章が飛び込んできた。
来るべき時の我が血を継ぎし者たちへ
我が大計の一助になりたくばその身に流るる一族の証を書に示せ
軍師タムラ
「言い逃れは出来なさそうだ。あたしの名前はカムラ」
一文を読み終えたマリネが盗賊に目をやると、ふいに盗賊はそういった。
「まさか」
「今も続くあの軍師ミムラの血族。しかも、直系でねえ」
そう語る盗賊の顔は雪より白く、また曇天の空より曇っていた。
「ミムラの子孫は代々…」
「武道家。あんたあたしが城なんて堅苦しい場所に、居つける、とでも思うかい?」
「違いねえ」
マリネは作り笑いを浮かべて、盗賊を安心させようとした。何から安心させたいのか、それはマリネにはわからなかったが。
「…血を垂らせばいいのかねえ」
「よせ、早まるな。なにが起こるかわからないぞ」
「秘密を探るのに、リスクはつきものさ」
言うが早いか、さすがの早業で、盗賊はナイフを取りだしさっと左手の甲をきった。指をきらなかったのは、時に手先の器用さがものをいう盗賊だからだろう。
一筋の血が冒険の書に垂れると、またしても冒険の書は淡く、青白い光に包まれ、新たな文章が浮かびあがった。
その後、盗賊の縄張りであり、マリネの仮宿のある歓楽街まで戻ってきた二人は決意を新たに、招集まで雌伏の時を過ごした。
マリネと盗賊は目を合わし、互いにうなずいた。それを合図に、マリネはおそるおそるページをめくった。
「なにも、起こらない。もう大丈夫なようだ」
中を見てもさわっても、マリネ達が知る理屈の適わない現象が起きないので、マリネはしっかりと冒険の書を手に持った。
「何か起こったのは確かじゃないか」
「たしかに。だが、特に、変化、は…」
そういいながら、最後のページまでめくり着いたマリネは、冒険の書に起こった変化、を見つけ出した。
「盗賊、これを見てくれ」
マリネが盗賊に開いて見せたページには、兵士A、剣士、フナムシ、兵士B、カムラ、と、五人の名前が、上書き、されていた。
「こんな名前、以前は書かれていなかった。しかもこの字は、書いた、というよりもまるで焼きごてか何かでブランディングされたみたいだ」
「はあ、驚くのにも飽きてきたねえ」
「この兵士Aという名前の者は、フナムシと同じパーティにいた、つまり最初にこの冒険の書に文字を書いた人物だ。よって、はじめの三人、兵士A、フナムシ、剣士は、この冒険の書、に書き込んだ人物だと思われる。この三人の名前がこの冒険の書に刻印されるのは、とても不可思議だが、そういうものもあると云われればまだ納得ができる。だが、残りの二人はいったい…」
どっしりと盗賊の真向かいに半跏坐になって腰をおろしたマリネは、アゴに左手をあて唇を親指で触りながら、眉間にシワをよせ、目を上下左右に忙しく動かしては辺りを睨みつけていた。マリネが何か考える時のくせだ。特に、正解の用意されていない問題を考える時のくせだった。
「さっきまで兵士Aやフナムシ君の名前が印されていなかったこと、兵士Bとかいう人物のあとにあたしの本名が書かれていること。あんたの名前が書かれていないこと。あんたの元カノの名前が書かれていないこと。それから、なぜこっちの冒険の書が残ったのか、が、さしあたって解決しときたい問題のヒントだねえ」
二人の真ん中に置き開かれた冒険の書をのぞき込んで、盗賊は独り言のようにぶつぶつとマリネに言いながら、眉間に平常では見られない年相応のシワを寄せ、今に続く不思議を、持ち得る理屈で理解しようとしていた。
「うん?、カムラ、っていうのかお前。はじめて知った」
思考がこんがらがって立ち往生していたマリネの耳に、ふと唯一理解できた情報が残った。マリネはアゴから手をはなした。
「カムラなんて名前はそこいらのドブに捨てたはずなんだけどねえ」
「カムラ、か。いい名前だな」
「…本名なんてものは盗賊稼業にゃ必要ないんだよ。それどころか弱みにすらなるのさ」
ふうん、といって、マリネはまた考えるポーズをとった。
「所有者の名前、であることは間違いないだろう。何かを書き込むこと、は関係なさそうだな。盗賊は何も書いちゃいないからな」
「そうだね。わけがわからないけど、冒険の書の間で情報の伝達が行われたわけだ。あんたを介して」
「それが、書き込むこと、なのだろうか」
「そうかもしれないが」
といって、盗賊は何かを思いついたのか、より年相応の顔になった。
「あまりこんなことを言いたくはないのだけれど」
「いいから言えよ。的外れじゃなけりゃバカにはしない」
「そうかい。じゃあ言うが、この本は所有者を認識している、まではいいね?」
「ああ、そうとしか考えられん」
「じゃあ、所有者が冒険の書の所有権を放棄した場合はどうなるのかね?」
「放棄…放棄か」
「ああ、あたしは冒険の書を魔物化した兵士Bから奪いとって、あたしのもの、にした」
「なるほど。そのあと、俺に渡す前に所有権を放棄するようなことを言った」
「そうさ。さらに推測話を披露するなら、あんたがフナムシ君の冒険の書に書きこんだ時点で、それまで、フナムシ君の冒険の書、とだったものが、はじめてあんたの所有物になった、と考えている。フナムシ君の遺物、から、あんたの所有物になったんだ」
「いい線だと思う」
「どうしてあたしのではなく、あんたの冒険の書が残ったのか、だが、冒険の書はひとり一冊のものだということを前提に考えれば、おそらく冒険の書の移譲には何らかの、屈服、が必要、というよりもつきものなんじゃないか?。所有者を殺して奪いとるとか、無理矢理差し出させるとか。考えがまとまってなくて悪いが、そうなると、書き込むこと、は例外というか、冒険の書を強制的に屈服させる手段なのかもしれない。少し考え過ぎているかねえ」
今度はマリネが眉間のシワを濃くした。
「いや、かなり筋の通っている話だと思う。となると、なのだが」マリネがそう言うと、
「ああ、となると、だねえ」
と、盗賊が同調した。
「こんな上書き機能がついてるんだ。間違いないだろう。冒険の書、は、いずれ一冊になる。いや」
マリネが言い切る前に盗賊が、
「誰かが一冊にまとめようとしている」
と述べた。
「…三国のかウエノかどこか一国のか、魔王、のかそれとも他の組織または個人の思惑なのか。それはわからないが、いい気はしねえな」
マリネは苦虫を噛み潰したような顔をして言った。
「あんたが冒険の書を手にした過程の方が、少なくともあたしの場合より例外的だからねえ。あたしが言った、奪い取る、という仮定が間違っていて、誰かの意志を次ぐための機能、だとしたらいいんだけど」
マリネはきりっと盗賊に顔を向け、たちあがった。
「それでも一緒だ。結局冒険の書を作ったやつは所有者同士の、殺し合い、を想定しているってことだ。いや、こんな機能を秘密にしていた時点で最初の奴らは…まるで冒険の書の肥やしじゃないか!。フナムシは、フナムシの意志は、他人の権謀数術の踏み石になるためにあったんじゃねえ。あいつは、国を救う為に、今まで磨いてきた武道を誰かのために活かせる道を見つけたから、死ぬことを覚悟したんだぞ!。フナムシは、きっとこのことに…少なくとも自分達が何らかの思惑の上にいることは気づいていた。死ぬことを望まれていることに気がついていた!。あいつは大義を奪われたまま死んだんだ!」
マリネは顔がまっ赤になるほど上気し、走ってもきれなかった息が荒くなった。
「落ち着きなよ。じゃあなんでフナムシ君はあんたにこれを託したんだい?」
「…あいつはこれを持って逃げろと言った」
マリネの顔からみるみるうちに血の気が引いた。はたからみてわかりやすいほど、マリネは冷静さを取り戻した。
「フナムシ君は冒険の書に何らかの重大な秘密があることに気がついた」
「そうだ」
「それをあんたに託した」
「ああ」
「あんたがフナムシ君だったら、いや、フナムシ君が生きていて、冒険の書を持ったまま逃げていたとしたらどうすると思うんだい」
「…あいつなら、しばらく動静を観察する。その間、できれば冒険の書を手に入れようとする」
「あんたに協力してもらっただろうねえ」
「それは、どうかな」
マリネはふと微笑した。
「あいつの中で俺は腑抜けたまんまだったからなあ」
「受け身は嫌いだよ。攻めなきゃ人生楽しかないね」
「ああ、あの時動いてりゃよかったなんて、もう思いたくはない」
「決まりだね」
「試したいこともあるしな。冒険の書を集める。だから部隊の招集に応じる。こんな仕掛けがあるなら次も必ずなにか冒険の書に関することがあるはずだ。そんでもって状況を理解しながらフナムシの無念を晴らす。あれ、特にやることに違いはねえなこりゃ」
そういうとマリネはぽりぽりともみあげあたりを掻いた。
「ま、あたしも特にかわりはないけど、お互い明確な行動の指針ができてよかったじゃないか」
「お前は国を盗るんだろ?」
「そうだよ。どうやら冒険の書を集めてみるのもその一助になりそうだ。途中までつきあってやるよ」
「…詳しくはきかねえさ。ききたいけどな。お前が盗れるっていうんだから、ことが上手く運べばいけるんだろ」
「そう。あんたはブレる必要ないよ。自分のことだけ考えてな。気づかいは無用で頼むよ。助けが欲しけりゃあたしから言うさ」
「そろそろ行くか。安全圏まで行ったら、修行しながら帰ろう。お互い少しでも強くなっておくに越したことはない」
マリネはそう言って、拳を握りしめると、突きをくりだした。空に放たれた突きとはいえ、その突きは横で見ていた盗賊を威圧するほどの迫力を備えていた。
「さあ行こうか」
さっと踵をかえすと、マリネは歩きだした。
「これだから武道家なんてものはいやなんだ。なにやら頭を使っても、結局は戦うことしか考えてない」
「早くしないと置いてくぞ」
「あたしはあんたの荷物持ちじゃあないよ。まったく、だいじなもの、すらもう頭にないのかマリネは。肝心なところでポカをするねえ」
盗賊はくくっと愛おしげに笑い、マリネが置きっぱなしにした冒険の書に手を伸ばした。
「なにか言ったか?」
離れた先でマリネが聞き返した。
「忘れ物だよ」
「うお!」
さすがにマリネも自身の忘れ物に驚いたようだった。びっくりした声を発したあと、悪い、といって、律儀に後戻りしようとした。
「行くからわざわざ戻ってこなくていいさ。バカだね」
盗賊はからりと笑った。マリネはバツが悪そうに、ありがとう、と言って前に進んだ。
「…こんなところであたしの名前が出てくるとは。やっぱり今回はチャンスなのかねえ」
マリネのあとを追いながらぽつりと独り言をつぶやくと、盗賊は冒険の書を開き、自身の名前を指でなぞった。
「カムラ、か」
盗賊がつぶやくと、冒険の書はまたほんわりと淡い青白い光に包まれた。
「おい、武道家!」
異変に気づいた武道家が、今度は迷うことなく盗賊のもとへやってきた。
「な…」
「どうした」
青白い光が消えそうな冒険の書を手に絶句した盗賊に、マリネは声をかけたが、盗賊はなんの反応も示さずじっと冒険の書を見ていた。いや、盗賊の目が動いていることにマリネは気づいた。盗賊は何かを、読んで、いるのだ。
「何が起きた」
異常、だと察したマリネは、盗賊から冒険の書を奪うようにとった。
「あっ」
盗賊はちいさく声をもらした。
マリネの目に、それまで冒険の書には書かれていなかった文章が飛び込んできた。
来るべき時の我が血を継ぎし者たちへ
我が大計の一助になりたくばその身に流るる一族の証を書に示せ
軍師タムラ
「言い逃れは出来なさそうだ。あたしの名前はカムラ」
一文を読み終えたマリネが盗賊に目をやると、ふいに盗賊はそういった。
「まさか」
「今も続くあの軍師ミムラの血族。しかも、直系でねえ」
そう語る盗賊の顔は雪より白く、また曇天の空より曇っていた。
「ミムラの子孫は代々…」
「武道家。あんたあたしが城なんて堅苦しい場所に、居つける、とでも思うかい?」
「違いねえ」
マリネは作り笑いを浮かべて、盗賊を安心させようとした。何から安心させたいのか、それはマリネにはわからなかったが。
「…血を垂らせばいいのかねえ」
「よせ、早まるな。なにが起こるかわからないぞ」
「秘密を探るのに、リスクはつきものさ」
言うが早いか、さすがの早業で、盗賊はナイフを取りだしさっと左手の甲をきった。指をきらなかったのは、時に手先の器用さがものをいう盗賊だからだろう。
一筋の血が冒険の書に垂れると、またしても冒険の書は淡く、青白い光に包まれ、新たな文章が浮かびあがった。
その後、盗賊の縄張りであり、マリネの仮宿のある歓楽街まで戻ってきた二人は決意を新たに、招集まで雌伏の時を過ごした。
気づき
主にiPhoneのアプリで記事を書いているのですが、書いてる途中でちゃんと保存しないと、元記事と加筆修正後の記事二つ保存される現象あるじゃないですか。
私、その二択を間違ってました。どうやら投稿前にいったん保存した加筆修正前の記事を投稿してきた模様です。気がつけよって話ですが、気がつきませんでした。だって書き出しがいっしょなんだもん。
ま、どうでもよいのですがね。では、また。
私、その二択を間違ってました。どうやら投稿前にいったん保存した加筆修正前の記事を投稿してきた模様です。気がつけよって話ですが、気がつきませんでした。だって書き出しがいっしょなんだもん。
ま、どうでもよいのですがね。では、また。