勇者と段々崩壊していく世界
その後、どちらが触れようが冒険の書はなんの変異もおこさなかった。
マリネと盗賊は目を合わし、互いにうなずいた。それを合図に、マリネはおそるおそるページをめくった。
「なにも、起こらない。もう大丈夫なようだ」
中を見てもさわっても、マリネ達が知る理屈の適わない現象が起きないので、マリネはしっかりと冒険の書を手に持った。
「何か起こったのは確かじゃないか」
「たしかに。だが、特に、変化、は…」
そういいながら、最後のページまでめくり着いたマリネは、冒険の書に起こった変化、を見つけ出した。
「盗賊、これを見てくれ」
マリネが盗賊に開いて見せたページには、兵士A、剣士、フナムシ、兵士B、カムラ、と、五人の名前が、上書き、されていた。
「こんな名前、以前は書かれていなかった。しかもこの字は、書いた、というよりもまるで焼きごてか何かでブランディングされたみたいだ」
「はあ、驚くのにも飽きてきたねえ」
「この兵士Aという名前の者は、フナムシと同じパーティにいた、つまり最初にこの冒険の書に文字を書いた人物だ。よって、はじめの三人、兵士A、フナムシ、剣士は、この冒険の書、に書き込んだ人物だと思われる。この三人の名前がこの冒険の書に刻印されるのは、とても不可思議だが、そういうものもあると云われればまだ納得ができる。だが、残りの二人はいったい…」
どっしりと盗賊の真向かいに半跏坐になって腰をおろしたマリネは、アゴに左手をあて唇を親指で触りながら、眉間にシワをよせ、目を上下左右に忙しく動かしては辺りを睨みつけていた。マリネが何か考える時のくせだ。特に、正解の用意されていない問題を考える時のくせだった。
「さっきまで兵士Aやフナムシ君の名前が印されていなかったこと、兵士Bとかいう人物のあとにあたしの本名が書かれていること。あんたの名前が書かれていないこと。あんたの元カノの名前が書かれていないこと。それから、なぜこっちの冒険の書が残ったのか、が、さしあたって解決しときたい問題のヒントだねえ」
二人の真ん中に置き開かれた冒険の書をのぞき込んで、盗賊は独り言のようにぶつぶつとマリネに言いながら、眉間に平常では見られない年相応のシワを寄せ、今に続く不思議を、持ち得る理屈で理解しようとしていた。
「うん?、カムラ、っていうのかお前。はじめて知った」
思考がこんがらがって立ち往生していたマリネの耳に、ふと唯一理解できた情報が残った。マリネはアゴから手をはなした。
「カムラなんて名前はそこいらのドブに捨てたはずなんだけどねえ」
「カムラ、か。いい名前だな」
「…本名なんてものは盗賊稼業にゃ必要ないんだよ。それどころか弱みにすらなるのさ」
ふうん、といって、マリネはまた考えるポーズをとった。
「所有者の名前、であることは間違いないだろう。何かを書き込むこと、は関係なさそうだな。盗賊は何も書いちゃいないからな」
「そうだね。わけがわからないけど、冒険の書の間で情報の伝達が行われたわけだ。あんたを介して」
「それが、書き込むこと、なのだろうか」
「そうかもしれないが」
といって、盗賊は何かを思いついたのか、より年相応の顔になった。
「あまりこんなことを言いたくはないのだけれど」
「いいから言えよ。的外れじゃなけりゃバカにはしない」
「そうかい。じゃあ言うが、この本は所有者を認識している、まではいいね?」
「ああ、そうとしか考えられん」
「じゃあ、所有者が冒険の書の所有権を放棄した場合はどうなるのかね?」
「放棄…放棄か」
「ああ、あたしは冒険の書を魔物化した兵士Bから奪いとって、あたしのもの、にした」
「なるほど。そのあと、俺に渡す前に所有権を放棄するようなことを言った」
「そうさ。さらに推測話を披露するなら、あんたがフナムシ君の冒険の書に書きこんだ時点で、それまで、フナムシ君の冒険の書、とだったものが、はじめてあんたの所有物になった、と考えている。フナムシ君の遺物、から、あんたの所有物になったんだ」
「いい線だと思う」
「どうしてあたしのではなく、あんたの冒険の書が残ったのか、だが、冒険の書はひとり一冊のものだということを前提に考えれば、おそらく冒険の書の移譲には何らかの、屈服、が必要、というよりもつきものなんじゃないか?。所有者を殺して奪いとるとか、無理矢理差し出させるとか。考えがまとまってなくて悪いが、そうなると、書き込むこと、は例外というか、冒険の書を強制的に屈服させる手段なのかもしれない。少し考え過ぎているかねえ」
今度はマリネが眉間のシワを濃くした。
「いや、かなり筋の通っている話だと思う。となると、なのだが」マリネがそう言うと、
「ああ、となると、だねえ」
と、盗賊が同調した。
「こんな上書き機能がついてるんだ。間違いないだろう。冒険の書、は、いずれ一冊になる。いや」
マリネが言い切る前に盗賊が、
「誰かが一冊にまとめようとしている」
と述べた。
「…三国のかウエノかどこか一国のか、魔王、のかそれとも他の組織または個人の思惑なのか。それはわからないが、いい気はしねえな」
マリネは苦虫を噛み潰したような顔をして言った。
「あんたが冒険の書を手にした過程の方が、少なくともあたしの場合より例外的だからねえ。あたしが言った、奪い取る、という仮定が間違っていて、誰かの意志を次ぐための機能、だとしたらいいんだけど」
マリネはきりっと盗賊に顔を向け、たちあがった。
「それでも一緒だ。結局冒険の書を作ったやつは所有者同士の、殺し合い、を想定しているってことだ。いや、こんな機能を秘密にしていた時点で最初の奴らは…まるで冒険の書の肥やしじゃないか!。フナムシは、フナムシの意志は、他人の権謀数術の踏み石になるためにあったんじゃねえ。あいつは、国を救う為に、今まで磨いてきた武道を誰かのために活かせる道を見つけたから、死ぬことを覚悟したんだぞ!。フナムシは、きっとこのことに…少なくとも自分達が何らかの思惑の上にいることは気づいていた。死ぬことを望まれていることに気がついていた!。あいつは大義を奪われたまま死んだんだ!」
マリネは顔がまっ赤になるほど上気し、走ってもきれなかった息が荒くなった。
「落ち着きなよ。じゃあなんでフナムシ君はあんたにこれを託したんだい?」
「…あいつはこれを持って逃げろと言った」
マリネの顔からみるみるうちに血の気が引いた。はたからみてわかりやすいほど、マリネは冷静さを取り戻した。
「フナムシ君は冒険の書に何らかの重大な秘密があることに気がついた」
「そうだ」
「それをあんたに託した」
「ああ」
「あんたがフナムシ君だったら、いや、フナムシ君が生きていて、冒険の書を持ったまま逃げていたとしたらどうすると思うんだい」
「…あいつなら、しばらく動静を観察する。その間、できれば冒険の書を手に入れようとする」
「あんたに協力してもらっただろうねえ」
「それは、どうかな」
マリネはふと微笑した。
「あいつの中で俺は腑抜けたまんまだったからなあ」
「受け身は嫌いだよ。攻めなきゃ人生楽しかないね」
「ああ、あの時動いてりゃよかったなんて、もう思いたくはない」
「決まりだね」
「試したいこともあるしな。冒険の書を集める。だから部隊の招集に応じる。こんな仕掛けがあるなら次も必ずなにか冒険の書に関することがあるはずだ。そんでもって状況を理解しながらフナムシの無念を晴らす。あれ、特にやることに違いはねえなこりゃ」
そういうとマリネはぽりぽりともみあげあたりを掻いた。
「ま、あたしも特にかわりはないけど、お互い明確な行動の指針ができてよかったじゃないか」
「お前は国を盗るんだろ?」
「そうだよ。どうやら冒険の書を集めてみるのもその一助になりそうだ。途中までつきあってやるよ」
「…詳しくはきかねえさ。ききたいけどな。お前が盗れるっていうんだから、ことが上手く運べばいけるんだろ」
「そう。あんたはブレる必要ないよ。自分のことだけ考えてな。気づかいは無用で頼むよ。助けが欲しけりゃあたしから言うさ」
「そろそろ行くか。安全圏まで行ったら、修行しながら帰ろう。お互い少しでも強くなっておくに越したことはない」
マリネはそう言って、拳を握りしめると、突きをくりだした。空に放たれた突きとはいえ、その突きは横で見ていた盗賊を威圧するほどの迫力を備えていた。
「さあ行こうか」
さっと踵をかえすと、マリネは歩きだした。
「これだから武道家なんてものはいやなんだ。なにやら頭を使っても、結局は戦うことしか考えてない」
「早くしないと置いてくぞ」
「あたしはあんたの荷物持ちじゃあないよ。まったく、だいじなもの、すらもう頭にないのかマリネは。肝心なところでポカをするねえ」
盗賊はくくっと愛おしげに笑い、マリネが置きっぱなしにした冒険の書に手を伸ばした。
「なにか言ったか?」
離れた先でマリネが聞き返した。
「忘れ物だよ」
「うお!」
さすがにマリネも自身の忘れ物に驚いたようだった。びっくりした声を発したあと、悪い、といって、律儀に後戻りしようとした。
「行くからわざわざ戻ってこなくていいさ。バカだね」
盗賊はからりと笑った。マリネはバツが悪そうに、ありがとう、と言って前に進んだ。
「…こんなところであたしの名前が出てくるとは。やっぱり今回はチャンスなのかねえ」
マリネのあとを追いながらぽつりと独り言をつぶやくと、盗賊は冒険の書を開き、自身の名前を指でなぞった。
「カムラ、か」
盗賊がつぶやくと、冒険の書はまたほんわりと淡い青白い光に包まれた。
「おい、武道家!」
異変に気づいた武道家が、今度は迷うことなく盗賊のもとへやってきた。
「な…」
「どうした」
青白い光が消えそうな冒険の書を手に絶句した盗賊に、マリネは声をかけたが、盗賊はなんの反応も示さずじっと冒険の書を見ていた。いや、盗賊の目が動いていることにマリネは気づいた。盗賊は何かを、読んで、いるのだ。
「何が起きた」
異常、だと察したマリネは、盗賊から冒険の書を奪うようにとった。
「あっ」
盗賊はちいさく声をもらした。
マリネの目に、それまで冒険の書には書かれていなかった文章が飛び込んできた。
来るべき時の我が血を継ぎし者たちへ
我が大計の一助になりたくばその身に流るる一族の証を書に示せ
軍師タムラ
「言い逃れは出来なさそうだ。あたしの名前はカムラ」
一文を読み終えたマリネが盗賊に目をやると、ふいに盗賊はそういった。
「まさか」
「今も続くあの軍師ミムラの血族。しかも、直系でねえ」
そう語る盗賊の顔は雪より白く、また曇天の空より曇っていた。
「ミムラの子孫は代々…」
「武道家。あんたあたしが城なんて堅苦しい場所に、居つける、とでも思うかい?」
「違いねえ」
マリネは作り笑いを浮かべて、盗賊を安心させようとした。何から安心させたいのか、それはマリネにはわからなかったが。
「…血を垂らせばいいのかねえ」
「よせ、早まるな。なにが起こるかわからないぞ」
「秘密を探るのに、リスクはつきものさ」
言うが早いか、さすがの早業で、盗賊はナイフを取りだしさっと左手の甲をきった。指をきらなかったのは、時に手先の器用さがものをいう盗賊だからだろう。
一筋の血が冒険の書に垂れると、またしても冒険の書は淡く、青白い光に包まれ、新たな文章が浮かびあがった。
その後、盗賊の縄張りであり、マリネの仮宿のある歓楽街まで戻ってきた二人は決意を新たに、招集まで雌伏の時を過ごした。
マリネと盗賊は目を合わし、互いにうなずいた。それを合図に、マリネはおそるおそるページをめくった。
「なにも、起こらない。もう大丈夫なようだ」
中を見てもさわっても、マリネ達が知る理屈の適わない現象が起きないので、マリネはしっかりと冒険の書を手に持った。
「何か起こったのは確かじゃないか」
「たしかに。だが、特に、変化、は…」
そういいながら、最後のページまでめくり着いたマリネは、冒険の書に起こった変化、を見つけ出した。
「盗賊、これを見てくれ」
マリネが盗賊に開いて見せたページには、兵士A、剣士、フナムシ、兵士B、カムラ、と、五人の名前が、上書き、されていた。
「こんな名前、以前は書かれていなかった。しかもこの字は、書いた、というよりもまるで焼きごてか何かでブランディングされたみたいだ」
「はあ、驚くのにも飽きてきたねえ」
「この兵士Aという名前の者は、フナムシと同じパーティにいた、つまり最初にこの冒険の書に文字を書いた人物だ。よって、はじめの三人、兵士A、フナムシ、剣士は、この冒険の書、に書き込んだ人物だと思われる。この三人の名前がこの冒険の書に刻印されるのは、とても不可思議だが、そういうものもあると云われればまだ納得ができる。だが、残りの二人はいったい…」
どっしりと盗賊の真向かいに半跏坐になって腰をおろしたマリネは、アゴに左手をあて唇を親指で触りながら、眉間にシワをよせ、目を上下左右に忙しく動かしては辺りを睨みつけていた。マリネが何か考える時のくせだ。特に、正解の用意されていない問題を考える時のくせだった。
「さっきまで兵士Aやフナムシ君の名前が印されていなかったこと、兵士Bとかいう人物のあとにあたしの本名が書かれていること。あんたの名前が書かれていないこと。あんたの元カノの名前が書かれていないこと。それから、なぜこっちの冒険の書が残ったのか、が、さしあたって解決しときたい問題のヒントだねえ」
二人の真ん中に置き開かれた冒険の書をのぞき込んで、盗賊は独り言のようにぶつぶつとマリネに言いながら、眉間に平常では見られない年相応のシワを寄せ、今に続く不思議を、持ち得る理屈で理解しようとしていた。
「うん?、カムラ、っていうのかお前。はじめて知った」
思考がこんがらがって立ち往生していたマリネの耳に、ふと唯一理解できた情報が残った。マリネはアゴから手をはなした。
「カムラなんて名前はそこいらのドブに捨てたはずなんだけどねえ」
「カムラ、か。いい名前だな」
「…本名なんてものは盗賊稼業にゃ必要ないんだよ。それどころか弱みにすらなるのさ」
ふうん、といって、マリネはまた考えるポーズをとった。
「所有者の名前、であることは間違いないだろう。何かを書き込むこと、は関係なさそうだな。盗賊は何も書いちゃいないからな」
「そうだね。わけがわからないけど、冒険の書の間で情報の伝達が行われたわけだ。あんたを介して」
「それが、書き込むこと、なのだろうか」
「そうかもしれないが」
といって、盗賊は何かを思いついたのか、より年相応の顔になった。
「あまりこんなことを言いたくはないのだけれど」
「いいから言えよ。的外れじゃなけりゃバカにはしない」
「そうかい。じゃあ言うが、この本は所有者を認識している、まではいいね?」
「ああ、そうとしか考えられん」
「じゃあ、所有者が冒険の書の所有権を放棄した場合はどうなるのかね?」
「放棄…放棄か」
「ああ、あたしは冒険の書を魔物化した兵士Bから奪いとって、あたしのもの、にした」
「なるほど。そのあと、俺に渡す前に所有権を放棄するようなことを言った」
「そうさ。さらに推測話を披露するなら、あんたがフナムシ君の冒険の書に書きこんだ時点で、それまで、フナムシ君の冒険の書、とだったものが、はじめてあんたの所有物になった、と考えている。フナムシ君の遺物、から、あんたの所有物になったんだ」
「いい線だと思う」
「どうしてあたしのではなく、あんたの冒険の書が残ったのか、だが、冒険の書はひとり一冊のものだということを前提に考えれば、おそらく冒険の書の移譲には何らかの、屈服、が必要、というよりもつきものなんじゃないか?。所有者を殺して奪いとるとか、無理矢理差し出させるとか。考えがまとまってなくて悪いが、そうなると、書き込むこと、は例外というか、冒険の書を強制的に屈服させる手段なのかもしれない。少し考え過ぎているかねえ」
今度はマリネが眉間のシワを濃くした。
「いや、かなり筋の通っている話だと思う。となると、なのだが」マリネがそう言うと、
「ああ、となると、だねえ」
と、盗賊が同調した。
「こんな上書き機能がついてるんだ。間違いないだろう。冒険の書、は、いずれ一冊になる。いや」
マリネが言い切る前に盗賊が、
「誰かが一冊にまとめようとしている」
と述べた。
「…三国のかウエノかどこか一国のか、魔王、のかそれとも他の組織または個人の思惑なのか。それはわからないが、いい気はしねえな」
マリネは苦虫を噛み潰したような顔をして言った。
「あんたが冒険の書を手にした過程の方が、少なくともあたしの場合より例外的だからねえ。あたしが言った、奪い取る、という仮定が間違っていて、誰かの意志を次ぐための機能、だとしたらいいんだけど」
マリネはきりっと盗賊に顔を向け、たちあがった。
「それでも一緒だ。結局冒険の書を作ったやつは所有者同士の、殺し合い、を想定しているってことだ。いや、こんな機能を秘密にしていた時点で最初の奴らは…まるで冒険の書の肥やしじゃないか!。フナムシは、フナムシの意志は、他人の権謀数術の踏み石になるためにあったんじゃねえ。あいつは、国を救う為に、今まで磨いてきた武道を誰かのために活かせる道を見つけたから、死ぬことを覚悟したんだぞ!。フナムシは、きっとこのことに…少なくとも自分達が何らかの思惑の上にいることは気づいていた。死ぬことを望まれていることに気がついていた!。あいつは大義を奪われたまま死んだんだ!」
マリネは顔がまっ赤になるほど上気し、走ってもきれなかった息が荒くなった。
「落ち着きなよ。じゃあなんでフナムシ君はあんたにこれを託したんだい?」
「…あいつはこれを持って逃げろと言った」
マリネの顔からみるみるうちに血の気が引いた。はたからみてわかりやすいほど、マリネは冷静さを取り戻した。
「フナムシ君は冒険の書に何らかの重大な秘密があることに気がついた」
「そうだ」
「それをあんたに託した」
「ああ」
「あんたがフナムシ君だったら、いや、フナムシ君が生きていて、冒険の書を持ったまま逃げていたとしたらどうすると思うんだい」
「…あいつなら、しばらく動静を観察する。その間、できれば冒険の書を手に入れようとする」
「あんたに協力してもらっただろうねえ」
「それは、どうかな」
マリネはふと微笑した。
「あいつの中で俺は腑抜けたまんまだったからなあ」
「受け身は嫌いだよ。攻めなきゃ人生楽しかないね」
「ああ、あの時動いてりゃよかったなんて、もう思いたくはない」
「決まりだね」
「試したいこともあるしな。冒険の書を集める。だから部隊の招集に応じる。こんな仕掛けがあるなら次も必ずなにか冒険の書に関することがあるはずだ。そんでもって状況を理解しながらフナムシの無念を晴らす。あれ、特にやることに違いはねえなこりゃ」
そういうとマリネはぽりぽりともみあげあたりを掻いた。
「ま、あたしも特にかわりはないけど、お互い明確な行動の指針ができてよかったじゃないか」
「お前は国を盗るんだろ?」
「そうだよ。どうやら冒険の書を集めてみるのもその一助になりそうだ。途中までつきあってやるよ」
「…詳しくはきかねえさ。ききたいけどな。お前が盗れるっていうんだから、ことが上手く運べばいけるんだろ」
「そう。あんたはブレる必要ないよ。自分のことだけ考えてな。気づかいは無用で頼むよ。助けが欲しけりゃあたしから言うさ」
「そろそろ行くか。安全圏まで行ったら、修行しながら帰ろう。お互い少しでも強くなっておくに越したことはない」
マリネはそう言って、拳を握りしめると、突きをくりだした。空に放たれた突きとはいえ、その突きは横で見ていた盗賊を威圧するほどの迫力を備えていた。
「さあ行こうか」
さっと踵をかえすと、マリネは歩きだした。
「これだから武道家なんてものはいやなんだ。なにやら頭を使っても、結局は戦うことしか考えてない」
「早くしないと置いてくぞ」
「あたしはあんたの荷物持ちじゃあないよ。まったく、だいじなもの、すらもう頭にないのかマリネは。肝心なところでポカをするねえ」
盗賊はくくっと愛おしげに笑い、マリネが置きっぱなしにした冒険の書に手を伸ばした。
「なにか言ったか?」
離れた先でマリネが聞き返した。
「忘れ物だよ」
「うお!」
さすがにマリネも自身の忘れ物に驚いたようだった。びっくりした声を発したあと、悪い、といって、律儀に後戻りしようとした。
「行くからわざわざ戻ってこなくていいさ。バカだね」
盗賊はからりと笑った。マリネはバツが悪そうに、ありがとう、と言って前に進んだ。
「…こんなところであたしの名前が出てくるとは。やっぱり今回はチャンスなのかねえ」
マリネのあとを追いながらぽつりと独り言をつぶやくと、盗賊は冒険の書を開き、自身の名前を指でなぞった。
「カムラ、か」
盗賊がつぶやくと、冒険の書はまたほんわりと淡い青白い光に包まれた。
「おい、武道家!」
異変に気づいた武道家が、今度は迷うことなく盗賊のもとへやってきた。
「な…」
「どうした」
青白い光が消えそうな冒険の書を手に絶句した盗賊に、マリネは声をかけたが、盗賊はなんの反応も示さずじっと冒険の書を見ていた。いや、盗賊の目が動いていることにマリネは気づいた。盗賊は何かを、読んで、いるのだ。
「何が起きた」
異常、だと察したマリネは、盗賊から冒険の書を奪うようにとった。
「あっ」
盗賊はちいさく声をもらした。
マリネの目に、それまで冒険の書には書かれていなかった文章が飛び込んできた。
来るべき時の我が血を継ぎし者たちへ
我が大計の一助になりたくばその身に流るる一族の証を書に示せ
軍師タムラ
「言い逃れは出来なさそうだ。あたしの名前はカムラ」
一文を読み終えたマリネが盗賊に目をやると、ふいに盗賊はそういった。
「まさか」
「今も続くあの軍師ミムラの血族。しかも、直系でねえ」
そう語る盗賊の顔は雪より白く、また曇天の空より曇っていた。
「ミムラの子孫は代々…」
「武道家。あんたあたしが城なんて堅苦しい場所に、居つける、とでも思うかい?」
「違いねえ」
マリネは作り笑いを浮かべて、盗賊を安心させようとした。何から安心させたいのか、それはマリネにはわからなかったが。
「…血を垂らせばいいのかねえ」
「よせ、早まるな。なにが起こるかわからないぞ」
「秘密を探るのに、リスクはつきものさ」
言うが早いか、さすがの早業で、盗賊はナイフを取りだしさっと左手の甲をきった。指をきらなかったのは、時に手先の器用さがものをいう盗賊だからだろう。
一筋の血が冒険の書に垂れると、またしても冒険の書は淡く、青白い光に包まれ、新たな文章が浮かびあがった。
その後、盗賊の縄張りであり、マリネの仮宿のある歓楽街まで戻ってきた二人は決意を新たに、招集まで雌伏の時を過ごした。