からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜 -164ページ目

アラクネ(7)

ホノカを交え暖をとる酒臭い三人。そぼ降る雪の中走ってきたのである。かじかむ足の小指がぽろりと取れてしまいそうだ。

そうこうしている内に出棺の儀に至る。火葬場で、近親者のみで、小さな告別式をやるとのこと。やつれ果てたヒロフミの両親が安っぽい神殿のような霊柩車に乗り、近所迷惑を考慮し鳴らされた申し訳程度のクラクション。その様子を遠巻きに見守る五人と二人。タケハルとカズタカが車を出し、マユミ達も火葬場へ向かう。

カズタカの軽自動車に乗ったのはマユミとミシモと勿論カズタカ。向こうでは今頃私への文句で盛り上がっているのだろうな、と、マユミは溜め息を吐いた。

式場から出て、少し行った交差点を右折する時、盲目的にタケハルの車を追従したカズタカが、タケハルの車の陰からやってきたカズタカの意識外にあった対向車とぶつかりそうになった。人間本当に降って湧いた危機的瞬間では声など出ないものだ。カズタカがアクセルを踏み込み、ぶつかるより早く危機的状況を脱したことにより最悪の事態は避けられた。

「…止まってたら事故だった」ミシモが誰に対してでもなく呟く。

「向こうはでかいトラックでこっちは軽、勝ち目はなかった、ね」と、マユミは横のミシモに言うと、きっ、とバックミラーを睨みつけ、

「何やってんだよウスノロ!どこに目つけてんだ!ちゃんと前見て運転しろ!殺す気か!」

と、カズタカに罵声を浴びせた。

「そんなことはわかってんだよ。今のは俺が悪かったよ。油断してた。悪かったよ。反省してるし、こんなヘマもうしないよ。わかったからもう言うなよ。わかりきったことをくどくど言われるのが嫌いなんだよ」ミシモの文句を呆れた様子で、妙に落ち着いた口調でカズタカが言う。

「まあ、まあいいよ。しかしだね、しかしだよ?あんた、いや、あんたらさ、普通に車を家から出してきたけどさ、私達も普通に乗り込んだけども、さっきの場所で酒飲んでないよね?」マユミが強張った表情で問う。

「…それを聞いてどうするんだ?」

「はぁ!?マジかよぉ。こいつら酒気帯びだよぉミシモぉ。こいつが捕まったら私達も罰金だよぉ。ふざけるのも大概にしとけ!運転代われ下手くそ!」

「…多分、今私達の中で一番呼吸の中の酒気が高いのはあんただよ。それでマユミの次は私」ミシモが冷静に判断を下す。

「落ち着け。俺もタケハルも飲んじゃいないよ。タケハルに至っては最初から車で来てるからな。俺だって、考えても見ろよ、おばさんに言われた時から車移動は考慮済みなんだよ。ふふん」

「笑ってんじゃねえよ。酔ってないなら尚更気をつけろ。酒気帯びだろうが酒気帯びてないだろうが、私達最悪死ぬとこだったんだぞ。一番危なかったのは助手席側にいる私なんだよ」ミシモの説教にカズタカは身を竦める。

しばらく無言が続いた車中、雰囲気を良くしようとしたのか、不意にカズタカが、

「しっかし、霊柩車とだけは事故を起こしたくはないもんだな。軽く当てただけで死亡事故扱いになったりして」

と、話し出した。

「カズタカ、あんた二つのことを同時に出来る?別に歌いながら読書するなんて難易度の高いものじゃなくて、テレビ観ながらご飯を食べる程度のことなんだけど。いやぁ運転しながら会話なんて出来るのかなぁ」マユミのネチっこい言葉にミシモが、

「いや、マユミ、タケハルが言うに彼氏は見事エロ漫画家とニートを両立させているらしいじゃない。相反した定義を両立させるって、これって奇跡じゃない?自称漫画家のニートなら存在する可能性は無限大だけど、エロ漫画家とニートを両立させるって、やっぱり奇跡だわこれは」

と、続いた。

「うるさいな。ただの矛盾だろ。俺は稼げなくて実家に寄生しているだけでニートではない。まあ、働いている、とも言えないが。だけど俺の描いたやつはちゃんと雑誌にだって掲載されてるんだぞ?お前ら知ってるか?月刊ムマデラックス」

「知ってる筈無いだろ」マユミが斬って捨てる。

「そうか。夢の悪魔と書いて夢魔なんだが」

「だからどうしたっていうの!?大体あんたよく実家でエロ漫画なんか描けるわね。別にエロ漫画を卑下しているわけじゃないけど、実家で描くようなもんじゃないでしょうに」と、言った所で、マユミはカズタカの家が小さいながらもいくつかアパートを経営していることを思い出した。実家に寄生していると言ったカズタカの言葉は、アパートの一室を無償で借りていることを指すのであろうことに思い至り、「ま、そんなことはどうでもいいけど」と、はぐらかした。変に気を遣う性質であるマユミは相手があまり触れられたくない、自分だったら聞かれたくない、聞かれたら困るといった類いの会話を避ける。理性と記憶を失う前は、の話であるが。

「ま、確かに今日はそんなこたどうでもいいんだよ。ヒロフミの葬式なんだ。ヒロフミの話をしないと、あいつ化けて出るぜ」

「ヒロフミねぇ」ふぅっと息を吐きながらミシモが呟いた。

「おいおい、なんだよ、思い出っつう思い出も見当たらないのか?これだから女ってやつは。ヒロフミどころかタケハルも浮かばれねえよ。何回か一緒に遊んだろ。俺達なんてお前らと一緒におばさんに呼びかけられたってことであの思い出がさっきからずっと…しっかし、大変だよなあいつのご両親も。おばさんなんかあんなにやつれて。二人の子供に先立たれるなんてなぁ、ましてや」

「二人?どういうこと?ヒロフミって一人っ子じゃなかったっけ」カズタカの話を遮り、マユミが口を出す。

「ああ?知らないのか?ま、ヒロフミも転校してきた以前の話はしたがらなかったからな。ひょっとしたら俺とタケハルしか知らないのかもしらん」


それだけじゃだめ

それだけじゃだめなんだよね。陰陽図みたいにさ。きれいだけでもだめ。きたないだけでもだめ。きれいはきたないきたないはきれいだけでもだめ。玉石混交の中によく研いで尖ったナイフを入れておかないと。それだけじゃだめなんだ。

そこに存在しているってことが気になる今日この頃。そこに存在している。石庭の岩みたいに。茅葺き住宅と囲炉裏みたいに。朝の電車の顔馴染みみたいに。見るじゃなくて感じるなんだ。あるってことは突き詰めていくと無いってこと。仏教でいうところの空。無くてもあるものがそこに存在しているってこと。だからバレンタインでチョコが貰えなくても、それはもう貰ったも同然なんだ。確かにあるもの。存在してるもの。バレンタイン。チョコ。チョコ。バレンタイン。監督。おれは今日もひねもす木陰からチョコをアポーツしようと意識的に無意識を作り出して、もう桜さえ満開の有り様。うん、大丈夫。駄目だけど大丈夫。

アラクネ(6)

「あんた友達いないでしょ!」

「ああ、よく言われますです、はい」

「はあ!?」

「いや、あの、すみません」

アヤの言った通り、マユミに友達と呼べる人物はミシモしかいないと言っても過言ではない。勿論、友人関係にある人物は何人もいるが、マユミにとって彼氏彼女らは全てミシモと楽しく過ごす為のダシである。ミシモが笑っていればそれだけで良かったし、友達も、ミシモが居ればそれだけで良かった。

アヤとのやりとりを今にも猿みたくキャキャキャと笑い出しそうにミシモが見ている。この状況がマユミの幸せである。その結果アヤと絶交になっても、一向に構いやしない。

「あのぉ、出来れば昨日ワタクシがあなたに何をしたのかを教えて頂ければこれ幸いと申しますか」

「覚えてないの!?」

「はあ、その通りで、いや、ま、所々覚えてはいるんですがね。あなたに背中をガンガン蹴られているところとか」

「なんでそんなとこだけ覚えているのよ!」火に油を注ぐ、とはまさにこのことで、ジャンガリアンハムスターの如く膨らんだほっぺを針で刺せばどこかに飛んで行ってしまいそう。ミシモは「ふぅしゃぁ」などと吐息を漏らす。

「衝撃のせい…でしょうか?」

「知らないわよ!壊れたテレビかお前は!あんたが思い出しなさいよ!あなたが何をしてそんな状況になったかを!」

「と、言われましても、酒で記憶を亡くすってやつぁ厄介なものでして、体験したことの無い人にはいまいちわかりずらいと思いますがね、忘れている、というよりも、抜け落ちている、って具合で、思い出そうにも、こりゃバックアップ不可能ってもんで」

「ふっ、マユミねぇ、あんたアヤの、ふふへ」ミシモが何か言いかけると、

「言うなぁ!」

と、アヤの声が、閑散としているセレモニーホールに響く。そしてマユミはつっけんどんにカナコ達の下へ去って行った。

滑稽調で語りかけてはいるが、マユミは一人になれば泣いて落ち込む程反省をしている。しかし、手応え、をマユミは感じていた。それはいつもの、ミシモに対してへの手応えと共に、アヤと絶交という事態には陥らないであろう手応え。マユミの経験上、二度と飲み会には誘われなくなるが、後日感情をぶちまけてくる相手とは関係の修復が可能である。酔夢を探る旅の中、再会した途端マユミを押し倒し、馬乗りになるとボコボコにした大学の友人もいたが、マユミが甘んじてそのペナルティを受け入れたことにより、彼女とはそれだけで関係は修復された。この時は彼女の彼氏を罵倒し続けた挙句彼女の顔面にゲロを吐いたようだった。厄介なのは全く相手にされないことで、白々しく振る舞われ明らかに一線引かれるともう手遅れである。

「ねぇ、私何した?」

「ふく。ふふふ。あんたねぇ、昨日は“恣意の女王”になってた」

「シイ?シイって、あー、恣意のシイ?“次”みたいな漢字の」マユミが記憶を亡くした時、何かが憑依することは散々聞いてきた。確か前回記憶を亡くした時には“犬の神”になったらしいということをマユミは思い出し、また、最近恣意という言葉をシイと読むのかジイと読むのか突然わからなくなり辞書で引いたことに思い当たった。

「恣意だ恣意だ喚いてね、何者に対しても私は恣意だって。思うままにやってやるんだって。しまいには椎茸だって言ってたよ」

「ああ、だから椎茸。…つまんねえなあたし。せめて地井武男にでもなってりゃ。突然散歩したり」

「同じことをアヤが言ったんだけどねぇ。あんた酔っ払うと変なところでこだわるから。地井?なんじゃそりゃ、シイじゃないじゃん、なんて言い出して。意味わかんない。ふふ。流石のキレっぷり。後先考えないからねぇ。あんた破壊念慮でもあるんじゃないの?」ミシモが薄く笑った。

「なるほど。ああ、何となくわかってきた。それでアヤを生贄にやりたい放題やったと」

「そう。いやはや、あれは酷かったねぇ。訴えられてもなんら不思議じゃない」

「そこまでのことをしましたか」

「だってさ、恣意になって椎茸になって恣意になってシイシイになってやるシイシイしてやるってブツブツ言いながら、ブラもパンツも脱ぎだして、アヤに同じことをしろと。ま、ここまではアヤも酔った勢いで乗ってね、二人仲良く脱ぎ捨てたと思ったら、それも作戦だったのか、あんたアヤを襲ったんだ」

「襲った!?」

「酷かったねぇ。半裸の狂態よ。ここに椎茸が欲しいのか、なんて引くようなことまで言って、嫌がるアヤを押さえ込んでアソコを写メしようとしてね」

「うっ。酷いなそれは。後で本気で謝ろ」ふとマユミは、そのレズ行為を本当はミシモにしたかったのかも知れない、と思った。

「で、携帯の奪い合いになって。しっかし、アヤに背中をガンガン蹴られながらヘラヘラ笑って酒を飲むあんたの姿は狂気じみていたわ」

「あー、そこでか。だから携帯もこんな状態に」疼痛を感じる背中をさすりながらマユミは真っ二つになった携帯を取り出した。

「そうそう。ま、携帯は自分で折ったんだけどね」

「自分で?」

「こんなものは恣意の敵だ、こんなものがあるから毎夜寂しい思いをしなけりゃならんのだって言って、ぽっきりと」

「ぽっきりと、ですか」

「ていうか寒い。下にストーブあったろ。足下乾かさにゃ。下半身の冷えは万病のなんやらだ」



えんてん

円天と聞く度に木村健吾氏を思い浮かべる君の人生に幸あれ。

アラクネ(5)

脚が棒になった疲労感の中、三人はつつがなく焼香を済ませた。卒業アルバムと記憶の中にあるヒロフミの面影を残した黒い縁取りの中のヒロフミ。棺の周りの百合と霞草。鯨幕。遺族席に列していたヒロフミの母親の血の気の無い異常に白く、且つ黄色い、明らかに棺桶に片足突っ込んでいる顔を見て、マユミは初めてヒロフミの死を実感した。

とはいえ、他人の悲しみは利己的な問題を越えることはないのである。本日のお役目はこれで終わり、帰って寝よう、と、思っていた三人だが、そうはいかなかった。

焼香が終わった後、二階に軽食が用意されていて、三人は半自動的に案内された。あまり人のいない会場に、中年の男達が酒盛りをしている反対側、アヤとカナコ、それから同年代の若い二人の男が座している一角があった。吸い込まれるよう三人はその一角へ近づく。

「お、来た来た。わかる?こいつら」

カナコが手招き二人の男達を烏龍茶の入ったコップを持った手の中指を立てて指差した。

アヤは明らかに不機嫌な表情でマユミを睨む。カナコもアヤも、その美醜状態は三人と似たりよったりである。

「わからないけど」ホノカが椅子に腰掛けようとしながら言う。

「こいつらはねぇ、こいつらは、はぁ、んぐ、…ちょっと…トイレ」

カナコは立ち上がると口を左手で口を押さえ、コップを持ったままトイレへと駆け込んで行った。

「お前らこんな時に何やってたんだよ。呆れてものが言えない」

男の一人、アヤと面向かいに座っている赤茶けた髪の、ブラックスーツを着用しているとはいえ如何にも土方という風体をしている方が苦々しく言った。

「誰?」

ホノカがアヤに問う。

「ああ、こっちは己(つちのと)だよ。で、そっちは武者(あぶふさ)」

「ああ、あー、あー、そんなの居たね。そういや」ミシモが悪態をつく。昨日散々っぱら小学校時代の話をマユミ達としたのである。ヒロフミのことはもとより、ミシモ達五人組と比較的仲が良かったこの二人の話が出てこないはずもなかった。そして何よりもこの二人は、小学五年時に転校してやってきたヒロフミと特に仲がよかったのだ。

「そんなのってお前なぁ。言葉に気をつけろよ。こいつはお前らの中のとある人物が好きだったんだぜ?初恋を台無しにしてやるなよ」

男のくせして、しかも社会不適合者の証である長髪を頭の後ろで結わんでいるくせに、光沢のある茄子のようと云ったらおかしくもあるが、どこか凛とした風貌の武者カズタカが小さく笑いながら言う。

「うるせえエロ漫画家兼ニートが!寝言はまともに働いてから言え!」己タケハルが色黒の顔をほんのり赤くしてカズタカの肩を殴った。その目は少し、腫れていた。

マユミはカズタカの変貌に少し驚いていた。変貌と云えば、昨日再会した三人が三人とも年月を経てそれなりの変貌を遂げていたのだが、ホノカの赤髪以外それらは想像の範疇であった。しかしこの武者カズタカ、記憶の中では少しぽっちゃりして、ミシモ達とクラスのかっこいい子ランキングを作った時にクラスの男子十五人中十位だった子だ。それがどうだ。タケハルの言ったカズタカの社会的ポジションはさて置き、かなり秀麗な容貌を持って目の前に現れた。

何故カズタカのかっこいい子ランキングをマユミが覚えていたかというと、恋心こそ抱かなかったが、マユミにとってカズタカは特別な存在だったからである。

おどおどと周りの雰囲気を察することに一生懸命で、主張を回避し常に受動的に動き、いつもガキ大将だったタケハルの後をついて回っているような子。それがカズタカであり、「ガキ大将だったタケハル」をミシモに代えれば、それはマユミのことになる。似たもの同士、同じ立場の盟友、それでいて近親憎悪に似た付かず離れずの不可思議な距離感。お互い、人の振り見て我が振り直せ、とばかりに観察し合い、パラサイトとしての技量を養ってきたのである。

「あれ、他の子達はいないの?」マユミはさも、お前らなんかに興味ないよ、と言わんばかりに素っ気ない態度を打ち出した。

「ああ、俺が来た時は何人か居たんだけどな。みんなとっとと帰って、今頃同窓会でもしてんじゃねえのか。成人式以来か。俺成人式行ってねえけど」カズタカが応える。

「へぇ。じゃあ何であんた達牽いては私達はここにいるのさ」

「おばさんに引き留められたんだ。俺とこいつと野崎と菱山とでお前らのこと待ってたんだよ」

「私達も?それは何故に?」

「それはわかりかねるが、とにかく火葬場まで来て最後まで居て欲しいとのことだ。俺達、お前ら含めて、名指しでな。どうせ大した予定なんか無いんだろ?そういうことだ」

「うわぁ、それ本当?なんか気が重いなぁ」

「そうじゃなくても俺達は火葬場まで付いて行く気だったんだけどな」

「うっ、さいですか」マユミとカズタカのどこか他人行儀で事務的な会話はあの頃と変わっていない。

「まあ、それはそれとして、アヤ、ちょっといい?」ミシモがアヤを連れ出そうとする。

「マユミもだろ。何呑気に唐揚げ食ってんだよ」マユミの首根っこを捕まえて立たせるミシモ。さっきから会話どころか視線さえ交わさない気まずい二人を仲直りさせる、なんて気はミシモには無い。マユミの酔った時の凶行をとことん楽しむのが趣味なだけである。しかし、その行動が結果的に関係修復の一助を担っているのであるが。