からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜 -131ページ目

しからば、御免

どうやら僕は信用の定義がおかしいらしい。確かに信用のハードルが高いのか低いのか、僕にもわからない。仮に信用を親友に置き換えて親友の定義を書いてみよう。

僕が調子の良い時だけ近くにいる。僕が不幸の真っ只中にいる時は決して近付かない。

互いに慰み合うことをしない。庇い合わない。僕の不幸を心の底から嘲笑い、幸福にけちをつける。

買った家電に対し、その選択は間違いだ、と貶す。

貸したものは返ってこない。特に金は、大金であろうと絶対返さない。

約束を簡単に破棄する。

僕の彼女を寝取ることも厭わない。

友情と恋愛ならどんな時でも絶対に恋愛を取る。

とりあえずこんな具合か。書いといて何だがこんなの親友でもなければ友達でもない、ただのカス野郎だ。だけど親友なんてこんなものだろう、と思うし、それを望む。ということは僕と友人関係にある人はこれらをされる可能性がある。とはいえ僕の友人達よ、ひとまず落ち着いて欲しい。僕はまずもって上記のようなことはしない。なぜなら大概の友人のことを親友とは認識していないからだ。僕があなたと親しげに接するのも裏表なく接するのも心の底を分かち合っているフリをしてるのも約束や秘密を守るのも、理由は三つ、あなたに配慮や遠慮をして気を遣っているからであり、仕事やらなんやらで今後もつきあっていかなきゃならない環境にあるから、だ。以上。ってふたつじゃねえか。ベタ。そんなもの親友同士には要らない。親友になんてありがとうなんか言いたくない。信用をことごとく打ち破るような上記の行為だが、その裏にこそ僕の思う信用がある。上記のような行為こそ信用無くして出来るものではない。

僕は人を信用するなんてまずしない。裏切られても構いやしない。裏切られても別にそれを裏切りとは思わない。他人に対して一線を引いているからこそ社会的なつきあいも出来る。だから関係が薄い奴ら相手にこそ良い人、馴れ馴れしい人でいる。詐欺に引っかからないと思っている人こそ引っかかるみたいなもので、僕は初めから僕なんていつでも詐欺に引っかかるから注意しないと、と考え、うまい話にゃ裏があるという具合に、表面的には信用している格好をするがその実、決して人を信用しない。だから裏切られたり損得勘定の末僕に損が回ってきても、ああそうか、ぐらいにしか思わない。その人とは深いつきあいをやめるだけだ。

それでは親友になれないではないかと思われるかもしれないが、僕にだって心の底から信用するという気持ちもある。ただ、約束を反故され貶され裏切られ彼女を取られ貸した金を返さないくせに会えばでかい顔して己の自慢話を繰り返す、そんな奴が僕にとっての親友であり信用出来る奴なのだ。こいつはある意味裏切らない。腹を見せる、という意味合いもあるのかもしれない。こいつは僕の思考や感情なんて考えていない。いつでも僕に対して利己的に接する。定義としたが願望かもしれない。そんなことされても一緒にいて楽しい奴はいないのかと。僕にとって信用出来る奴と信用出来ない奴とは毒と薬みたく表裏一体なのだ。信用出来る奴程信用出来ないということを信用しているのだ。当たり前のことを当たり前にされても当たり障りのない当たり前の関係にしかならない。そんなの息苦しくてかなわない。そんな僕みたいな考えの人と今までに何人か会ったことがある。正直、みんなこの世に向いていないっていう雰囲気の人達だった。彼等と違って僕はかなりいい加減な性格で、結構、この世ってやつを満喫してるけど。

決定的に人と信用の定義が違うのが、例えば、背中を預けるという場合。語源を辿り、単純に周りを槍を持った兵士かなんかに囲まれているとしよう。背中を預けるということは信用していることの証であり、多くの人はまさしく背中を預け、後ろから攻撃はこないと信じて兵士と戦うのであろう。だけど僕の場合、背中を預けたら背中を預けたそいつに殺されてもいいということだ。何を言っているのか自分でもさっぱりだが、僕にとっての信用とはそういうことなのだから仕方ない。だから初めに言ったよう、信用のハードルが高いのか低いのかよくわからない。ただ所謂、無知の知、を心掛けている。人と人はなかなか理解しあえないものなのだからそれならそれでいいでじゃないか。知らないものは知らないと言え、高橋。お前を知ったかぶりさせる戯れはもはや知ったかぶらせるおれが情けなくなってくるレベルだ。



大体こういうことを寝る前に打って、ずぅっと投稿しない。これは大体3カ月前から送信メールボックス内に埋もれてた。あまりにわけわかんないし気持ち悪いから、一生投稿しないでおこうかな、と思ったけど、恥をさらしてこそのおれじゃないか、って思うに至ったんだ。バタコラブ。

あ、カラスの鳴きまねをするときは「かぁー」じゃなくて、「くらぁー」って発音するといいよ。もちろん「くらぁー」ってはっきり発音しちゃ駄目よ。カラスっぽく、ね。

草なぎ氏の公然猥褻による逮捕について

今回の逮捕っぷりはファーザーを連想せずにはいられませんでした。パンツがねえー!!的な。気がつけば隣にいたはずのメガネスキー(シンゴ)は当然いなかった。ファー様もパンツを大切にしてましたからね。パンツの重要性を再確認致しました。モテモテ王国実写化の際は是非とも主演に草なぎ氏を。うわ、超おもしろくなりそうじゃない?復帰作ならなおさら。
宇宙では本来ならばフルチンが基本だった。

微笑シリーズ。オススメとオスメス。

『おすすめ!!じゃなくてオススメ!!』
「なに!?」
『いや、女子はオススメが好きなんだってさ』
「ああ、前々回記事で募集したやつな。女子が好むヒントをくれってやつ」
『すごく斬新だよな』
「なにが!?」
『いや、これでもう大人気間違いなしなんだろ?オススメ!!』
「なにもお薦めしてないけども!」
『え?』
「いや、なんかお薦めして初めてオススメ!!ってなるんじゃないのか?」
『そんなとこまで書かれちゃいなかったけど』
「何をストレートにぶっこんでんだよ!汲み取れ汲み取れ!意を汲んでやれよ!」
『もういいよ。どうも』
「終わるな!」
『だって、これだけだぜ?ヒントは、オススメ!!を使え、それだけだぜ?』
「だからってこれで終わらせるな!せっかくいただいたんだから少しは膨らませろよ!」
『コンドームを?』
「中学生かよ!話をだ!」
『オススメを膨らますのか?一体どうやって』
「わかりやすいにもほどがあるだろ!」
『オースースーメー』
「なんでほっぺたを膨らました!?そんなことじゃねえよ!」
『ああ、あの娘が膨らました浮き輪を一人沖合に行って間接キスしちゃうとか』
「浮き輪か!?浮き輪だろそれ!わかりづれえな!」
『調子にのってちゅぱちゅぱしてたら、空気が抜けてさ、泳げないから浮き輪をつけていたことを思い出す』
「自業自得か!」
『あん時は慌てたね』
「お前のことか!気持ち悪いな!」
『ファーストキスの味はしょっぱくて』
「海水飲んじゃってんな!」
『運良く大人に助けられ、陸に上がって気がついたらゲロを吐いててな。おれのファーストキスはゲロ味だぜ?』
「一切キスはしてないけどな!」
『なんで一人であんなとこまで言ったの?訊かれたよ。でも言えねえよ』
「まあ、助かっただけでもよしとしろよ。いや、助かったからこそ今笑い話に」
『笑えねえよ!』
「怒るな!昔の話だろ!笑っとけ!」
『去年の話だから笑えねえんだよ!』
「去年!?二十歳越えてなにやってんだよ!つうかファーストキスってお前」
『ちゅ、中学生の頃の話だよハハハ』
「笑った!」
『そんなもんお前、そんなもんあれだろ。ハハハ。オススメを膨らますんだろ?女子中学生の胸が膨らむようにさハハハ』
「とりつくろうのに必死か!もういいよ」


ここまで書いて投げ出した。駄目だ。おもしろいこと一個も思いつかない病。というか携帯で文字打つのが急にしんどくなった。駄物語に逃げようかな…。あれか?こんなもんに時間を潰すよりやりかけのデビルサマナーソウルハッカーズ(SS)をプレイしたいからか?なにも考えられません。これがゲーム脳です。ああ、マンネリズムを隠しきれない。

微笑シリーズ。こちら夜泣かし悩み相談所1。

相談
わたしは靴下をくるくると丸め、足首で留めて履くスタイルで生きてきました。所謂ドーナツです。小学三年生の時にこのドーナツ靴下の快感に目覚めてから、最近の足首までしかない短い靴下に浮気することなく大学卒業までずっとドーナツ靴下で過ごしてきました。夏でもずっと長ズボン着用でした。わたしにとってドーナツ靴下は一日の始まりでした。朝、ピンと膝下まで伸ばした靴下をくるくると丸めると、今日も一日頑張るぞ、と、気合いが入るのです。しかしこの春わたしはサラリーマンとなり、100年に一度と言われる不況の中で運良く就職出来たのはいいのですが、初出勤の日に上司からドーナツ靴下を注意され、もう1ヵ月もドーナツ靴下を履けていません。はじめは社会人になったのだからしょうがない、と我慢していましたが、我慢の限界をひしひしと感じ始めている今日この頃、上司にドーナツ靴下事情を話すことも出来ず、また到底理解されないであろうことを察し、一体わたしはどうすればいいのでしょうか。社会人はドーナツ靴下ではいけないのでしょうか。5月を前に五月病になったみたいで、働く気力を失いかけています。足元が落ち着きません。ああ
ドーナツ靴下。ちなみに、職場にはドーナツ靴下仲間はいない模様です。
(22歳。ドーナツ男さん)



こはん
それはそれは、たいへんな苦労をされていることでしょう。相談内容を読んでいるだけでドーナツ靴下も許されぬ世知辛い社会に身震いし、あなたのやりきれぬ想いや社会という荒海の中で取り残された孤独、まるで抜け忍のような生活を強いられるあなたの姿を想像しただけで思わず失禁してしまいそうです。なぜ、なぜなんだ。なぜドーナツ靴下に市民権はないのか。ドーナツ靴下に市民権を。そう叫べども、マイノリティの性、周りの靴下をちゃんと靴下らしく履いている人達は誰も聞いてはくれないのでしょう。それはとてもつらいことでありましょう。
よし、ここはわたしも社会の潮流に抗い、実に約10年ぶりに靴下をドーナツにし、ドーナツ仲間になって少しでもあなたを勇気づけようじゃないか。と、思って足元に手をやったまではいいのですが、わたしの履いている靴下は“最近の足首までしかない靴下”でした。無念。
靴下とは西洋から入ってきた文化です。日本で最初に靴下を履いたのはかの水戸光圀と云われています。その靴下はメリヤス足袋と呼ばれるオランダ性の靴下でした。ここで水戸光圀がこのメリヤス足袋をドーナツしていたという確固たる史実があれば、今日に於ける「靴下をドーナツにする奴はお子様」という風潮はなかったのではないでしょうか。史実には残っていないにせよ、光圀も一度くらいはドーナツをしていたはずであることは容易に想像できます。とても悔やまれる歴史の喪失です。
さて、古今東西、服というものには「意味」があります。喪服や礼服、羽織袴に十二単、裃に豪奢なマント、まわしにタイツ、牧師さんの衣装や処女のみ羽織ることの許されるといった制約のある衣服や色、柄などなど。スコットランドのタータン柄の美しい民族衣装キルトも、そのタータン柄はそれぞれの家系により違い、家紋のような位置付けにあります。民族的、慣習的、職業的、宗教的、儀式的、服というものはさまざまな意味を持っているのです。当然靴下にも意味があります。元々西洋から入ってきたものなのであまり日本人には感覚的な馴染みがありませんが、たかが靴下と侮ることなかれ、例えばアマチュアレスリングでは試合時、白い靴下を履いていなくてはいけません。白い靴下でないと試合に出られません。これは清廉潔白を示し、たとえ激しく勝敗を競う中でも紳士たれという意思表示です。またアマチュアレスリングでは試合中のレスラー達は胸に必ずやはり白いハンカチを忍ばせています。鼻血が出たりしたときなどに使われるのですが、用途としては形骸化していると言ってよいでしょう。形而上の意味だけが残っているのです。試合開始前、アマチュアレス
ラー達はその白いハンカチをジャッジに見せなくてはならないのですが、それこそが白いハンカチの持つ意味なのです。おっと、靴下でなくハンカチの話になってしまいました。
ドーナツ靴下にも意味はあります。それはちょっとした可愛さです。殺伐とした企業戦士のたむろする職場に於いて、あなたがスーツを着ていながらドーナツ靴下をすることで、周囲がちょっと和むのです。緊張と緩和の意思表示ですね。真面目な上半身と可愛げのある下半身。最高じゃないですか。恐れずに堂々と丸めましょう。あなたの職務内容が外回りの営業であるならばドーナツ靴下をお客様や取引先の「こっちの足元見やがって」といったセリフを吐きたくなるような相手にこちらの足元をちらりと見せることで大きなインパクトを残すことも出来るでしょうし、警戒心を解くきっかけにもなるでしょう。社会人としての常識、世間体、上司や同僚の目など気にせず、堂々と靴下を丸め、むしろつんつるてんのズボンを着用して周囲に、これがおれのドーナツ靴下だ、と言わんばかりのアピールをしては如何か。そしてドーナツ効果で心機一転、意気揚々と仕事で成果を出してやりましょう。ただ、あだ名がドーナツ君になることは覚悟してください。

微笑シリーズ。流れ行くさらさら

『腹黒い奴ってのはげびた笑い方をするよな』
「漫画の読みすぎじゃないか?」
『現実でだ。腹黒いっつうか、おびえてる奴な。つっこまれたら終わり、みたいな奴』
「つっこまれたら?」
『人を騙そうとしてる奴とか、ほぼ悪徳商売であるということを自覚してるセールスマンとか』
「ああ」
『げぶぁぶぁぶぁぶぁ、ってさ』
「どう発音したのかもわかんねえよ。ひっひっひっみたいなのじゃなくて?」
『そんな笑い方のセールスマンは確実に、って危ない。乗せられて危うくそんな奴は喪黒福造じゃねえか、笑ゥせぇるすまんじゃねえかって言っちゃうところだった』
「乗せるつもりはなかったけど言っちゃってんじゃねえか」
『ひっひっひっなんて笑う奴は魔女か、あとは悪いおじいちゃんおばあちゃんだろ』
「まあ、なあ。鬼ババとか、悪巧みしてる片眼鏡の老執事とかな」
『ひっひっひっなんて笑うそんな奴現実にはいねえよ。あ、おれの田舎のばあちゃんはそう笑うな』
「身近にいるんじゃねえかよ。でも確かにいるな。そんなお年寄り」
『ずんだ餅を食う前とかひっひっひって笑ってたもんな』
「笑うほど好きなんだな。ずんだ餅が」
『あと、世界中を恐怖に陥れようとした時なんかも』
「安易だよ!安易過ぎるだろそれ!」
『………ひっひっひっ』
「やめろ!」
『しかし、セックスしてる時にひっひっひって言われたら』
「なんだよそれ!?言われたらなんだよ」
『イヤだよな』
「正解だよ!なんだそれ」
『それでできた子供もそう笑うからね』
「一個前に戻ろうか」
『は?』
「いや、子供が生まれた一個手前の出来事に戻ればひっひっひっチャンスあるだろ」
『ああ、ひっひっひっチャンスな。ひっひっひっチャンスってなに?』
「ほら、出産時の呼吸法で、な、あるだろ、ほら」
『ひっひっひっチャンスってなんだよ』
「ラマーズ法だろうが!ひっひっふーひっひっふーのひっひっひっチャンス到来してただろ!」
『ひっひっひっチャンスがなんなのか知らないけど、ラマーズ法がチャンスだとおれは思わなかったな』
「…そうか。ならいいんだ」
『よくないよ。おれがもう一回ひっひっひって笑ってお前が、お前がその子供かよおばあちゃんがそうだから!?みたいな展開がつぶれたもの』
「そうか。考えてんだな。…しかしさ」
『あ、ひっひっふーじゃなくて、ひっひっひーって呼吸法だったらおもしろいね。いつ吐くんだよみたいな』
「それだろぉ!ひっひっひっチャンス活用してるじゃん!」
『いや、おもしろくはないな。初産の人なんかパニクって本当にそういう呼吸しちゃって気絶するってのはよくある話なのかもしれない。これは笑いごとじゃないな』
「そう言われたらあれだろ、何も言えないよ」
『助産師あるあるだよな。助産師にはうけるかもしれない』
「どっちなんだよお前は!うけちゃダメだろ!」
『いや、いくら生命を扱うお仕事でも、助産師さんも人間だからね。コンビニの店員が客にあだ名つけるみたいなもんでさ。客の立場からすりゃイヤだけど、じゃあおれが店員サイドになったらあだ名をつけないかって言ったらそれはまた別の話だろ。緊張と緩和だよ。人間は機械にゃなれねえんだ。吐き出せるもんは吐き出さねえと。そして吐き出すときは後ろめたさを消す勢いで笑わないといけないのが人間だよ。笑う動物は人間だけだって言うだろ?笑うことは素晴らしいことなんだって。でも世の中はなんでも対になってるんだ。人間だけがやることなんてたくさんあるだろ。本能以外っつってもいい。笑うことってのは、本能に根ざした活動以外のもの、それと対になってる。本能ってのは三大欲だよな。食って寝てやる。それだけの生活をしてみなよ。働かないよもちろん。働くってのは本能的ではないからね。動くことは本能であっても働くってのは本能ではないから。ほら、そいつは笑ってますか?笑ってないだろ?笑う必要がないんだ。吐き出すものがないからね。だから笑いってのは本能以外の部分に基づくものなんだよ。あるあるネタなんかまさにそうだよな。エロあ
るあるだって中だしまでいくと笑えないだろ?ぜんぎとか体位は本能ではないからね。だすことに意味があるんだから。食事だってそうだよ。恋人が死んだ夜にも腹は減るって笑えますか?だから笑いってのは本質的に誰かを傷つける。罵倒だったり差別だったり。それはしょうがないんだ。罵倒したり差別したりすることを“隠す”のは人間だけだからね。だからといっておれは差別主義者ではないことを強く言っておくけど、じゃあなにかを差別していないかといったらそれはまた別の話になってくるから。それで』
「長えよ!もういいよそんな話は。なんでそうなった」
『というわけでげびた笑い方をする奴は』
「そこに繋がるのかよ」
『無駄に明るく相槌笑いする奴ってのは、確実に裏で後ろめたいことをしてるって話だよね?』
「おれは知らねえけど!?」
『じゃあカマンベールチーズについて話そうか』
「終わり!?そして急展開!」
『なんなんだろうな。カマンベールチーズって………』
「………それだけ!?こっちも終わりなの!?」
『うまそうでもまずそうでもねえよな、カマンベールチーズ』
「うまいだろ」
『そうだっけ?』
「いや、おれに聞かれてもそこはお前次第のところあるからってなにこのふわふわ!すごいふわふわ!ふわふわマンか!カマンベールだけに!?」
『じゃあ昨日やってたケビン・ベーコンの映画の話しようぜ』
「じゃあってなんなんだよ!」
『ところでこの前テレビでミッションインポッシブル3やってて、ちら見してたんだけど』
「どれ!?お前どの話すんの!?展開が早いよ!」
『げぶぁぶぁぶぁぶぁ!』
「なんでだよ!なんで今げびた笑いした!」
『Mi3ってさ、なんか一生懸命予算を使い切りましたってだけのとてもおもしろい映画でしたね』
「うう、どっちだよ!ほめてんのか貶してんのか!」
『ほめても貶してもねえよ。いや、ほめてるかな』
「だからどっちだよ!2択が3択になっちゃったし!?」
『ああいう、年度末の道路工事的な、いや、余ってる部費を無理矢理使い切る将棋部の方が』
「どっちだよ!いや、どっちでもいいだろ!おんなじだよその喩えの意味するところ」
『ああいう金のかかった映画から金のかかった新技術が生まれたりなんかしてさ。その金のかかった新技術を金のかかってない映画が金のかからない旧技術として。そうやって映画技術が発展したり、時には技術見本市みたいになって衰退していくんだろ?』
「だからどっちなんだよ!つうかおれに訊くな!」
『主役のトムン・ベルールは』
「トム・クルーズな!カマンベールひきづってんじゃねえ!」
『彼の演技はいいのか悪いのか』
「だから!はっきりしろよ!」
『どうなんですか?』
「おれに訊くなぁ!主体性を持て!」
『昨日テレビでやってたワンピース』
「ケビン・ベーコンからワンピースに!?」
『ワンピースってさ。どこかひねくれた大人がハマるよな。それとまっすぐな子供』
「どっちの話したいんだよ!ひねくれた大人とまっすぐな子供って守備範囲広いな!話を絞れ!」
『ところで昨日深夜にやってたケビン・ベーコンの映画なんですけど』
「なんなんだよ!」
『あれなに?』
「おれに聞かれてもって何回言わせりゃいいんだよ」
『お前なぁ、少しは主体性を持てよ』
「お前が言うか?」
『いや、そんなことおれに聞かれても』
「じゃあ誰に聞けばいいんだよ!」
『ケビン・ベーコン扮する、あれ、あの役柄は、なんつうの、キャンプガイドでいいかな?山岳ガイドと言うのかな?』
「その映画の内容訊いたわけじゃねえよ!どっちでもいいし!」
『ま、アメリカの子供はそんなに魚をさばくのがイヤか、って内容の』
「どんな内容の映画だよそれ」
『魚をさばくのがイヤだって言って聞かないガキがケビン・ベーコン扮するガイドを崖から突き落として成長するっていう、ジョジョでいうなら5部のペッシ的な話』
「理解しちゃったんだ」
『なんか長くなったから話のオチは割愛して』
「理解できねえなその言動には」
『いやさあ、言った時には既に終わってるから』
「オチも!?言ってもねえのに!?」
『いや、だからオチを言ったらそれはもう行動は終わってるから。終わったあとに言うことになるから』
「もういいよ」
『よくないよ』
「ああ!?」
『みなさんにお知らせがあるんだ』
「こんな過疎ブログで!?」
『いいだろ』
「いいけど」
『おれ次の微笑シリーズは女の子ウケするやつ書きたいんだよね』
「才能棚にあげてまた途方もねえことを」
『女の子におもねりたい時期ってあるじゃん?』
「…知らねえけど」
『だからさ、おれにヒントをください。女はこういうのが好きよってのをください。ヒントくれないと今回みたいな、一体全体何をしたいのかわからない独りよがりになります。ただし、誰々みたいなの、とかはやめてください。おれ最近のネタ番組観てないからわかりませんし出来ません。というわけでよろしく』
「本気か!」



終わり。そのケビン・ベーコンの映画タイトルは「グレート・ストリーム」ね。観るときは時間帯に気をつけて。深夜か二日酔いで寝込んでる昼かだね。あ、あとお知らせだけど、随時悩み相談も受け付けてるよ。公開前提で。ただリアルに重い悩みには一切答えないからね。って本気か!