悪意アリ! -58ページ目

橋下知事~マスコミの見当違い その3

橋下さんの手法を小泉元首相になぞらえて「橋下劇場」とよく言われています。

ここが僕の最大の違和感なのです。


一般市民の関心を集めるだけ集めて、自分の主張を押し通してゆくというニュアンスだと思います。

最近、一人の高校生が論文を出し、オバマ大統領、小泉元総理、橋下知事等の演説を分析したことが毎日新聞でやや大きめに報道されていました。
彼の見解では、橋下知事は敵を作るのが上手だそうです。

これは彼に限らず一般のマスコミ、市民に共通する印象かと・・・


甘い!

橋下さんは目的まで最短距離を選んで突き進む思考法の持ち主です。

敵を作って市民感情を高めるのだけが目的のはずが無い。

あくまで手段に過ぎないはずです。


一見、小泉元総理の手法に似ているために、特に頭の固いマスコミはその程度の分析に甘んじてしまっているのです。


小泉純一郎(呼び捨てでいいや)は聴衆の関心を一気に掴む言葉選びに長けていました。

しかし、言いっぱなし。

彼の言葉が発っせられる前に、竹中平蔵(呼び捨て)が露払いをつとめています。
つまり議論の出発点ではなく、トドメの一撃に当たるのです。

他の政治家は小泉人気にすがるほか無く、小泉の言うことを聞くより選択肢は無いぞと宣告されているのです。
国民の喝采が政敵達の退路を絶つのを手伝ったことになります。


新聞の記事風に言えば、(竹中の)解説文が先にあり、(小泉の)大見出しがドン!の状態です。



橋下さんの手法はまず、敵の罵倒から始まります。

注目をまず集めます。

敵と目された人間はたまったものじゃない。

府民どころか日本中の関心が集まり、マスコミが注目どころか資料集めから分析まで始めてしまうのですから逃げようがありません。

ここからが小泉との最大の違いです。


マスコミは比較的中立の立場で解説をします。
竹中が自分で作り流布していた解説文を、マスコミが自ら作るのです。

橋下さんは、敵の陣地の外堀を埋めるように自らの見解を並べ始めます。
最初の罵倒が新聞記事の大見出しなら、次は小見出しから一般記事まで彼が作っているのです。

彼自身が発信する情報量が半端じゃない。

それも敵より先んじて・・

先んじるためには、唐突でなければなりません。
奇襲です。


ここからが橋下さんの上手いところ。

本来、一生砦に閉じこもり釈明などしたことも無い人種が矢面に立たされて、尚且つ奇襲にあっているのですから説明できるわけが無い。
民主党の事業仕分けで議員側の追求が理不尽だと言われてたけど、受けて立つ役人が(高砂親方並に)みっともなかったのは記憶に新しいでしょ・・

それでも穴から出てこなければならなくなっています。

そこから橋下さんは「議論」をはじめます。

全国的には一刀両断で容赦ない印象でしょうが、まず議論ありきなのです。

最終的には橋下さん自身が決断しますが、
必ず相手に持論を吐き出させます。

ホント喧嘩好きなのがよくわかります。


罵倒は土俵に上げるのがまず第一の目的だと思われます。
そして意外なくらい、相手の意見を聞いています。

聞いていないように見えるときは、まだ引きずり出したい相手がいる時。

現在、平松大阪市長と府市再編でやり合ってますが、まだまだ本丸までたどり着いておらず、
もっと責める気満々だというのが分かります。

おそらく市議や府議を巻き込むまであの調子だと思います。


橋下さんは目的達成のためには必ず「議論というプロセスを踏む」ことを違えたことはないのです。


首都圏のマスコミや、あまり報道に接していない府民は「橋下劇場」というレッテルに間違った印象を刷り込まれてしまっているのですよ。

橋下さんの第一声が強烈過ぎるから、パターンでしか分析できない政治記者は取り残されてしまったんだけどね・・


小泉は煽るのだけが上手く、

橋下さんは喧嘩が上手いのです。

橋下知事~マスコミの見当違い、その2

橋下知事候補の選挙運動中から新種ぶりは目立っていました。

街頭演説で政策を論じない。

対立候補の熊谷氏とは対照的でした。


当選前はほぼ互角の争いと言い、当選後はタレント好きな大阪人気質が勝因と分析するマスコミ。


見当違いもはなはだしい。



戦略勝ち以外の何物でもない。

かえって橋下嫌いが熊谷候補の票を押し上げたことに気づいていないのか、認めたくないのか。


街頭演説は、聴衆が政策を聞くところではなく候補者の熱意を確かめるところだと割り切ったこと。

当選前から、橋下さんは島田紳助さんから「誰も話なんか聞いとらんで」というアドバイスをもらったことを隠してはいませんでした。

彼自身も聴衆の空気を読む力に長けていたのもあるでしょう。


僕も政策を比べる時は選挙広報を読み比べました・・なるほど・・紳助さんの言うとおり。


橋下候補のスタンスは自民・公明でも民主でもどちらでも立てる(組合系とは合わないでしょうが)のに、自民・公明の協力を得たこと。

民主に反橋下が多かったのは確かですが、府政の与党側に立ったことに本気を見ました。

声を掛けたのが自民の重鎮や堺屋太一だったこともありますが、「出るからには勝つ」を選ぶのは戦略として大正解です。


合理精神の塊の彼にしてみれば、奮闘むなしく・・・というのは受け入れがたいことだと思います。


熊谷氏のマニフェストに府民の平均年収を50万円上げるというのがありました。

経済状況を見れば不可能に近いのは明らかなのに、政治玄人のマスコミにしたらタレント候補が憎いのか熊谷氏のマニフェストを検証した記事は少なかったように記憶しています。
橋下さんのマニフェストの自治体の責任の範囲が間違っているという指摘は多かったけどね。

熊谷氏には新幹線を大阪駅までつなげるというマニフェストもありました。
新幹線の構造上無理。
ロボット工学の権威たろう彼が本気で考えたとは思えません。


それが2~30年後を目安といえ、伊丹空港問題と絡め新幹線、地下鉄なにわ筋線、リニアモーターカーを具体案として出してくる橋下知事の手法を見ろって言いたいよ。
これが「戦略」という見本です。

熊谷氏にできたかどうかは、もうわかりませんが・・
地元に西郷輝彦さんが応援に来たけどね。


橋下候補が合理性に基づいて行動していることを検証せずに、自民の誰某の意向とかそんなありきたりの政治記事を書いていてどうする?

鳥取・強殺初公判

初の死刑判決がでるかもしれない裁判員制度の適用裁判が始まりました。

死刑制度反対と言って参加拒否する人がいました。

また自称・市民団体も死刑裁判を市民に強要するのはおかしいと鳥取地裁前でビラ配りをしていたそうです。


僕は死刑制度存置派ということで意見をいいます。



ヨーロッパで死刑が廃止されているけど、それがずっと続くとは思っていません。

明らかな有罪と疑わしい有罪の間に死刑と終身刑という選択しかないから不公平だと、とりあえず死刑廃止になっているだけなんじゃないかと疑っています。

人権尊重には必ずリバウンドが来ると・・

今は第2次世界大戦のナチスに協力せざるを得なかったトラウマを吹っ切るための、過敏な時期なんじゃないかと・・

鯨だって食べる時が来るって・・

といっても、100年単位の話ですが。



せっかく自分の死刑反対の意見を判決に反映できるチャンスなのにもったいない。

無期懲役と主張しても死刑判決になってしまったときの無力感や責任感を恐れたのか?

事件の詳細を聞くことで自身の死刑反対の主張が揺らぐことを恐れたのか?

単に「死刑」という言葉を忌み嫌ったのか?


素人に責任を負わせるなという意見もあるけど、プロの裁判官だって人の命の重さは同じだと思うけど。
プロは重荷を背負うべきという傲岸さには胡散臭さを感じるけど・・



延命治療で、回復の見込みもないのにいたずらに苦しみを長続きさせるのを見かねて、家族が医師に治療の中断を依頼することが多々あります。

いつもそれで不思議に思うことは、なぜその行為を医師に迫るのか?ということ。

現に殺人罪で起訴される、心ある医師は少なくないです。

肉親の永遠の安らぎを願うなら、家族がその重みを背負うべきではないのか?と思うのです。

肉親の苦しみを見ていないから言えることかもしれませんが、医師に命を背負わせた後でいくら嘆願の署名を集めたところで家族の「罪」が消えるわけではありません。

それなら、はじめから背負えばいいというのは無責任な発言でしょうか?



そんなことを思ってしまった。

車の欠陥、マンションの欠陥を一般人も責任を背負えというのは無理ですが、人の命の選択に関してはプロと言えども平等だと思うのです。


それに「死刑反対」の意見を持つ者が裁判員制度に参加しなければ、死刑判決が出やすくなるという矛盾も生まれます。

自分が防波堤になろうという気までは無いぐらいの消極的反対なのでしょう。


いずれにせよ裁判員制度反対の人たちが思うのとは逆に、制度は死刑判決が減る方向に働くというのが模擬裁判の結果から出ています。

橋下知事~マスコミの見当違い、その1

プロフィールに書き忘れたけど、橋下知事のファンです。

皮肉ではなく本当に応援してます。


2年前、府議会で初めて答弁に立った時、傍聴に行ったぐらいですから・・・


そのとき選挙で敵に回った民主党の質問に傍聴人が集中したけど、なんでかな?と思っていた。

対立点で橋下知事の行く末を探ろうとしてるんだろうけど、みんなちょっと足りないんじゃないかと正直感じた・・


だって選挙の公約で政策の違いはあらまし判っているのだから・・


橋下知事の独自性を探るには、支持を得て協力してもらった自民・公明両党との質疑の中で浮かび上がる「ズレ」を探る方が手っ取り早いじゃないのか?

たぶんタレント候補で、端から既成政党の言いなりになると高をくくっていたんだろうな。


自民との質疑は馴れ合いで、事前に打ち合わせた答弁を丸読みしていたと思っている人が多いのはびっくりした。

テレビの中継を見ていてもそう感じている人もいた。

いくら傍聴席から見聞きした僕が、質問を書いたプリント2枚ほどを答弁席の台上に置きながらも全く見ないで答えていたといっても信じようともしない。


詳しくは忘れたが、大まかな部分では自民の意向どおりの答弁だったが、後半意見を異にするところがあった。

議員席ではベテランが野次を飛ばし、知事の不見識を笑う場面も多々見られた。
(・・知事の大阪府の認識が北部に偏っていたのを突っ込んでいた)

まだ彼らには、若造など手玉に取れるという余裕があったようだ。


そのときの知事の印象は、もの凄く頭の回転が速い人だということ。

質問に完全に対応していたこと・・いろんな用語が矢継ぎ早に出てくるから内容を完全に理解していないと、たとえ丸読みでもあのスピードでは返事できない。
答弁が不十分なら、すぐに認めて修正のポイントを確認するし・・
あの答弁の言葉の早さに着いていけているのは果たして、傍聴席を含め何人いてるんやろ?と驚いたほどです。
議員さんでも専門外は苦手なはず。

当時の自民の府議の代表も凄かった。完全に内容がかみ合っていたもの。
頭になる人は違うと感心した覚えがある。

かっての横山ノックの棒読みとは全く違う緊迫感があった。


民主党との質疑もインターネットで見たが、とにかく返答が早い。
意見の食い違いで間が空くことはあっても、自民との質疑と基本のペースは変わらない。

それがなにより自民・公明と協力関係にあっても馴れ合いではない証拠のはずだと思うのだけど・・・

報道機関はどうも今までの報道手法でまとめようとしているようだった。
・・・今でも在京マスコミはそこから抜け出せないでいるけど。


共産党との質疑はけんか腰だった。
議員がつまらない戦術を使ったから知事が切れた。
あれは共産党支持者には一方的な勝利に見えただろうが、府民全体が注視していることを忘れたマヌケさが見えた。
今までの戦術が通じる相手だと見誤ったんだろう・・


その頃からマスコミは、どうもこの新種の知事の扱いがまだわかっていないんじゃないかとの思いが強くなってきた。


つづく

Vs高齢者

若い世代にはやさしいお爺ちゃん、お婆ちゃんのイメージがあってなかなか毒を吐きにくい人たちに思うこと。

高齢者は弱者といいますが、ほんの20年ほど前は若い部下の伸びゆく芽を摘んできた連中です。
なんの遠慮があるものか!


新聞の投書欄を読んでる人がどれだけいるのか知りませんが、一般にお年寄りのサロンと化しています。

何十年も同じような内容なので、投稿する人はもしかしたらずっと同じ人の可能性もあります。

たぶん似たような考えの持ち主が集まって後継者を探しているんでしょうが・・


とにかく毒にもならんことをしたり顔で投稿する人間の頭の中を覗く気持ちで愛読してます。



この不景気で増えつつあるのが、若い者へのエール。

頑張れば路は開けるとか、仕事は選り好みするなとか・・・


早い話が、わしらは頑張ってきたのにお前らは・・・と言いたいのでしょう。


これを浮世離れといいます。


閉塞感の理由がわかっていません。



戦後、1945年に16歳より上の世代・・今より高卒は少なかったからね。

だいたい今80歳以上、少なくとも復興期に働き出した世代ということで75歳以上の人間は日本の歴史上稀な存在だという自覚が無いのかもしれません。

彼らは身を粉にして働いた世代だと自負しているでしょうが、今の若い連中でアルバイトを掛け持ちしてるのは珍しくもありません。
労働条件も悪化しているので、かっての時代とそう変わらないかも・・・


そもそも高齢者の多くが消費によって自分達の社会が成り立っていることを理解していません。

かってバブル期に、年配の多くが若年層の浪費に不安を抱いたことがありました。
自分の若い頃には考えられなかったという、やっかみからです。
日本の行く末を憂いているフリをしていましたが、その消費からくる税金でもっとも潤っているのがその当の老人達だとは自覚していないのだから、恥ずかしいったらありゃしない。


戦後と今ともっとも違うのは、将来に展望を見出せるか見出せないかということ。

世界経済なんてでかい話じゃなくて、自分の将来について・・


だって物が売れないんだもの・・・

売れなきゃ生産性を上げるという名目の単価切り下げか、生産拠点の海外移転しかない。


そんなこと戦後には無かった話です。

少なくともその頃は普通に働けば、(男は)何年後かは共働きせずに結婚できて、子供を3人以上育てて、家を買えて、いずれ車を手に入れることが(夢ではなく)計算できた時代です。

そりゃ働くわ!

今は働けど働けど暮らしは楽にならざり・・と言われた時代でさえ羨むような時代だと気づいていないのです。

彼らは「そんなことない。実際日本は豊かで、物が溢れているじゃないか!わしらの若い頃は何にもなかったぞ」と思っています。

だから彼らは考えが足りないのです。

買うものがある時代と、無い時代の構造がわかっていないのです。

安いものを手に入れるために中国製のものを買うという消費構造の恐ろしさがわかっていないのです。


そんなこともわからないのに、コズルい知恵はあります。


終身雇用制ってありますよね?

それって農林水産業や家内制手工業の場合は制度にしなくても、初めからそういうものだったはずです。
でもそれ以外の労働者をうけいれた大規模な工場や会社は労働条件が整い、やっと終身雇用制が完備するまで長年かかりました。
その恩恵をまともに受けた世代ってどれだけいるって思います?

戦後の復興後に就職して年金がまともに貰えた世代のことです。


現在では年金がいずれ減額、あるいは支給年齢が遅れることが確実視されるというのに・・・


ほんのわずかな世代の人間しかいないのです。


彼らはまた「ちゃんと掛け金を払い続けたから当然だ」と思っていることでしょう。

でも今払っている年金の金額から計算しても、掛けた金額の何倍もの支給額になるのはわかりそうなもの・・
あれは掛け金ではなく、支給を受ける権利のために毎月払っているものなのです。

負担するのは今、働いている人間なのです。


ヘルパーの制度が整えられたのもつい最近。

心優しい人間を「生かさず殺さず」雇い、しかしいずれは税金の負担が破綻するのが予想されます。
現在働いている人間は恩恵を受けるどころか後始末にどれだけ負担をすることになるか・・そら恐ろしい・・

いくら必死に働いて復興に貢献したからといってもね・・

子孫を含めた社会構造を設計したとは思えない。

作ったのはお役所や当選のために夢物語を語った代議士(あれ?)としても、投票したのは彼らで、恩恵を受けられたのも彼ら。


そんな奴らの説教なんて聴く必要はないよ。

所詮、年寄りの知恵なんて目先をやり過ごすことだけしかできません。

長いといっても10~20年。


30年後のことを具体的に言い出した橋下府知事を非現実的と言ってしまう痴れ者だもの。



ついでに言っておくと、おばあちゃんの子育ての知恵もその世代に流布した限定された知恵に過ぎません。
常識なんて「うつ伏せ寝」と「仰向け寝」のように流行と同義語です。
今日の常識が明日は非常識に代わってしまうのです。

もし迷うなら、ニコニコ笑ってる子供の親に聞けばいい。

少なくともそんな子の親は、一生懸命な親を邪険にすることは無いと思うよ。
たぶん。