今日は雨。これは”五月雨”ですか? | 光玄blog

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TDR開園前から34年間働いてきた元ディズニー親父のブログです。よろしくお願いしますね。

 

皆さんこんにちはパー

 

今日は雨。

久しぶりの本降りですね傘

 

たまに雨が降ると草木が喜んでいるようで、ついに庭の草木たちに見とれてしまいます。

 

見とれていると、

「草木たちから話しかけてくれないかなぁ」なんて馬鹿なことを考えてしまう自分がいます。

 

久しぶりの雨に喜んでいるのか、やっぱり雨はうっとうしいのか・・・

聞いてみたい気持ちになってしまうんです。


馬鹿ですよね爆笑

 

そんな馬鹿なことを考えている月曜日のテーマは”雑多なブログ”です。

何時ものように、元気に楽しく書かせて頂きますので、どうぞよろしくお願いしますねお願い

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五月の雨と言えば”五月雨”なんて言葉がありますよね。

 

”さみだれ”とか”さつきあめ”なんて読んでいます。

 

この言葉を聞くと松尾芭蕉の俳句を思い出す方が多いのではないでしょうか?

私も『 五月雨を あつめて早し 最上川 』なんて句を思い出してしまいますニコニコ

 

 

国語の授業で最初にこの句を聞いた時、

「なんてすがすがしい句なんだろう」と感じた事を思い出してしまうんですキラキラ

 

鮮やかな緑深き谷間を流れる最上川。

たまに降る雨で水量が増え、いつもよりも流れる早さが増す最上川の力強さと雨と川の流れの音に浄化される空気。

 

ホントの意味はわかりませんでしたがてへぺろ

初めて先生から聞いたこの句にそんな感情を持ったんですよね。

 

それ以降、”五月雨”という言葉に”清くすがすがしい情景”を思い出してしまうんです。

 

そんな”五月雨”ですが、本当は”五月の雨”ではないって知っていましたか?びっくり

 

俳句を趣味の方なら当然知っている話だとは思うのですが、私のような俳句等やらない者からすると「そうなの?」なんて”素っ頓狂な”感想を持ってしまいます。

 

調べて理解したのですが、この五月雨は陰暦の5月で、現代で言うと6月、7月を表現する言葉なんだそうです。

 

ですから、俳句の季語としては”梅雨”を表しているとのことキョロキョロ

 

そう知ってしまうと、ちょっと私的には残念な気持ちになってしまいました。

何故って・・・梅雨って”うっとうしい”イメージがありませんか?

 

”梅雨”のだらだらと降り続く季節の最上川だと思って芭蕉の句を読むと、

最初に感じた”すがすがしさ”が薄らいでしまって残念ではあります。

 

なんて・・・

 

そうは言っても、初夏の歌には間違いないと思いますので、うっとうしい”梅雨”をイメージせず、新緑に雨露が光る美しさ、五月雨によって田畑に水が潤い、最上川の水量が増え自然が活気づく様子が詠まれている有様を思い浮かべれば、それはそれで元気をもらえる句ですけどねウインク

 

なので・・・これからは、元気をもらえる句として詠んでいこうと思った親父なのでした。


 

ところで・・・

 

皆さんは俳句の起源を知っていますか?

それに、何故俳句には季語が必要なんでしょう?

 

俳句音痴の私には、この2つの疑問が知りたくなってしまいましたので、

やっぱり・・・何時ものように・・・調べて見ることにしましたえーえーえー

 

最初に”俳句の起源”から

 

その起源は、奈良時代に遡るそうです。

当時、宮中で行われていた和歌の会で、長い和歌の前座として短い詩が詠まれたみたいです。

これが、俳句の原型とされる「発句(ほっく)」で、この発句は、5・7・5音の3行で構成されていたと言いますから、まさしく俳句ですね。

 

平安時代になると、発句を基にした「連歌(れんが)」という文学形式が生まれました。

連歌は、複数の詩人が交互に詠み継ぐ長編の詩です。

また、室町時代になると、連歌の形式がより洗練され、「俳諧(はいかい)」と呼ばれるようになりました。

俳諧は、連歌の規則を緩め、ユーモアや風刺を取り入れた、より大衆的な文学形式となります。

 

そして、江戸時代初期の17世紀に、松尾芭蕉によって俳句が確立されたそうです。

芭蕉は、俳諧の中でも特に5・7・5音の発句に注目し、これを独立した文学形式として扱い、

「古池や蛙飛びこむ水の音」に代表される名句を残し、俳句の美学を追求したんですね。

芭蕉の弟子たちも、師の教えを受け継ぎ、俳句の発展に貢献したようです。

 

ってことは・・・やっぱり俳句を確立させたのは”松尾芭蕉”ということなんですね。

納得です。

 

次に”季語”について

 

俳句の中に季語があることで、季節を理解出来るからだとか。

春夏秋冬、新年と”日本ならではの季節”を感じる事が出来るんですね。

 

また、この季語を使うことで、作者の持つ季節感を連想させ作品に象徴力(物事を別の物事で置き換えて見立てる能力)が生まれるようです。

 

と、こんな感じで理解出来ました。

 

 

そう言えば・・・

 

昔、TDRの学校担当をしていた時出会った校長先生が俳句の先生でもありました。

学校の場所も東京の江東区森下で”芭蕉記念館”のある町でした。

 

今、俳句の趣味がない私ですが、俳句の縁に1度は触れたことがあったんだと思いだしました。

 

でも、「何故1度は縁があったのに、趣味にならなかったんだろう?」思うのですが、

やっぱり私には”俳句は難しい”と感じちゃうんですよね。

 

短いからこそ難しい。

 

でも、最近、日本の季節を言葉にしたくなっているのは事実。

事実なので、突然、趣味は俳句なんて言ったら、皆さん温かい目で作品をお詠み下さいね。

 

それでは、今日はここまで。

また、来週バイバイ

 

元ディズニー親父の松本でした。

松本商会(研修講師・コンサルタント) - 夢創造商店会 (dreamcreativemall.com)