皆さんこんにちは
高熱を出しブログをお休みして、2週間経ってしまいました。
熱が下がっては上がり、上がっては下がりを繰り返しているうちに、
今度は、目の調子もおかしくなり、なかなかパソコンの前に座ることが出来ませんでした
65歳を前に身体が老いて行っているようで、少し気分が滅入っておりました
でも・・・
身体の衰えは仕方の無いこと。
身体のお衰えにフォーカスしても若返るわけではありません。
なので・・・
気持ちだけは明るく、前向きに、何時も無理にでも上げていける努力はしようと思い直しましたら、目に見える周りの景色が突如として明るくなり、気分も上がってきたんです
”病は気から”と昔から言いますが、正に、そんな感じの2週間を過ごしておりました。
久しぶりではありますが、今日は”雑多なブログ”を書かせて頂きます。
何時ものように、元気に楽しく書かせて頂きますので、どうぞよろしくお願いしますね
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ゴールデンウィークが終わりましたね。
皆さんはどんなお休みを過ごされたんでしょう?
今年は円安だということで何時もより海外旅行へ行く方も少なかったようですし、
近場で過ごす方が多かったとニュースでも取り上げておりました
私は体調が優れなかったのでどこへも行かず、家で植木の手入れで時間を過ごしておりました。
手入れをしていると、孫達が顔を見せに来てくれて、
「何しているの?」「私も手伝う」などと声をかけてくれたんです。
危なくない程度に手伝って貰いながら過ごす時間は、孫との楽しい一時で、
些細な私なりのゴールデンウィークになりました
ところで・・・
ゴールデンウィークで思い出すのが、私がオリエンタルランドの新入社員だった頃の事です。
4月1日に入社し、1ヶ月間の研修を受けた後、
正式に部署への配属が決まった最初の連休がこのゴールデンウィークでした
配属となったのは商品部と言って、パーク内にある店舗運営を担う部署です。
配属後、最終的には各々担当店舗が決まっていくのですが、この時期はまだ決まらない状態でいました。
その為かどうかは今でも理解出来ないのですが、
ゴールデンウィークに入る前に”ワールドバザールの店舗名を全て覚えてくるように”という宿題を出されたんです
同期一同宿題を出された時は、「何でだよ」「ここは学校か?」などと陰で愚痴を垂れ流していましたね。
勿論、私も
なので、私の社会人1年目のゴールデンウィークの思い出は”宿題”というのがキーワードのなってしまいました。
そんなゴールデンウィークですが・・・
社会人となり、初めての社会人としての連休を過ごすと会社に行きたくなるものですよね
特に、時間の管理がある程度ルーズな大学生活を過ごした人が社会人になるとそれは大変です。
同じ時間に起き、混雑するパスや電車に乗って出社するだけで身体に疲れが貯まっていきます。
それに、年齢差のある人たちと、初めての業務をこなしていると、精神的にも疲労が蓄積し、
つい大学生活に戻りたくなってしまうものです。
そして、なんとか1ヶ月を過ぎた頃少し長めのお休みが来ると、戻りたかった大学生活が蘇り、
また、休み明けにあの疲れる時間の中に戻るのかと思うと・・・気が滅入ってしまいますよね。
それが・・・
”五月病”なのではないかと私は思うんです
私もこの”五月病”にかかった記憶があります。
「なんでまた会社に行かなきゃ行けないんだよ」
「毎日、毎日、これが一生続くのかよ」
休み明けの数日はこんなことを思いながら、無理矢理身体を動かしいましたっけ。
でも、当時の世相は、”石の上にも三年”という考え方が根強くありましたので、
「なんとか3年は頑張るぞ!」という気持ちで自分を奮い立たせていた気がします。
そんな私も、なんとか3年で終わらず同じ会社に33年も居ることになったのですから、
人生ってわからないものですね。
そんな”石の上にも三年”ですが、最近の世相ではそれほど重要な言葉ではないようですね。
折角入社した会社でも、「自分の価値観に合わない」とか「嫌な人がいる」などの理由で、
半年以内に止めてしまう方が多いとか。
切り替えの早い人などは、数日で辞めてしまうなんてことも聞きます。
これじゃ”五月病”どころではないですね
長く企業で働いていた身からすると、今の若者が羨ましい。
「スパッと辞める勇気があることが凄いなぁ」なんて事を思ってしまいます。
嫌みに聞こえるかもしれませんが・・・ 私にはそんな勇気ありませんでしたからね。
「兎に角入社したからには3年」「3年頑張らないと」なんてことばかり考えていました。
ですから、嫌なら辞めれば良いんです。
”辞めてどうするのか”さえはっきりしていれば。
辞めて何もないんじゃ、折角の人生が楽しくないですから、
楽しく生きる事がはっきりしているならスパッと辞めれば良いんです。
それが”健康な楽しい人生の送り方”ですしね。
50歳前後で「やっぱりあの時辞めておけば良かった」と思うくらいなら、
何人にもなれるうちに方向転回しても良いのだと私は思っちゃいますけどね
ただね・・・
”石の上にも三年”いたお陰で学んだこともたくさんあったのは事実なんですよね。
やりたい仕事に就けないし、嫌な先輩、上司と仕事をしなければならず、何十回も辞めたいと思っていましたが、その度に自分の殻が剥かれていき、新しい自分が生まれる現象が見れたことは楽しい時間でした。
そして、自分の心の動き方1つで、人生は楽しくもなり苦にもなることが学べましたしね。
勿論、オリエンタルランドに入ったからの出会いも経験できましたし。
もし、直ぐに辞めていたら、日本で最初のテーマパークの立ち上げには参加できなかったことを考えると「辞めなくて良かった」と今では思えますからね。
人生は”縁”で回っています。
”縁”で成り立っていると言っても良いかもしれません。
その”縁”を紡いでいくか行かないかは自分次第だと思うと、
「辞めるか辞めないかの判断は早急に出すものでもないかなぁ」なんてことも思います。
結局、今日の話は「辞める」のが良いのか「辞めない」のが良いのかわからない話になってしまいましたね。
でも、今の私が言えることは2つ。
①一生嫌なことは起こらない。苦の後には楽が来るということです。
②「何が楽しいのか」を自分で決めれば覚悟が決まるよって事です。
ですから、「人生は、決めたもん勝ち」なんですから、”五月病”なんて言っていないで、
”クリエイティブな人生”を歩んでいきましょう!
と・・・親父は思うということでした
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今日のお話はこれでおしまいです。
そう言えば・・・
我が家の2人の子供達に幼い時から今日お話した「決めたもん勝ち」の話はよくしていました。
結果、2人とも自分が夢に描いていた仕事に就いたんです。
でも、その後、その夢はただの幻だったことに気づき、違う職業へ転職。
転職後は、楽しく仕事をしていますよ。
夢は、1つじゃありません。
長い人生、夢は変化してもOKだと私は思います。
たった1つの夢しか追いかけられないとしたら、それはそれで面白くありませんものね。
大谷選手みたいな人は稀なのが人の世なんですから。
それでは、また
元ディズニー親父の松本でした。