病院入院を無理やり退院し、自宅療養を続けていたが、
私の状態にあまり変化が見られなかった。
鍼灸治療が自分にとって唯一の灯りであったが、急に良くなるわけでもないし、
鍼灸院に行くこ自体で、二郎には嫌みの一つも言われてしまう。
時々当時の婚約者から電話がかかってくるが、
「結婚相手に逃げられた女と言われてつらい毎日を送っているのよ。」
「これからどうするのよ。言ってちょうだい。」
というようなことを毎回毎回強く言われる。その他いろいろと・・・・・
それも私には辛かった。
普通に起きて何かできる状態でもない、病名も分からない、治る見込みも分からない。
そういう状態だったので、結婚式は無期延期ということにしていたのだ。
それを責められても、その当時の体調ではどうしようもない。
そのうちに自分の頭の周りで何か別の思考が回っているような感じになってきた。
そしてある日、包丁を持って台所で食材を切っていた時
これで自分を刺したら楽になるのかな・・・と考えていた。
ふっと我に返って、これはまずい。
母に精神科にかかりたいと頼んだ。
私としては重い決断だった。
まだ昭和の時代、心療内科も無く、精神科にかかるということがどれほど重かったか。
おそらく母 良美も父 二郎も驚いただろうが、そうするしかないと思ったことだろう。
良美は地域の総合病院に看護師として勤めていたので、
精神科部長の井伊先生に相談した。
井伊先生は、「君の御子息ならこの病院で診るのは止めた方がいい。」
と別の病院の先生を紹介してくれた。
それが毛利隼人先生との出会いだった。
最初の面接のとき、私は以前の仕事先の話や、婚約者の話をした。
そうすると毛利先生は
「君はとてつもなく大きな超自我を作ってしまったんだねえ。」
と言われた。
自分が救われた第一番目の言葉であった。