病院入院を無理やり退院し、自宅療養を続けていたが、

私の状態にあまり変化が見られなかった。

鍼灸治療が自分にとって唯一の灯りであったが、急に良くなるわけでもないし、

鍼灸院に行くこ自体で、二郎には嫌みの一つも言われてしまう。

 

時々当時の婚約者から電話がかかってくるが、

「結婚相手に逃げられた女と言われてつらい毎日を送っているのよ。」

「これからどうするのよ。言ってちょうだい。」

というようなことを毎回毎回強く言われる。その他いろいろと・・・・・

それも私には辛かった。

普通に起きて何かできる状態でもない、病名も分からない、治る見込みも分からない。

そういう状態だったので、結婚式は無期延期ということにしていたのだ。

それを責められても、その当時の体調ではどうしようもない。

 

そのうちに自分の頭の周りで何か別の思考が回っているような感じになってきた。

そしてある日、包丁を持って台所で食材を切っていた時

これで自分を刺したら楽になるのかな・・・と考えていた。

ふっと我に返って、これはまずい。

母に精神科にかかりたいと頼んだ。

私としては重い決断だった。

まだ昭和の時代、心療内科も無く、精神科にかかるということがどれほど重かったか。

おそらく母 良美も父 二郎も驚いただろうが、そうするしかないと思ったことだろう。

 

良美は地域の総合病院に看護師として勤めていたので、

精神科部長の井伊先生に相談した。

井伊先生は、「君の御子息ならこの病院で診るのは止めた方がいい。」

と別の病院の先生を紹介してくれた。

それが毛利隼人先生との出会いだった。

 

最初の面接のとき、私は以前の仕事先の話や、婚約者の話をした。

そうすると毛利先生は

「君はとてつもなく大きな超自我を作ってしまったんだねえ。」

と言われた。

自分が救われた第一番目の言葉であった。

 

検査トラウマによって無理やり退院したものの

ほぼ動けないような状態であったので、自宅で毎日寝て過ごすことになった。

当時、なぜこんなに動けないのかと思っていたが、

今の自分の知識で言うと、あれは強度の副腎疲労であったろう。

 

夜は自分の部屋で寝ていたが、朝家族のみんなが出勤すると、茶の間に降りてきてまた寝る。

誰の声も聞こえない部屋で毎日寝ていると、気分が落ち込むばかり。

茶の間のテレビをつけていると、とりあえず人の声がする。

 

食事はというと、朝に母が『おじや』を鍋に作っておいてくれる。

煮込んだままでほぐしていないので、食べる頃には固まっている。

それををほぐしながら食べる。

一度にたくさん食べれないので、何度かに分けて食べる。夜まではこれが食事。

毎日毎日同じである。

が、食べるものがあるだけ有難い。

 

どうにか治りたいと思い、毎週一回鍼灸院に通うことにした。

数年前に通っていた鍼灸院である。

バイクで15分くらいかかる。近くにも鍼灸院はあるが、知らない所に行くのは気が進まない。

何度か通ったところで、父の二郎にこう言われた

二郎「毎日寝よらんと、バイクで鍼灸院に通えるくらいやったら仕事をせい。」

清巳「しんどうて動きたないけど、治りたいけん週に一回は頑張って鍼に行きよるんやろ。」

二郎「病気なんやったら病院に行ってちゃんと治せや。そうやなかったら何か仕事せいや。」

清巳「病院に行ってこんなになったんやろ。どこの病院が治してくれるん。」

 

辛かった。何が何だか分からないこの体も、この辛さをわかって貰えないことも。

 

このころ、妹は家の近くの上場企業に就職していた。

毎日遅くまで仕事をしている。

上司の人は妹をべた褒めで、

「毎日遅くまで家に帰さなくてすみません。でも彼女の仕事はしっかりしているので、ついつい頼ってしまいます。」

というようなことを言ったそうである。

それを聞いて上機嫌の父二郎はこう言った。

「妙子の方はわしに似とるのう。」

 

別に二郎に似たくはないが、二郎の言葉はいちいち私の心に突き刺さっていた。

 

 

 

 

 平成元年夏、パニック発作後の無理やりの帰郷、パニック発作中の胃カメラなどにより、

消耗しきった私は、母が勤める病院に入院した。

 

 食欲が全くないことから胃カメラになったわけだが、検査の結果胃には問題が無かった。

入院してしばらくすると、内科部長の総回診があった。(白い巨塔のような)

病名がついていない私の入院に、内科部長から主治医(胃カメラの医師)に質問が飛んだ。

「彼は何処が悪いのかね?」

主治医は答えられない。で、入院までの成り行きだけを説明した。

 

私が若かったので、内科部長は

「社会に出て適応できずにこのような症状になる子が最近増えているんだ。今年社会に出たのかね?」

「社会人になって3年目です。」

「うーん、それはおかしいなあ・・・・食べれない以外に症状はないかね?」

「下痢が続いています。」

内科部長は主治医に指示をした。

「腹部CTと大腸ファイバー検査をしなさい。」

主治医は「はい」としか言わなかった。言えなかったのだろう。

かくして、私の検査日程が決まった。

 

腹部CTの日がやってきた。

なんだかソワソワする。ドキドキする。なんか嫌だ。

CTの機械の中に入った。

えらく緊張した。早く終わってくれ。

終わったときには汗がびっしょり出ていた。

なんか変だな。

以前にもCT検査は何度かしたことがあるが、こんな気持ちになったのは初めてだった。

当然ながら、検査の結果は異常がない。

 

その時はなぜこんなに緊張するのか、まだわからなかった。

 

大腸ファイバー検査の日が近づいてきた。

CT検査以上になんか自分が変だ。

嫌で嫌でたまらない。また体の中に管を入れるのか。(胃カメラのように)

でも、入院しているからには決められた検査をしないと母に迷惑がかかる。

ここは母が勤めている病院だ。わがままは言えない。

私は毎日葛藤していた。

 

日に日に不安は高まるばかり。

でも、ここで検査が嫌だと言えば、

検査から逃げ出したと言われかねない。

前回ブログ出の婦長さんにも何を言われるか・・・・・

 

葛藤は頂点を突き抜けた。

ついに、もう限界、何を思われようが無理。

「とにかく退院させてほしい。もう無理」と訴えた。

そして、無理やり退院した。

 

ホッとした。そして罪悪感と敗北感が残った。

 

ずっと後になってから、パニック発作中の胃カメラが原因で、

検査に対してトラウマになっていたことに気付いた。