二郎が65歳になる年、二郎は私、母、取引先ほか多方面の人達に

「65歳になったら清己に矢内電気の身代(しんだい)を譲ってやろうと思う。」

と言いまわっていた。

実質二回目の事業継承の話であった。

 

今回は実際に話が進んだ。

県に届ける建設業の許可の代表者の名前を私に書き換える手続きを始めた。

建設業の許可を取るにははいくつかの条件がある。

1,事業実態

これは当然ある。今まで私が仕事を回してきたのであるから。

2,代表者(私)の資格

電気工事施工管理技士を持っている。

3,500万円の事業資金

現在の矢内電気の資産(現金預金と自動車、工具)で十分500万円を超えている。

(二郎の株の失敗で事務所の土地建物は売ったので不動産は無い)

3つともクリアで、問題ないと思っていた。

税理事務所で私の継承用の財務諸表(500万円の証明用)作成も進んでいた。

 

そんなある日、二郎がこんなことを言い出した。

二郎「事業資金の500万円じゃけどのう。見せかけの金でいかんか?」

私の頭は???である。

清己「何のこと?財務諸表はもう出来取るやろ。」

二郎「ほじゃけんの、今会社にある金はわしが全部もろうて、あとはお前がどうにかするんじゃが。」

清己「どうにかするって?」

二郎「銀行でお前が金を借りて辻褄合わすんじゃが。」

再び???である。

清己「それじゃあ、身代を譲ることにならんやろ。『あとはお前が勝手せい』やろ。」

「身代を譲るとみんなにも言うたんやなかったんか?」

そうするとこんなことを言う。

二郎「おまえはこれ以上親から金を取るというんか。」

 

意味が分からない。

この12年、営業、見積もり、現場管理、修理は私の仕事、

経理は他人と税務事務所に任せっきり。

全く仕事をしないのでは人間が腐るので、役所の検査の立ち合いだけは二郎の仕事にしていたが、それが月に3、4時間くらい。

で、二郎は何をしていたか。社交ダンス、浮気、株式投資。

その株式投資で母の良美の何十年も働いた退職金と、この12年私が矢内電気を切り盛りして得た会社の利益もドブに捨てていた。

蓋を開ければ月80万円の借金返済になっていて、実家の家土地、事務所の土地建物を売って借金返済に充てた。

(私が頑張って得た矢内電気の利益で、実家や事務所の土地建物の借金がだいぶ返済できているだろうと思っていたが、実際は株の資金として消えていた。)

それでもってこの12年、ほぼ私しか働いていない矢内電気の売り上げから二郎も生活していた。

その現実があって

「おまえはこれ以上親から金をとるんか?」

とは、これ如何に。意味が分からない。

意味が分からないと言ったが、本当は解ることは解る。

実際株で家土地も失ったので、少しでも自分の老後の金を確保しておいて、「身代を息子に譲ってやった。」ということにしたいのだろう。

利益はすべて自分が取りながら、それを他人には知らせず、自分が息子にしてやったと善人になる。

毎度のことである。

 

私はすでにアダルトチルドレンから立ち直り、ものも言えるようになっている。

清己「親から金をとるって?そもそも金を失くしたのは何処の誰か。そのあとも働きもせずに飯が食えてきたやろ。」

二郎「株で失くした金を元に戻してからものを言えということか。」

清己「そういうことやな。」

二郎「・・・・・・」

二郎「ほんならわしに新車の車を買うてくれ。それでおまえにはもう何も言わん。」

清己「あのなあ、新車を買うたら事業資金が500万円を切って建設業の許可の引継ぎが出来んようになるやろ。」

「今、車は軽ワゴンが2台あるやろ。一台ずつ乗ったらええやろ。」

二郎「あんな車、格好悪くて嫌じゃ。要らん。」

 

私も他に車があるわけではないから、その格好悪い車にこれからもずっと乗るんやけどな・・・

まあ、二郎はあの車ではデート(浮気の)は格好つかんやろうが、それはこの際知ったことではない。

 

清己「あんな車でも、歩くよりは楽に移動できるぞ。」

結局一台は二郎が乗ることに無理やり決めた。

そうしなければ、二郎は私の見えないところで

「息子になにもかもむしり取られた。」

と言うだろうことが想像できた。

とりあえずなんとか事業を継承することとなった。

 

 

 

 

 

父の二郎が65歳になる年、二郎は私、母、取引先ほか多方面の人に

「65歳になったら清己に矢内電気の身代(しんだい)を譲ってやろうと思う。」

と言い始めた。二回目の事業継承の話である。

 

実は以前にも事業継承の話は出たことはあった。

二郎が株で失敗する数年前だった気がするが、

二郎「矢内電気をお前に譲ってやろうか?」

と言ってきた。

清己「自分はどうするんよ?」

二郎「引退するんじゃが。」

続けて「ほんでの、、、わしに月30万円くれんか?」と言う。

清己「そもそも今、月1時間くらいの仕事しかしてないのに事業主貸(事業主の給料)としてそれなりに取りよろが。」

二郎「仕事はせんでも何か事があったらわしが責任を取るんやから当然のことじゃ。」

清己「ふーん、責任取る???何か事があったら謝りに行って処理しているのはいつも私やけど。」

二郎「責任取るいうんは、金銭的な責任が生じたらわしが弁済するという意味じゃ。」

清己「ああ、なるほど。この頃バブルも崩壊して工事単価も下がったし、設備機器も建築屋持ちになって売り上げ下がっとるからな。自分が給料払うより30万円もらうほうが得になるということやろ。自分が責任を取ると言う割には都合がええ話やな。」

というと、図星だったのだろう。

二郎「自分が儲からん商売する馬鹿がどこにおるか。」

の捨て台詞だった。

やっぱり!

自分の損得の話を「お前のためにしてやろう」にすり替えているんだな。

 

もし私がこの事業継承を承諾していたら、どういう状況になっていたか。

仕事を全くしない二郎に月30万円を給料として払い、それにに加え、

事務所の土地建物の借金返済と自宅を事務所として使っていることにして自宅の借金返済(一部かもしれないが)を会社経費として落としているのでその分は確か月14万円と月9万円の返済をしていた。

これも私に引き継がれ、私の責任で支払うことになる。

それは経費という名目だが二郎の財産となる。(事務所は二郎名義で、自宅は二郎と母の良美の共同名義)

つまり二郎に月53万円を出すことになる。

そして二郎の言葉『自分が儲からん商売をする馬鹿がどこにおるか。』の言葉通り、私の取り分になる事業主貸(事業主の給料)は30万円も無かったのだろう。

いつも二郎の『お前にしてやろう』的な話には裏があり胡散臭い。

その話は断った。

 

それから数年後に二郎の株の信用取引の大損で事務所も実家の家土地も無くなってしまった。

もしかしたらこの1回目の事業継承の話のときに、その予兆が既にあったのかもしれない。

 

その4年後が二郎が65歳になる年で、二度目の事業継承の話になる。

 ある日私が矢内電気の事務所に帰ると、松江電気の大本奥さんがいた。(名前は忘れたので奥さんと言う)

仕事の話かと思うと、雑談の最中だった。

大本奥さん「うちの誠ちゃんね、修理に行ったら修理代金を会社に入れんと自分のポケットに入れるんよ。」

誠ちゃんとは、そこの息子の大本誠志さんである。私よりかなり年上である。

 その誠志さんが自分が修理した代金をお客さんからもらったら、自分の懐に入れて会社に入れないという話である。

すると私の父の二郎は

「そんなもんよ子供は。うちの清己だって集金した現金は自分のポケットに入れよるよ。」

と言った。

まるで私も会社のお金を着服しているような言い方ではないか。

 

「ちょっと待って、それは違うやろ。」

続けて言った。

「確かに集金した現金は私の右ポケットの財布に入れる。」

「けどその財布は矢内電気の現金扱いの財布やろ。自分個人の財布は左ポケットの財布やで。」

「自分個人の財布に集金したお金を入れたことは一度も無いよ。」

「それに右の会社の財布からは集金だけじゃなくて会社の現金支払いも私がそこからしよることは前から知っとるやろ。」

「それを知っとってなんで僕が集金してお金を着服しとるような嘘を平然と言うんよ。」

「誠志さんが集金した金をポケットに入れる話と、僕が集金して会社扱いの財布に入れる話とは全く違うやろ。」

私は左のポケットには自分個人の財布、右のポケットには会社の現金の財布を常に持っている。

そして少額の現金集金の場合は会社の財布に入れて持ち歩いて、会社の少額経費の現金支払いをする。

それは以前から二郎は知っている。

 

もし大本奥さんが帰ってから二郎に「間違えたことを言うな。」と言ったとしても、

「おまえは集金したお金をポケットに入れとるのは間違いないやろが、わしは何も嘘は言ってない。」

と言うだろう。

そのポケットに入れたお金を自分に使わず、会社の現金として会社の支払いに使っていることを言わなければ、

私も修理代金を着服していると大本奥さんが思うということは二郎は計算済みである。

二郎は息子が少々の金を着服しても黙って黙認していると大物ぶりたいのだろう。

今までもよくあることだった。

 

しかしそれを見逃せば私はしてもいないことをしたと思われ、それが周囲に拡散する。

二郎にとっては私がどう思われようとどうでもいいのだろうが、私は困る。

このような時ずっと言い返せなかった。

私の居ないところで言われているのはどうしようもないが、私の目の前でも二郎は構わず言っていた。

私が言い返せないだろうと思っているからであるし、そのほうが真実味がある。

 

子供のころから二郎に逆らうと何かにつけて倍返しが帰ってくる。

そして言わなかったほうが良かったと後悔する。

そういうことが何十回か何百回か続くと、いちいち何も言わなくなっていた。

子供のころは家族の中だけだったが、社会人になると家族以外の広い範囲に二郎の嘘がおよび私が悪者になる。

そういうことが何度もあると、何とかしないといけないと思うようになっていった。

 

私の言動に、二郎は唖然とした顔で私を見返していた。

私が何も言えないと思っていたのだろう。

 

 

ただ、誠志さんだけが悪いのではないことを私は知っている。

誠志さんの父である松江電気の社長の大本俊夫さんはかなりの借金で首が回らない。

自分のローンが目いっぱいでローンが組めないとき、息子の誠志さんに頼んで誠志さんの名前でローンを組んで金を借りた。

そして工事収入が少なくてすべてのローン返済にお金を配分できないときに、自分名義のローンは返済して息子の誠志さん名義のローンの返済だけしなかった。

そのせいで誠志さんはブラックリストに登録され、以後ローンが組めなくなった。

私はこの話を誠志さんの奥さんの真理恵さんから聞いた。

「これが親のすることか。」

と怒っていた。

少額の修理費を着服するのはそれに対する抵抗なのかもしれない。

ここも毒親なのだ。