030の一触即発の事件が起きてしばらくしてからだと思うが、父の二郎が夜、家に帰らなくなった。

夜帰らないというのは、昼間は家にいるからである。

共同経営していた松江電気が倒産してから、父は個人経営の電気工事店を営んでいたが、その事務所は自宅の一部屋だった。

母は看護婦で、当時は外来に配属になっていたので毎日日勤。朝7時20分か25分のバスで出勤する。

父は7時30分くらいに家に入り、仕事を始める。そして17時30分から18時までの間に家を出てゆく。

そして母は18時30分から19時くらいに家に帰ってくる。

連絡を取り合っているのかと思うほど、全く見事に入れ替わる。

私にとっては居心地のいい状態になっていた。

 

私が20代の初めくらいだったと思うが、NHKで実の父親を殺した少年の、少年院での行動や作文を取材した番組を見たことがあった。

私は愕然とした。

その作文で、彼が父に対して思っていたことというのが、一字一句違わず、子供のころに私が父に対して思っていたことと同じだったからである。

私も父を殺していても不思議はないのだと思った。

私はこの時期に父が家に帰らなかったことについてだけは、ある意味感謝している。

そうでなければ

私がこの世にいなくて、父が塀の中にいるか

父がこの世にいなくて、私が塀の中にいるか

どちらかになっていたかもしれない。

中学生のある日、元の原因は何だったか忘れてしまったが、

母の良美が調理をしている台所の端と端で、父の二郎とにらみ合いになったことがあった。

どちらも動かなかった。

どちらかが少しでも動いたら喧嘩になる。

そういう張り詰めた緊迫感があった。

 

中学生になって、私も体が大きくなってきていた。

まだ父と同等の体格とまではいかないが、小学生の時のように明らかに敵わないという差はない。

私もその日は引かなかった。

自分の人間としての尊厳をかけて、一がばちか、

勝つか負けるかは分からないが、殴り合いの喧嘩上等。

覚悟は決まっていた。

 

双方動かない。

見ていた母も、物も言えずに固まっていた。

数分が過ぎた。

 

緊迫した空気を破ったのは母の良美だった。

良美は私の腰に抱きついた。

「清巳、やめなさい。」

それでもにらみ合いは続いていた。

今度は握りしめた私の拳を掴んで

「清巳、もうやめなさい。」

と、泣くような声で言った。

私は拳をほどいた。緊迫した空気は崩れた。

父は別の部屋に去っていった。

母はホッとしていたが、私にこう言った。

「清巳、お父さんを許しなさい。家族なんだから。」

 

この言葉も良く聞いた。子供のころから父と私が何かで衝突すると、母は私によくこう言っていた。

母に、「僕に対して『家族なんだから許しなさい。』とはよく言ったけど、お父さんに対して『家族なんだから清巳を許して。』と言ったことは一度もないよね。」

というと、決まってニマッと笑って何も言わなくなる。

母はいつでも私が許す、私が折れることを要求していた。

どんなに父が横暴であっても、道理に合わなくてもである。

私はこの「家族なんだから許しなさい」という理屈にいつも不合理を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学校に入ると、試験の成績の順位が通知される。

1年の最初の試験、1学期の期始試験の順位は学年で9番だった。

中間試験は6番になっていた。

中間試験の順位を見た父の二郎がこう言った。

 

二郎「清巳、わしは中学で1番じゃった。お母さんもオール5で1番じゃった。お前も普通に勉強しとったら1番が取れるように産んでやっとる。じゃけど、わしは心の広い人間じゃけん、直ぐに1番になれとは言わん。期始試験が9番、中間試験が6番と来たんじゃけん、期末試験は3番でええぞ。2学期に期始試験で1番になったんでええからな。」

 

結局期末試験の順位は46番だった。

二郎は言うまでもなく激怒した。

二郎「何じゃこの順位は、どういうことぞ。」

清巳「どういうことかと言われても・・・これが今回の順位じゃけん。」

二郎「清巳、お前は悔しくないんか、40人に踏みつけられたんやぞ。」

清巳「別に踏みつけられたとは思ってない。これは試験の順位じゃろ、踏みつけるも踏みつけんもないじゃろ。」

二郎「なんと覇気の無いやつじゃ。悔しくないというんか?」

清巳「学年には260人おるんよ。まだ後ろに200人以上おるんよ。」

二郎「くぅぅー、上から20番までが人間なんじゃが。それから下は人間じゃないんじゃ。お前は人間じゃない奴と自分を比べるんか。情けない。」

 

私は驚いた。あまりにも、あまりにもひどい考えではないか。

成績の良しあしで、人間じゃないとは。

じゃあ成績の良くない同級生は何なんだ。