トノバン 音楽家加藤和彦とその時代(映画) | 青空にTシャツ、片手にビール時々鉛筆

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少し暇な時間が出来たので、何の脈略もない部屋になりそうですが、童心に返って絵日記風に始めてみます

ずっと、この映画を待ち望んでいました

日本の音楽史を変えた先駆者

加藤和彦の軌跡

音楽家の加藤和彦こと

愛称「トノバン」初のドキュメント映画

 

大学生だったトノバン

京都の学生仲間の北山修たちと

ザ・フォーク・クルセダーズを結成し

卒業記念に作った曲

「帰ってきたヨッパライ」が一世風靡

フォーク・クルセダーズ初のアルバム

収録曲

帰ってきたヨッパライ

ひょこりひょうたん島

五木寛之が作詞した「青年は荒野をめざす

(作曲加藤和彦)などなど

帰ってきたヨッパライで300万枚の

ヒットを飛ばしたフォー・クル

(フォーク・クルセダーズ)の

シングルの第2弾として予定されていた

イムジン河」が歌詞を巡って抗議があり

レコード会社の意向で急遽発売中止となる

(※34年後の2002年CDとして発売)

イムジン河

 

 

代替えのシングル第2弾が必要となり

サトウハチローの詞に

即座に作曲するよう命を受け

東芝が用意した部屋に閉じ込められた

トノバンが3時間で作曲したという

名曲「悲しくてやりきれない」も

ファーストALに収録されました

 

悲しくてやりきれない

 

まだネットなんかもちろんない時代

深夜放送オールナイトニッポンから

京都の学生だったトノバンの曲は

全国に一気に広がっていきました

 

中学生だったぼくも受験勉強と称し

深夜放送から流れるビートルズと共に

フォーク・クルセダーズの歌に

聴き入っていました♪

フォーク・クルセダーズ

左から北山修はしだのりひこ加藤和彦

結成時の約束通り1年で1968年に解散

 

トノバン(加藤和彦)は翌年ソロ活動開始

ソロアルバム「ぼくのそばにおいでよ」は

トノバンは2枚組のリリースを希望するも

レコード会社の意向で叶わず

アルバムジャケットに抗議文を掲載下矢印

児雷也顛末記

アルバムのタイトルを勝手に変更され

曲順も収録曲も変更されたことに対する

抗議文を掲載したものです(以下一部抜粋)

 

かような事は他のアーチストにも

なされている筈である

これでは日本のレコードというものは

いつまで経っても消耗品でしかなく

一個の芸術品となりえる日は

はるか彼方であります

 

大学を卒業したばかりだったにも拘らず

既に音楽に対する思いは崇高で

音楽を聴かせるという

美意識に対するストイックさが

半端ではなかったようです

 

 

そんなトノバンの崇高な思いに触発され

プロデュース、アレンジ、作曲などを

依頼するアーチストがたくさん現れた

吉田拓郎もその一人でした

 

トノバンにアレンジを依頼して出来たのが

大ヒット曲「結婚しようよ

アルバム「人間なんて」に収録

 

結婚しようよ

 

リードG・ボルトネックG 加藤和彦

パーカッション 林 立夫

エレキB 伊藤保男

バンジョー・ハーモニウムは

当時まだ学生だった松任谷正隆

 

映画では拓郎に「どういう経緯で

あのレコーディングに参加したのか」

と、松任谷正隆が聞かれ

 

アマチュアバンドのコンテストに出場し

その時の審査員が加藤さんで

結果がどうだったかも忘れたけれど

コンテストから数週間経ったときに

突然手伝ってくれと連絡が入り

行ってみたら拓郎さんがおられたんで

ビックリしたとのことでした💦

 

松任谷、初レコーディングだったそうです

 

松任谷正隆はトノバンと知り合い

拓郎のレコーディング前にも

ちょっと手伝ってと言われ

キーボードを弾いて1万6千円を

もらったそうで

音楽をやってお金がもらえるんだと

感激したそうです(笑)

 

吉田拓郎、松任谷正隆をはじめ

プロデューサーとしても活躍

竹内まりや不思議なピーチパイ

泉谷しげる春夏秋冬」など手掛ける

 

数多くのミュージシャンがトノバンに

影響を受け、その後、日本の音楽界を

登り詰めていくこととなったのです

 

自身も70年代には欧米をまわり

特に英国ではデヴィッド・ボウイや

ロキシー・ミュージック影響を受けつつ

ミカバンドとしての活動を行う中

 

ミカバンド2作目AL「黒船」では

ビートルズとも関わった

クリス・トーマスがプロデュースを

買って出て「タイムマシンにお願い

などを収録、英国ツアーも展開し

海外進出のパイオニアともなった

 

タイムマシンにお願い

 

しかし、ミカとの離婚を機にバンドは解散

 

その後、小柳ルミ子の「わたしの城下町」

沢田研二の「危険なふたり」

郷ひろみの「よろしく哀愁」などの

作詞で有名だった安井かずみと再婚

 

安井かずみこと愛称ズズの詞と共に

タンゴ、ルンバ、レゲ、カリプソ

ボサノバ、トロピカルなど

多種の音楽を取り入れた

ヨーロッパ3部作を

バハマ、ベルリン、パリで録音

録音には坂本龍一をはじめとする

YMOのメンバーや矢野顕子等が参加

 

”ヨーロッパ3部作”

パパ・ヘミングウェイ

うたかたのオペラ

ベル・エキセントリック

 

トノバンの音楽に対する表現は

絶えず留まることなく変化していた

 

今回編曲を担当したミュージシャン高野寛

変わり続けるのはリスキーだし

ファンを困惑させるかもしれないが

背景には同じように絶えず変化した

ビートルズの存在があったのでは

加藤さんは変化こそアートだと

考えていたと思う

※読売新聞より抜粋させて頂きました

 

村上龍原作・監督の映画

「だいじょうぶマイ・フレンド」

薬師丸ひろ子主演「探偵物語」

などの映画音楽を担当したり

スーパー歌舞伎などにも携わった

 

また、トノバンは音楽だけに留まらず

他にもファッションや料理など

ありとあらゆるものの一流を追求する

ファッショナブルで、知的好奇心旺盛な

一流の音楽家でしたギター

 

トノバンが残した名曲たちはきっと

これからも語り語り継がれ

歌い継がれていくことでしょう~♪

 

 

カラオケあの素晴らしい愛をもう一度マイク

「あの素晴らしい愛をもう一度」

バックのパーカッションの音は

「結婚しようよ」の

バックのパーカッション同様に

椅子を叩いたとも言われる音

 

映画の観客席はやはり同年代や先輩方

シニア割引1300円の客が多い中

息子たちの年代の方もおられましたね

 

それにしても1300円は安い(笑)

またトノバンに会いにいくでしょうね(笑)

映画は最初から最後まで目頭が

熱くなりぱなしで、時には頬を伝いました

 

それは崇拝していた加藤さんへの

思いだったり

一流の凄さへの感動だったり

理屈抜きのカッコよさだったり

また、あの時代の思い出だったり

 

そして、なにより画面に映し出される

あの懐かしい優しい眼差しえーん

 

映画を観終えて

ここ2日間、加藤さんのレコードや

ユーチューブをずっと聴いてます♪

そして、当時の音楽仲間と

ラインでトノバンの想い出を

語り合っていました

 

加藤さんを超崇拝していた

我々の仲間のリーダー格の親友は

今でも死が受入れられず

「見るのが辛い」とも言ってました

 

ひとつの時代を駆け抜けた

「天才」トノバンこと加藤和彦は

2009年10月16日

『ただ、消えたいだけ』

という趣旨の遺書を残して旅立たれました

享年62歳でした

 

それでも、彼の生きざまは名曲と共に

この先ずっと語り継がれていくことでしょう

今さらですが、本当にお疲れ様でした

どっぷり加藤和彦様に浸ってみました

 

 

映画を観終えてステーションシネマ併設の

ガーデンには紫陽花が満開でした

 

今日もご訪問ありがとうございました