こんにちは、武田千晴です。
日に日に寒さが増してきましたね。
先日、夕飯の仕度をしているときに、リビングで宿題をしている娘が聞いてきました。
「ねぇ、ママ。
携帯がないことで困ることって何かあるかな?」
どうやらディベートの内容を考えているようでした。
ちょっと考えてから
「連絡できないことじゃない?」
と答えましたが、どうやら何かが違うらしくて、また説明をし始めました。
わたしは、仕度の手を止めて、
「うんうん。」
と聞いていたのですが、途中で娘の中で何かが
「あ!」
と解決したみたいで、話が終わってしまいました。
なんだか置いてけぼりの私・・・。
さっきのママの答えはどうなったの??
その時に、ふっと思ったんです。
「わたし」のために、聞くんじゃないんだなって。
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何のために「聞く」のか
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これまでは、わたしが知りたかったし、聞きたかったから聞いていたのだけど、
本当は子どもはママのために話さなくていいんだなぁって。
多分、以前のわたしだったら、
「最後までちゃんと説明してよ!」
とか
「ママの答えはどうなったの?!」
とか、言っていたと思います。
「わたしにわかるように話して。
わからないと「わたし」が不安だからちゃんと話して。」
という気持ちでした。
「聞く」を学んでからも、
”子どもの話を聞かなくては!”
と思っていて、そこには「わたし」の不安がありました。
子どもを理解しなくてはいけない、という思いが強かったのです。
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10年前の「ママはやく“あぁ~!”って言って!」
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娘がおしゃべりを始めたころのエピソードです。
当時、なにを言っているのかわからなくて何度も聞き返していたら、
「ママはやく“あぁ~”って言ってよ!」
というのです。
わたしが、わかると
「あ~!あれね!」
と言うので、それを待っていたんです。
娘は、自分の話を理解してもらうことよりも
”ママがわかってくれた!”
と思えるサインを望んでいたんですね。
「聞いてもらえた安心感」
を娘はずーっと前に教えてくれていたようです。
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会話は尻切れトンボだったけど
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繰り返し子どもとの対話を味わうごとに、
「話す」と「聞く」の安心した関係がそこにあるだけで
それでいいのだな、と思うのです。
娘に”会話の置いてけぼり”を味わされて
改めて大切なことに気が付いた夕方のキッチンでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
子どものこころのコーチング協会
インストラクター武田千晴