こんにちは。インストラクターの松本麗子です。
梅雨らしいお天気が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
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起立性調節障害の診断
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長女が学校に行けなくなったのは、忘れもしないロイヤルウィークが騒がれた4月の終わりでした。
10連休に入ってしまう前に、私は急遽会社を休み、一番近い総合病院に長女を連れて行ったのでした。
連休前の混雑の中、2時間かけて一通り検査をし、何項目かの問診をしたドクターの診断は、
「起立性調節障害でしょう。」
まさかの診断でした。
多少の知識はありましたが、私は驚きました。
「うちの子に限って…」ってこんな時に使うのかもしれないな、などと会計を待ちながら考えていました。
今思えば、予兆は、ありました。
毎朝のように、長女は私にブラシを投げつけました。
「ポニーテール、やって」
という合図でしたが、もちろん私は、当たれば痛いので
「投げないで欲しい」
と、伝えていました。
かろうじて、怒ったり怒鳴ったりせずに過ごせた事は、子どものこころのコーチングを学んでいたおかげ、
私自身の多大なる功績だと自負しております。
小児科医の診断もあり、ロイヤルウィークは家でダラダラと過ごしました。
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学校にいかなくて、いい。
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我が家の場合、小学四年生になる次女が、登校しぶりでした。
小学一年生からずっと、行ったり行かなかったりを繰り返してきました。
おかげ様で、私は既に「学校に行かなくてはならない」という思いを、半分以上手放していました。
次女の場合は、表裏なくストレートに
「学校に行きたくない」
という直球が投げられてきましたので、私は、
「学校に行きたくないんだね」
ストレートに直球を投げ返していたように思います。
長女の場合は、違いました。
「お友達が大切。
お勉強は嫌いだけど、学校に行けば楽しい。」
そう、言っていたからです。
約2年前、長女が4年生の頃。
軽いイジメにあったけど、今はその友達も家に遊びに来るまでになりました。
私は、私にない長女の才能なんじゃないか、とまで思って、そんな長女をすごいと絶賛していました。
5年生の一学期は、ボロボロの通信簿で、
「こんな通信簿は嫌だ!勉強もできるようになりたい。」
そのために塾に行く。
そう言って、多少嫌な思いをしながらも、近所の進学塾に通い続けていました。
そんな長女が、まさか学校に行けなくなるなんて。
次女が渋る上に、今度は長女まで。
私はいったい、何をしているんだろう。
子どものこころのコーチングなんて、やってるくせにまともな子育てできてないじゃないか。
学校の先生たちには、ブラック親に指定されてるに違いない。
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長女に寄り添う
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長女の嫌な事を、なるべく減らしました。
早速、塾をやめ、宿題もやりません。
朝は、多少症状のせいもあり、起きません。
私は、長女が起きてくるまで、声をかけませんでした。
ただし、朝の光とバタバタと支度をする様子は、すぐ見える状態にして過ごしました。
学校は、とても理解を示してくださいました。
担任の先生が、2年前まで中学校の先生だった事も幸いしました。
校長先生、教頭先生、教務主任の先生、皆さまで、
「行ける時だけ、行ける時間にくればいい」
と、受け入れ体制を整えてくださいました。
相談室の先生にも、簡単な立ち話の後、一度面談をお願いしました。
近くの小児精神科医の予約は、半年後。
愕然としましたが、それでも、予約を入れました。
主な私の不安は、
「この方法で、果たして良いのか?」
という一言に尽きました。
正確がない。
一人一人、違います。
良く、聞く言葉です。
昨日はどん底。
今日は、多分大丈夫。
明日は?
明後日は?
私の不安は、雪だるま式に膨らんでは溶け膨らんでは溶けを、繰り返しました。
一か月くらい、行ったり行かなかったりを繰り返したある日、私は担任の先生に、思わず
「先生、これで、いいのでしょうか?
あの、うまい言葉がみつからなくって、申し訳ないのですが…なんというか。」
担任の先生は、
「『これで、いいか?』
というのは、このペースの生活を続けて大丈夫かどうか?という意味ですか?」
「はい、そうです。」
「私は、大丈夫だと思います。」
見事なアイメッセージだったことは、心に残ります。
そんな中で、長女が家に一人でいる時間がとてもとても長いことが気がかりになりました。
私は、仕事を辞める覚悟を決めました。
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目に見えないものを感じる
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辞める事を、上司に言うその日の朝。
長女は、いつものように玄関まで見送りに来て、そして何も言いませんでした。
私は、何か、何かを感じました。
違和感のような、何かを感じて、
「行ってきます」
と一度閉じた玄関を、もう一度開けてみました。
長女が泣いていました。
私は、思わず長女をぎゅーと抱きしめました。
言葉は、いりませんでした。
この子は、いったい、何を、どんな大きなものを、抱えているんだろう。
ああ、気づけてよかった。
戻って玄関を開けて、良かった。
「だいじょぶだよ。だいじょぶだよ。
何も心配しないで、いいからね。
気がつけなくて、ごめんね。
こんなになるまで、ごめんね。」
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「聞き方」を学んでいないはずの友人からの言葉
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一緒にチアダンスを習っているお友達のママさんの言葉に、私は衝撃を受けました。
「長女ちゃんのような子は、言いたいタイミングで聞いてあげるのが、一番。
あとでとかじゃ、ない。」
この言葉を聞いた瞬間、
私の脳裏には 保育園時代のさまざまな出来事が、パラパラ漫画のように流れて行きました。
小さい頃、仕事を優先させて来たこと。
”私なんかが子育てするよりも、保育園の先生に育ててもらったほうが幸せにちがいない”
と本気で考えていたこと。
どんなに泣いてもわめいても、病気をしても、長女を実家に預けて私は仕事に行ったこと。
もちろん、家計のためだったし、悪意はない。
けれども、当時の私にとって長女より仕事が優先だった事は、紛れも無い事実でした。
時間に余裕が無いと信じ込んでいた私は、長女の
「ママ、みてみて!」
を、ことごとく無視して来ました。
挙句に
「ママは、私の話をぜんぜん聞いてくれない!!!」
と、叫ばれたこと。
あの頃の私を、責める気持ちは非常にうすくなりました。
正直に言うと、少し前までは「罪悪感」でいっぱいでした。
そんな「罪悪感でいっぱいな私」は、ずいぶんと小さくなり、
今は綺麗なパステルカラーの透明なカプセルに入れて、私の心の中に大切に大切にしています。
あ、ちょっとだけ後悔は残っているかな。
今、長女と、やっと向き合う事ができました。
その事を、とてもとてもうれしく思います。
私と、長女との時間が、ゆっくりと動き始めたような、そんな感覚です。
買い物をするにも、時間がかかる長女。
ゆっくりとゆっくりと時間をかけて長女が決めるのを、私はひたすら待ちます。
待っている間、一生懸命迷う長女を見ると、私はホッとするのです。
「ママ、みてみて。」
を、遅まきながら私自身がしっかりキャッチしていると確信しています。
ああ、私、待てるようになって良かった。
そして改めて、家族との時間を、丁寧に丁寧に過ごして行きたいと、心に誓うのでした。
最後までお読み下さりありがとうございました。
子どものこころのコーチング協会
インストラクター 松本 麗子