それでは前回の続きからお話ししたいと思います。
琵琶湖疏水の水力を使った蹴上発電所で発電された電気はどのように利用されたのかについてお話ししたいと思います。
蹴上発電所で発電された電気は京都市内に配電され、京都市内の広範囲で電気を動力源とした工場を設置することが可能になりました。
もし、水力発電ではなく旧態依然とした方法である水車を動力として使う産業振興であれば疏水の流れに沿った限られた場所にしか工場が設置できず、電気を使った場合のように市内全域で疏水の恩恵が及ばないことになります。
さらに日本初となる電気鉄道が京都市内を走り始めました。
こちらがその時の電車の模型です。
また、当時の車両が愛知県にある明治村に動態保存されており、実際に乗車することも出来ます。
馬車や人力より速く移動できる電気鉄道(市電)が走り出したことにより人や物の移動が活発になり、京都の産業振興がさらに進んだことも忘れてはならないと思います。
もう一つ付け加えると琵琶湖疏水の水運に欠かせなかったインクラインも蹴上発電所で発電された電気で稼働していました。
インクラインについてはまた別の機会にお話ししたいと思います
琵琶湖疏水を利用する方法が当初の計画通り水車を動力に使う産業振興であれば、日本の産業の近代化(産業革命)はもっと遅れていたかもしれません。
水車の代わり水力発電を使って発電するという発想も若い技術者である田邊朔郎を抜擢して事に当たらせたことによる成果ではないかと思います。
琵琶湖疏水はただ琵琶湖から京都へ水を送るだけではなく、その当時の日本人には未知であった電気という動力源を多くの民衆に知らしめた最初の例だと思います。
次回からは第三展示室のお話に移りたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。