琵琶記疏水記念館7 | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

それでは前回の続きから始めさせていただきます。

 

今回より第3展示室のご紹介をさせていただきたいと思います。

 

第3展示室の主題は「京都市三大事業の実施」です。

 

琵琶湖疏水が引かれたことにより京都市復興の兆しが見え始めてきました。

 

さらに復興への道筋を確かなものにするために京都市は次の三つの事業を計画します。

 

①第2琵琶湖疏水の開削によりより多くの水と電力を得る。

②地下水に頼ってきた飲料水を上水道の敷設により置き換える。

③江戸時代のままで狭い市内の主要な七つの通りを拡張して市電を走らせる。

 

 

 

 

この計画は明治31年(1898年)に京都市長となった内貴甚三郎が提唱していたのですが、当時の京都市の財源ではこの計画を実現することが難しく、計画を実現することが中々出来ませんでした。

 

内貴甚三郎

 

そして、時代が下りこの計画が実現される時がやってきました。

 

その立役者が明治維新の三傑の一人である西郷隆盛の長男である西郷菊次郎です。

 

 

西郷は明治37年(1904年)に京都市長に就任し、停滞していた京都三大事業に取り組みました。

 

彼はこの事業の実現に必要な資金を京都府単独、さらに日本国内で調達することが困難と判断しました。

 

そしてたどり着いたのがフランスで外債を発行して資金を調達することです。

 

これは簡単に言い換えればフランスで外国人にお金を借りることにしたのです。

 

こうして資金の問題について解決の目途をつけ、計画は実現に向けて動き出しました。

 

その外債の複製がここ第3展示室で見ることができます。

(外債の証券見本)

 

 

 

この三大事業についてさらに詳しくお話ししたいと思います。

 

次回は三大事業の一つ目である「第2琵琶湖疏水の開削によりより多くの水と電力を得る。」から始めたいと思います。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。