琵琶記疏水記念館5 | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

それでは前回の続きから始めさせていただきます。

琵琶記疏水記念館4

 

今回より第2展示室のご紹介をさせていただきたいと思います。

 

第2展示室の主題は「琵琶湖疏水が果たした役割」となっており、琵琶湖疏水をどのように活用したのかを紹介しています。

 

琵琶湖疏水の活用方法は大きく3つ分けられます。

 

1つ目は琵琶湖疏水の流れで発電機を回す水力発電、2つ目は琵琶湖疏水を運河として利用する水運業、そして3つ目は琵琶湖疏水の水そのものを防火用水、皇居への御所用水、京都市内の庭園、公園、水泳場へ利用するものです。

 

まず、一つ目の水力発電への利用についての展示についてお話したいと思います。

 

琵琶湖疏水の利用に関する当初の計画では疏水の流れに水車を置いて、その動力で京都の産業を振興しようとしていました。

 

しかし、土木技師の田邊朔郎と疏水水力調査委員会の高木文平が渡米した折に米国では売電を目的とした水力発電が行われていることを目の当たりにして、水車に加えて水力発電で得た電気による産業振興が将来的に有望であるとする両人の提言が受け入れられて、水力発電設備が付け加えられることになりました。

これが現在の蹴上発電所です。

 

当時、水力発電自身は日本国内でも行われていましたが、それらは自身の工場を動かすための発電で、外部に電気を販売するための水力発電はこれが最初となります。

 

当時の発電所内部は様子がこちらになります。

 

 

 

 

この明治期に作られた蹴上発電所は発電機などの内部設備は新しいものに置き換えられていますが、建物など一部の設備は明治期のものが現役で使用されています。

 

 

 

また、蹴上発電所の近くには水力発電発祥の地の石碑が建っています。

 

 

蹴上発電所については機会があればもう少し詳しくお話ししたいと思います。

 

この水力発電設備と蹴上発電所から配電された電力がどのように使われたのかについてのお話は次回に譲りたいと思います。

 

今回も最後までお読みいただき有難う御座いました。