太平洋のさざ波 19(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

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「わしの顔に何か付いていますか?」

 


 おじいさんが不思議そうに尋ねた。

 


「いいえ」

 


「吉田さんはプロレスがお好きですか?」

 


 柳本さんの言葉に少しばかり緊張がほぐれた。

「はい。
 父の影響で子供の頃からテレビで観ています」

 


「それなら、プロレスラーの藤原組長をご存じでしょう?」

 


「はい」



「昔、漁協の組合長だった関係で役職を退いても、
 わしの渾名は組長のままです」

 


 そう言って、おじいさんが語り始めた。

 


「直哉が生まれる前の事ですから、今からもう20年以上昔になります。
 漁協の忘年会か新年会の二次会のスナックでカラオケの流行歌に調子を合わせた若造が酔った勢いで羽目を外して、
 いつもなら、組合長で済むところが、藤原組長と口をすべらせた。



『藤原?』

 


 わしは今の直哉くらいの若造を睨んだ。
 酔いの回った若造はとろんとした目をわしに向けてこう言った。

 


『ご存じなかったですか?
 漁協で組合長がプロレスの藤原組長と瓜二つのそっくりなのを知らないのは、組合長だけですよ』



 若造を睨み返しただけで、わしはその場を収めた。

 


 わしが若い頃、そんな戯けを言う若い漁師を見たこともなければ、 目上の者と酒を飲み交わす席があっても、
 黙って、先輩方の話を聞いているだけで、
 歌を歌うなんて、もっての他でした。

 


 しかしながら、徒弟制度がまかり通っていた漁師の世界にも、
 世間の波は押し寄せた。
 20年以上昔の当時ですら若い者に手を出すのは御法度でした。
 わしらが昔堅気の漁師の世界を時代に合わせるべく、そんな漁協を作りました。



 そんなわしが好きだったのは野球でした。
 先輩の手ほどきで野球を覚え、小学校の校庭や広場や空き地に集まり、家の手伝いがない限り、時には三角ベースで日が暮れるまで野球をしたものです。

 


 わしは、中学で4番でキャッチーでキャプテンでした。
 甲子園を目指し、プロになりたといえばおこがましいですが、
 せめて野球有名校でなくても、地元の高校に進んで野球を続けたかった。
 しかし、親父の顔色を眺め、周りの空気に流され、長男で家業を継ぐために、泣く泣く漁師になった。



 それが良かったのか、悪かったのかはともかく、
 こうして、食べる物に困らず、雨露を凌ぐ家もあり、
 家族にも恵まれているということは親の跡を継ぎ、
 若い時分から漁師になって、正解だったのかもしれない。
 あれから60年、あっとういう間でした。

 


 若い吉田さんも直哉も、わしやばあさんのように年をとります。
 今を大事にして下さい。



 地元千葉のヒーロー長嶋さんに憧れながらも
 漁師になったわしはテレビでプロ野球を観ることはあっても、
 プロレスなんか見向きもしなかった。
 東京ドームはおろか、後楽園球場さえ行ったこともないのに、
 ボクシングと大喜利の笑点のホームグランドである側の後楽園ホールにプロレスが間借りしていたのは驚きです。



 戦後間もない田舎でテレビが珍しかった力道山の時代であれ、
 弟子のジャイアント馬場であれ、アントニオ猪木であれ、
 八百長というか、映画や舞台のように筋書きのあるプロレスなんて、わしは馬鹿にして見向きもしなかった。


 
 直哉の父親である一人息子がわしが漁でいない時に限り、、
 テレビでプロレスを観るのも苦々しく思っていたのですが、
 スナックで漁協の若い者に藤原組長を言われた翌日、
 家で朝飯を食べている最中に隠れプロレスファンとやらの直哉の父親の息子に聞いた。



 このわしが藤原組長に似ているのかと?

 


 すると、息子がこう言った。
 そう言われれば、お父さん、藤原組長に似てますね。



 誰がそんな事を言うんですか?
 短髪に怖い顔、ごつい体ときたら、 
 知らない人が見たら、誰でも避けて通ります。
 いっぱしのやぐざ、柳本組の組長です。

 


 漁師の世界も変わったんですね。
 じいさんの頃の昔なら、下の者が上の者にそんな事を言おうものなら、半殺しになっていたでしょう。
 家の者も村八分になって、この町で暮らすことも難しかった。
 そんな漁師の世界が嫌で僕は役所に逃げ込みました。



 わしは食べかけのごはんとおかずを掻き込んで席を立った。
 これが藤原組長との出会いです。
 それから、わしはテレビでプロレスを観るようになった。
 といっても、プロ野球やドラマや歌番組と肩を並べていたプロレスはお茶の間の娯楽から好き者の世界に転落していました。


 
 深夜放送と言うんですか、
 わしらが若い頃はもっぱらラジオの世界でしたが、
 プロレスはテレビの深夜枠に移ってどうにか生き伸びた。
 朝が早い漁師なので、わしは息子に深夜番組のビデオ録画を頼んで、プロレスを観るようになりました。


 
 そんな一人息子が漁師を嫌い、海の男になることもなく、
 安定した丘の公務員なんぞなって、
 代々続いた柳本家の漁師もわしの代で終わりと観念した矢先に、高校3年で進学先を考えていた孫の直哉が漁師になると言い出した。

 


 息子と嫁が大反対する中、わしは直哉に頭を下げた。
 直哉、ありがとう。

 


 藤原組長と呼ばれたおじいさんが目頭が熱くなったのか、
 目を閉じて、暫く黙り込んだ。
 口を開いたかと思うと、
   
 そんな直哉が結婚すると言い出した。
 相手は地元の娘でもなければ、もちろん、漁師の娘でもないが、わしは大賛成だ。

 


 ばあさんも同じ意見で、誰が反対しょうが、わしとばあさんは直哉の御方だ。


 
 老いぼれのわしが心配することでもないが、
 子供に恵まれようが恵まれまいが、男の子だろうが、女の子だろうが、生まれて来る子が漁師になろうが、なるまいが、
 わしは直哉の後見人だ」



 柳本さんの祖父で、藤原組長のそっくりさんでもある、
 漁師然とした大柄な老人がそう言と、「もう一杯お茶をくれ」と催促した。
 黙って立ち上がったおばあさんは急須から湯飲みにお茶を注いだ。



「ありがとう」

 


 おじいさんはゆっくりとお茶を飲み干した。

 


「湿っぽい話はここまで。
 吉田さん、今日はゆっくりしていった下さい」

 


「じいちゃん、吉田さんは鯨に興味をお持ちで、
 今日こうして、和田浦までお見えになりました」

 

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