25
3時にケイトと別れた。
「レオノーラまで行きたかったんだけど」
残念そうに呟くケイトを説得して名前も知らない停車場のような所で富四郎とマイクは車を降りた。
ガソリンスタンドで給油ついでにお昼を食べて車に戻る途中、
ケイトがトイレに入っている間に二人は話し合った。
ここから北に向かって車に走る間に第3の拠点となるべく適当な場所を見つけたら、お世話になったケイトとお別れしよう。
「本当にここでいいの?
カルグーりー以上に何もなさそうなこの町に泊まる所はあるの?」
彼女の心配をよそに、これ以上、ケイトを引き延ばしていたら、見ての通りの小さな車を飛ばして、ここから家に着くのが深夜になってしまう。
スタンドも修理工場もない町で車が故障して、
食料も水に手に入らず、途方に暮れるかもしれない。
野生動物に襲われるかもしれない。
死活問題だ。
明日、仕事が入っている彼女にこれ以上迷惑は掛けられない。
富四郎とマイクは覚悟を決めた。
野良猫だって生きていけるくらいだから、
今夜一晩、泊まる所なら何とかなるだろう。
イギリスの流刑植民地に過ぎなかったオーストラリアで、
ゴールドラッシュが沸き立ったのが今から百年前の19世紀半ばのことである。
サンフランシスコ周辺からやや遅れて、オーストラリア東部のニューサウスウェールズ州とヴィクトリア州で金鉱山が発見された。 続いて西オーストラリア州のこの地が熱狂に包まれた。
今でもカルグーリー近辺に現役の鉱山が点在しているのだろう、 ケイトが運転する小さな車は不毛な大地を突き進んだ。
時折、息を飲むような大きなトラックやダンプカーと擦れ違う。
豆粒のような車をあざ笑うかのように轟音を立てる、
鉱山や工事現場からそのまま現れたよう超大型車も珍しくはない。
信号すら珍しい1本道で久しぶりの赤信号に停車している間、
ラジオから流れるロックン・ロールに肩を揺すり、口ずさみ、
ケイトが夢中になっている間に後部座席でどちらからともなく、 ここがいいなと囁き合った。
お昼から3時間が経過。
通りの路肩に停めた車の運転席からケイトが降りて、
マイク、富四郎の順で車を降りた。
「ここでお別れね。
二人と出会ったのがちょうど今くらいの時間じゃなかったかしら。
いつか、どかで会えれば嬉しいな。
わたし、仕事でよくパースに行くから、街で見掛けたら気軽に声を掛けて。
わたしもそうするから」
彼女との別れを惜しむように二人は握手した。
運転席に戻ったケイトは手を振った。
エンジンを掛け、小さなマフラーから灰色の煙が吹き出すと、
小さな車体が動き出した。
Uターンして車は反対車線に入った。
ケイトは二人に視線を向け、右手を挙げた。
車が通り過ぎ、ケイトの車が来た道を戻って行く。
富四郎とマイクは見えなくなるまで彼女の車を目で追った。
と同時に、どうしようもない現実が二人を襲った。
あらためて、町を見渡してみると、ケイトが言っていたようにカルグーリー以上に何もない殺風景な町並みに腰を抜かすほどだった。
唖然として、声も出なかったが、これからどうしよう。
カルグーリーの駅に着いた時と同様に旅の当てなど、まったくない。
第二のケイトが二人の前に現れてくれるほど世の中は甘くはない。
とはいえ、前を向かなければ一歩も進みはしない。
ケイトと別れた場所から、富四郎とマイクは足を踏み出した。
「ここまでケイトに送ってもらって何だけど。
狭い車に乗っているだけで腹が減った。
トミー、晩飯には早いけど、メシにしない」
青い手提げ鞄を首から提げたマイクがそう言うと、ちょうど良いタイミングでいかにもローカルな雰囲気な中華料理店が目に飛び込んできた。
二人は目を合わせ、ここにしようと確認すると、
漢字で「広東」と書かれたドアを潜ることにした。
カウンターだけの狭い店内の椅子に座っていたのは店主と見られる中国人のおじさんだった。
染みで少しばかり汚れた白い料理服のおじさんは愛想よく黒いナップザックを背負った富四郎に中国語で話し掛けたが、
言葉が通じないと解ると、英語に切り替えた。
「ジャパニーズ?」
おじさんは富四郎を日本人と見てとった。
小さく目頭を下げた富四郎にメニューを渡して、
ドアの側からカウンター内の厨房に入った。
カウンターの丸椅子に腰掛けた二人は迷うことなく、炒飯を頼んだ。
二人は炒飯を食べ、おじさんがサービスしてくれたお茶を飲みながら、これからの旅の行方を話し合っている最中に、
一つ椅子を隔て、店に入ってきたグレーの作業服姿のガタイが良い中年の白人男性が二人の話に割り込んできた。
「二人はここから北に行きたいんだな」
彼は富四郎とマイクの横顔を眺めた。
「よかったら、俺のトラックに乗せてやる」
薄い茶色の髪に白髪が交じった彼の目の前のカウンター越しに、お盆に乗った中華定食が置かれた。
「まずはメシを食ってからだ」
彼は器用に箸を使い白米と肉野菜炒めを食べ、蓮華で中華スープを飲んだ。
おじさんにご飯のお代わりを頼んで、野菜炒め、スープと口を運び、お茶で締めた。
「メシの後にビールを飲みたいところだが、これから運転だから、我慢するか。
俺はテリー。
それじゃ、二人の話をじっくりと聞かせてもらう」
富四郎とマイクはこれまで経緯とパースの大学寮で供に暮らす日本人とニュージーランドの学生二人がダーウィンを目指していると話した。
「トミーとマイクだな。
二人は間違いながらもパースから列車に揺られ、車両の中で知り合った売り子の家に泊めてもらった。
おまけに車でカルグーリーからここまで送ってもらって、ここまでやって来た。
いいか、その娘さんに感謝するんだ。
そうしないと罰が当たる。
だがな、ここからダーウィンまで行くのは一苦労だ。
15年間、トラックでオーストラリア中を走り回っている俺でさえ、 これまで一度しか行ったことがない。
自慢じゃないが、オーストラリア生まれでこの国から出たことがない俺だが、ダーウィンはジャングルのように熱い。
言っておくが、死にそうに熱い。
俺が知っているダーウィンはアマゾンそのものだ。
たまたま、俺が行った時が雨期だったせいかもしれないが、
雨が少ないオーストラリアで、スコールのような大雨でトラックが流されるかもしれないと想ったのはあの時だけ。
ワイパーなんで何の役にもたたず、フロントガラスに打ち付ける大粒の雨が、目の中に飛び込んでくるようだった。
サイクロン以上なんだ。
ダーウィンは特別な土地なんだ。
二百年くらい前、もっと昔かな、
オランダかどこかもの好きな白人がオーストラリアを発見した頃、 俺の先祖でもあるイギリス人がこの島といか大陸に移り住む以前の原始の時代が残っているのがダーウィンという土地だった。
今は、多少は変わっているだろうが、こう言っては失礼かもしれないが、俺が訪れた10年くらい前のダーウィンは白人よりはアボリジニーが多かった。
そうだな、気候風土は違っても、同じノーザンテリトリーにある、ここから東に向かった、聖なるウルルに似ているのかもしれない。
とてもダーウィンまでは行けないが、
今から俺は、トラックに荷物を積んだまま、鉄鉱石の鉱山で有名なマウントホエールバック近くの小さな町まで行く。
ここから北へ千キロ近くあるかな。
途中、適当な所で仮眠して明日の今頃まで着けばいいと思っている。
二人も一緒に行くか?」
富四郎とマイクは目を合わせた。
「さて、決まった」
テリーはそう言って、爪楊枝を手に持った。
器用に歯に詰まったごはん粒や野菜の屑を抓み出すと、
爪楊枝を2本に折り、食器に乗せた。
それから、湯飲みのお茶を飲んで、煙草に火を付けた。
煙草を吸わない二人を気にすることもなく、二本目を吸い始めた。
「オヤジ! 勘定」
どこか日本人のようだった。
炒飯をご馳走になった富四郎とマイクは広東というなの中華料理屋を出ると、店の脇に横付けされたテリーのでかいトラックが目に入った。
「もう一度荷物を点検して、出発だ。
俺が荷台に上っている間に二人は通りを見張っていてくれ。
命があっての物種だからな。
車が突っ込んで来ようものなら、その前に車を止めてくれ。
わかったな」
テリーが荷台に上って荷物の点検をしている間、
言われたように、二人は通りの車に気を配った。
テリーのトラックのような大型車が通り過ぎて行く。
時折、日本では見たこともないトレラーのように長く連なった車両を見掛ける。
近場に鉱山が点在していることからこの街道はある意味で物流の拠点であり、ここはその交差点なのかもしれない。
そう想いながら、富四郎は十数分を過ごした。
「やっと終わった。
二人の居場所はここだ」
トラックの荷台を見ながらテリーに言われて、富四郎とマイクは目を見合わせた。
「冗談だよ。
俺の隣の特等席に二人まとめて座らせてやる。
だがな、運転に気が散るからお喋りは厳禁だ。
その代わり、俺から喋った時は特別に喋らせてやる。
さあ、俺に続いて運転席に乗り込むんだ」
まずはテリーが右ハンドル側の高いステップに足を掛け、難なく運転席に乗り込んだ。
その様子を見ていた富四郎は運転席側から反対に回り、左足を大きく伸ばして助手席側のステップを踏み、テリーがドアを開けてくれた運転席にどうにか滑り込んだ。
続いたマイクは長い足に幾分の余裕を残してステップを踏んだ。
運転席にテリー、その隣に富四郎、左の座席にマイクの順で座る位置が決まると、「これから出発だ」
テリーは左手首の腕時計に目を落とした。
「今が、4時10分。
これから日が暮れて、10時過ぎにどこか適当なところで一眠りする。
その前にできれば、夜食を手に入れる。
さあて!」
テリーがトラックのエンジンを掛けた。
数分間、エンジンを暖めて、テリーのトラックが発進した。
気の良い中国人店主の「広東」を過ぎると、それまで以上に何もない景色が現れた。
突然、つむじ風が吹き荒れた。
一瞬、目の前がトラックのフロントガラスが土埃で覆われ、土塗れのトンネルに入ったようだ。
車体がガタガタと揺れ、眠っていたマイクが飛び起きた。
テリーが機転を効かせ、フロントガラスに水が走り、
ダーウィンの大雨では役に立たなかったであろ大型のワイパーが土埃を流してくれた。
所々に汚れは残っているが、高い運転席からどこまでも続くような広大な大地に終わりを告げたのは何を隠そう夕陽だった。
カラスもいなければ、天空も舞う鷹や鷲などの猛禽類の姿もない。
もちろん、小型の野鳥なんて目に入りようがない。
太陽の光が行き届いていた頃はともかく、
トラックに乗り込んで1時間が過ぎると、辺りは段々と薄暗くなり、ライトの灯りが朧気な通りを照らした。
次第に左右の灯りの輪は強さを増し、一点となり、照らす世界だけがこの世のすべてとなった。
対向車のトラックの放つライトの光線が3人を射貫く。
昼間は天気が良かったのに陽が暮れると曇ってしまったのか、
星の姿も見当たらない。
突然、押し黙っていた車内にテリーの声が響いた。
「今、夜の8時だ。
もう1時間ばかり走ったら、ガソリンスタンドが見えてくる。
とりあえず、今晩はそこで休憩だ。
給油している間に小便をして、夜食と朝飯を買って、空き地で眠るとするか。
明日の朝は早いぞ。
そこでメシを食って、鉱山があるマウントホエールバック近くの小さな町で荷下ろしだ。
俺はそこでお前たち二人と別れる。
予定は以上」